Story Reader / 叙事余録 / ER13 織り奏でる緒言 / Story

All of the stories in Punishing: Gray Raven, for your reading pleasure. Will contain all the stories that can be found in the archive in-game, together with all affection stories.
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ER13-4 高台の下

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よく覚えておけ。お前たちは犬と同等か、むしろ犬以下の存在だってことを。なんでかって?――犬は余計なことを考えない、ビビったりしない!

ここではもっと犬に習い、犬に学ぶこと。噛めと言ったら噛み、やめろと言ったらやめるんだ

返事は!?

泣いても誰も応えないのに、泣く意味なんてあるだろうか

求めても誰も応じないのに、求める意味なんてあるだろうか

施設の中の子供たちは余分な情緒を削ぎ落され、服従と条件反射だけが彼らに許された日常課程だった

その裏で「服従」への教育は後を絶たなかった

教官たちは明らかにそれを黙認しており、いつだって自分の手さえ汚されなければ自然選別の結果として甘受し、そのまま「不良品」を排除するだけだった

院長先生自ら連れてきた人選って、一体どこが特別なの……

何日かの観察と接触を経て、彼女は少しがっかりしたことを認めざるを得なかった

複数のテストの結果、シュエットの成績はいたって普通だった。あるいは、競争心が見られなかった

彼女はここに来た他の子供と同じく、文字すら読めなかった。院長にあれほど気に入られた理由は一体何なのだろう

少なくとも名前だけかな、特別なのは

どの環境でも弱肉強食は唯一の真理だ。状況を把握できない者は、どこにいてもすぐに淘汰される

彼女はわざと隊列の最後尾に並び、いつも短気な年上の子がシュエットのおかずをこぼすのを見ていた

青髪の女の子は無言のまま食べ物を拾うと、隅の方で静かに腰を下ろした

か弱いふり?バカじゃなさそうね

彼女は前へと進み出て、ごく自然なそぶりでシュエットの隣に座った

午後、規定の訓練課程が始まった

各自の任務を完了するように、後れを取った者には罰だ

全員、開始!

無数のパーツが机の上に散らばっている。子供たちは共通の命令に従って行動し、バラバラのパーツを拳銃に組み立ててから、最も早いスピードで弾丸を装填する

エレノア、完了!

取り残された子供たちは皆パニックになった。この訓練を受けてたった1日しか経っていない彼らには、どれが引き金で、どれが撃鉄なのかの区別がつかない子すらいる

ロキシー、エグシー、完了!

シュエット、完了!

残りは全員不合格!手を出すように

エレノアは得意気に隊列から歩み出て、その後、シュエットも列から出てきた

スタンガンの音が響き渡り、手の平の肉が焼け焦げていく。罰せられた子供は悲鳴を上げる勇気さえなく、ただ力なく前方に跪くのみだ

ここは普通の孤児院とまったく違う。その事実を疑う者はひとりとしていない

あなたが恐れられているのは……

シュエットは振り返る勇気もないままその少女の隣に立ち、小声で囁いた

彼らより優秀だから、妬まれているの?

バカより優秀だからって自慢にもならない

誇っていいのは……かつての自分より優秀になってからよ

シュエットにとって、リリスは先生や他の孤児の前では温和かつ優雅な少女だった。彼女はキーキー騒がないし、バカもしないし、クセはあるものの責められることもなかった

唯一気になるのは、時々非常に話がわかりづらいことくらい。それすら、世間知らずの子供たちの前では長所として捉えられていた

確かに、私は怖がられているわ。誰かが何かに怯える時、それは怯える対象に弱みを握られているって自ら認めたようなものよ

彼女はどの子供をどう研究すべきか、どの子供ならすでによく理解しているかをシュエットに教えた

人は意味と価値のあるものを探し求めたあとに穏やかに死を迎えるべきだわ。人によっては、他人が価値を実現するのを手助けすることに、自らの価値を見出す場合もある

生まれつき人間より優れた嗅覚を持つ生物のように、彼女は自分の予知は単なる理解の一種だと言った

でもシュエットにとって、それはまさに魔法のようなものだった

見て、彼は絶対に前に出て、前の子にこっそりカンニングを手伝わせるから

前の子、それに応えてコソコソ周りを見渡すの。でも後ろにいる子は嫌がる。そして、彼は……ええと、ちょっと考えさせて

彼は、前の人にパンチを食らわせる――

カンニングした子供

痛っ、鼻が!

