データ同期中:95%
人間とハニフが命懸けでもがいている間、ヴィラのデータ同期プロセスも狂ったように加速し続けていた
パニシングの液体と血液が彼女の体に飛び散り、1滴の水のように集まり、ゆっくりと目尻から唇の端へと流れていった
新旧の機体間でのデータ同期が、まもなく終わる――「ヴィラ」の記憶を全てたどったあと、彼女が決して手放すことのできなかった物語は再び最終章を迎えた
その章にはこう書かれていた――
「ふたりの最後の逃避行が始まった」
運が彼らに微笑むことはなく、しばらく正常に走行できるはずだった輸送車は、出発してすぐに予想外の故障で動かなくなった
ヴィラが車両を確認し、結論を出した。「ハア、私が運転する乗り物は2時間と持たないってわけね」、と
人間は車の前でしばし沈黙したまま立ち尽くし、現実を受け入れた。こうしてふたりは予定よりも早く、徒歩で移動し始めた
だが、頭ではその理由を納得できても、体の方はそうはいかなかった
細かな雪が体に降り積もり、服はあっという間に冷たく硬い殻と化した。頭は朦朧とし、体の全ての傷が炎症を起こし、体温も急激に上昇していた
……ちょっと休みなさい。少しだけ、目を閉じて
彼女は足取りがだんだん遅くなっていく人間を見て手を伸ばし、人間の腕を自分の肩に回した
意識リンクはちゃんと維持できてる。あなたは……よくやってる
彼女はぎこちなくも「褒めよう」としていた
大丈夫……私が……引っ張っていくから……
長い間の奔走で疲労は極限に達していた。人間は了承された瞬間、こらえきれずに目を閉じた
腰のあたりを強く引かれる感覚があった。人間が地面に崩れ落ちる前に、ヴィラがロープを引いて支えたのだ
続いて、引きずられるような感覚があった
暗闇と痛みに強く抱かれ、もがく力さえ残っていなかった。誰かが自分を背負い、かろうじて数歩進んだあと、揺れながら前に進んでいるのを感じるだけだ
その間にも銃声は響き、刃が金属をかすめる音や、侵蝕体のうなり声も聞こえていた
細かい雪はずっと舞い続け、髪を濡らし、顔に巻かれた包帯までも湿らせた。じっとりとした重苦しさに、息が詰まりそうだ
あまりの気分の悪さに、その名前を呼ぼうとした
人間は一時的に地面に寝かされ、口と鼻に巻かれた包帯が大きく引き裂かれた。そして弱々しい赤ん坊を抱くように、また誰かに優しく抱き上げられた
人間の耳に、構造体の胸腔にある動力コアが高速で作動する「ブーン……」という音が聞こえた
心音が聞こえるのと何ら変わりがない
そして、人間は高熱にうなされ、完全な昏睡状態に陥った
どれほど時間がすぎたのか――肺の奥深くまで空気を吸い込む呼吸音とともに、人間はようやく目を覚ました
体は死のような闇に包まれ、全身、特に腹部の激しい痛みが意識を支配している
それ以外に、耳元で微かな声が聞こえた
……火はどこ?
目が徐々に暗闇に慣れてきた頃、自分が何かにもたれかかっていることに気付いた。手は、鮮やかで柔らかいひと束の赤髪を握っていた
再びヴィラの声が聞こえる
……火……どこなの?
