Story Reader / 叙事余録 / ER13 織り奏でる緒言 / Story

All of the stories in Punishing: Gray Raven, for your reading pleasure. Will contain all the stories that can be found in the archive in-game, together with all affection stories.
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ER13-5 刻む鋏

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モンツァノの壮麗で華やかな豪邸は金メッキの監獄であり、鏡のようにピカピカ輝く大理石の床には、囚人たちの孤独な影だけが映し出されている

あの書類を見つめて黙って佇むシュエットの胸は酷く痛んでいた。彼女は少しの時間をかけてようやく気付いた。それは痛みではなく、「憎しみ」という感情が根差したのだと

憎しみ。それは、あの空高く昇る炎の中から生まれ出で、かつて彼女が本名を呼ばれる度に感じていた愛からも生まれたものだった

コツ、コツ、コツ

あなたが密かに調査していることは知っている。でもあなたは思いもしなかったはずよ。あいつらはまさに目と鼻の先に……元の場所に留まっていた

エレノアが歩み寄り、優しく彼女の手から書類を取り上げ、気ままな仕草でページをめくる。やがて写真のページに差しかかると動きを止め、それをテーブルの上に放り投げた

焼けて更地のはずの工房は、火災で事故用地になり高額の保険金が出た……最終的には東洋からの密航マフィアが購入し、地下の武器工場が出所不明の武器を各地へと流出させた

叔母様の表向きの商売はね、悪の巣から絶えずに蜜を滴らせることで、虫たちを引き寄せ続けるの

あの工房の貧しい裁縫師たちは姿を一変させ、整形を受けて身分や名前を偽り、上流階級に入り込んだ。ロプラトスのカジノに堂々と出入りして、お金を湯水のように使っているわ

悪名高い密輸業者だとしても、地下の武器商人の方が、ここでは裁縫師でいるよりよほど体面がいいのよ

メイドの指の関節が、力を込めすぎたせいで白くなっていた

ポラード機関で教わったはずよ、全ての手がかりを糸を解くように追えと……

そうして導き出された最後の結論は、どれほどありえなく思えても、それが真実なの

私は……あなたの能力が衰えたとは思っていない

シュエットは何も答えず、ただ視線を上げて声の方を見た

相手はその複雑で難解な視線に気付いていないかのように無反応で、ひとりで半回転すると、優雅な仕草でスカートの皺を整えて椅子に腰かけた

透明なマニキュアが細く長い指先を彩り、ページを1枚、また1枚と手でめくり、やがて――とっくに遠い存在となってしまった名前のところで止まった

「シルエット」……?影のように副旋律を奏でる人よりも、私はあなたに、自分の人生の主旋律を奏でてほしい。たとえこの歪んだ世界では、歪んだ楽曲しか奏でられないとしても

シュエットは体を震わせ、今にも溢れ出しそうな感情を必死にこらえるように、ぎゅっと目を閉じた

そうだ、叔母様は挨拶もなく押しかけてくる客を好まないの。私たちで……礼儀ってものを教えてあげるべきね

紫色の人影は椅子から身を乗り出し、覆うようにして、屋敷中に張り巡らされた監視カメラの画面から彼女を隠した。その囁き声は、聞き取れないほど小さい

今、あなたには選択の自由がある

あなたの選択は何?

ラッキー38、多くのギャンブラーが好む幸運の名前だ

空気中に無数の香水が混じり合った甘ったるい匂いが充満し、葉巻の煙とともに立ち昇って、全てのギャンブラーに平等に覆いかぶさっていた

ルーレットは回り、サイコロは踊り、チップは運の入れ替わりを繰り返し、それに伴って客の喜怒哀楽が一瞬で交錯する

照明は相変わらず眩く輝き、笑い声は相変わらず耳障りで、目に見えぬ圧力が静かにその場の皆を締めつけていた

テーブルの生き生きとした女性は、今日は幸運の女神に微笑まれているようだ。飽かず繰り返される歓声と祝賀に不気味な賞賛、彼女はその名に恥じず欲望の渦の中心となっている

そうそう、まさにこれ

女は見目麗しいバーテンダーが差し出す無料のシャンパンを楽しみ、酔いしれながら思った。これこそが彼女が手放せないもの、これらこそが彼女が生きる意味なのだと

ああ、エレノアさんではありません?今日も輝かんばかりですね。そのドレス、本当にお美しい。これを作った裁縫師のお名前はわかりますか?

