……きて……起きてください、姫様、指揮官様!いい知らせです!
意識がゆっくりと浮上する。どこからか聞こえる弾んだ声を探して視線を落とすと、膝の上に小さな黒鳥の執事の影がちょこんと乗っていた。コーヒーカップにも満たない大きさだ
んん……
こちらの肩にもたれていた少女が、睫毛を震わせる。ゆっくりと顔を上げると、頬には衣服の跡。まだ夢の中にいるような眼差しのまま、彼女は無意識にこちらの腕を抱き寄せた
[player name]……どうしたんですか……?
行方不明になっていた、白鳥の妖精たちの使いが来ています!
その言葉に、リーフの瞳がはっきりと開いた
その方はどちらに?
正門の前にいますが、中に入ろうとはしないのです!
ちょっと、もう引っ張りませんから……うわぁ!叩かないで!
膝の上にいた小さなオディールが、「ポン」と音を立てて消えた
もしかして、その方と揉めているのでしょうか?様子を見に行った方がよさそうですね
宮殿入口
「スノードーム」世界
「スノードーム」世界 宮殿入口
......
ええと……
オディールはリーフのスカートの後ろに隠れながら渋々頷き、ふくれっ面のまま「それ」を睨んでいる。入口に浮かんでいる「それ」は――
1本の箒だった
白色の長い羽で束ねられた、ころんと丸みのある小さな箒。ピンクのリボンと子羊のバッジで飾られている。柄の先端には1本の羽があり、問いかけるとひらひらと揺れた
こんにちは、妖精の使いさん。何か伝えにこられたのですか?
もし、人間の言葉で状況を表すなら――その箒は派手なくしゃみをし、色の異なる羽を振り落とした。その羽は自ら宙を漂い、リーフの前へと流れ着く
羽を受け取った銀髪の少女は、その場で数秒立ち尽くした。まるで意識が遠くへ飛んだかのようだったが、すぐに我に返った
……白鳥たちのテレパシー魔法です
彼女たちは紅の魔導士に囚われていましたが、ふたつの封印が解かれたことで力が弱まったそうです。この手紙はあの者が激昂している隙を突いて、密かに送ったものだと……
それから「ともにいる願い」の封印を解くのは「不可能な挑戦」だ、とも……
場所は氷の湖の積雪の下……肉眼では見つけにくいため、案内役を寄越したそうです
手紙の内容を改めて整理していると、突然膝裏をつつかれたような感覚がした
振り向くと、例の箒がこちらを小突いていた。微動だにしなかったためか、先端の羽をしゅんと垂らしている。それからリーフの背後へ回り込み、ぐいぐいと前へ押し出す
案内役とは、あなたのことですか?
箒は目の前に広がる雪原へ降り立つと、自前の羽で雪を払いのけ、「ついてきて」と大きな文字を書いた
わかりました、ついていきます
奇妙な案内役は満足げにぴょこぴょこと跳ね、先陣を切って氷の湖へと飛んでいった
なんですか、あの得意げな態度!宮殿の清掃も終わっていないのに……相手にしていられません!
銀髪の少女は思わず吹き出した。ぷりぷりと戻っていく執事を見送り、箒を追いかける頃になっても口元には笑みが残っていた
ころんとした白い影は、広々とした氷上を行ったり来たりしている。あちこちを掃いたり擦ったりし、驚くほど真剣に捜索していた
少し頑固で、せっかちな性格……懐かしいです
昔飼っていた、羊のベルに似ています
冬には一番上等な干し草を用意したのに、雪原へ飛び出して鼻と蹄で雪を掘り返し、自分で若草を探すんです。顔が雪まみれになってもやめなくて
指揮官は気付きましたか?あの箒の子……嬉しいことがあると、子羊のバッジが笑っているように見えるんです
その時、当の本人が嬉しそうにぴょんと高く跳ねた
箒の周辺の氷は磨き抜かれて鏡のように光り、その奥には底知れぬ深みが広がっている。そこに、刻みつけられたような文字が淡く浮かんでいた
……「願いと執念は表裏一体」と書いてあります
彼女がそう読み上げると、湖面から濃い霧が噴き上がり、視界を一瞬で閉ざした
警戒して身構えたが、次の瞬間――まるで舞台劇の転換のように、幕が引かれるかのごとく霧は晴れていった
すると、自分とリーフを中心とした氷上に、本来存在しないはずの雪山が10座現れていた。どれも人の背丈をゆうに超える高さだ
先ほどの文字が変わりました
「記憶の中から掬い上げた真珠は、かけがえなき宝物」
「最も
すると雪山がぶるりと震え、表面の雪が滑り落ちた
こ、これは……?
