母さん……?父さん……?
カムイは、幼い頃のようにふたりを呼ぼうとした。それは本能的なもので、世界の全ての概念を築き始めた頃から、「両親」はと問われれば、あのふたりを思い浮かべた
しかし今、ファイルには1度も会ったことのない実の両親の名が記されている。では、彼の記憶の中の過去は一体何なのか?彼とふたりは、なぜこんな形になってしまった?
どちらの両親であれ、今この場にはいない。カムイの困惑に応えてくれる者は、誰もいなかった
彼はパズルの上の、カメラに向かって満面の笑みを浮かべるふたつの顔を見つめた。そして初めて、その完璧だったはずの思い出が、ひどく見知らぬものに思えた
俺……別に平気ってことはさすがにないけど……そんなに心配しないでいいよ、[player name]
今の記憶の感じだと、多分……いくらかは印象があるんだけど。ただ、はっきりはしていない
だから、改めて今これを見ると、どうしても少し、少しだけ……
俺はただ知りたいんだ。あの人たちは一体誰なのか――そして俺は結局、どこの何者なのかを
この疑問は、意識海の損傷がもう少し修復されてから……――ッ!?
口に出せなかった疑問が、脳裏に波紋のように広がった。圧迫感と、引き裂かれるような感覚が再び意識海へと押し寄せた。先ほど補充したエネルギーが作用し始めたのだ
ぐあっ――!?
指揮官に支えられながら、カムイはよろめきつつ壁際まで移動した。今の彼の記憶は、灰をかぶったジグソーパズルのようだった――そして今、ピースがはまった
母さん……父さん……
彼らにまつわる記憶が、更に蘇る。自分の出自、両親、そして……「家」にいたもうひとりの子供
それはカムイと似たような年齢の少年だった。彼もまた、自分と同じ呼び方で両親を呼んでいた
「母█▄▅▁――父█▄▅▁――」
カムイはついに、彼の名前を思い出した
……アジャール?
俺の名前を呼ぶな!!自分を何様だと思ってる!?
そんな白々しいことをしたって、俺がお前を認めるとでも思ってるのか?お前はそもそもこの家の人間ですらないんだ、思い上がるな!
お前は十分奪っただろ!愛情も、本来なら全部俺だけのものだった時間も、唯一の家族写真でさえそうだ……なのにまだ何か欲しがるのか?
カムイは少年の顔をはっきりと見た。オーディンリーとまったく同じ赤い髪、そして明らかにエウリディケから受け継いだ銀色の瞳
では、自分は?まったく似ていない容姿。自分の体のどこを探しても、彼らと血の繋がりがある証拠などひとかけらも見当たらない
カムイは思い出した。ようやくアジャールが彼の部屋に入るのを許してくれて、喜んだのもつかの間、家族写真に1本の目障りな赤い線が引かれているのを見たことを
幼い筆致だった。あの幼い日に写真を撮ってすぐ、アジャールは待ちきれず線を引いたのだろう。その線はカムイを彼らから切り離し、はっきりと境界を示していた
写真の片側には3人の完全な家族。その赤い線は越えられない溝のように横たわり、カムイを責めているようだ――お前はいつまでも溶け込めないんだぞと
本能的に温もりを感じていたからこそ、カムイはあの時間を、曇りひとつない鏡のように澄みきった、円満な日々だったと思い込んでいた
だがアジャールの罵声は止まらない。お前は最初からその鏡の内側にはいなかった、いや、亀裂は最初から存在していたと彼に告げてくる
出ていけ――!!!
出ていけよ!!カムイ
――カムイ!
「シュッ――」
高速で薙ぎ払われる武器の残影がカムイの毛先を掠めた。オーディンリーがとっさに手を引かなければ、今ごろ彼女の一撃で数mも吹き飛ばされていただろう
カムイの武器はすでにへし折られていた。下半分はオーディンリーの最後の一撃の衝撃で手から滑り落ち、地面に突き刺さって「ザクッ」と鈍い音を立てる
カムイにとってそれは初めてのことだった。エゼットで生まれた子は、一定の年齢に達すると実戦訓練を受ける――もちろん、武器には制限がなく、自分で選択できる
あの時カムイは深く考えもせず、最も破壊力のある重剣を近接武器に選んだ。オーディンリーも彼を「戦いの素質がある」と称え、重剣の習得においても負け知らずだった
だが今日、カムイは初めて無様に敗れた。相手がエゼット最強のオーディンリーだとしても、本来ならここまで追い詰められるはずがない。明らかに何かに心を乱されている
カムイは折れた剣を見つめたまま黙り込んでいた。本物の戦場なら、今日のカムイの動きは死に等しい――致命的なミスだ。彼は厳しい処罰を受けることを覚悟していた
オーディンリーも武器を脇に置き、厳しい表情でカムイの前に立った
カムイ
彼女の視線が、折れた重剣へと向けられた
言ってみなさい。今回の訓練で、あなたはどんな愚行を犯したのかを。どんなくだらない迷いが、こんな結果を招いたのか
は、はい……
出ていけ!!