不満そうな子供

お前みたいなインチキ野郎は大【規制音】嫌いだ!

その殴り合いによって進行中の課程は中止を余儀なくされ、教官が恐ろしい形相で走ってきた。シュエットは少女の予言がひとつずつ現実になっていくのを、呆然と見つめた

……あなた、誰かを自分の思い通りに行動させることができるの?

いいえ、そんなことはできない

少女の顔には大人の冷静さと子供の純粋さが織り交ぜになった、複雑な表情が浮かんでいた

私はただただ念入りに観察するだけ。何を欲しがっているのか、今最も必要として、最も価値を感じるものは何なのか

そうすれば、本人以上にその人に詳しくなれる

……あなたは他の人を知っているように、私のことも知っていると?

少女は無言で微笑んだ。もう物事について質問ができ、疑問を持てるようになったシュエットは、恐らく他のバカよりは全然マシなのだ

例えば次の瞬間、私が部屋にどっちの足を踏み入れるかとか

コインには裏と表しかない。結果はふたつしかないのよ

騒ぎは笛の音とともに瞬時に鎮まり、少女はゆっくり隊列に戻った。愚かな質問をしたと気付き、気まずい暗闇の中で自分の運命が定められたあのゲームを思い出していた

色褪せた老人の肖像と、羽ばたく大鳥

色褪せた老人の肖像を選び、あの道が彼女をここに導いた。だが、もう片方の道は……

くだらない「自由の意志」なんて、ただの幻覚にすぎないってこと

人々が考える自由って、制約された層の中で、限られた選択肢を選んでいるだけなのよ

彼らは自由を権力みたいに扱ってる。結局はただ敷かれたレールを走っているだけなのに。くだらない、本当にくだらなすぎだってば!

言葉の最後に少女はいきなり子供の口調に戻った。彼女はぐいっと半歩近付いてきて、その影と息遣いがともにシュエットに覆いかぶさった

ごめんね、少しわかりづらかったよね?

施設の全ての窓があえて遮られているのは、些細な青空であっても、それを見た子供たちが現実味のない夢を抱かないようにするためだった

それでも、施設の子供たちは常に陰で自由について語り合っていた。彼らは休憩時間になると窓の隙間の外にある雲と、季節の移ろいで落ちた枯葉を眺めていた

空の雲になれたらいいのに、そうすればあちこちを自由に飛んでいける――一度もそう思わなかった子供などほぼいない

エレノアからあんな話を聞くまで、「自由」がくだらないことだなんて、シュエットは思いもしなかった

あなた、自由になりたいの?

ううん……私たちは……命令に従うべきだし

シュエットは無意識のうちに、長年拘束バンドに強く絞められてきた手首をそっとなで、ぎこちなく声を絞り出した

可愛い子犬ちゃん、自由になりたいの?でも……首輪を放されたとして、ワンちゃんは本当に行きたいところに自由に行けるのかしら

女の子は籠に閉じ込められた訓練用の凶犬を思って、ゆっくり重々しく頭を横に振った

それなら……外の野良犬ならどうかしら。行きたい場所に行き、噛みたい人を噛み、誰の命令も必要としないわ

シュエットは口を噤んで、正しくて彼女を満足させられるような答えを、エレノアの表情から慎重に探っている

小型犬はどんなに頑張って吠えても、永遠に大型犬になれない

それはつまり……子供たちがいくら青空に憧れても、雲には決してなれないということだと――シュエットは理解しようと必死だった

でもね……小型犬だって大型犬を噛み殺せるわ。同じ鋭い牙と爪があるから!