そこに現れたのは、10体の水晶彫像。表情も姿勢もそれぞれ異なり、どこか見覚えのある情景を切り取った、生きているかのような精巧なもの――どう見ても、自分の彫像である
切り取られているのは、世間一般でいう「記念すべき瞬間」ではない。ありふれた、日常的な姿だった
こちらの視線を受け、リーフの頬が耳の先までじわじわと赤く染まっていく
少女は熱を帯びた頬を両手で覆い隠した。けれど、長い時間をかけて募らせた想いは、雪の中で鮮やかに咲き誇る
彼女は顔を覆ったまま、こくりと頷く。やがてゆっくりと手を下ろし、震える声で答えた
……そう、です
頬を染めていても、少女は誠実に答えた。リーフはひと呼吸おき、ようやく言葉を整える
こちらの彫像は……指揮官が休憩室のソファに座ったまま眠ってしまった時のものです。端末に映っているのは、あなたがこっそり残業して修正した作戦計画で……
指揮官に毛布をかけたあと、しばらく隣に座っていたんです
その時、思ったんです。昨夜、少しでも多く眠れていたらよかったのに。私がもっと肩代わりできたらいいのに。1日が36時間あれば、パニシングが一夜にして消えれば……と
その時の私の気持ちは……きっと過酷な任務を終えたあなたを迎える時と、同じだと思います
私たちはお互いに無理をする理由をわかっていますし、あなたはこれからも自身を追い込むでしょう。ですが忘れないでください、私はいつでも温かい毛布を用意していますから
リーフは隣に立つ彫像を見て、少しいたずらっぽく微笑んだ
これは……ある年の、私の起動日のプレゼントをラッピングしてくださっている指揮官です
とても集中していて、私が後ろのテーブルにお水を置いても気付きませんでしたよね
どんなプレゼントなのか気になって、こっそり覗いてしまおうかとも思いました。ですが、楽しみは当日まで取っておくことにしたんです
リーフは笑みを浮かべたまま、軽く首を横に振った
手渡してくださった時に、あなたの瞳に宿っていたあの輝きは……待ち続けた時間全てが報われるものでした
ようやく落ち着いたのか、彼女は彫像へと歩み寄った。肩を並べ、ゆっくりと歩きながら思い出をたどっていく
まるで立体のアルバムを一緒にめくるかのように、ふたりで語り合う。平凡でありながら、かけがえのない瞬間を改めて噛みしめた
最後の彫像も見終えた。アルバムが白紙のページにたどり着いたかのように、名残惜しさだけが残る。ふと視線を向けると、リーフもどこか寂しげにその場に立ち尽くしていた
……この先は、ないのですね
少女ははっとしたように目を瞬かせる。10体の彫像を見渡し、しばし思いを巡らせたあと、くるりとこちらへ向き直った。両手を胸の前で重ね、深く息を吸い込む
どうして「不可能な挑戦」なのか、わかりました。ここにあるのは……あなたと一緒にいたいと、本当に願った瞬間ではないからです
これらは、どれも過去の思い出……私の願いは思い出から芽吹いたものですが、向かう先は未来です
寄り添って眠る夜の先には、必ず朝が来ます。朝の光に起こされるあなたの姿は、とても愛おしく感じます
それから、任務があってもなくても……暇な時はただ一緒に何かをして過ごせたら嬉しいですし、忙しくても、あなたの集中している横顔を見るだけで安心できます
空中庭園の温室でもっと美しい花を育てましょう。まだ訪れたことのない地上の場所へも行きたい……世界はきっと絵巻物のように、私たちの前でどこまでも広がっていくはずです
私が最もあなたとともにいたい瞬間は、未来です。まだ訪れていない、全ての「明日」にあります
それは願いでもなく、約束でもない。ただ胸の奥の想いを、ありのままに差し出しただけだった。氷が水へと融けるように、周囲の彫像が幾筋もの光の流れとなって押し寄せてくる
リーフと自分は両手を広げた。重なった腕の中で、光の流れは淡い桜色の光の玉へと結晶化する――「ともにいる願い」が、今解き放たれた
そこへ、案内役の箒が勢いよく飛び込んできた。子羊のバッジも、リーフに向かって微笑んでいる
この願いを湖いっぱいに広げれば、氷の支配も解けるみたいです
言い終えるより早く、箒の柄が音を立てて数倍の長さへと伸びた。ふたりの目の前に、ちょうど乗れる高さで浮かんでいる
箒は急かすように、こちらの脚をつついた
ふふ、ひとまず「ありがとう」ですね
リーフとともに光の玉を抱きしめながら、魔法の箒に横向きに腰かける。彼女は俯き、柄の先端についた羽を優しくなでた
さあ、行きましょう
子羊の鈴がリン、と澄んだ音を鳴らした。箒はふたりを乗せ、安定した軌道で空へと飛び立つ
リーフは先ほどの光の玉に手を差し入れ、ひと掬いの光を掴み取った。ゆっくりと指を開くと、それは風に乗って舞い上がり、煌めく細雨となって静かに降り注ぐ
リーフにならい、願いを「分け合う」。降り注いだあとの湖面では、氷と雪が融け、柔らかな波紋が再び広がっていった
見てください、[player name]。箒の軌道が、流れ星の尾みたいです
地上から見れば、流れ星は一瞬で消えてしまうので少し切ないですが……流れ星にとっては、旅の始まりなのかもしれませんね
リーフは両手に掬った光へ、タンポポの綿毛を吹くようにそっと息を吹きかけた
その願いはふわりと舞い上がり、煌めく光となって自分たちを包み込む
やがて最後のひと掬いが世界へと還ると、箒は湖面すれすれを掠め、岸辺へ向かって滑空した
これで封印は全て解けましたね。宮殿の改修や舞踏会の開催について、オディールに相談しに行きましょうか
キイィーン――
湖畔の空気が、一瞬にして凍てついたかのように張り詰めた。緋色の無貌の影が、澄んだ水に落とした墨のように音もなく広がり、やがて目の前で形を成す
怒り、悲しみ、恐怖……「それ」に視線を向けただけで、息が詰まるほどの純粋な負の感情が襲いかかる
リーフは素早くこちらを庇うように前へ出て、鏡輪を構えた
……紅の魔導士!
