エゼット
その夜
ほどなくふたりの少年は武器庫の前に到着した
俺が先に入って状況を確認する。他に誰もいなかったら入ってこい
え、俺が偵察役じゃないの?
アジャールは口の端を一瞬ピクッと引きつらせ、カムイの頭を叩きたくなるのを必死でこらえた
お前は毎回武器庫に入る度に奇声をあげるだろうが。今回は隠密行動なんだ、武器庫の警報システムの実効性を試してる場合じゃない、わかったか!?
お前が偵察なんかしたら、そのじっとしてられない足を武器庫に踏み入れた瞬間、俺が考えるのは逃走ルートだけだ
わかったか!?
カムイは恥ずかしそうに笑って素直に頷いた。しかしアジャールも慣れっこだった。カムイは小さい頃から、「ごめんなさい」と謝ってもどうせすぐに「次もまたやる」のだ
……まあいい、今はそんなことを気にしている場合じゃないとアジャールは自分に言い聞かせた
しっかり見張ってろ。何かあったらすぐに言え
ん?ちょっと待って、アジャール、あそこに――
待てるかよ!後で話せ。お前は見張ってろ。行ってくる!
ちがっ――
3、2、1――行くぞ!!
「パチッ!!」
アジャールが中に入って数秒も経たないうちに、目の前が突然明るくなった。突然の強い光に目が慣れず、彼は思わず目を覆った
――ライトが!?見つかったのか?
アジャールはすぐに、オーディンリーが腕を組んで彼らを待ち構えている姿を想像した
幸いカムイはまだ後ろにいて入ってきていない。これならなんとか言い繕える
俺のアイデアだ!カムイに、武器を弁償しろって俺と一緒に忍び込ませた
罰なら俺が受ける!俺は臆病者じゃない
しかし返ってきたのは、ただの気まずい沈黙だけだった
ア、アジャール……
そこには、少し照れくさそうにポリポリと顔をかきながら、決然とした顔つきのアジャールを見ているカムイがいた。武器庫にはふたりだけで、他には誰もいない
えっと……ライトのスイッチに蛍光ペンで「警報は切断済み、ライトを点けること」って書いたメモが貼ってあったんだ
それで……
つまり、アジャールはライトが点いたことでオーディンリーに見つかったと思い込み、恥ずかしいセリフを言ってしまったというわけだ
……なんでその時に言わなかったんだ
言おうとしたんだけど――
「後で話せ」って
アジャールは今すぐにでも時間を巻き戻し、あの時の自分の口を塞いで黙らせたい気分だった
……こっちに来て、武器を修理しろ
――ラジャ!すぐ行く!!
カムイはそれ以上アジャールを問い詰めはしなかった。さりげなく気にかけてくれている様子が、彼の胸を熱くしていた
ふたりは今日訓練した場所へと足を運んだ。カムイの折れた重剣が、まだそこに刺さっているかもしれない
しかし、地面にはひと筋の裂け目しか残っておらず、折れた武器はどこかへ消えていた。代わりに2本の新品の重剣が壁の横に立てかけられていた
うわうわ、前のやつより新しいし、いくつか細かい改良もされてる!
アジャールは剣の柄に貼られたメモを見つけ、手で引き剥がした
「母さんへのお礼を忘れずに」
明らかにエウリディケからのものだ
――ふん、どうやら母さんも父さんにも俺たちの行動は筒抜けで、3日後のテストの準備もしてたみたいだな
剣に小細工をしたことで、カムイが本当に危険に巻き込まれないかを心配してそっと現場の様子を窺っていたことも
今思えば、オーディンリーとエウリディケの前では、単なる子供の些細ないたずらにすぎなかったのだ。物事は全て彼らの手中にあり、カムイに不測の事態が起こるはずもなかった
当然だろ!だって俺たちは家族なんだ、お互いの考えはよくわかってるさ
カムイは相変わらず楽観的だったが、アジャールはその言葉を聞いて別のことに思いをはせた
よくわかってる、か……ふん、ふたりが何を考えているのかをよく知っているからこそ、こっちもつい意地を張りたくなるんだ
……今日訓練場で話してたあのこと?
