ガタンガタン……
灼熱の太陽の下、古びた馬車が土煙を巻き上げながら、カヴァンカへ向かって進んでいた
御者台にはふたつの人影が並んで座っていた。ひとりは手綱を握り、もうひとりは日傘を差して、御者に容赦なく降り注ぐ午後の日差しを遮っていた
血の契約者様、私の故郷での調査を手伝ってくださるというご厚意には深く感謝しておりますけれど……
伝説の「グレイレイヴン」とギャンブラー·リリスが列車奪取事件を起こしたことは、今や周知の事実。天使の監視下で、町の人が有益な情報を提供してくれるとは思えません
彼女の顔は傘の影に半ば隠れていたが、いちいち目を向けずとも、いつもの笑みが浮かんでいることはわかった
助言であれ皮肉であれ、彼女は常に隙のない笑顔を浮かべている。まるで相手の発言全てが、彼女の手の平の上にあるとでも言わんばかりに
血の契約者様は、私の過去にご興味がおありなのですね
その語尾には、どこかねっとりとした艶めかしさが滲んでいた
でしたら、いっそ直接お訊ねくださればよろしいのに。あなたの好奇心に、一度たりとも隠し事などしたことはないでしょう?
人間は話を続けずに、ただ黙って鞭を振るった。馬が嘶き、更に速度を上げて走り出す
契約を結んだこの「騎士」を疑っているわけではない。ただ初めて出会った瞬間から、彼女を取り巻く数々の謎があまりにも色濃く、無視できるものではなかった
名もなき小道にて
「聖堂カジノ」外
少し前――
「聖堂カジノ」外、名もなき小道にて、少し前――
胸の空洞が癒えたばかりだというのに、彼女は歓喜に満ちた様子で、その力を縦横無尽に振るった。まるでおもちゃを試す子供のように、追ってくる天使たちを容赦なく屠っていく
アハハハハ!これが悪魔の力……なるほど、人間の身を捨てないとたどり着けない世界ですね
傘の先端を軽く当てるだけで、天使の頭が弾け飛ぶ。命を自在に操るこの快感は、毒のように彼女を蝕んでいった。そして、彼女はそれを血の契約者に誇らしげに見せつけた
まさか、か弱い「人間」が肉体を捨てた途端、天使を凌駕することができるなんて……
全てはあなたのお陰ですね。全て、あなたが与えてくれた奇跡……
人間は彼女の成果に目もくれず、ただ前へと歩いた。これだけ派手な騒ぎを起こせば、厄介な事態になるのは明らかだ
天使の縄張りで余計なことをするのは得策ではない
……少し軽率でしたか?お詫び申し上げます
両親は天使に追われて亡くなったので、この復讐の機をどうしても見逃せず……
はい。過去の話を持ち出すつもりはありませんでしたが、あなたには包み隠さずお話するべきだと思いまして
飢と呼ばれる騎士は日傘を閉じ、悪意もひとまず収めた様子で、それを杖のように持ちながら血の契約者の後ろを静かに歩いた
私の父は、小さな町の税務官でした。務めは果たしていたのに……遠く離れた天使たちは、この寂れた町が納める毎月の額に満足しなかったのです
そして案の定、天使たちはその責任を「現税務官の無能さ」にすり替え、私の両親は濡れ衣を着せられて処刑されました
両親が連れていかれた日、母は命懸けで私に1枚の金貨を握らせました。どこにも見つからない場所へ逃げて、生き延びろと言い残して
その通りです。両親は私に、復讐よりもマモンの宝庫から財宝を盗み出し、どこかで平穏に生きることを願っていました
彼女の表情に哀しみが滲んだ。胸元をそっとなで、その日の絶望を思い返しているようだった
でも、天使たちは鍵を諦めませんでした。結局私は、またもや悪党どもの標的になってしまったのです……
人間は何も言わず、彼女が語り終えるのを待った
生き延びるために、私はラファエル夫人に賭けを申し出ました。私が勝てば、聖堂はもうその金貨を奪わないと約束することを条件として
けれど彼女は約束を破った……イカサマだけではなく、真実に気付いた私を口封じに殺そうとしたのです
それはギャンブラーにとって最大の侮辱です。誰であろうと、神聖なるルールと公平さを踏みにじる資格などありません
怒りは確かにあるが、それを過剰に表現することはない。絶妙にコントロールされていた
そしてあなたがご覧になられた通り、私は無様にテーブルの下に倒れました。あの時あなたが現れなければ、私も両親のように、誰にも知られず死んでいたことでしょう
ですから……もう一度お礼を言わせてください、グレイレイヴン様
あの時、あなたが助けてくれたお陰で、またしても天使たちの犠牲にならずに済んだこと……本当に感謝しています
話を終え、彼女は隣を歩く血の契約者に微笑みを向けた。その表情は柔らかく、礼儀正しく、答えを待っているようだった
だが人間はそれを問いただすことなく、自分なりの答えを返した
あら?あなたとは、もうとっくに運命の赤い糸で結ばれていると思っていましたわ
すでに悪魔と化した彼女は、ほんの少し口元を開き、わざとらしく「驚いた」ような顔をしてみせた
あなたがあれだけの危険を冒して私を救ってくださった以上、私も全力で報いる覚悟です
まさか今更、私と手を切るおつもりではありませんよね?
彼女はきらきらと輝く灰赤色の瞳に、獲物を見つけた肉食獣のような熱を宿しながら血の契約者を見つめている。人間は、あの時の判断は少し早まったかと一瞬戸惑った
しかし「ラファエル夫人と聖堂への強い敵意」という点では、彼女ほど信頼できる味方はいない
ようやく着きましたね
ガタガタと揺れながら、馬車はようやく宿屋の前に停まった。騎士は傘を畳み、軽やかに馬車から降りた
人間はまっすぐ宿屋のカウンターに向かい、疲れた顔のスタッフに声をかけた
あるわけないだろ。今のカヴァンカが商売してると思うか?