長年のご愛顧、誠にありがとうございます。もちろんです、名前くらいお安いご用ですわ

こちらへ

少女の完璧な顔立ちが、華やかで混沌としたカジノを照らす。酒の勢いで女は思った。この人形のように精巧な笑顔を見ていられるなら、はした金は惜しくない。どうせあぶく銭だ

たった1度の目配せで、ボディーガードは礼儀正しくふたりを応接室まで案内した

ただの社交だとばかり思っていた女は、無限に暗い長い廊下でエレベーターホールの不規則な動きを感じ取り、ようやくまずいと考え出した

エレノアさん、これはどういうことです?私はあなたのカジノで無礼な真似なんてしていませんよ。今夜は全て運に任せていただけで……

ビロードの幕がゆっくりと降りるデジタルの幻像が消えていくと、美しい少女は微笑んだ

旧知の再会なのです、そんなに緊張なさらないで

その裁縫師の名前なら……シュエットです

モゴモゴと言いかけた言葉が途中でぷつりと切れ、針さんは無意識のうちにじりじりと後ずさりし、その背中をぴたりと隅の壁に押しつけた

長年の裕福な生活でも、彼女から裁縫師の工房で培った本能を忘れさせることはできなかった。彼女はひたすら狭い場所に安全を求めていた

見た見た、これは誰?悪夢じゃないね、ついに現実に出やがった

長年まとわりついていた悪夢が実際に現れたのを目にして、女は額に冷や汗を浮かべたが、それでもなお何かがその体と表情を支えていた

どうしてまた、私の前に現れた?本当にしつこい幽霊め……

……

だからあの時言ったんだ、雑草は根ごと刈らなきゃダメだって……!どうしてあの時、誰も私の言葉に同意しなかった!?

誰が思いつくもんか、あの汚い孤児が、今やモンツァノ夫人の手下で権勢を笠に着る犬になっているなんて!

ははは、はははははッ!結局……

ロプラトスはどれだけ代替わりしたって、シンクレアの名を冠し続けるしかないのさ!結局……

あんただって、ずーっと運命の掌から逃れられるもんか!!ははははははッ!

工房を壊したのは、あなた?

私の居場所はそこじゃない……あんな、埃まみれの檻じゃない!

裁縫師のお爺さんを殺したのは、あなたなの?

針さんはヒステリックな呵々大笑をやめた。答えたくないという表情を浮かべる彼女の濃い化粧の顔に、かつてと変わらぬやり場のない憎しみが滲んでいる

私……ずっと思ってたんだ。きらびやかな衣装で高価なバッグを肩にかけ、優雅な話し方で天気や料理に文句を言っておけば……私だって上流階級の一員になれるんだってね

もう二度と媚びへつらって、埃まみれで泥の中を転げ回ることもない……

悪夢は1歩ずつ彼女に近付いてくる。その無表情な顔を見て、彼女はこれは現実であり、避けられないものなのだと確信した

でも無駄だった……!クラブは名のない者を拒み、天文学的な数字に思えた金額は、本当の金持ちには取るに足らない小数点の桁にすぎなかった。やつらの言動も、視線も……!

相変わらず軽蔑と拒絶に満ちて……どうして私は違うの?

――ど!う!し!て!私!は!違!う!の!?

針さんは声を張り上げ、凶暴に何度も背後の壁に拳を叩きつけた。指の関節は血まみれになって傷つき、綺麗に結った髪がひと筋、またひと筋と崩れ出す

王冠をかぶり、金のスプーンを咥えて生まれたのは……

どうして私じゃないんだッ!?

わかるもんか、あんたなんかに。カードの数字たちが私に囁くんだ、皆が頭を垂れて私をご主人様と呼ぶんだ……

女は鬼のような形相でその長い爪で、自分の頭皮を掻きむしっていた

彼女はルーレットの卓に鼓動を操られるのも、ベルベットの手袋の下のタコだらけの手も、地下の秘密の仕事も、何よりも煌びやかな階級に行けたと過信してしまう自分が嫌だった

あなたはずっと貧しい者を見下してきました。自分自身を見下すように

私は自分の欲望を語るのにためらいはないし、欲望のために行動したことを、絶対に後悔なんてしないよ!