――知ってるのか?
何度も言うから覚えちゃったよ!それに……最近母さんと父さんが何かを準備していることも気付いてる
制限区域でのテストも、きっとその件に関係あるんだろ?
……お前ですら気付いてたのか。だがこうなっても、あのふたりは俺たちに正直に話そうとしない
そんな悲観的にならなくても――今日の母さんの様子じゃ、俺たちが戻った時には何かが変わってるかも
ダメなら、一緒に訊きに行こう!それでも言わないなら、自分たちで調べればいいさ
とにかく絶対に諦めるなってこと!俺たちが力を合わせれば、できないことなんてない!
お前……本当に相変わらずだな。そういうところを見ていると、俺がビビりなやつに思える
でも、そんなお前を見てるのは嫌いじゃない
……すまなかったな、カムイ
今まで俺がやったこと全部
しばらく、アジャールは何も言うことができなかった。彼のわだかまりが完全にはなくなってはいない。だが今の謝罪は、彼の最大限の譲歩だった
いいよ、気にすんなって。俺たちは家族だろ、たいしたことじゃない
仲がいいほどケンカするっていうじゃん。ちゃんと話し合えば大丈夫さ。それに――俺は自分に自信があるから!
成功するカギは努力次第なんだ、そう信じてる。自分の行動でみんなに認めてもらうんだ。そうすれば心から納得してもらえる!
今回のテストも、俺に任せてくれ!必ずあんたを守るし、面倒も見てやれる
カムイは自信満々な様子でドンと胸を叩いた。だが感情が高ぶり力いっぱい叩きすぎたため、急に喉が詰まったように咳き込んだ
ゲッ、ゲホッ――!!!??
!?バカ、お前!!
アジャールは急いでカムイの背中を叩き、なんとか彼を落ち着かせた。お調子者は喉を詰まらせ、顔を真っ赤にして咳き込みながらも、笑顔を見せた
――本当に、救いようのないバカだ
……カムイ。お前、本当に――
……カムイ。お前、本当に――首の上に乗っかってるそれに脳みそ入ってんのか!?
エゼットの制限区域の密林の中――アジャールは口の端を引きつらせ、カムイが真っ黒な調理器具に手を伸ばすのを見て、駆け寄ってその手を掴んだ
出生ファイルに詳しく書かれてなければ、お前は秘密の遺伝子改造でも受けて生まれたやつかと思うところだ
なんでお前の思考回路は、普通の人間とこうも違うんだよ!?
ん?そうかな?
……本気でわかってないのかよ、それならしっかり思い出させてやる
制限区域に入って最初の日、火加減を間違えて獲った魚を焦がしたよな。なんでわざわざ持ち上げながら、わけのわからないことを言い続けてた?
「わけのわからないこと」じゃない、お前はエゼット食堂のスペシャル料理の焼き魚だぞって言い聞かせてた!「梅を見て渇きを癒す」って話、聞いたことあるだろ?
そうやって焼き魚を洗脳してたら、本当に食堂のあの味みたいになった気がして、ぐっと美味しくなったんだ!
……もしそうやって言い聞かせてる時に腹の音がグーグー鳴ってなけりゃ、ちょっとはその話に説得力があったかもな
じゃあ次の日、鶏の卵を手に入れて食べ終わったあと、なんでまたその巣に丸い石ころを詰め込んだんだ?
あれは――俺たちには食材が手に入ったけど、母さん鳥が1羽になって寂しそうだったから、何かで埋め合わせしたかったんだ
周りのモンで卵に形が似てるのって石しかなかったから、それを持ってったんだ!そうすれば、次の卵が生まれるまで寂しくないだろ?
あの鳥、すぐさま飛び上がってお前をつつき回し、お前は頭に刺さった鳥の羽を抜いてくれって駆け戻ってきたよな。そりゃ、あいつも寂しくはなかったろうよ!
それに3日目!!なんであの野鳥をわざわざ怒らせた?お前も真似して一緒に変な声でガアガア言い続けて、マジでうるさかった!