あなたから秘めた可能性を見出したのは私だけ。他は全員、あなたのことを蔑ろにして見向きもしなかったけれど、この物語の主人公はあなたよ

あなたは特別なの。特別だってことを私に証明してね

エレノアは青くて柔らかい薄絹が滑り落ちるように指先からそっと離れていき、無菌の廊下から正々堂々と課程の部屋へと入っていった

「特別」?「主人公」?

その言葉が甘い蜜のように、シュエットの心に滲んでいく

私は主人公になれるの?エレノアを守って、おとぎ話の英雄みたいになれる?

サーチライトの光は相変わらず微かだが、彼女は今、外の日光を浴びているかのような温もりを感じていた

世界が新たな色の中に集まって、一方向に流れ出す。幼少期と流浪中の惨憺たる生活でさえ、今の彼女にとってはどうでもよかった

そうだ、答えは左足?

あなたは昔、どこか怪我をしたのね。左足をかばっていつも何もなかったふりをしている

彼女は無邪気に振り向いて軽く笑い、最後に心の琴線に触れる言葉を口にした

大切なものを隠すのが好きなのは、失ったことがあるから?

宿舎に繋がる長い廊下は夜になるとまるで氷の洞窟のようだ。寒い中、多くの子供たちは就寝前の時間、ここでダラダラと過ごしてあえて帰ろうとはしなかった

バカじゃないの!

彼女がアンタを飼いならし、言いなりにして振り回してるのは、次回のテストで楽に勝つために決まってるでしょ!

金魚のフンみたいに、どうせそのうちわかるわよ。彼女に目をつけられたら、どれだけ怖いのかってことを!

そうだ、こっちは早く現実を教えてやろうって親切心から言ってやってるんだ!

何人かの子供が彼女を取り囲んできた。従順で逆らえない相手に対し、彼らはうずく欲望を抑えきれずに威張り散らしているのだ

誰かに小突かれた彼女は飛ばされ、冷たい床にへたり込んだ

自分が特別だと、選ばれたとでも思ってんのかよ?

誰かが保育士が棚の中にしまっていたフォークをいくつかこっそり取り出してきて、それを手に高いところによじ登った

彼が腕を軽く振るとひとつのフォークが手から飛んだが、投げる角度が悪かったのかフォークは少しだけ回転して、少女の足の甲に当たって弾かれた

チッ、外した。これ、使いづらいなぁ。だったらこれはどうだ!

その子供は一気に残りのフォークをシュエットに向かって投げつけた

飛来したフォークが銀色の嵐のように、無秩序にぶつかり合って音を立てる

1本、たった1本だけが急速に回転し、鋭い切っ先が光を放ちながら、シュエットの無防備なうなじに向かって飛んできた

……!

女の子は振り返りもしなかった。視界の端でその光景を捉えた瞬間、思わずに後ろに向かって腕を振りかざした

【規制音】!悪運の強いやつめ!

その時、熱湯をかけられた蟻の群れのように、子供たちが一斉に四散した。音でこの子供たちを従わせることができるとしたら、笛の音以外ではあの者だけだ

エレノア、あの子たちが……

彼女は唇を噛み、あの悪意に満ちた言葉の復唱を迷っていたが、呼びかけられた少女の方は目を輝かせながら、今ではしっかりと壁に突き刺さったフォークをじっと見つめていた

うん、やっぱり……

少女は満面の笑みで両手を広げると、シュエットをレースのフリルがついた洋服の袖でそっと包み込んだ

久しぶりの肌の温もりにシュエットは緊張してしまい、どうすればいいのかと戸惑っている

何も心配する必要はないの、でしょう?