他人を踏みにじることでしか叶わない欲望なら、いつか必ず自分も踏みにじられる番が来るって、あなただってわかっているはずです

私はもうすぐ、もっといい暮らしを手に入れられる。もうすぐ、何の不安もない未来を勝ち取れる。次の大勝負で……次の……

シュエットは彼女の側をあっさりと通りすぎ、扉の認証を解除して更に奥へと歩みを進めた

もう手遅れなのか

何度も忠告したんだ。それでも彼女は表舞台に立ち、未来を、明日を手に入れるんだって賭けをやめようとはしなかった……

それに何の意味がある?私たちは結局媚びへつらわないといけない、運命は変わっていないじゃないか

男はほとんど絶叫に近い低い声で訴えた

あれから何年も経って、勝っては負けて、負けては勝って、毎回あり金を全部スッては罵りながら戻ってきて、また賭けに戻っていくんだ

ディーラーにはカモだと見抜かれてた。彼女はいいように煽られて……逆転まであと1歩だ、幸運の女神はきっと微笑むって。でもその1歩は、いつも次の勝負にしかない

裁縫師のお爺さんを殺したのは、あなたなの?

針さんはやっていない、手を下したのは私ひとりだ

君は彼女の心の中のしこりのような存在だ。私たちはずっと君を探していたんだ

男はテーブルの下から銃を取り出し、突然発砲した。その呼吸は荒く、ギョロギョロと目が動き回る

弾丸が肩を掠ったシュエットは、すぐに遮蔽物の後ろに身を隠し、銃声が周囲で轟き続けるのを聞いた

コンベアは緊急停止し、支柱の鉄パイプが撃ち抜かれ音を立てて地面に落ちた。上の箱の中の銃のパーツがそれぞれどの位置にあるべきか、シュエットは全て完璧に把握していた

銃弾を受けたパーツボックスはバチバチと火花を散らし、外殻はへこんでいる

カチッ。弾倉が滑り込み、死神に弾が装填される

突貫工事で組み立てられた銃が、正確に全ての照明を撃ち砕く――途切れなく続く攻撃音が、その瞬間から軌道を外し出した

必要なのは一撃だけ

彼女はゆっくりと足音を消しながら男の背後に回り込んだ

任務に求められるのはミスのない精確さと高効率、迅速性だ。獲物を弄ぶことは慎重な行動でもなければ、称賛される賢明な行為でもない。彼らは皆、そう教わってきた

男の手が音を立てて血の花を咲かせた。銃が彼の右手から滑り落ち、左手でそれを受け止めようとした時、ふたつ目の血の花が咲いた

ぐぅっ……上流階級に取り入るために、もう誰かより劣った立場にならないために、私たちは自分の未来を売るしかなかったんだ。そっちだって同じだろう……

私は違う!

シュエットはまるで縫いつけられていない影のように飛び出し、男の銃を奪い取って銃口の向きを反転させた

アーチー師匠が昔、服の穴を繕ってくれたことがある。それは今までもらってきた中で一番親切で、一番きめ細やかな贈り物だった……

一緒に暮らす……寄り添って奏でる、なんて優しい名前なんだ

でもその名前も、その願いも、もう風とともに過去に埋もれてしまった。君はもう戻れない

もう、戻れない……

静けさの中で、彼女は熱を帯びた銃口を下ろした

3つ目の部屋

シルエットちゃん、やめてくれ……

俺たち……子供の頃は仲がよかっただろ?ほ、ほら、あなたのことはずっと覚えてたんだ

相応の腕力と体力のある者がいなければ、ああいった裁縫道具や積み重ねられた生地を短時間で動かし、事故の痕跡を覆い隠すことは不可能だ。それらが導く答えはひとつだけ

分厚く、巨大な「布」。それが全ての痕跡を覆い隠したのだ

太った体が床に倒れ込み、どこか滑稽な音を立てた

俺はやらされたんだ!脅されて仕方なく!選択の余地なんてなかった――

選択肢ならあったはず!!!!!!!!