あれは普通の野鳥じゃない!あの鳥は水辺にいる習性のはずなんだ。あの日はあんたが草のトゲで怪我をしたから早く洗わせたかったし、水も補充したくて
だからイチかバチか試してみたんだ。実際、俺の鳴きマネ上手かっただろ?あの鳥は俺を仲間だと思って、すぐに綺麗な水源に連れてってくれた!
……あいつはお前を仲間だと思ったんじゃない、雌鳥だと思って1日中求愛してたんだよ!そのせいで俺たちは夜明け前、早々に出発するはめになった!
……それに今日だ!調理器具が焦げたなら新しいのに変えればいいのに、なんでお前、鍋底の焦げたやつをこそいで食べようとした?
ん?食材が足りないって言ってたじゃん?だから試してみたんだ、焦げ焦げでも食べれそうなら無駄にしないで済むだろ?
アジャールが目を離した隙に、カムイは焦げた肉を口に放り込み、驚いた顔でアジャールに向かって何度も頷いた。「味は悪くない、俺たち、天才!」と言わんばかりの表情だ
アジャールは諦めたように不気味な作り笑いを顔に貼りつけた
ここ数日、お前と俺は多少はうまくやれてるし、見逃してやる
でもこれからはカムイ、お前はもっと警戒心を持て。俺の目の届かないところでバカなことをするな
……お前も気付いてるだろ、ここ数日の制限区域の様子が少しおかしい
わかってる。まあ大丈夫だろ、もうゴールも近いし。出口を見つけたらすぐに戻ろう
――さっきの、わざとじゃないだろうな?危険に遭遇することが増えて、お前は何日もおとなしくしていたのに。今日はなんでいきなり突飛なことをしでかすんだ
それは……いや、たいしたことじゃない。ずっとあんたは顔が強張って、気分も悪そうだったし。どう?言いたいことを吐き出して少しはすっきりした?
ここ数日、獣に襲われる度に真っ先に突っ込んでいくのをやめてくれりゃ、俺の気分は格段によくなるよ!
俺はお前の後方支援兵じゃない。見くびるな、俺はお前に劣らない
強いのは知ってるよ!何度か奇襲された時も、あんたが助けてくれなかったら、もっと酷い怪我をしてヤバイことになってた!
……わかっているならいい。川でその黒い手を洗って、水筒にも水をいれとけ。進み続けるぞ
突然、彼は周囲の異様な気配を感じ取った。同時にカムイも鋭く異変に気付き、ふたりは同時に黙り込み、少し離れた草むらを見つめた
――おかしい。そこだけが死んだように静まり返っている。必ず何かが潜んでいる
武器を。戦闘準備だ
わかった
ふたりは警戒しながら草むらを凝視していた。中に潜む何かが、今にも飛び出そうとしている。しばらく膠着状態が続き、やがて草が揺れる音がして、1頭の狼が姿を現した
……よかった。この辺りでよく見る種だし、1頭だけだ。恐れることはない。やつらの習性なら、こちらが手を出さなければ襲ってはこないはずだ
静かに。別の場所へ下がって、やつの視界からはずれよう
アジャールはホッと息をついた。まだ対処しやすい生物で運がよかった。彼は緊張を少し解き、武器を手に後退し始めた
待て――違う!!アジャール!動くな!!
カムイは背後に潜む異変にいち早く気付き、奇襲される寸前のアジャールを引き戻した
――!?群れだ、それに……俺たちを取り囲む気だ!
数が多すぎる……くそ、何で今日はこんなについてないんだ!?
最初に現れた狼は離れようとはせず、大胆に近付き、じりじりと距離を詰めている。周囲の群れはその様子をうかがい、機を狙っていた
どうやらあいつがボスだな。どうする?先にあれを倒すか、それとも一番数の少なさそうなところを突破するか
……群れをもう少し観察する。お前はあいつを見張れ
ああ、任せてくれ
ふたりは背中合わせになり、一瞬も気を抜かず群れを睨み続けた。ボス狼が動く気配を見せ、カムイも恐れず武器を握り、迎え撃つ構えを取った
ウオ――ンッ!!
突然、ボス狼が猛然と地を蹴る。しかしその狙いはカムイではなく、アジャールだった。彼は群れの弱点を探るのに集中しており、即座に反応できなかった
――アジャール!!避けろ!!