少女は彼女の背中を優しく慰めるようにトントンと叩いた

シュエットはボラードに似つかわしくない香りを放つ灰色の長い髪にゆっくり顔をうずめるうちに、緊張で固くなっていた体が緩んでいった

そのいじめ事件はあっさりと片付けられた。厳しい説教と痛くもかゆくもない謹慎の後、教官と保育士たちからは何事もなかったかのように無視された

だが、あの時の子供たちは謹慎後、その青髪の少女を一切近付けようとはしなかった

あの子たちの嫌がらせがピタリとやんだけど、一体どういうこと?まさかあなたが彼らをボコボコにでもしたの?

女の子は不思議そうに訊ねながらも、この少女が暴力を振るう姿を到底想像できなかった

いいえ、私はただあなたとおしゃべりしたように、彼らとおしゃべりしただけよ

シュエットはこの少女が見た目よりずっと精神年齢が大人で、必要な時だけ普通の子供のように振る舞うということを知っていた

まだわからない?彼女の額はもうマークがついている。あなたたち、いくらバカでもやっていいことと悪いことの区別くらいつくでしょう

少女の柔らかい笑顔は魔力溢れる両手のように、シュエットの幼い心の中から全ての不安の波を払っていった

その後のボラードでの日々、シュエットはどこかの無垢で安全な地にいるように、ますます順調に課程を進めた――たとえここでの毎日の出来事は、平和と呼ぶにはほど遠くても

エレノアが側にいれば、彼女は何も心配いらない。ただ命令に服従し、生き残るだけでいい

だが、決して子供たちに降りかからないはずだった運命が、結局は容赦なく訪れたのだ

本年度の最後の訓練だ。全員しっかりと準備するように

教官の最後という言葉に希望を見出した者もいたが、その曇った大多数の瞳が示すのは、もはやどんなものでも言葉は無意味だという事実だった

彼らはお互いに交戦を仕組まれ、仲がいいほど意図的に同じチームにされた。残酷なルールが残り僅かな温もりさえも引き裂こうとする

扉を開けて真っ黒なトンネルを通り抜け、

階段を降りてもうひとつの扉を開け、重厚な金属が自動的に閉まる音が響き、

最後にまたもうひとつ、扉が目の前に現れた――

不安そうな子供もいれば、上の空の子供もいる。どちらにせよ、彼らを待ち受けるものは変わらない

任務を遂行して、自ら仲間を殺せ!できなければ、全員を犬のエサにする

いや、殺す必要まではない。撃破で十分だ

滅多に顔を出さないボラードの院長は瞬時に説明を補足して、マイクを隣の教官に返した

訓練もいよいよ終盤に差しかかった。如何なるリソースも無駄にすべきではない

他の者たちは互い見つめ合い、肩をすくめていた。滅多に姿を見せない院長に、前提条件は最終的な心理素質の形成に重要なのだと、改めて説明するつもりもなかった

数十匹の訓練された軍用犬が放たれた。彼らは体が大きく筋肉質で、その体長はほぼ子供たちよりも高い。それぞれが虎視眈々と中央の高台を狙って、狂暴な叫びを上げている

その場にはさまざまな武器が置かれており、教官たちは全員訓練場から離れ、監視室でこの殺戮テストが出す最終結果を待っていた

無論、逃げたり諦めたりしても無駄だ

高台には拭いても拭いても消えない血痕が残り、血の匂いが鼻の中に充満している。シュエットはふたりの首の間に繋がれた鎖を引っ張りながら、苦しそうにしていた

人は永遠に命令に服従し、最高に愚かな犠牲品として、何よりも不思議な変化に適応する必要がある……これは過去、実際に起きた世界大戦で兵士に対して出された命令なの

生と死はひとつの芝居、荒唐無稽な33回のコイントスは、運命は本当に存在するのだと人に信じ込ませる。あなたと私は所詮、操られた芝居の中の演者にすぎない

シュエットは小声で綴られるこの詩のような言葉の意味を理解できないでいた。これは、彼女たちの普段の会話よりも数段難しい内容だった

少女は笑って、より俗っぽい言い回しを使った

走馬灯を知ってる?