少年の罵声が再びカムイの脳裏に響き、神経を刺す
それは3日前のファミリーデーに起きたことだった。両親は手が離せず、子供たちだけで過ごすことになった。カムイはおやつとゲーム機を持ち、アジャールの部屋に向かった
だが今回は、扉を開けた瞬間、アジャールが陰鬱な顔をしていることに気付いた
……何しに来た?
え?母さんと父さんが言ってなかった?ふたりとも忙しいから、先に俺が来たんだ
ほら!!好物ばっかりだよ。それにこの前クリアできなかったゲーム、帰ってからちゃんと研究したんだ!今回は絶対にクリアできる!
……アジャール?どうしたんだ、気分でも悪いのか?
――お前の頭は、毎日そんなことばかり考えてるのか?
え、え?あ、わかった。今日は別のことをしたい?じゃあ変えよう!
今までの何回かは……悪くないって言ってただろ。だから、好きかと思って……
お前みたいな出来損ないが……なんで俺と同列に扱われる?自分たちの身の安全も顧みず、お前みたいな馬鹿に重責を任せるなんて……
自分を何様だと思ってるんだ!!グズが!!出ていけ、顔も見たくない!!
彼らはお前の親じゃない!なんで俺たちの家に居座ってるんだ!?ここは俺の家だ、お前の家じゃない!!
――出ていけ!!
――俺の不注意です。訓練に集中できていませんでした。全て俺の責任です
カムイは即答した。彼は嘘が得意ではない。少しでも間を置けば、少しでも余計なことを言えば、オーディンリーに見抜かれる気がした
ふん、本当に?カムイ、もう1度だけ弁明の機会をあげるから、よく考えて。言いたいことはそれだけ?
俺……はい。それだけです。罰を受けます
チッ――もういいわ。よく聞きなさい!今日からあなたの訓練量を倍にする。更に、あなたが選んだ武器の使用は禁止。倉庫の予備品のみ使用を許可する
武器の申請手続きを最初からやり直して。ハードな訓練に耐えて基準に達したら、再び武器の使用権を与える
今すぐ医務室で傷の応急処置を。それから、さっさと訓練を開始するわよ!
了解です、今すぐ――
――ダメだ!!
カムイは驚いて振り返った。アジャールがここにいることも、ましてやオーディンリーの命令に逆らって飛び出してくるとは思ってもいなかった
休養期間も与えずに急に高負荷訓練を始めれば、傷が悪化するだけだ
それに予備武器なんて役に立たない。今の状態で基準を達成できるはずがない。こんな悪循環は不公平だ!
……公平?アジャール、あなたの言う「公平」って何?
口答えして私を丸め込めると思わないで。問題が起きれば、誰かが責任を取る。それこそが公平ってものよ!
どきなさい、邪魔をしないで!この件はあなたには関係ない。黙っていなさい
関係ないだって!?母さん、俺が気付いていないとでも?最近の訓練は全部、母さんと父さんが俺たちを評価するためだろう?
俺は理由をつけて回避した。だから今度はカムイで続けた――コイツの武器に細工をしたのは俺だ。今回の結果がどうなるかもわかってた。母さんが言うような問題はない
コイツがこんな処罰を受ける必要はないし、母さんたちもこんな非現実的なやり方はとっくにやめるべきだったんだ!
……もういい、アジャール
母さん、俺は全ての命令を受け入れます。この件は……これで終わりにしてください。これ以上、追及しないで
そう言うとカムイは地面に刺さった剣を引き抜いて立ち去ろうとした。だがその行動がかえってアジャールを刺激した。彼は駆け寄ってカムイの武器を奪い取り、立ちふさがった
誰が行っていいと言った!?怪我してるくせにどこへ行く気だ!!