どこに行ったの……さっきまで……
彼女は独り言を呟きながら、何かを探している
……ああ、起きたのね
ぼんやりとした赤い影が動いた。彼女は手を伸ばし、人間の頬にそっと触れた
私よ、ここにいるわ
人類は痛む腕をゆっくり持ち上げ、手の中の赤い色を差し出した。だが、彼女に指を握られ、無理やり下ろされた
あなたに訊いてない。幻覚ね、熱のせいだわ
……火ならここにあったわ
カチッ
ボッ……
彼女の手の中には原始的なライターがあり、「カチッ」という音とともに、微かに揺れる炎が浮かび上がった
火はここよ
ライターは見つけたけど、薪が全部濡れていて、ちゃんと燃えるかわからない
ライターの小さな火で小枝や乾いた草を燃やそうとしたが、どうしても火はつかなかった
チッ、やっぱりね
赤い影は少し苛立ち、役に立たなかったライターをしまい込んだ
彼女は眉をひそめ、意識がぼんやりしている人間をしばらく見つめ、これまでにないほど深いため息をついた。そして腕を伸ばし、人間を腕の中に抱きしめた
じゃあもう少しだけ、構造体の「体温」を使うことにするわ。これ以上体温が下がったら、本当に死ぬんだから
……そうだ
ヴィラが人間の顔に巻かれた、雨で濡れた包帯をもう一度めくると、ようやく冷たい空気が吸えるようになった
さっきからずっと無意識に包帯を引っ張ってて苦しそうだったから調べてみたけど……包帯は外してもいいかもね
彼女の声には疲労が滲み、辛辣な言葉を言う余力もない。この長い逃避行で、消耗しているのは人間だけではなかった
そんなに身構えなくていい。もしあなたに害を与えるつもりだったら、とっくに手を出してる。それに、私はずっと補助型の構造体だったの
ほら、外し終わったわ
包帯が外され、目の前の光景がようやくはっきりと見えた。周囲にはバラバラに崩れたコンクリートの塊がある。ここは廃墟の地下なのだろう
安心して、顔は無事よ。今は鏡を探す余裕はないけど
……今回、記憶はリセットされてないのね
人間が自分の名前をはっきり呼ぶのを聞いて、ヴィラは少し驚いたように眉を上げた
これまでは寝て目を覚ます度、あなたの記憶は地上に降りた時点まで戻ってたわ。その度に、私は仕方なく新しい記憶を作ってあなたに聞かせてたの
彼女はさらりと自分の話を「作り話」だと言い切った
ちょうど、今日062号保全エリアの前線で、自分が黒野の構造体だと告げたあの時のように突然だった
今ここで全部はっきりと話しておくわ。少なくとも、一番大事なことだけでもね……今以上にいい機会はないから
わかった。これが私の本来の姿よ。前の髪色や仮面は全部偽装、あなたたちを騙してたの
あなたは私の「意識海」とリンクしたから、もう取り繕う必要がないの。あなたも、わざわざ「見て見ぬふり」する必要はないわ
彼女はまた何かを思い出したように、冷たく鼻で笑った
それに、あなたの頭もまだ治ってないし。今回の厄介事が終わって、あなたが空中庭園に戻れば、きっと私のことなんて思い出しもしないわよ
そう言って彼女は体を起こし、人間を支え起こすと、再びライターに火を点けた
火のついたライターがふたりの間にかざされた。小さな炎はゆらゆらと揺れながら、お互いの顔を照らし出す
この時、ようやくふたりは本当の姿で向き合うことができた
改めて自己紹介するわ。私は黒野特殊作戦班の構造体、コードネーム「ドッグ」よ
私は空中庭園の構造体じゃないし、本来ならファウンスの学生と関わるべきじゃなかった。でも、あなたの体に私が黒野へ持ち帰らなきゃいけないテスト素材があるのよ
ヴィラは、まだ人間の体にしっかりと巻きついているサンプルケースを指差した
そのテスト素材の信憑性は疑わないで。機能についても偽ってないわ。そうじゃなきゃあなたはあの無茶な行動で、とっくにお腹がズタズタよ
黒野の「ドッグ」は頷いた。口調は冷たく、すでに「黒野特殊作戦班」の一員という立場に戻っているようだった
でも、あなたは幸運だった。私が向かうはずだった黒野の拠点は、今回の災厄で壊滅した。私は報告先を失って、仕方なくあなたを連れてあちこち彷徨ってただけ
あなたは臨時の医療施設を出発し、途中で難民たちを救出し、偶然ファウンスの級友と出会った。彼からこの危機の鍵となるサンプルを受け取り、ここまでリレーしてきたのよ
もちろん知ってるわよ、指揮官ちゃま
ヴィラは一瞬異様な表情を浮かべて口をつぐんだ。だが再び口を開いた時には、ヴィラらしい表情に戻っていた
……それは本名よ
全部が全部嘘ってわけじゃなかったんだから、ちょっとは喜んだらどう?アハ
……あんまり驚かないのね?