酸欠状態では幻覚と幻聴が起こりやすいの。航空事故の乗客なんかは高度の減圧で一瞬で昏睡状態に陥るわ。肉体の死に脳が追いつかず、夢のような幻覚を構築してくれるのよ

瀕死や類似の体験をした人の話では、ぼんやりとした景色に案内の声がはっきりと聞こえて、未知の川に足を踏み入れた瞬間、とっさに周囲に松明が灯されるとか

明滅する火の明りで、こちらに手を振る人々が見える。その顔ははっきり見えないのに、不思議なことに安心感と幸福感を覚える。まるで母親に抱きしめられた赤ん坊みたいに……

彼女たちは何を話しているんだ?

よく聞こえないが、相変わらず自由なもんだ。もしかして、この死を懸けた試験を朗読会か何かと勘違いしてるんじゃ?

……

少女は話し続けていた。スピーカーからの声が彼女たちに警告を発する――いつまでもグズグズしていれば、あらかじめ設定された致死量の高圧電流が流れることになるぞと

死が怖い?

少女は1歩ずつ、武器ラックへと歩み寄る。白く細い指が袖からスッと伸び、まるでプレゼントの包装をほどくように微笑みながら、新品のチェーンソーに手を伸ばした

シュエットは仕方なくスピーカーに急かされるがまま、ラックの上の方から適当に作戦用ナイフを1本手に取った

あの選択はまるで自殺行為だ

監視装置の前にいる大人たちは残念そうにコメントした。彼らはある程度、想定外の事態は許容できるが、一方的な虐殺は明らかに許容範囲外だった

ロスウォットは眉をひそめた

しかしシュエットの心には、少女が語った状況がくっきりと浮かび上がっていた。数mの高さにある高台に導かれ、暗闇の下の方を見下ろす。断続的に犬の吠える声が聞こえてくる

死とは……安全で幸福なもの?

彼女が想像する死はまるで正反対で、賑やかな街の片隅にひっそりとある陰気な場所のように、冷たく暗くて誰にも顧みられない何かだった

彼女は見て、そして感じた。もし誰にも覚えていてもらえないのなら、まるで炎が燃え盛るような激しい痛みが心に絶え間なく湧き上がることもない

金属の歯車とチェーンがぶつかり合い、モーターが轟音を上げる。激しい騒音の中で、少女は更に声を張りあげて話さざるを得なかった

ここから飛び降りるの

これは命令よ

彼女の抱いていた希望は全て粉々に砕け散った。やはりエレノアでさえも、残酷な現実をねじ伏せる魔法は使えないのだ

なぜこの世界はこんなにも残酷なの?僅かな希望さえ存在しないの?

シュエットは目を閉じたかったが、それは許されなかった。彼女は首の鎖をぎゅっと握りしめると、自問することすら諦めた

飛び降りて、飛び降りて。飛び降りて!

飛び降りるのよ!

飛び降りて飛び降りて飛び降りて飛び降りて飛び降りて飛び降りて飛び降りて飛び降りて飛び降りて飛び降りて飛び降りて飛び降りて飛び降りて

ただ……命令に従えばいいだけよ

スピーカーから戦闘終了までのカウントダウンが流れる中、彼女は全身の力を抜いて左足から先に高台の外へと踏み出し、そのまま落ちていった

本来ほんの一瞬のはずの落下の時間、風の圧力を受けて意識がふっと途切れた。首の重みが突然消えた感覚で、繋がっていたはずのもう片方の存在がすでにいないことに気付いた

エレノア、もうテストは通過したのね?

もし自分に負けを認めさせたいのなら、すでに何度もそのチャンスはあったはず

金魚のフンめ!すぐに思い知らせてやる、彼女に目をつけられる怖さを!