ポタッ――アジャールの耳に何かが滴る音が聞こえた。目を開けると、血が自分の足に滴っているが痛みはない。これは自分の傷でも血でもない――
――カムイ!!?
視界を遮っていた腕を下ろすと、狼の攻撃を受け止めているカムイが見えた。牙は彼の腕に深々と食い込み離れそうにない。だがカムイも逃げる気など一切なさそうだ
――うっ!?
鋭い牙が肉を貫き、もう骨にまで届きそうだった。想像を絶する痛みが神経を貫いた。だがそれでもカムイは耐え、狼の動きを食い止め続けた
理性を失った獣は野性を爆発させ、噛みついても無駄と知った瞬間、鋭い爪で人間を引き裂こうとした。カムイは傍らの重剣でそれを受け止め、ついに狼を振り払った
狼は地面に叩きつけられ、「ドンッ――」と重い音を立てた。それでも闘志は衰えず、獰猛な口はべっとりとカムイの血に塗れている
くそったれが!!
カムイ!!安全なところへ逃げろ、俺がやる!!うおらあああ――!!
アジャールは完全に激怒し、ボス狼へ突進した。不意打ちでなければ、1頭の狼ごときに負けはしない。だがカムイはやはりアジャールを心配して、離れようとしなかった
彼は襲いかかろうとする狼の群れを見渡し、いつでも戦えるよう身構えた
ふん――やれるもんならかかってこい!
もう不意打ちは効かないからな。アジャールに指1本触れさせてたまるか!!
数頭が様子見で飛びかかるが、ボス狼ほどの力はない。数回の攻撃で彼らは倒れた。群れは軽々と動かなくなり、たとえ来てもアジャールの後方は守れるとカムイは確信していた
一方アジャールは次第に感情を抑えきれなくなり、攻撃は苛烈さを増していった。戦いは激化し、カムイも機を見て加勢し、ともにボス狼を追い詰めた
人も獣も理性を失ったかのように咆哮し、殺し合っている。やがて赤い血が草地を染め上げた頃、ついにふたりは力を合わせてボス狼を仕留めた
ウウゥ……
なんとか絞り出した最期の鳴き声を合図に、群れは一斉に走り去った。カムイはゼイゼイと喘ぎながらその場にへたり込み、ようやく危機を脱したことを知った
……ふぅ、アジャール、大丈夫――
うっ!?
張り詰めた緊張が解け、カムイはようやく腕の傷が激しく痛むことに気付いた。彼は剣を地面に突き立てて支えにし、もう片方の重傷を負った腕の様子を確かめ始めた
動くな!!
アジャールは慌ててカムイを制し、駆け寄って調べた。その血だらけのゾッとするような傷口をじっと見つめ、すぐ武器を放り投げると、薬を探し出して手当てを始めた
今回、カムイは痛みで叫ぶことはしなかった。成長に伴い、彼は痛くても声を上げないと心に決めていた。心配させたくないから――たまの冗談では我慢しなかったが
今、痛みで叫べば、アジャールの感情はこれ以上の刺激に耐えられないとカムイはわかっていた
再び風の音と鳥のさえずりが戻った森に、薬を塗り、包帯を巻く微かな物音が混じる。まだ体の震えが止まらないアジャールを見て、カムイは口ごもっていた
……アジャール?心配いらないよ。ほら、俺たち、勝ったぜ
安心しろ、もう大丈夫だ
アジャールは包帯を引きちぎった。カムイの言葉は火種のように、もともと熱を帯びていた導火線に完全に着火した。彼の感情は徹底的に爆発した
心配いらない?よくも簡単に言えるな!!
あと少し遅かったら、あのクソ野郎の牙はお前の頭に噛みつくとこだった!!
それに手で受けるな!あの状況で他人なんか気にするな。まず自分が避けろ!!骨までいって手が折れたらどうするつもりだ!!
全ての言葉がカムイを責めていたが、シュンとなって気勢が弱くなっていったのは、逆にアジャール自身だった
――俺が前にこれほどの傷を見たのはいつだと思う?