休憩室に戻っておとなしくしてろ。俺は臆病者じゃない。お前に身代わりになってもらう必要なんてないんだよ
そういう意味じゃない。ただ……前にあんたが言ったことは、正しかった
俺は、自分の居場所じゃないところにいちゃいけない。誰かのものを奪うべきでもない
だから……これでいいんだ、本当に。あんたが大事に思っているものを、これ以上失わせたくないんだ
……こんなことになるなんて思ってなかったんだ、カムイ
今回の評価を不合格にしてやろうと思ったんだ。それで、その……
ふん、やっとふたりとも本音を言ったわね
オーディンリーは歩み寄り、ふたりをじっと見据えた。少年たちは言葉を失い、揃ってうなだれた
カムイ、善良さと受容は違う。その違いを履き違えたままでいれば、いずれもっと重い代償を払うことになるのよ
あなたは戦闘中に気を散らすようなバカじゃない。くだらない問題を何でもかんでも背負い込まないで
小さい頃からの悪い癖よ。小さな傷も黙って隠し通せば、そのうち勝手に治って万事解決だなんて思い込んでる
小さな出来事も抱え込みすぎれば、やがて膿を持つ治らない傷になる。そうなってから後悔しても遅いの
そう言うと、オーディンリーは視線をアジャールへ移した
同じ言葉を、あなたも肝に銘じなさい。アジャール
ちょっと小細工したくらい、たいしたことじゃない、そう思ってる?誰にそんなふざけた理屈を教わったの!思い上がらないで
あなたが言う通り、もし私がカムイに高負荷の訓練を続けさせると決めていたら……あるいは今日、エゼットが奇襲され、相手が私ではなく本物の敵だったとしたら――
よく考えることね、彼がどれだけ大怪我をしていたかを。あるいはそのまま戦場で命を落としていたかもしれないのよ
あなたが彼に与えた傷は、誰かによって引き裂かれるかもしれない。だからこそエゼットは何度も強調しているの。ことの軽重にかかわらず、家族を故意に傷つけてはいけない、と
もし本当に取り返しのつかないことが起きた時、あなたは一生、自分を許せなくなる
……ごめんなさい、カムイ、母さん
俺は……こんなことになるなんて思ってなかった
俺は逃げたりしない。自分の犯した過ちを認め、どんな処罰でも……受ける
ふん、少しは責任感があるようだけど、甘いわね。罰はふたりとも一緒に受けなさい。どちらかだけを特別扱いなんかしない
言ったでしょう。あなたたちふたりはともに問題がある。なら、どちらもほったらかしにせず、互いに解決するのよ
……俺はこいつと一緒は嫌だ。それに、どうして今になっても俺たちを同じレベルで扱うんだ?
――アジャール、正気で言ってるの!?私たちがカムイを依怙贔屓すれば満足なの?
ずっとそうしてきただろう!コイツにそれほど期待して、俺と同じように厳しく育てるなんて、どうしてだよ?
こいつはただの養子だろ。本当の子供は俺じゃないか!こいつは俺たちの家族じゃないのに、どうしてそんなに目をかけるんだ!?
あんたたちの目には、俺ひとりだけが映っていればいいんだ!!
オーディンリーは小さく鼻で笑った。まるで、とんでもない冗談を聞いたかのようだった
さっきよりも更にくだらないセリフね
血の繋がりなんていうものだけで、「家族」が成り立つとでも思っているの?
今日ここで、もう一度だけ言っとくわよ、アジャール――言うのはこれが最後
あなたも、私も、カムイも、エウリディケも、ここにいる全員が、持っている家はただひとつ
その家の名は「エゼット」よ
家族の間に隔たりなどあってはならない。ひとりひとりが、全員を守る責任を負っているの
オーディンリーは少し離れた席から古びた1冊の本を手に取り、最初のページを開くとアジャールに向けた
エゼットの歴史は小さい頃から学んできたはず。でも今の様子を見る限り、まるで頭に入っていないようね
アジャール、言ってみなさい。最初のページの写真は何?
……エゼットの始祖たちだ。ここに根を下ろしたあとに撮った、最初の集合写真
この中に、血縁関係のある人がひとりでもいる?
……いない。彼らは世界各地から来た人たちで、皆戦争で故郷を失った。偶然出会ってともに歩むことを選び、エゼットで自分たちの家を取り戻そうとしたんだ
でも、そのあとに自分たちの子孫を残しただろう?エゼットにも血の継承がある!
もしエゼットがそんなものだけに頼っていたら、今の姿にはなっていないわ
エゼットは数百年の間に、無名の傭兵組織から、大規模な軍事基地へと発展した。何のためだと思う?
