旅館内の部屋は古いが備品は揃っている。あの商工会の古銭さえあれば、こんな旅館に入るのはたやすい。常羽は人目につかないよう、あえて普通の部屋を選んだ
彼はベッドの横で胡坐をかいた。窓からは歌声が聞こえ、部屋のテレビでは古い映画が流れている。月光が彼の体を照らし、長い影を映し出している
その時、部屋の扉が開いた
ただいま。沙茶麺とワンタン麺を買ってきたけど、どっちがいい?
ワンタン麺!
福さんもきっとワンタン麺を選ぶって言ってた。タレも多めにしてくれたんだ。はい
福さんナイス!最高だぜ
常羽は喜びながら食事を受け取った
沙茶麺もひと口くれよ
ふーーあつっ、あつい……
そんなにがっつくなよ……
ズズッーー
……ぐは、これは辛い!!ふーふー、水、水をくれ……
ラー油を小さじ1杯しか入れてないけど……はい、水
ゴクゴクゴク——
スープまで飲み干し、常羽はやっと満足した
なあ、槐南……ゲームしようぜ?
なんのゲーム?
うん……5秒以内に、今一番かなえたい夢を言う!
俺はね、明日が端午の節句になってほしい。全宇宙で一番うまい福さんのちまきを貰いに行くんだ。え?食べたことない?この船で何してたんだよ
そんな簡単なことが夢?
ああ。ま、明日の交易会で計画通り無事に行くことも願っているけど……ま、俺らだから、問題ないっしょ
どこからそんな自信が……ま、君がそういうのがうまいのは認めるけど
ちゃんと根拠があるんだ!
いいか、富豪だって商人だって……悪人はね、運が悪いの
この船でどれほど見たか。下水で泳ぐフグみたいに臭くて気持ち悪くて、しかも毒でいつも他人を害する。神様は公平さ。俺とヤツらなら、運命の天秤は俺に傾く
そして戦略に運を合わせれば……俺の必勝ってわけ
俺も善人じゃないけど、弱い者いじめは大っ嫌いだ。善人がヤツらを罰しないなら、俺みたいな小狡いヤツがやる。それは、俺にとって生きる手段でもある
だから、今回の計画もきっとうまくいく
……ほら、アディレはお前を傷つけたんだろ?
「俺の友人を傷つける者、その罪は絶対許さない」
槐南は何かを考えごとをしていて、常羽の話を最後まで聞いていなかった
ん、何だっけ?
まあいいや——そっちの番だぜ、願いは?
僕の願い……
それは明日の交易会で一切がうまくいくことだ
おい、それは俺が先に言った!
いや違う。君はちまきを食べたいって
おいおい……!
常羽は重ねて何か言おうとしたが、ぷっと吹き出した
ははは、誰かと一緒にメシを食うのは久しぶりだ。まるで祭りみたいだ
何かのフラグが立ったみたいになってるぞ……
違う違う、変なコト言うな!
神様は俺のことが好きなんだ。俺のTa-193コポリマー適性がぴったりなのはその証拠さ。明日は外で待っててくれればいい
……それはどうしようもない。僕は不合格だったし
ま、何とかなるさ。心配するな
今日の甲板は賑やかだね……聞いてくれよ
~お互いの想いは、絡み合う髪のよう
~錦衣華扇、誰が憐れむ
~灯籠の下、涙を拭く誰か……
窓の外では灯籠が色鮮やかに輝いている。ネオンライトの光も窓から差しこみ、部屋の中を染めあげている
喧噪が遠くから聞こえてくる。天灯はデッキからゆっくり空に舞い上がり、窓からの眺めは美しく盛大な影絵劇を見ているようで、現実ではないようだ
常羽……ひとつ訊ねる。正直に答えてくれ
いいよ。でも口座の暗証番号は教えないぞ……
……君に貯金なんてないだろ……
ははっ、それを言うなって!
わかったわかった。なに?
「胡蝶の夢」は知っている?
うーん……確か「荘子」という人が自分が蝶になった夢を見て、それは人間が蝶になった夢を見たのか、それとも蝶が人間になった夢を見たのかって話しだろ?
もしも……もしもだよ、今生きている世界が全部嘘だったら、ここから逃げたいと思う?
うん……その問題がお前の口から出るのも納得だ
ま、今を生きることこそ一番重要だと思う
お前がいつも船での物事に対して批判的な態度なのはわかってる……
でも、本当かどうかは重要か?自分が楽しければいいじゃないか
この世界が本物かどうかはわからない。でも、自分が感じることは本当だろ
この世界では、物事の真偽を判断できない。自分の生活まで疑い始めたら、食っていけなくなるぞ
「希望」のために生きるんだよ。もしかしたらパニシングが消え、みんなが「あの家」に戻れる……そんな「希望」を持つこと、それが人生だろ?
でも……パニシングっつっても、なんか遠い昔って感じだ
本当に遠いかな?
その答え……君らしいね
こっちだけがしゃべってんじゃん、お前は?
槐南は少し黙り込んだ。月の光が彼の顔を照らし、常羽はその表情から彼の考えてることが読めずにいた
静寂の中、テレビから流れる映画の音だけがはっきり聞こえる
「……こんな夢を見たことある?」
……僕なら、偽りの幻想のままではいたくない
「あなたはそれを真実だと思っている」
夢に溺れることは自殺するのと同じだ。偽りの人生に生きる意味なんかない
「夢から覚めなければ、今が現実かどうかをどうやって知るんだ……?」
僕は……ただ人々を痛みに慣れさせるための「希望」という言い方が嫌いだ。僕は自分の目標を達成する。それがこの束縛から逃げる唯一の方法だ。それだけでいい
「夢なのか?」
そうだろうか……
もし……人生を自分で選べるとしたら……
常羽は少し考えこんだ。だが、すぐいつもの笑顔に戻った
ま!まさかこいつがこんなに中二病だったとは
槐南は笑いながら頭を振ってテレビのリモコンを切り替えた。うってかわって部屋には軽妙な音楽が流れる
むしろどんなやつだと思ってた?
初めてお前と出会った時の、お前のその右も左もわからないアホ面を思い出した
昔のことはいいだろ……
なんだよ~何か間違ってるか?
常羽は枕をつかんで投げ、ふたりの少年は笑いながらじゃれあった。全ては計画通りに進んでいる
まるで夢の中のように
槐南、これが終わったらお前のことを教えてくれるだろ?
……うん
「あの時から、もう引き返せないんだ」