カァ!なんでだ?嘘をでっち上げてるんじゃないだろうな?
人間が口を開く前に、ずっとバッグの中で我慢していた使い魔が顔を出して、大声で文句を言った
お前ら知らないのか?数日前、聖堂の財宝を運ぶ列車が脱線して、車両の一部がこの町の近くに落っこちたんだよ。そしたら空から金貨の雨が降ってきてな
町の連中は「天使が金貨を回収に来る前に」って、慌てて山に行ってる。だから商売なんてやってる暇はない
若いフロント係は物怖じする様子もなく、使い魔が現れたことにも驚かず、むしろモリガンと張り合うように言い返してきた
親父のせいだ。誰かひとりは警備のために残らないといけないってさ。僕を行かせてくれたら、誰よりも金貨を集められるのに……
でも、皆知ってるはずでしょう?それは本来、聖堂の財産……手に入れたところで、天使が黙って見逃してくれるとお思いで?
それとも、わざわざ火に飛び込むのが趣味……とか?
リリスは日傘で床をコツコツと叩きながら、玄関口の壁にもたれ、気怠げにふたりに視線を向けていた
うるさいな、僕たちだってちゃんと考えてるさ。もう軍隊まで作った。天使が来たって、そう簡単にはやられない
それに、僕たちが汗水垂らして稼いだ金は全部あの税務官どもに巻き上げられてきたんだ。今度こそ――
お、お前は……!
フロント係の話が終わる前に宿屋から飛び出してきたのは、奇抜な格好と髪型をした険しい顔の青年ふたり。彼らはまっすぐリリスのもとへ駆け寄ってきた
まさかと思ったが、やっぱり本当に帰ってきたんだな!「ギャンブラー·リリス」!
3年だぞ、3年!俺たちがこの3年、どうやって生きてきたか知ってるか!?
でも帰ってきたならヨシとしよう。金を返してくれ!最近は缶詰すら食えねぇんだよ!
そうだ!列車を探して、毎日山の中を這い回ってんだぞ!もう吐きそうだっての!でもなんにも見つからねぇ!
うっ……いや、その話はやめよう。また山の泥のニオイが……
リリスはふたりに囲まれながらも顔を上げず、退屈そうに自分の爪を眺めていた
それはおかしい話ですね。あの時のあなたたちは自分の意思で賭けに乗ったでしょう?勝った時は、これ見よがしに金貨を握っていたのに……
少し風向きが変わったからって「ちょっと相談がある」だなんて、都合がよすぎません?
懺悔なら、教会の神父様にした方がよろしくてよ
頼みの綱に縋るように彼女に迫ったチンピラたちは、突き放されて逆上寸前だった。しかし彼女の言葉は正論そのもので、反論の余地はない
……黙れ!それなら力ずくで取り返してやるよ!どうせ、お前じゃ俺たちには勝てねぇだろ
あんまり俺らを怒らせるなよ、痛い目には遭いたくねぇだろ?
それに聞いたぞ?無謀にも聖堂カジノでラファエル夫人に挑んで、返り討ちに……
それ以上ひと言でもしゃべったら、首と胴体が別れを告げることになるわよ
鋭く尖った傘の先端が、チンピラの喉元に突きつけられる。彼女の完璧な仮面が剥がれ落ち、冷たい殺意が容赦なく彼らの心臓を貫いた
チンピラのふたりはガクガクと身を震わせ、情けない呼吸音を肺の奥から漏らした
……そ、そんなにマジになるなよ、冗談だって……
沈黙を守っていた血の契約者が1歩進み出て、彼女の傘をそっと押し下げた
……
長い睫毛に縁取られた瞳に宿った鋭い殺意が、ゆっくりと引いていく。そして何事もなかったかのように、静かさの下へと隠れていった
ご心配なく、これはただのジョークですから
誰だって、不愉快な出来事なんて望んでいませんもの。ねぇ?
彼女はいつもの微笑みを浮かべ、傘に込めた腕の力を抜くと、壁際の男たちは慌てて小刻みに頷き続けた
おい、騒いでる場合じゃないぞ!天使どもが金貨を回収しに来やがった!
遠くから怒声が響く――それは、いつの間にか姿を消していたフロント係だった。馬に乗って戻ってきた彼は、何挺もの錆びついたショットガンを地面に放り投げた
死にたくなかったら武器を取れ!戦え!
ゴゴゴゴゴ……
フロント係がやってきた方向に視線を向けると、轟音とともに砂煙が巻き起こり、大地を這う嵐のような勢いでカヴァンカへ迫っていた
煙の中で、何十体もの白い生物が地面を這いながら猛スピードで宿屋に近付いていた。その光景は、恐怖と戦慄以外の何物でもなかった
ここは私にお任せを
リリスは鞍に跨り、もはや凶暴さを隠す必要もないとばかりに高らかな笑い声を上げた
惜しげもなく魔力を解放する彼女に、周囲の人々は天使を目にした時と同じ恐怖の表情を浮かべた
だが、そんなことはどうでもよかった。彼女は自らの力を誇示し、その力にふさわしい「敬意」を心から楽しんでいた
そんなガラクタはしまっておいて結構。私には必要ありません
赤い魔力が彼女の手の平で渦巻き、格子状の刃を形成した
彼女はこらえきれず、まるで至高の力に酔いしれるように、その手元の刃をひと舐めした
この勝負……
私が先攻でよろしくて?