危険任務に就いて運ばれてきた負傷者だ。彼はその日の夜を越えられなかった!!
お前に何かあったら、俺はどうすればいい!!
今回テストに参加させたのは俺だ!皆に顔向けできると思うか!!
そんなの……俺は自分にも、お前にも顔向けなんかできない
アジャールは今でもあの時目にした光景を忘れられない。それは彼が初めて直接的な形で「死」というものに触れた瞬間だった
カムイがあの人たちのように二度と、笑って騒いですぐ側でじゃれ合うこともなく、墓碑に刻まれた冷たい文字になってしまうことを、彼は異様に恐れていた
エゼットに入った者は誰ひとり、軽々しく去ることは許されない。カムイ、覚えておけ。他人を大事にするのと同じように、自分も大事にしろ
お前は俺たちエゼットの一員だ。もし俺たちを置いて先に逝くようなことがあれば、誰もお前を許さない
……この言葉を覚えておけ。本当に俺を家族だと思っているならな
――わかってる。でもあの時はそこまで考えられなかった
ただあいつがあんたに飛びかかったのを見て、絶対守らなきゃって、それしか頭になかった
ごめん、心配かけた。でもありがとう、アジャール
本当に俺を家族だと認めてくれて、ありがとう
カムイは心から感謝し、喜んで、いつものカムイらしい眩しい笑顔を浮かべた
……なら、そのことを絶対に忘れるなよ
もうあんな無茶はするな。自分を軽んじるな――俺たちの家のためだと思え
お前だけじゃなく、母さんも父さんも……何かあっちゃならないんだ
その最後のひと言に、カムイは違和感を覚えた
もしかして、出発前に話してたあの件のこと?
……まだ確信はないが、かなり危険そうだ。なぜ今回の処罰が候補者向けのテスト内容になっているのか、わかるか?
こっそり計画書を見たんだ。もし「例の件」が始まれば、エゼットの管理権限を俺たちに委ねるつもりらしい
ただ忙しいだけなら、そこまではしない。つまりあのふたりは、その件で命に関わる危険を負うつもりなんだ
つまり最近のめちゃくちゃ厳しい訓練は、俺たちの能力の評価を始めてるってこと?
そうだ。不合格になれば、この件は先延ばしになると思っていた。だが彼らは止めようとしないし、何も話そうともしない
それどころか……死亡リスクの説明に署名した記録も見てしまった。だからあの数日間、俺は不安定だったんだ。ファミリーデーに話してくれることに賭けたが、結果は……
……母さんと父さんが初めてファミリーデーにいなかった。恐らく、その件で忙しかったからなんだ
あの時は少し……考えすぎて混乱してたんだ。来たのがお前だけだったことで感情が爆発しちまった。俺の問題だったんだ。本当はお前には何も関係ない
――関係ないわけないだろ!さっき家族だって言ったくせに、こんな時だけ俺を外すなよ!
大丈夫だ、手がかりはもうある。前に言った通り、戻ってから解決すればいい
安心しろ!カムイがいるぞ、何も心配すんな!
本当にお前は……安心できるカムイっていうなら、まずは自分の傷をちゃんと手当てしろ。動くな、薬が塗りにくい
アジャールの興奮は次第に落ち着き、ふたりで一緒に傷の処置を終えた
その傷はエゼットに戻ったらきちんと処置した方がいい。今すぐ母さんに連絡して、テストの早期終了を申請する。追加処罰があっても俺が受ける
俺も一緒だよ。どんな結果でも、ふたりで背負おう
ふたりはオーディンリーに通信を送ったが、何度も通話中の表示になるだけだった。首をかしげつつエウリディケにもかけたが、同じ結果だ
――おかしい、まさかエゼットで何かあったのか!?
アジャールが慌ててエゼットの緊急回線を開こうとした時、オーディンリーから折り返しの通信が入った。ふたりは急いで応答した
アジャール、カムイ!!すぐテストを中止して、最速でエゼットへ戻りなさい
リアルタイム発信器を必ずオンにしておくのよ。今、私は制限区域へあなたたちを迎えに行っているから
母さん!!何があったんだ!?
