Story Reader / 叙事余録 / ER13 織り奏でる緒言 / Story

All of the stories in Punishing: Gray Raven, for your reading pleasure. Will contain all the stories that can be found in the archive in-game, together with all affection stories.
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ER13-6 景色の見えない部屋

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あら?やっと起きたのね

聞こえてる?

視界も頭の中もひどく霞み、まるで溺れて水から上がりたてのような窒息感がまとわりついている。揺れ動く景色の中、最初に長い髪の少女が目に映り込んできた

彼女は朝の光に包まれ、髪の輪郭が微かに金色に輝いていた

起きた?私、どれくらい眠っていたの?

びくっと震えたあと、彼女の体は本能的に動き出した

ごめんなさい、仕事の途中で……

仕事?

見覚えのある少女は、何か面白いことでも聞いたようにくすくす笑った。そして点滴の針を抜いて起き上がろうとするのを制止した

ここは空中庭園よ、あなたがしないといけない仕事なんてないわ

空中庭園……私が就役していた場所よ

就役?

少女もまた戸惑いながらも手は止めず、窓のベージュ色のカーテンを開いて日の光を部屋に招き入れると、彼女の背中に柔らかなクッションを差し入れた

全てを終えてから、少女は再びベッドの側に立った

お姉ちゃん、もうずいぶん前に退役したんじゃなかった?

えっ!?

最初の「お姉ちゃん」に対してか、それとも魚の骨のように喉奥に突き刺さった「退役」という言葉に対してか、シュエットは少女の言葉をすぐには咀嚼できなかった

相手はすぐに、彼女を否定せざるを得ない苦しみの表情を引っ込めると、なだめるような笑みを浮かべた。こういった反応には慣れっこだといわんばかりだ

今日も気持ちのいい朝ね。さあ、朝食にしましょう

少女は慣れた手つきで軽食を取り出すと、小さめの保温食器に盛りつけていった

湯気をたてるオートミール粥は、僅かにシナモンパウダーが振りかけられ、喉通りのよい理想的な栄養食だ。鮮やかな色の茹でニンジンの角切りと、栄養バランス抜群の焼き野菜

隣には、淡い黄色の肉汁たっぷりのマッシュポテト。そして最後のひと品は上にチェリーを乗せた、小さなケーキだろうか?

白くて味のしつこそうなクリームのせいで、どれも同じに見えた

甘いものは控えないとダメだけど、このチェリーケーキだけはこっそり取っておいたの

少女はいたずらっぽく微笑んだ

馴染みある色合いと香りに感覚を刺激され、彼女は目を細めて大脳皮質のむず痒さをこらえた。同じような料理を誰かと数えきれないほど味わったことがあるかのようだ

このチェリーケーキの存在感を際立たせるように、日付表示のある壁のカウンターが増え続けていく

ついにクリームがとろけ、深紅の果実が落ちた。その果実からは腐敗した匂いが漂ってきた

まさか……また私の名前を忘れちゃった?私はリリスよ

少女は強引にスプーンをシュエットの手に押しつけた。それなりに呆れた様子を見せたが、すぐに病人に対して全てを受け入れ包み込むような表情に変わった

シュエットはその安堵感に戸惑い、クリームが少し付いたスプーンを口元で止めた

食欲がないの?少しは食べないと

いいえ……違う。あなたの名前は……

(エレノア)

どうしたの?

シュエットは呆然とし、今の自分を映す鏡を探したくなった。重い病?不治の病?まさか、自分はまた価値がないと判断されて捨てられたのだろうか?

ついに、私が誰かさえ思い出せなくなったの?それも無理はないわね

私はあなたの娘、リリスよ

ち、違う!さっきはお姉ちゃんと呼んで……

シュエットはもがくように身を起こし、現実へ通じる鏡を探した。しかし、壁に掛かっていたのは、青空と白い雲が溶け合った穏やかな田園風景が描かれた1枚の絵画だけだ

目を奪われた彼女の見つめる先で、やがてそれらの色の塊は混ざり合いながら流れ落ち、床や、突然皺が寄ってひび割れだした自分の両手に滴り落ちた

柔らかなカーテンがそよ風に揺れ、斑らな光と影を落とす。空気に漂う仄かな香りには、消毒液の匂いが入り混じっていた

ここも空中庭園なのだろうか?凛とした静寂が、ますます彼女の不安がどれほど滑稽なものかと告げてくる

ああ、かわいそうなママ

記憶障害の一種、記憶衰退失認症にかかってしまったの。記憶が混乱し、数分前に起きたことさえ覚えていられない……

こうした会話を、毎朝何度も繰り返しているわ

記憶……衰退失認症……

この中枢神経系の変性疾患の進行を遅らせる方法について、もう一度説明しましょうか?