人間は覗き込むようにヴィラの瞳を見つめた。そして彼女の探るような問いには答えず、代わりに別の質問を投げかけた
いいえ、その必要はないの
私の判断だけど、付近の他の黒野の基地も被害を受けて素材を提出する場所が見つからない。このサンプルは本当に重要よ。適切な場所に届けなければ厄災は終わらない
パニシングが爆発した時、私も兵士として似たようなサンプル輸送任務を受けたことがあるわ……アハ、そう思うと、今のあなたの状況と結構似てるわね
私は少し出遅れてしまって、パニシングの情報が同期されたのは……爆発から7日も後だった
ヴィラはうつむき、パニシング爆発初期に自分が参加した、あまり成功とはいえない「リレー任務」を思い出した
それで、私は構造体改造を受け入れたの
彼女は人間のハッとしたような驚きを受け流し、自嘲気味に笑った
こうして見ると、私の運命って謎のループにはまってるのね。数年おきに同じような悲劇を繰り返してるんだもの、アハハ
……
やめて頂戴。私を形容するのに高尚な言葉を使わないでくれる?礼儀で言うお世辞も今度にして――生き延びられた時にでもね
まずは現実を見なさいよ。あなたを無理やりどこかに連れていくどころか、今はここから出られるかすら怪しい状況なんだから
そう話した時、人間は改めて周囲を見回した
今は崩れた地下室の中にいるの。ただ雪をしのいでるだけよ。まったく、腹立たしい天気だわ
ヴィラは「雪をしのいでいるだけ」と言ったが、外から聞こえてくる侵蝕体の叫び声は人間にもはっきり聞こえた
あるわよ。私たちの目的地はもう目の前よ。この最後の廃墟を越えさえすれば、成功ってわけ
命懸けなら行ける――誇張なんかじゃなくね
短いやりとりが終わった。それだけで、成功は目前なのに、実現するための果てしない重圧がのしかかっているのをひしひしと感じた
他に何か質問は?ないなら、もう少し静かにしてなさい。あなたは体力を温存しなきゃ
ヴィラは人間の脇腹を指差した。サンプルケースの裂け目はしっかりと塞がれているが、中のサンプルはすでにゆっくりと肉体を蝕み始めている
鋭い痛みはもう麻痺し、人間自身にもわからなくなっている。サンプルを届けられるのが先か、それともサンプルに殺されるのが先か
……覚悟ができたの?
やめなさいよ、道半ばで死んだら英雄にはなれないわよ
……何でもないわ
この世界には、あなたが歩きたくない道なんていくらでもある。だけど、運命に無理やり押し上げられたら、受け入れるしかないのよ
とにかく、あなたは私の価値を利用し終えるまでは、死ぬことはできないわよ
少し考え込んだあと、ヴィラは何かを決意したようだった
ヴィラは人間の手を取り、自分の鎖骨の上あたりに導いた。そこには、目立たない「プラグ」のような装置があった
このまま引き抜いて
人間の胸に微かな不安が浮かぶ
しかし、ヴィラの指先に力が込められ、人間は「仕方なく」自らの手でプラグを引き抜いた
その動きに呼応するように、機体の全てのエンジンが轟き始めた。ヴィラの毛先までもが燃えるような輝きを放っている
……
…………
ヴィラの鎖骨のあたりから、微かな赤い光がゆっくりと流れ出した。それは気体と液体の中間のような物質で、静かに空気中に溶けていった
アハ……黒野の連中がこれを知ったら、きっと死ぬほど怒り狂うでしょうね
そうよ
最初からずっと間違い続けてる。私はとっくに気付いてた。もういっそ最後まで間違い通せばいい
合図を決めておきましょう。その方が連絡を取りやすいでしょ?
人間はすぐには返事をしなかった。強烈な不安がこみ上げ、静まり返った廃墟の下で、何かがじわじわと進行しているように感じられた
返事は?
まさか。このムカつくロープにまだ縛られてるっていうのに
考えすぎよ、出発前の通常手順でしょ?ファウンスで教わらなかったの?
別行動なんかしないわよ。このムカつくロープにまだ縛られてるっていうのに
ヴィラは、どれほど長くふたりを結んでいたかもわからないロープをぐいっと引っ張った
何でもいいわ、早く決めましょう……そうね、口笛でどう?私もその方が慣れてるし
彼女は何かを思い出したように、目をふっと遠くに彷徨わせた
いいわね、何か意味があるの?
……わかった。「何の意味もない合図」ね、覚えたわ
最後に、ヴィラは人間の額にそっと手を当てた
こんなに体温が高いのに……まだしゃべれるなんて、本当にタフね
……仕方ない、このまま行くしかないわね。今すぐ出発するけど、私があなたを背負う。今のあなたのスピードじゃ遅すぎるから
先に言っておくけど外は侵蝕体だらけで、ちょっとでも顔を出せば標的になる。背負ってる間はしゃべらず、地面に降ろしたらすぐに走って。追いつかれたら終わりよ、わかった?