オーディンリーの声に焦りが滲んでいた。息が荒い、移動中に通話しているのは明らかだ
今は説明している時間がない!!とにかく急いで戻りなさい
それから覚えておいて。途中で妙な機械を見かけても、絶対に近寄らないで!!戦おうとせず、エゼットに戻ることを最優先にするのよ
――アジャール、ここを見ろ!!
帰路の途中、ふたりはなぜオーディンリーがあれほど慌てて呼び戻したかを理解した。通りすぎる辺境都市の人々は疑心暗鬼に陥り、外部の人間の立ち入りを厳しく拒んだ
中にはすでに混乱した廃墟と化した都市もある。どこかの国同士の大規模戦争かと考えたが、そこには軍もおらず生存者もいない――生きている人間をほとんど見かけないのだ
ある都市に慎重に潜入し補給を探していたカムイは、衝撃的な光景を目にした。つい最近の襲撃で、さまざまな金属機械に貫かれ、殺された人々の遺体が無惨に地面へ転がっている
血はまだ流れきっておらず、どの遺体も無念そうに目を見開いたまま倒れていた
……一体何が起きている?
これほど各地で動乱を引き起こせるのは、通常の戦争や災害などではない。ふたりはエゼットの安否を思い、不安を募らせた
あああ――!!!
遠くで響く怒号を聞き、ふたりは駆けつけた。そこで見たのは、赤く光る眼を持つ怪物のような異様な機械に向かって、鉄パイプを握りしめ突進する黒髪の少年の姿だった
恐らくその機械に殺されたのだろう、無惨な遺体を庇うように少年は立っていた。汚れた顔には悲しみと怒りが滲み、命を奪われた者たちの仇を討とうと突進していく
だが武器も貧弱な彼が力でかなうわけもなく、すぐに地面へ叩き伏せられ、機械が処刑の刃を振り上げた
まずい!!!
カムイはそう言いながら、少年を助けるために飛び出そうとした
バカ!!正気か!?
アジャールは素早くカムイの袖を掴み、壁の後ろへと引っ張り込んだ
ここまでの道中で状況を見ただろ。あれは俺たちで対処できる相手じゃない
母さんの言葉を忘れたのか?無事にエゼットへ戻るのが最優先だぞ!!
彼はエゼットの人間じゃない!自分たちすら危ういのに、なぜ他人を構う!?
しかし外から聞こえてくる苦痛のうめきが、再びカムイの注意を引いた。彼はアジャールの手を振りほどき、迷いなく飛び出した
でも俺たちと同じ、人間だ!
アジャール、エゼットが救ってきた人たちを思い出せ。俺たちも同じことをするんだ
安全な場所で待ってろ、俺が彼を助けに行く!!
少年は武器を手に飛び込んできたカムイに驚き、呆然としていた
しかし戦闘が激しくなると我に返って立ち上がり、力は及ばずとも、全力でカムイを援護しようとした
カムイ、この――救いようのないバカ野郎!!
アジャールも黙って見ていられず、武器を手に戦いに加わった
幸い異常な機械はそれ以上は現れず、3人で力を合わせ、敵を撃破した。道中ですでに体力を消耗していたカムイとアジャールは、激戦を終えた途端、その場に倒れ込んだ
……ありがとう
黒髪の少年はふたりのために水を探し出し、それぞれに礼を言った
アジャールは苦々し気な顔で渡された水筒をひったくり、ムスっと黙っていた。対してカムイはゴクゴクと水を飲むと、元気いっぱいの笑顔で少年に話しかけた
気にするなって!俺はカムイ、こっちは兄ちゃんのアジャール!
アジャールは珍しくカムイのその呼び方を否定せず、黙って水を飲み続けた
そういえば、名前は?
カトレフ
カトレフはそれ以上は語らず、名前を言うと俯いて、もじもじと服の裾をいじり続けた
彼の顔が血と泥で汚れているのに気付いたカムイが飲み残しの水で顔を拭いてやると、ようやくその顔立ちがはっきり見えた
カトレフ、近くに他の家族や友達はいるのか?一緒に探そうか?