激怒した彼女の真っ赤な目に、体格のいい大男は震え上がった。高級なスラックスの大部分が濡れ、ポタポタとコンクリートの地面に雫が滴っていく

か、彼女が……俺の娘はいつだって一番いいものに値すると言って……

や、やめろ!殺さないでくれ!そうだ、自分の実の親のことを知りたくはないか?知っているのは俺だけなんだぞ!

いつかあなたが戻ってくるだろうと……いつか自分の身の上を知りたくなって、自分の本当の母親と父親を気にするだろうと思っていたんだ……

俺を殺したら、もう何もわからなくなるぞ!

命だけはお助けを……!

引き金が引かれようという瞬間、袋の鼠となった布さんは咆哮を上げながら反撃に出て、周囲の棚を次々となぎ倒していった

狭い空間にいたシュエットは避けきれず、背中を激しく打ちつけた。銃創を受けたばかりの肩に更に血が滲んだが、こうした状況なら訓練において日常茶飯事だった

的が大きければ大きいほど狙いやすいものだ――たとえ地面に伏せて狙いを定めたとしても

目標が悲鳴を上げた

何度か深呼吸したあと、彼女は体に乗っている物を押しのけ、ふらつきながら再び立ち上がった

実の親?

私の実の親、ニヴェル·アーチボルト·ホラスなら……あなたたちの師匠なら、すでにあなたたちが殺したでしょう?

最後の部屋は広く真っ白で、冷たい金属の匂いと鼻を刺すオイルの匂いだけが漂っていた

両側が鏡張りで視覚的に空間が広く見えるため、ここが地下とは思えない

製造途中の武器が雑然と並べられており、生地や埃の温もりに満ちていたかつての工房とは正反対の印象だった

工場はそれほど大きくないが、影、対称性、鏡、長い年月、そして馴染みのなさによって実際よりも大きく見えた

シュエットは酷く落胆した。僅かな匂いですら、彼女にはあの日々を残してもらえなかったのだ

シュエット……ちゃん

4人の中で、容姿の変化が最も少なかったこの女性に、彼女はようやく微かな懐かしさを感じた

女性の影は暗闇の中で震えていた。シュエットは全身の鈍い痛みと頭がくらくらする感覚をこらえながら、手遅れではないものがひとつくらいあってほしいと願い始めていた

糸おばさん

あなたは脅されて、彼らを手伝うしかなかった。だから、あの時私を逃してくれたのですか?

そう、信じているの?

変わらないね。単純で愚かで

決まってるでしょ、あなたにはまだ価値があったからよ

女性は微塵の迷いなく滑稽だといわんばかりの表情を浮かべると、全身を震わせて高らかに笑った

ハハハ!復讐はいつだって観客の血潮を湧き立たせ、大量のアドレナリンが分泌され、究極の娯楽になる

忘れちゃいないわね?ここが武器工場になったって

武器の組み立てってね、実は服を作るのくらい簡単なのよ

シュエットは理解が追いつかなかった。いつも控えめで、一番配慮に満ちた糸さんが、なぜ他の人たちを繋ぎ合わせる導火線になってしまったのだろう

糸さんの背後で絶え間なく回転していた円形の機械が、突然指令を受けたかのように、まっすぐ前進し始めた

もし裁縫師のお爺さんがまだ生きていて、自分の人生で最も大切にしていたふたりが揃って「機械の事故」で亡くなったなんて知ったら……どれだけ悲しむだろうねえ

ねえ、あの人は死んで幸せだったよね?

あなたが……!

紺碧の瞳孔が突如として開き、彼女の胸の中で怒りが渦巻いたが、それが噴き出すことはなかった

次の瞬間、シュエットはまるでブレーキをかけたかのように、時間が引き延ばされる感覚に陥った

彼女は糸さんの周囲にばかり警戒しており、鏡だとばかり思っていた両側の壁の奥から、ゆっくり回転する2台の円形の機械が出現するとは予想もしていなかった

私はあの人に最も信頼され、最も愛された弟子……火災の後、遺骨は私に託された。そして彼が溺愛していたシルエットちゃん……なんて人、ハナから存在しなかったのよ

あなたが大切にされてきた記憶って……全部幻なんじゃないの?