……それはもう必要ないわ
自分のことだけ考えなさい
ヴィラにはまだ話していないことがたくさんあったはずだが、高熱でぼんやりした人間の脳は、それを「後日話す」として処理した
人間は素直に彼女の背に這い上がり、腹部のサンプルをしっかりと抱えた。まるで錆びた武器を手に、寂れた田舎から旅立つ英雄のようだ
ふたりは隙間をかいくぐり、廃墟の上に立った
ハッ
人間はヴィラの耳元で熱い蒸気のような吐息を漏らしたが、それもすぐに冷たい風に吹き飛ばされ、ヴィラの胸元から絶えず流れ出る光も一緒にさらわれていった
僅かな赤い生命の輝きが近くを彷徨う全ての侵蝕体を引き寄せ、敵が四方八方から一斉に襲いかかってきた
……指揮官ちゃま
何が起ころうと、最後は這ってでも、あなたは1歩でも前へ進まなきゃいけない
絶望に縛られることに甘んじなければ、きっと誰かがあなたの手を掴むわ
彼女は足を踏み出した
ぼろぼろの英雄が最後の旅路へと踏み出した時、遠くない場所にある基地もまた最後の決断を迫られていた
大量の侵蝕体を検知しました!基地に接近中です!到達予測時間は……50分後です!
探知装置を監視していた兵士が、最初に警報を発した
まだ連絡は取れないのか?
支援に出した部隊は誰ひとり戻ってきていません。もう4日目です、長官!
準備は全て整っています。いつでも撤退可能です!
……
彼は決断しなければならなかった
そして兵士たちの背後では、端末を抱えた童顔の人物が、必死に何かを懇願していた
……どうしてまだ繋がらないんだ!?
ハリー·ジョーはまるで神像にでも祈るように、ファウンスから一律に配布された端末に向かって、念じるようにぶつぶつ独り言をつぶやいていた
返事をしてくれ……頼む……この基地まで撤退したら、本当にもう君たちを助けられなくなる!
異常事態が発生した時、彼はちょうど人混みから離れた場所に潜んでいたため、彼自身ですら自分が侵蝕体の第1波の襲撃を生き延びたことに気付いていなかった
彼からすると、仲間たちの信号がある瞬間に一斉に消え、かくれんぼで置いてけぼりの子供の気分だった――何とか隠れたのに、他の皆は晩ご飯を食べに帰ってしまったように
彼は誰とも連絡が取れず呆然と隠れ場所を出て、空き地に立ち尽くして人生を考えていた。それがちょうど兵士を満載した装甲車の進行を塞いだのだ
大人たちはこの呆然としたファウンスの少年を車に拾い上げた。長時間揺られた末に、彼はこの比較的装備の整った基地に配置された
君は通信学の成績がいいらしいな?
……えっ?――は、はい!長官!
こうしてハリー·ジョーは一連の幸運な偶然に導かれ、臨時の通信兵として加わることになった
近くの小隊を支援しながら、ハリー·ジョーは自分の仲間たちとの連絡も諦めなかった。しかし、時間が経つにつれて、彼の胸の中で最悪の予感が現実味を帯び始めていた
[player name]、バネッサ、シーモン……本当に死んだのか……?上位10名の内、3人が完全に行方不明なんて!
ハリー·ジョー!
はい!
ハリー·ジョーは手にしていた端末を置き、長官の呼びかけに応えた
準備しておけ、君は我々の中で一番若いんだからな……
――本当に撤退するんですか?
ハリー·ジョーは泣きたい気持ちだった。卒業する前に、こんなに多くの仲間を失うなんて、とても受け入れられない
いいや、ハリー·ジョー、君は……
長官は複雑な表情でこの若者に何かを話しかけていたが、ハリー·ジョーはそれをはっきりと聞くことなく、意識は、突然別のものに引き寄せられた
彼のポケットの中の端末から、けたたましいビープ音が鳴り始めた
お待ちください!長官!
これは――僕の同級生です![player name]の信号がここに近付いています!