彼女の指先が2ページ目を指した。そこには大きな世界地図があり、無数の赤い線で道筋が描かれていた
これが、私たちの先人たちがたどってきた場所よ
どの土地で血が流れても、その度に戦争で行き場を失った人々を連れ帰った。本人が望むなら、誰であろうと家族として迎え入れてきたの
そうやって私たちは大きくなった。でも同時に、より強固な力も必要になったの
なぜエゼットが「自由」を手放し、世界政府への編入を受け入れて管理下の軍事基地になったのか、わかる?
世界政府が約束した保障と専門的な訓練こそが、エゼットの夢をより確実に実現できると判断したからよ
「世界中の全ての家族が二度と引き裂かれず、陽光の下で暮らせるように」
エゼットに属するものは皆、その夢のために戦っている
もちろん、そこまでルーツにこだわるというのなら、望み通りにしてあげる
オーディンリーは振り返ってカムイを見た。彼の胸の奥にずっと落ちている影を、今こそ打ち砕く時だと確信していた
あなたが物心ついた頃から、私とエウリディケは、あなたが私たちの実子ではないことを隠さなかった。あなたはそれ知る権利があるし、だからといって引け目を感じる必要もない
今からあなたの実の両親について、話すわね
あなたの父トールと母ラーは、前任のエゼットの指導者だった。ふたりともエゼット兵士の遺児で、自ら望んでここに残り、両親の遺志を引き継いだの
やがて最強の戦士となり、そして最後の大戦で他の隊員を守って撤退させるため、自ら殿を務めて犠牲となった
もし本当に血縁にこだわるというなら、覚えておきなさい
あなたの体に流れているのは、紛れもなく英雄の血よ
……わかった
そして、アジャール――私たちの子だからというだけで、エゼットを当然のように支配できるとでも思っているの?
オーディンリーは実の息子の前に歩み寄り、自分とそっくりの燃えるような赤い髪を見つめた
エゼットは世襲の専制君主制度じゃない。私もあなたも、生まれながらにして特権を持つ高貴な血筋なんかじゃない
あなたの実の母である私は、名もない村が盗賊に皆殺しにされ、生き残った孤児よ。救援が来る前に野生生物にさらわれ、そのまま子として育てられた
エゼットの部隊が森を通りかかった時、野生生物の巣から私を連れ帰り、育ててくれたの
そしてあなたの父、エウリディケはかつて暗殺組織に属していた。手に染みついた血の量は、兵士である私に劣らないわ
ある時、重傷を負った彼を私は連れ帰った。さんざん拳でわからせて従わせたわ。そのあと私たちと協力して組織の本拠地を崩壊させ、ようやくエゼットに身を落ち着けたの
もし、あなたのその血縁という基準に従うなら、私たちにエゼットの家族になる資格があると思う?
お、俺は……
あなたたちにこれを話したのは、誰がより高貴だとか、誰が劣っているとか思わせたいからじゃない
あなたたちは皆エゼットの人であり、対等なの
本当にエゼットの未来を背負いたいのなら、「家族」という真の概念を徹底的に理解しなさい
……これより、あなたたちふたりへの処分を通達する
エゼットのメンバーアジャール、エゼットの規律に違反。3日後、制限区域のテスト場へ赴き、第1級難易度のテストを受けること
同時に、メンバーカムイはその行為を知りながら報告をしなかった。事実隠ぺいのため、同行し、ともにテストを完遂すること
この通達は基地内に公示し、即刻発効とする
――!?
どうして制限区域での第1級テストなんだよ!?あれは代表候補を選抜するためのものだろう?
それに規定では、テストの前には事前審査があるはず。俺たちはまだそれも……
これは私とエウリディケで協議した結果よ。他にも要因はあるけれど、今は説明する時期じゃない
帰ってきたら、きちんと話すわ
……他の要因って、どうせあの件だろ?
最近の評価もそうだ。母さんたちは結局「その件」を諦める気がないんだ――俺たちのためだとしても、譲らない
アジャール、落ち着きなさい。将来エゼットの重責を引き継ぐなら、成長することを学ぶのよ
――その重責ってやつで、一度でも俺たちの意見を聞いたことがある!?
何もかも隠して、勝手に決めて……
一体いつになったら、俺たちのことを真剣に考えてくれるんだ!!?
アジャール――!!