カトレフの目は暗く沈み、どう説明しようか考えているようだった
……死んだ
孤児院の皆、ここにいた
あいつら、入ってきた。皆を殺した。残ったのは俺だけ
口数は少ないが不愛想なわけではない。仲間の凄惨な最期を思い出したのか、カトレフの手が震え始めた
その震える手を強く包み込んだカムイの手から、温もりが伝わった
辛かったな
ふたりの会話を聞いていたアジャールもカトレフに何も言わず、ただ黙って彼が落ち着くのを待った
これからどうするつもりだ?
……わからない
カトレフは孤児で、ずっとこの孤児院で暮らし外へ出たこともない。この状況では、外の世界は彼にとってなおさら厳しい
じゃあ……俺たちと帰るか?エゼットって場所だ
俺たちが守る。これから俺たちは家族だ
――カムイ!!
アジャールは苛立ったようにカムイを止めようとした
アジャール、これはエゼットの信念だ、あんたもわかってるだろ
行き場のない人も、誰だって望むなら、みんなエゼットの仲間になれる
……もういい。俺は知らん。戻ったら自分で母さんに説明しろ
それは事実上の黙認だった
カトレフ、持っていきたい物があればまとめるんだ。それが終わったら出発だ!
カトレフは頷き、僅かな荷物をまとめに向かった。やがて彼は食料と水、自分の名が刻まれた認識票だけを持ち、カムイとアジャールのところに戻ってきた
だが突然、ふたりから少し離れた場所で足を止めた
カトレフはカムイを見遣り、そして――
アジャールを見た
何度か視線をうろうろさせた末に、意を決したようにアジャールに歩み寄り、彼の服の裾を掴んだ
行こう、カムイ
?
……
奇妙で気まずい空気が流れた
――お前、本当は何も見えないのか?そうならそう言え
――いや……アジャール、彼は多分見えてる。この症状なら知ってる、確か相貌失認ってやつで……
カトレフは服の裾を掴んだ人の声を聞くと、さっと手を引っ込めた。さすがにふたりの声の違いはわかるようだ
実は、そう
彼に視覚のハンディはない。この肯定の言葉は間違いなく後者のことだろう
アジャールは再び、この無口な少年に挑発された気分になった
カムイ――
拾ったこのアホ犬を、お前の方に連れていけ。今すぐだ!!!
まあまあ、怒るなって。仲よくしようよ、なあ兄ちゃん――
またそう呼んだらお前もまとめてブン殴るぞ!!
少年たちがようやく手にした平穏も長くは続かなかった。周囲から再び奇妙な物音が響いたのだ
いつの間にか新たに不気味な機械が彼らを取り囲んでいた。しかも数は少なくない
くそ――キリがない!
3人はすぐに戦闘準備を整えた。この状況は彼らにとっていいとは言いがたい
手分けして片付ける。3つ数えたら一気に攻撃だ。迅速に終わらせるぞ
3――2――1……
かかれ!!
3人は一斉に攻撃しようとしたが、敵に近付く前に、その不気味な機械が次々と倒れた
邪魔、どいて!!
聞き慣れた声に、カムイとアジャールは安堵した。ふたりはカトレフを更に後方へ下がらせ、自分たちも迷わず戦闘に加わった
【規制音】!やっぱりこっちのやつらは手強い。あなたたち、無事?
たいしたことはない、母さん。一体近くで何が起きたんだ?
説明する暇はない。時間が迫ってる。その子も一緒につれてきなさい。最速でエゼットへ戻るわよ
……この世界は、もう完全に変わってしまった
エゼットへ近付くほどに、カムイはオーディンリーの言葉の意味を理解した。通りすぎる人々の住居はその全てが廃墟と化している
エゼットに戻った日の光景を、彼は決して忘れることはない。異常気象に、滅多に起こることのない日蝕。白昼のはずなのに世界は闇に沈んでいた
かつて眩い金色の光を放っていた太陽は、黒と緋色に覆われている。それは道中で見た、残酷に殺しを重ねる機械の怪物たちと同じ色だった
後にカムイは知ることになる。その日の災厄を境に、世界は崩壊したのだと。死の静寂が地上に降り、堕ちた太陽は空を蝕んだ
「2160年12月25日、パニシングが爆発」
