大きな音をたてて槐南は倒れ込んだ
「これからは、ちゃんと生きろ」
常羽の脳裏に戦火の声や怒号が響いた……その混乱は徐々に静まったが、なぜかこの言葉だけが頭に残っていた
常羽は大きく目を見開き、あおむけに倒れた。麻酔銃を持った医者らしき人物が現れたのが最後に見た光景だった
常羽はガソリンの匂いの中で、目を覚ました
うめきつつ、鎮静剤を打たれてまだ体が動かないことに気づいた。まばたきをしたその時、冷たい光が彼の体を照らした
どうやら夜航船の上ではない。周りにある全てが異様な雰囲気だ。波の音は聞こえず、重く規則的なエンジン音だけが聞こえている
気付いたようだな
ここは……
常羽のかたわらに立つ男は、彫りの深い西洋風の顔立ちをしていて、きっちりとスーツを着こなしている
……もしかして、アディレの……?
そうだ。ここはアジール号の平民車両の中。常羽、君は商品としてアディレに買われた
……なに……
常羽は両足を地面に下ろし、車両内を見回した。確かに列車の中にいるようだ……初めて列車に乗ったが、不思議と夜航船と変わりないと常羽は思った
常羽はよろめきながら歩き始めた。目の前にあるのは巨大なガラスの窓だ。そこに自分の顔がぼんやり映り、外の風景も見えた
「枷」は……
常羽の爪先が軽く首に触れた。もともとそこには「枷」があったが、今はない
初めての感覚だが、彼は不思議と懐かしさを覚えた
列車はフルスピードで進んでいる。外の風景も次から次に後ろへ流れ、何かの光がオレンジ色の残像と化し、まるで花火のようだ
しかし、常羽はその光の発生源に驚きを隠せなかった……
これは……!!
遠くの廃墟で侵蝕体の大群が飢えた目つきでこっちを睨みながら、列車の後を追ってくる
ぼんやりした夢の中の、現実かどうかもわからない影と違い……この星を覆うパニシングが作り出した化け物が、そこに確かに存在している
窓の外は夢のような桃源郷ではなく、ただ冷酷な死が待ち構えている場所だった
建物は倒壊し、化け物が殺戮を繰り返している。世界の全てが灰色に映る
ここは地獄や世の果てそのもの。そして常羽は生きている……これこそが本当の世界だ
常羽は自分がいかにちっぽけであったかを知った
恐怖、好奇心、真実……そして、興奮
それは強烈な感覚で、常羽の知覚はまるで身を打つ滝のように絶えず衝撃を受け続けた。だが常羽は背筋をぴんと伸ばし、その事実を受け入れようとした
ここが、俺がいるほんとうの世界……なのか
常羽、予定だと君は戦闘構造体見習いとしてアディレに加入することになっている
この列車での生活に慣れるために時間を与えよう。ここでのルールは私が教える。その後、構造体改造のために、別の人物が君を訓練する
とはいえ、君は選択することができる
夜航船での我々の噂はでたらめだ。我々は虐待を楽しむ闇組織などではない
もちろんその噂が我々の行動に利益をもたらしている側面もある。これも商人としての手管だ。だからこそ君をターゲットにした
君は可能性を秘めている。戦力として、それに……我々には仲間が必要だ
アディレ商業連盟への加入を強要するつもりはない。君はこの列車に残るか、前の場所に戻るかを選択できる
これからの生活で、君はより多くのことに触れ、知っていくだろう
——ようこそ、アジール号へ
どこか懐かしいその言葉に、常羽ははっとした
槐南は?
最初の質問は自分の仲間について、か?
なぜそれを……まあいい。今どこだ?
君については調べている。その仲間は素晴らしい能力の持ち主だった……もし彼がまだ生きているなら、だが……
交易会の重大な規則違反として九龍衆が彼を処刑し、海へ沈めたそうだ
……
この世界ではこんなことは毎分毎秒起きている。この列車にいれば、それも知ることになるだろう
全ての人は束縛から逃げ、新たな環境を夢見る。だがそれはひとつの束縛から別の束縛に飛び込むだけだ……全てを意のままに操れる人も、流れを全て予測できるとは限らない
しかし君は未知の事象を恐れず、世界に対して……非常に野心的だ
それは大変いいことだ。「あの方」もきっと気に入ると思う
君のように新たな風が必要なのだ
常羽は目を閉じた。返事も反論もするそぶりはない。ただ表情からは彼が感情を必死に抑えている様子がうかがえた
わ……わかった
…………
常羽は目を閉じ、深呼吸をした。再び目を開け、背筋を伸ばしたその顔は、かつてのある人物と不思議なほど似ていた
じゃ、アディレは俺に何をして欲しい?
窓の外、夜の帳が上がる。次の闇が来るまでにはまだ少し、時間がある