オーディンリーの呼びかけもむなしく、アジャールは癇癪を起こし、そのまま訓練場を駆け出していった
……母さん、俺、アジャールの様子を見てくるよ。3日後には準備を整えて、時間通りに報告する
それから……ありがとう。母さんも、父さんも
カムイの姿もアジャールを追って遠ざかる。オーディンリーは子供たちの背をしばらくぼんやりと見つめていたが、頭を抱え、顔をしかめた
……まあいいわ、今はまだタイミングが悪いし、後で話せばいい
それと――ちょっと!エウリディケ!その壁の隅に隠れるクセ、いつになったら治るのよ!
アジャールとカムイもあなたに悪影響を受けてるようね
手にいくつかの治療用品を持ち、エウリディケは笑いながらオーディンリーの側に来た
多分治らない職業病だよ。暗がりに身を隠して他人を観察することが、骨の髄まで染みついてるんだ
それに――君が俺の黒歴史を話している時、子供たちの前に出るのは気が引ける
輝かしい過去とはいえないからな
オーディンリーは腕を組み、エウリディケに向かって眉を吊り上げた
今のあなたに、昔の陰険で冷酷な「毒蛇」の面影なんて、まったくないわよ
最初に会った時の、重傷を負いながらも、死んでも屈しないという気概を見せたあなたの方がもっと好きだけど
でもあれは一時的に君の興味や競争心を掻き立てた程度だろう。今の方が、君の視線を引きつけるくらい魅力的だろ?
……まったく、ちょっと褒めたくらいで調子に乗らないでよ
オーディンリーはエウリディケが持っている治療用品に目を向けた。容器の端は凹み、包帯が乱雑に入れられている。どう見ても物を大切に扱うエウリディケらしくない
アジャールが持ってきたの?きっとカムイに使うつもりで準備してたのね
ああ。でも君が怒鳴った時、地面に投げ出されて、そのままになってた
オーディンリーはまた頭を抱え、その問題をどう処理すべきかしばらく考えていた
まったく――ここ数年、カムイに対するアジャールの態度が少しは和らいだと思ってたのに。最近はどうしちゃったの?
カムイに対して怒ってばかりで、子供の頃に戻ったみたい
今まではせいぜいカムイに対してちょっと強がっていただけなのに、急にあれほどヒステリックになるなんて……
成長ってのはいつも複雑だし、過程も必要なんだ。すぐにはうまくいかない
あの子もカムイも、この問題を完全に解決する機会が必要だな
それに……もしかしたら、あの子は何かを感じ取ったのかもしれない。アジャールは俺たちがまとめた「あの計画」の資料を、盗み読んだらしい
更に機密性の高い資料を読んでいないのは幸いだ。じゃなければ、エゼット内部でずっとひた隠しにしているあの情報――
――考えすぎないで、エウリディケ。とにかく、まずはあれこれ試行錯誤するしかない。もし成功すれば、「あの問題」はもう重要じゃないわ
個々のメンバーの生理機能だけじゃなく、未来のエゼットの全員が……もう悩まされることはなくなる
あの子はいつも敏感すぎる……
その敏感さが彼自身を傷つけないことを祈る。エウリディケはその後半の言葉は口に出さず、心の中に留めた
――テストが終わったら、あの子たちに教えることにする
「あの計画」を実行に移す時が来たら、私たち、早々に準備を進めなきゃならない。彼らはその役割を担うのに最適な人材よ
うーん……行くか行かないか、迷っちゃうよな……
カムイはベッドの上をゴロゴロと転がりながら、枕や布団を床に蹴り飛ばした
オーディンリーたちは彼とアジャールが成長してからは、勝手に部屋に入らなくなった。もし子供の頃なら、今頃オーディンリーに耳を引っ張られてドヤされているだろう
訓練場を出たあとカムイはアジャールを追いかけたが、完全に無視されてしまった。カムイはひとりで3日後に必要な物資を確認した
彼の武器が壊れ、オーディンリーはアジャールに自分の武器をカムイに渡せと言った。だがアジャールの武器については言及しなかった。カムイはこの問題について考えた
ダメだ!このまま待ってたらダメだ。出発は明日の早朝だし、今行動しないと本当にチャンスがなくなる
カムイはベッドから跳ね起き、今すぐ武器庫に忍び込んで新たな重剣を取ってこようと決めた――アジャールを徒手空拳でテストに行かせるわけにはいかない
いや……アジャールの性格だと、きっとこう言う。「同情するな。施しなんているか、それを持って失せろ!」
あっ、それなら、出発したあとで武器を交換すればいいじゃん?グッドアイデアだな、これで決まり!