ハリー·ジョーが端末を掲げて叫んでいたその時、人間を背負って疾走し始めたヴィラも、いくつもの記憶を思い返していた
というよりも、この奇妙な人間に出会ってからというもの、彼女は無意識のうちにさまざまな形で自分の過去を思い出してばかりいた
最初に思い出したのは、数回会っただけの実の両親だった。しかしあまりにも幼く、うっすらとした両親の面影と母親の絹のような質感の赤髪しか記憶には残っていない
うんざりさせた遠い親戚たちのことは思い出しもせず、次に浮かんだのは意外にも教官と医師だった
彼女は、教官がずっと自分を気にかけ、卒業後に汚い世界から離れられる進路まで手配してくれていたことを知っていた
彼女は、グウィネス医師が自分の支援者なのも知っていた。グウィネス自身、卒業してまもなくでろくな稼ぎもないのに、ヴィラの学業を支えようと何度も夜勤していた
……また訓練中に怪我をしたのね……そこまで高強度な訓練、本当にする必要があるの?
包帯を巻いておけば大丈夫ですから
正直に話して。また誰かに絡まれたんじゃないの?
まさか、「幼稚園」に告げ口を?どうでもいいんです。向こうだって相当やられてますし……士官学校なんですから、多少は武力を尊ぶ空気もありますよ
彼女は声を潜め、笑いながら言った
<size=25>中には私に尾骨を叩き折られて、歩く度にフラフラしてるやつもいるんです</size>
ヴィラ……!
アハハハ……
あの頃の彼女は、まだ心から笑えていた
支援者のお金は無駄にはしてません。ちゃんと一番堅実なスキルを身につけたし、これからは順調に昇進していくつもりです
幼稚だと思われそうだけど……ねえ、将来、私が昇進して異動になったら、先生も一緒に来てくださいよ。私が面倒を見ます。もう三交代制で働かなくてもいいんですよ
「面倒を見る」だなんて、また子供じみたことばっかり言って……ほら、整復するわよ、我慢してね
――ッ!
はいはい……卒業したら、私たちのヴィラは……きっと望み通りの生活を送れるし、自由になれる
グウィネスはゆっくりと包帯を巻きながら、ぽつりとつぶやいた
……ここを離れて行きたいところへ行けるし、どんな夢だって叶えられる
グウィネスはヴィラに心から祝福を送った――パニシングが爆発する前の祝福を
しかしパニシングが全てを破壊した時、祝福はたったひとつの言葉しか残さなかった
ヴィラ……どんな理由があっても、絶対に、絶対に……自分を軽々しく傷つけないで……
……
彼女は、グウィネスの言葉を一度たりとも守ったことがなかった
むしろ彼女はグウィネスの真似をし、いつも危機が訪れる度に、あの「扉」のように自らを盾にしていた
無個性顔が死ぬ前、彼女は自分の腕を犠牲にした
ハチドリとお人形さんが死ぬ前、彼女は自分の左目を犠牲にした
彼女は自分の血肉で、夢の実現を――そして大切な人々が生き延びることを願い、一度どころか、日々繰り返し自分を壊そうとし続けていた
だが、一度も成功したことはない
「行きたいところへ行けるし、どんな夢だって叶えられる」……そんなの、ひとつも叶ってない
だったら今日、ひとつくらい叶えてやるわ
腕でも左目でも足りないなら、もっと大事なものを使うだけよ
人間の荒く短い呼吸が彼女の耳元で聞こえる。そして、それに混じって次第に近付いてくる侵蝕体の唸り声が聞こえた
彼女は、自分の胸元の赤い光に視線を落とした
<i>私の血肉を食らい尽くしていいわよ。太陽の炎を、あなたに分けてあげる</i>
<i>僅かな炎では足りないのなら、太陽ごとくれてやる――</i>
彼女はふいに足を止め、人間を地面に降ろした
本当は、汪婆さんたちに抱え上げられて人間のもとへ運ばれたあの時点で、彼女はもうこの「リレー」の真実に気付いていた
……外にいるあなたは、もう焦って仕方ないでしょうね
今のあなたじゃない。<b>未来のあなた</b>よ
あなた、なかなかやるじゃない。これからはちょっとくらいはあなたに頼ってもいいかもしれないわね
アハ……
あなたのような人は……何かのために命を賭けようとした時、きっとたくさんの人があなたを引き止めに駆け寄ってくるわ
忘れてるだろうけど、最初、私はあなたのことを「空中庭園の温室育ちのお花」って言った。そしたらあなたは「それは偏見だってことを証明する」って反論したの
あなたはもう何度も私の目の前で、それが私の偏見だったってことを証明してみせた