レーザーが襲いかかるまでの時間が果てしなく感じられ、轟音が耳元で囁きに変わる。まっすぐにその光線を見つめていた彼女は、強烈な輝きに視界を奪われた

一瞬、鏡面で重なった屈折の中に、工房で身を縮める女の子を見た気がした。シルエットちゃんと呼ばれていた7、8歳の自分が、年老いた裁縫師に大切に抱きしめられている姿が

向こう側の明るい世界にいる、無邪気で純粋で幸せで無知な女の子が、血にまみれて苦しみながら這いつくばり、暗い世界へと歩み入る今の自分を見つめている

今まで感じたことのない悪寒が脚を走り抜け、まるで脳まで焼き尽くされるかのような灼熱感、視覚と肉体が剥離するような奇妙な感覚が同時に湧き上がってきた

視線が急に落ちていき、世界はまるで裂けた布のようだ

あるお得意さんからの大口注文なの。裁縫師をやっていた時にあったらねえ、ずいぶん楽だったのに

糸さんはまるで、これら全てが別世界の出来事であるかのように冷たく紹介した

円形の機械が近付き、プレス機を思わせるゆっくりとした動作で降下すると、パーツを押し潰すような動きで下がってきた

うっ……!!

右手の指の関節が粉々に砕かれ、彼女が抵抗する力を失うと、それは回転しながら元の位置に戻っていった

糸でも布でも……人の肉体であっても、必要な形に綺麗さっぱり裁断できる。本当に優れた道具だわ

レーザーで切り取られた両脚の裁断面は滑らかで鋭く、非常に平らだった

切断された脚は軽く膝を曲げてお辞儀をしたままのような形になっている

肉と骨は完璧な切断面を形成し、傷口は熱で素早く凝固し、脈管から僅かに溢れ出した血液の様子は、夜の潮が静かにサンゴ礁を覆っていくかのようだ

その少女は、こんな状況でなければじっくりと鑑賞したいとさえ思っていた

遅くなってごめんなさい。工場全体の自動警備システムを停止させるのに、少し時間がかかったの……

少女は手にした特製の傘で、最も近くにあった円形の機械を突き飛ばすと、妨害工作用のEMPを投げた

その場でまだ稼働していた全ての機械が一斉に制御を失い、バチバチと静電気の火花を散らして、まるで魂を抜かれた抜け殻のように轟音を立てて倒れていく

大腿直筋はぴくぴくと痙攣を続け、手術台に横たわる実験動物のように見えた

機械ならいくらでも分解して交換できる。だが、人間の肉体はこんなにも簡単で脆いのだ。少女は視線を戻すと、残念そうに言った

こんな状態になっちゃって……どうやって復讐するつもり?

血の海の中、熟慮する余裕のないシュエットは、本能と過去の訓練によってアドレナリンを活性化させ、大量失血による意識の喪失を防いでいた

アアアアアアアアアアッッ!!!

彼女は初めて、ヒステリックに、胸が張り裂けんばかりの叫び声をあげた。子供の頃のあの姿に助けを求めたくても、幸福な幻想を壊すことには耐えられない

どこ、どこにいるのかな?わたしのこいぬ

木のうしろにいたよ

どこ、どこでしょう?

今の医療技術なら、ここまで裁断面の傷が綺麗で完全だったら、数時間あれば脚を完全に元通りに繋げられるでしょうけど……

復讐は、諦めるの?

ひとりぽつんと佇む少女は、そう離れてはいない場所にいる女性と床に転がる殺人マシンを気に留める様子もなく、ただ親しげにそう問いかけた

「任務を達成するためには、周囲の利用できるものは全て利用しなければならない」

脳裏に、かつてのボラード機関での教えが無慈悲に蘇る。シュエットは必死に体を支え、朦朧とした視界で周囲を探した

脚が……なくても……構わ……ない

シュエットの視界では、その両足はまるで縫いつけ忘れた2枚の生地のように見えていた。だからこそ、次に自分が何をすべきかはっきりと理解できた

みみとしっぽが目印

針と糸でボロ布をぬいぐるみに、服に縫い直せるように、あなたにも器用な手がある……

これからは人生も自分の好きな形に縫い合わせていけるんだ

(私の好きな……形……)

(それって何?)