そう言って、彼は拳を振り回して自分を鼓舞し、部屋の扉に向かって駆け出した。だが扉を開ける直前で急停止し、しばし考え込んだあと、ニコニコしながら扉を開けた
ジャジャーン!やっぱりお前だった、アジャール!聞き間違いじゃなかった!
?!
扉の前にいたアジャールはカムイに驚き、ノックしようとした手が震え、体もつられてビクッと震えた。彼は怒りの表情を作り、わざと威圧的な口調でカムイを脅そうとした
――カムイ!次にこんな風に俺を驚かせたら、マジで殴るからな!
そう言いながら彼は拳を振り上げ、殴るふりをした
おっと、やめろやめろ!!降参、降参。殴るなよ――
後ずさったカムイは、今日の訓練でできた傷を扉の飾りにぶつけてしまった。その痛みに思わず小さく叫んだが、その声でアジャールは再び緊張した
――!?バカか!!
アジャールは反射的にカムイを引き寄せ、傷を仔細に調べた
本当に、いつもハラハラさせるやつだな……早くこっちに来い
カムイはおとなしく部屋に入った。アジャールが取り出した医療用品は完璧に揃っている。どう見ても、今ぶつけた傷の手当て用だけではない
ああああ――痛い痛い痛い!!
痛くても我慢しろ、騒いだらもっと痛くなるぞ!お前が傷の処理を後回しにするからこうなったんだ、これも教訓だ
毎回傷口に薬を塗る度にこんな調子なのに、数日も経てばまたうっかりやらかすに決まってる。お前は傷が治れば痛みを忘れるんだろうな
そのあと、短い沈黙が続いた。カムイはアジャールの機嫌を損ねないよう黙っていた。一方、アジャールは心の中にわだかまりを抱え、どう話せばいいのかわからなかった
……武器
アジャールが最初に沈黙を破った
母さんに言われた通り、武器は持ってきた。扉のところに置いてある。持っていけ
それと、数日前に言ったことは……
その……あの時、少し気持ちが混乱してたんだ。お前のせいじゃない
……何もなければ俺は先に帰る。明日、訓練場で落ち合ったら、制限区域に出発だ
そう言って彼は背を向け、部屋を出ようとした。カムイもすぐに立ち上がった
――待てって!俺に武器を渡して、あんたはどうするんだ?
アジャールは以前のように怒ったり拗ねたり、負の感情をカムイにぶつけることもなく、声を低く抑えて冷静なふりをしていた
俺のところには小型の武器がいくつかある。全部持っていけば足りるだろう
……俺の能力は武器の種類に頼る必要なんてない。あんなの、なくてもテストはこなせる
もちろん、彼は小型の武器では不十分だとを理解しているが、犯した過ちに対して自らきちんと責任を取るつもりだった。武器をカムイに渡す約束を反故にするつもりなどない
ダメだって!!たとえふたりで行動してても、制限区域の危険性をナメちゃ駄目だ。適切な武器がなければ危険すぎる
――じゃあ、俺にどうしろと?武器を返すなんて、そんなふざけたこと言うなよ
母さんに見つかれば、罰がもっと重くなるだけだし、お前の施しなんているか
違う、俺はそんなこと全然思ってないって――武器が足りないなら、補充すればいいってこと!
カムイはアジャールを部屋から引っ張り出し、武器庫の方向を指さした
……武器庫に行ってもうひとつ盗んでくるってことか?
チッチッチッ。家族なんだから盗みなんかじゃないぜ?
母さんだって言ってたじゃん、「自分たちでなんとかしなさい、私は何も関与しない」って
見つかったら、「全部カムイがやった」って言えばいいだけだろ!
アジャールは腰に手を当て、ふんぞりかえって自信満々のカムイを見て、思わず苦笑した。このバカは本当にいつも一途で純粋だ
仕方ない、行こう。武器庫に修理用のツールボックスがあったはずだ。まずはお前の武器が直るか試してみよう
功績を奪うにしろ、罰を受けるにしろ……とにかく、お前に独り占めなんてさせないからな
それって同意だな?
カムイはあからさまに嬉しそうだった
イエーイ――アジャールが一緒に行動するって同意した!!よっしゃ、出発だ、やっほ――!
バカ!!静かにしろ!俺たちの目的を母さんたちにバラすつもりか!?