あの日以来、彼女は眠れぬ夜の度に周囲の規則的ないびきを聞きながら、その言葉が実現するかもしれない場面を思い描いていた

瞬きする間に、子犬のぬいぐるみが彼女の枕元に姿を現したかと思えば、次の瞬間、それはただの悪夢だったことを知る

彼女はまるで未知の力に心臓を締めつけられ、光と闇の狭間で振り回されているかのようだった

ただ一度、号泣することでのみ彼女は心を落ち着かせることができた。しかし、泣いたところで現実での同情を買えるわけではない

最後に、拘束ベルトに縛られた指をそっと伸ばして唇を静かに上下に動かすと、月光に満ちた空気の中で、記憶に刻まれた旋律を紡ぎ出した

トン、トン、トントン

私は絶対に……エレノアの敵にはならない

でも、私はまだ……

死にたくない!

生存本能が爆発し、彼女は空中で瞬時に体勢を限界まで調整した。鍛え抜かれた動体視力が、下で餌を待ち構える猟犬の群れをはっきりと捉えた

なぜだか、落下の速度が一瞬だけふっと緩んだ気がした。その刹那、彼女はかろうじてそれをやり遂げた

ナイフをしっかりと握りしめ、シュエットは慎重に自分の着地点を見極めたのだ

あの動き、見たか!?

監視装置の前で誰かが叫んだ

シュエットは2匹の猟犬の背中に倒れ込み、できるだけ体を丸めて横に転がった。腕を、恐ろしい牙が掠める。落下の衝撃は和らげたものの、その反動で彼女はうめき声を漏らした

痛みを感じる暇もなく、その勢いのまま地面にぐっと屈み、体を半回転させて手に握ったナイフを力いっぱい、牙をむき出しにした猟犬の柔らかい顎に突き立てた

どす黒い血が飛び散ってナイフの刃に沿って滴り落ちるさまは、まるで何匹ものミミズが這い回っているかのようだ

もう1匹の猟犬が彼女の間近で低く唸り声をあげ、そのまま襲いかかってきた

彼女は更に鋭く反応し、顎を刺された猟犬を蹴ると、自らの首の長い鎖を両手に巻きつけた。タイミングを見計らい、間近にいる方の猟犬の首に鎖を引っかけ、地面に叩きつけた

手首をひねって鎖を絞り上げると、金属製の輪が肉に食い込んでいき、猟犬は泡を吹きながら絶命した

いつの間に、あの袖の中に鞭を隠したんだ?

いや。彼女は武器ラックの中に潜り込んで何度か回転し、金属疲労を利用して首の鎖を切断したんだ

お、おい!彼女、武器ラックにある銃を全て落としたぞ!待て、自分まで飛び降りた!

――一体何をするつもりだ!?

なぜ下にカメラがない?ドローンは?

監視室は動揺に包まれた。全員の脳裏に、高台の下には外へと通じる自由な道があることが、閃光のように浮かび上がった

そこには恐怖を感じる者もいた。あの厳重警戒のボラードから逃げ出すなんて、誰が予想できただろう?

これは彼女たちの能力が予想以上だったという証明以外に、彼女たちに行われたのは天も赦せぬ行為であり、その意志があらゆる意志の総和を凌駕したという深刻な意味を持った

今……何匹目?

鼓膜を打ち破るような犬の吠え声が次第に弱くなり、気付けば猟犬の声が完全に消えていた

少女はようやく鼻先に着いた血と汗を拭うと、ひと時の休息を手に入れた

結構、噛み犬は好きなの

顔を上げた彼女は、歩み寄る少女に驚きと喜びが混ざった視線を向けながら、虫の息の軍用犬に全体重をかけ続けていた。犬の断末魔の声が、異様な静けさの中に吸い込まれていく

エレノア……!