価値があること?意味があること?選ばれること?

愛されること?大切にされること?必要とされること?存在が許されることだ

だったらどうしてこんな、復讐すら果たせない、負け犬のような姿になっているの?

どこ、どこにいるのかな?わたしのこいぬ

なでなでしたら

キスもハグもしてあげる――

糸さんは影に身を潜めながら様子を窺っていた。乱入者が自分にまったく興味を持っていないことを確認すると、惨めにもがくメイドを哀れみの目で見下ろした

妙な話よね……ロプラトス旧市街のあの裁縫店も、あの年のクリスマスに全焼して、唯一の生き残りは……青い髪の女の子だったって?

あなたは私たちを告発するくせに、他の容疑者は告発しないの?

糸さんの言葉は綿糸のように軽いがどんな武器よりも致命的で、静かに標的に命中すると縫い合わせられない傷を残した

もう、黙って――!

女性は左に1歩移動し、彼女が最後の明晰な意識で投げた凶器をかわした

でも、私は本当に何もしちゃいないよ

女性は青白く、血管が浮き出た両手を影の外に差し出して動かした

あなたにもっとふさわしい名前をプレートに刻む以外には、ね

シュエット……暗い影で陰気な音を出してさ、今の醜いあなたにぴったりじゃない?私たちは似た者同士なんだ……そっちが私より多く持つなんて、絶対に許さない!

歳月とともにより一層積み重なり肥大化した歪んだ嫉妬に、優雅な少女はやや興奮していた。人が隠す本性が掘り起こされる瞬間は、いつだって喜びでしかない

女性が最後の後始末を済ませるのを見送ったエレノアは、コンソールの自壊進度ゲージが最終段階まで進んでいるのを目にしていた

ハハハ!どうよ、長い年月をかけて最後に知った真相は?満足かしらね?

血の臭いと粘つく空気にうんざりした女性は、伸ばした糸をしまい込み、存在感を消し去ってあっさりと足早に立ち去った

失血による低体温症に襲われ、シュエットはとうとう正気を保つのが難しくなってきた

エレノア·シンクレアは観葉植物のようにその場に佇んでいる。車両が去り、電源が切られ、自壊のカウントダウンが響く。まもなくこの場所は完全に廃棄されるだろう

影のように副旋律を奏でる人よりも……

まだ気を失うわけにはいかない!

たとえ暗い影で歪な旋律しか奏でられなくても……

彼女は本能的な体の震えを抑え込み、指先で触れた細長い鉄の棒をぎゅっと握り締めると……

高く掲げ、力を込め……

ふたつに断裂した自らの左脚に、斜めに突き刺した

ぷつんという音がした

シュエット

ウ、ウアアアアアアアッ!

金属の先端が不自然に脚から突き出し、湿った赤い液体が鉄の棒に沿ってポタポタと滴り落ちている

すでに止血されていた創面が再び貫かれ、筋肉が痙攣する。生臭さが焦げた臭いを上回り、痛みが再び脳を支配した

シュエット

う、動け……!

しかし神経はもはや完全に断絶し、僅かに残った熱が煙を立ち昇らせるのみだ

彼女がいくら必死に足掻いても、左脚はもう自身の一部ではないかのように、醜く引きずることしかできない

皮と肉が裂ける音が鼓膜で反響し、すでに痛みは大きな問題ではなくなっていた

脚から遅れて伝わってくる痛みは数千万もの焼けた針に貫かれるような凄まじさだ。その針がもう1本増えたところで何が変わるというのか

視界の全てがますます赤く染まり、彼女は意識を保つために舌先を噛まなければならなかった

シュエット

も……もう片方……動け!動いてよ!

これは当然、応急処置などと呼べる行為ではない

彼女は最後の力を振り絞って数mを這い進んだ。血が摩擦によって次々と溢れ出し、ナメクジの粘液跡のように、鉄錆色の長い痕跡を後ろに残していた

瀕死のボラードの猟犬は満身創痍でも噛みつこうと口を開き、恐怖に怯えながらも命令を遂行し、たとえ頭を失っても……シュエットはこうした光景を何度も、何度も見てきた

泣き叫ぶことは自分の無力さを証明するだけで何の役にも立たない。彼らはとっくに全ての自身に不利な感情を抑え込むことを学び、任務に影響が出ないようにできるのだ

感情……感情は任務において無用な部分だった

わたしのこいぬ、だーい好き

どこ、どこでしょう?