あなたに必要なのはよい生活習慣、それに規則正しい食事と運動……だけど空中庭園で最良の療養所にいても衰退は不可逆的で、言語や運動能力、記憶面での減退は避けられない

シュエットは完全に硬直し、綺麗に整えられたシーツに、彼女が両手でぎゅっと掴んだ跡が残った

あなたは時折怒りに駆られ、幻覚に苛まれ、過去を忘れ……時には私を敵と思い込んだりもする

でも大丈夫、私が全て解決するわ。だって、私はあなたの█▅█▊、リリスだから

そんな、違う、どうして私があなたの……?

シュエット

私たちは仲間で、あなたは私が生き続けるための目標で、私の……

……

……

画面が断続的にちらつく中、彼女もまたぼんやりと、夢うつつの状態にあった

もしかして、昨日ふたりで最後に観たあの映画が、あなたの思考に影響を与えたの?

映画の中で、上層部の人たちは兵士たちに次々と偽りの、捏造された記憶を植えつけていった。幼なじみとの日々、兄弟姉妹との深い絆、そして生涯をかけて追い求める目標……

そうした美しい幻想が、兵士たちが100日もの間死力を尽くす唯一の原動力となり、敵との死闘へと駆り立てた

真実を知った時の兵士たちも、今のあなたと同じような虚ろな表情だったわ

まさか夢の中であなたは私を守ろうとして、命懸けで戦ってくれていた?

彼女は何度も命令に従い、高所からためらうことなく落ち続けた

鎖に喉を締めつけられ、呼吸ができない。彼女は生臭くぬめった武器をしっかりと握りしめ、襲いかかる猟犬の凶暴な殺意に立ち向かった

銃火が降り注ぎ硝煙に追われ、彼女は薄暗いコンクリートの上でまるで捕われた獣のように這いまわった。周囲からは、生き延びた者たちの荒い息遣いが響いていた

新月を背負った背中

全てがあまりにもリアルだった

そんな……

そんなはずがない

じゃあ、あなたが戦う理由って何?

……命令よ。いつだって命令があったから

命令?違うでしょ?私たちは親子であり姉妹でもある。私たちの間にあるのはもっと無償で、深い結びつきよ。そんな冷たい命令なんかで繋がっているはずがないじゃない

違う、それは私が望んでいただけ

私たちは素晴らしい一生をともにし、成長してきた。あなたは私の専用の仕立て屋として工房で働き、空中庭園で歳を重ねた……人の一生はまさに一瞬だって、言ってたじゃない

……

あなた……やっぱり偽物ね

それって、そんなに重要?

じゃあ、真実って何なの?

匂いや味、感触、目といった感覚で捉えられるものを言っているのなら、それらは全て処理された電子信号にすぎないわ

感情こそが人間の最大の弱点。世界には後頭部にチューブを繋いで、仮想空間の中で慰めを味わいながら、快楽に溺れる人間も大勢いる……

あなたが、本当の感情とは服や人形、犬のネームプレートに宿ると信じているなら、どうしてそれがあなたの「脳」の中に存在しないと言い切れるの?

私はあなたの傷や渇望を理解し、幻想を叶えた。でも彼らはあなたを、早逝した愛しい伴侶の代わりに、理想実現のための犠牲に、罪を軽減する免罪符にして、次々と見捨てた……

彼らは私を助けてくれたわ。でも……

――彼らはあなたを利用しただけよ

でも、私は違う。私にとってあなたはひとりの人間だもの。あなたが愛されたいと望むなら……

リリスにそっと抱きしめられた。彼女の頬が少女の肩に触れ、長い髪が鼻先をかすめる

窓の外から差し込む光は柔らかく輝き、彼女たちを幾重にも重なる金色の繭の中へと包み込んだ

「魂を温め、心を鎮める全ての物事は、記憶とひとりの人間の自我の中に封じ込められていく」

「あなたはまだ理解しなくていい。私はあなたにそれらを与え続けるから」

私にはまだ……任務が

任務なんて忘れて。あなたには、あなたの人生がある

戦争はもうとっくに終わったの。戦う必要なんてもうない。私たちはずっと前から、新しい生活を始めているのよ

私は毎日、ピアノであなたの好きなタンホイザー序曲を弾いて、あなたは隣で伴奏してくれる

あなたは私、だからこそよくわかるの。穏やかに自分の腕で生きていくのが、あなたの望みなんでしょう?

私の……望み

彼女はカーテンの後ろにある真っ白な窓を見つめた。ガラスにはまるで絹糸のようなヒビが走っていた