駆け寄った彼女は、優雅なあの少女の姿から無垢さが失われていることに気付いて、思わず足を止めた

どうやら、あなたもこのゲームを楽しめたみたいね

少女は手にある血だらけのチェーンソーを捨て、心底汚らしいというように、皮膚、肉、骨の欠片で汚れた袖口を見つめた

エレガントじゃないなあ

接近しなくても、この汚物たちから身を守れる武器がいいわね

彼女は再度じっくりと選び直し、改造された二連散弾銃を手に取ると、照準を合わせるそぶりでバンと口で発砲音を出した

彼女たちの周囲で追ってきていた猟犬の頭が、音を立てて破裂する。その四肢は引き続き数mほども走って、ようやくどさりと倒れ込んだ

エレノア、1ポイント

んー、でもこの音は大袈裟すぎ。好みじゃないわ

私たちを支配しようと企むやつらに、二度と私たちの邪魔をさせない

シュエットは再び鎖を振るい、少女の背後を狙った最後の凶犬の口にぶち込んだ。ナイフを勢いよく四足の化け物の心臓に突き刺すと、凄まじい悲鳴があっという間に途絶えた

ゲーム、終了かしら?

あっ、途中からポイントのカウントを忘れちゃった

アハ、ハハハ、ハハハハ!

笑う少女が彼女に差し伸べたひんやりとした手の平を握ったその瞬間、ぐいと前へと引っ張られる強い力が伝わってきた

重なった手から伝わってきた温もりが、シュエットをこの上なく安心させた

彼女は無言のまま引っ張られ、好き放題に笑い続ける後ろ姿についていった。その道沿いに、彼女が警戒すべき敵対目標はもういない

血濡れの解体場はゴーストたちのダンスフロアと化し、手を繋ぐふたりは次第に冷たくなる暗赤色のカーペットを踏み越え、長い廊下をひらひらとすり抜けていく

ドレスの裾が風にはためいている。彼女たちのステップは軽やかで狂気的だ。これはシュエットが初めて参加した舞踏会だった

彼女はまるでチラつく暗い月、咲き誇る花、海の紫波――表では冷静沈着だが、裏では一瞬で変化する、熱烈な感情の掛け合わせを持っていた

シュエットは自分の前で、踊りをリードする少女をただ見つめ続けていた

命令があれば……いつか私も大人に命令されて、あなたの行方を阻む軍用犬になるのかな

いいえ、あなたは私の命令に従ってもらうわ。私は殺戮狂じゃないし、死んだ軍用犬は有意義な死を果たしただけよ

……

少女は黙り込んだ。エレノアは振り返って、その目を見た

あなたはもうここが好きじゃなくなったんでしょう

私たちに互いを殺し合わせるなんて、酷すぎるもの

……

それなら、まもなく私たちはここから出られるわ

少女の口から出た言葉であるがゆえに、いかにその予言が薄っぺらくてありえないと思えても、シュエットはそれを心の底では信じて疑わなかった

その後、大人たちがどうぬかるんだ血と肉の上を通って彼女たちを連れ去り隔離したのか、シュエットに明確な記憶はない。なぜドアを開けない?と彼女に訊いた者もいたようだ

そんな必要がどこに?

エレノアの声が隣の部屋から聞こえてくる。彼女は全身にバイタル測定機器のセンサーを貼られたまま、深い眠りについた

全てが私たちのため、私たちがよりよくなるため

彼女が目覚めると、空しく音を反響する壁以外に何もなかった

数個のスチールパイプベッドの上には薄い敷きパッドが整然と重ねられ、もう誰も使うことはないと告げている。子供は全員、去ったのだ

エレノアに新しい家族ができるのは、いいことじゃないか

安心していい、新たな生活がまもなく始まる

……

彼女の言葉はいつだって間違ってなかった

ロプラトスの裁縫店、アットホームに飾られた新しい寝室の中で、シュエットは何もない首と腕をなでながら、子供に似合わない深い溜め息をついた