彼女の子供時代が最後にもう一度微笑みながら現れ、記憶の衣をまとって彼女に別れを告げると、左脚を突き刺さして血を流し続ける鋼鉄製の針を残してくれた

シュエット

うっ……!

はあ、はは……

お、お願い、エレノア、命令して!彼女を追いかけて殺せって!彼女を殺させて!

私は役立たずじゃない、まだ価値がある……!私はまだできる!

お、おねが……

断続的で言葉にならないすすり泣きをあげる彼女は、まるで死の瀬戸際で痙攣する小動物のようだった

その言葉を口にした瞬間、長らく空虚だった眼窩が潤い出す。これまでの人生、こらえてきた全ての涙が一気に流れ落ち、地面の赤色に跡形もなく溶けていく

少女の優雅な眉と目が鋭い三日月のような形となり、色を塗られた爪が上がった口角を押さえ込んだ

いいわ、命令してあげる

「でも、私には脚がありません」女の子は言った

「欲しいの?」

「ええ、欲しい」

「なら、光溢れる小路をたどって私に会いに来て」彼女は言った。「そこで告げられる最後の審判なら、決して先延ばしにされはしないから」

――命の息吹がまだ留まっているうちに

湿った夜、重く響く雷鳴が、屋敷の最上階の窓からごろごろと響いてきた

ごめんなさい、叔母様。喜んでくださると思って

本当のことを仰い

女主人の指はワイングラスのステムをいら立たしげにさする。グラスの中の赤い液体は異様に濃く、微かに揺れるだけだった

広すぎる部屋は、ふたりにはあまりにも大きすぎて物寂しい

これほど安定した供給源を持つマフィアはいません。彼らの本当の雇い主はマフィアではなく、軍隊です

そう?私が把握してないとでも?

私に復讐したいの?それとも標的は黒野?

モンツァノ夫人は不機嫌そうに眉をひそめ、次の瞬間には自らの怒りとともに彼女に叩きつけんばかりに、手にしたワイングラスを強く握りしめた

……シュエットのためだったんです

モンツァノ夫人は、復讐のような陳腐でありきたりな筋書きや言い訳などに少しも耳を貸す気はない

たったこれだけの護衛しか連れずに、シュエットと一緒にあいつらの巣に乗り込んだっていうの!?

命拾いしても彼女はこの先ずっと義肢だわ、使い物にならない!一体何がしたいの!?黒野のどれだけの目が、私の失敗を見張ってるかわかっているの!?

ロプラトスにいる限り、エレノア·シンクレアという名前が持つ意味を知らぬ者はいない

微妙な均衡の下、どちらかが先に動けば矢面に立つことになり、手に入るはずだったチップが失われてしまうのを傍観するのみだ

私は無鉄砲な姪を育てた覚えはないわ。他に何か目的があるのね?

彼女の怒りに直面しても、モンスターのような姪はただ静かに、礼儀正しく手を組んで立っていた

成功を通じての教育が必ずしも成功した教育とは限らない。失敗を通じて教育する方が効果的な場合もある……

優雅な声が詩のように響き、この張り詰めた空気の中で異質さが際立っていた

それに……欠損を持つ奴隷というものは、常に人気があるものですわ。主人から片時も離れませんから

姪の話しぶりは誠実そのものだったが、モンツァノ夫人は背筋に冷たいものを感じ、なんともいえない気味の悪さに包まれていた

それがいかに歪んで腐敗した感情なのか、彼女には判断も理解もできそうにない

いつもの調子を取り戻そうと、彼女はわざと指でテーブルを何度も強く叩いた。いくつかの考えがふと頭をよぎり、懐柔計画のミスで感情に支配された無駄な思考を押しやった

まあいいわ。成功できないのなら、全部捨てればいい

これからどんどん忙しくなるだけよ

少女は丁寧に一礼をし、仮面を貼りつけたように見える笑顔を浮かべた

叔母様に指示された仕事は必ずやり遂げます。メイドの方には、私の素敵な服を何着か作らせますわ