だから今は……私があなたを助ける。ただ助けたいからじゃなくて、それは私自身のためでもあるの
ヴィラは片膝をつき、顔を上げた――陽光が人間の輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。彼女の意識海の引き裂かれるような痛みが、無視できないほど強くなっていた
あなたまで悲劇の結末に巻き込まれるべきじゃない――私のようにはなってほしくないのよ
私の指揮官ちゃまには……行きたい場所へ行き、どんな夢だろうと叶えてほしいと思ってる
あなたの英雄譚は、最初からずっと眩く輝くものであってほしいわ
ヴィラは恐らく意味を理解したのだろう。低い笑い声をもらした
アハ……やっぱりいい祝福の言葉とはいえないわね
……じゃあ、こうしましょう。全てが終わり、あなたの記憶がリセットされる前に……お互いに「駆け寄って引き止め」るの。偏見も誤解も捨てて、戦友みたいに――抱きしめ合う
ヴィラはふたりの腰を繋ぐロープをぎゅっと締め直し、ずっと人間の腰に掛けられていた端末をスッと抜き取った
ついでに、端末は先に預かっておくわ。黒野構造体に関する情報満載の端末を提出させたくないし
全ての作業を終えると、彼女は武器を抜き、後方へ体を向けた
いい?3つ数えたら、あなたはサンプルを持って前へ走って
大丈夫、私たちはロープで「繋がってる」、あなたから離れずついていくわ
3……
2……
1……
侵蝕体が襲いかかってくるのと同時に、人間は痺れる足を踏み出し、大きく前へと走り出した
一気に伸びたロープが風を切る音が聞こえる。そのすぐ後、腰のロープがグッと張った感触が伝わる――ロープの反対側にヴィラがいる
戦っている音がすぐに聞こえてきた。ヴィラの槍が、災厄を切り裂いている
人間は振り返ることなく、激しい戦闘音を背に走った。前方にはもう基地の建物が見えている
……いや、ハリー·ジョー。君にだけ伝えに来たんだ
我々は撤退しない
全員、装備を整えろ。自分たちが安全区域の最後の防衛線だと思え
もし我々が失敗したら、この基地ごと吹き飛ばす……何としても災厄をこれ以上広げてはならない
だが、君はこの中で一番若い。だから……
お待ちください!長官!
これは――僕の同級生です![player name]の信号がここに近付いています!
……僕も救援に参加します!まだ間に合います!長官!!
走り続けて気を失いそうになる寸前、人間はこの旅の終わりを目にした
来訪者の状態を確認したのだろう、前方の基地から何人もの完全武装の兵士たちが飛び出し、一斉に人間へと駆け寄った
――この瞬間、全ての人間が英雄を迎えに来た
――この日、英雄はついに自分の避けられない運命の始まりを迎えることとなった
今この場で英雄に勲章を与えられる者はいない。だが、この道のりそのものが、何よりの証明だった
「級友A」、あの母娘、バネッサ、シーモン、汪婆さん、レイア、牧羊犬……
……そして、空中庭園の所属ではない<color=#ff4e4eff>構造体</color>も、英雄のここまでの勇気を見届けていた
そう、まだあの<color=#ff4e4eff>構造体</color>がいた
赤色のあの姿を思い浮かべた瞬間、人間は足下がもつれて、地面に激しく倒れ込んだ
ひとつひとつの名前が、記憶の欠片が、その衝撃によって脳内からひとつずつ消え去っていく
同時に、救援に駆けつけた無数の手がこちらへ差し伸べられた――
ふと、頭の中に残った最後の疑問をなんとか捕まえ、必死に後ろを振り返った
ロープは、こんなにも長かっただろうか?
人間はロープの先を見た
乱雑に断ち切られ、血液と循環液にまみれたロープが地面の上にあった。あの姿だけがそこにない
……
…………アハ……
傷だらけの構造体は1体の侵蝕体を振り払い、再び立ち上がった
意識海は、未来のあの人のマインドビーコンと繋がっていた。それは驚くほど安定し、安心感に満ちていた。長年の鍛錬を経て、やはりあの人はより素晴らしい存在へと成長した
彼女はビーコンを通じて、微かな痛みすら感じることができた。そう、彼女の「指揮官ちゃま」は、今できる限りのことを必死にしている
全部、わかってる
前方の基地から、今にも消えそうな口笛が響いてきた。あの人間が彼女を呼んでいる。だが彼女にはそれに応える暇はなかった
そんなに怒らないで、悲しまないでいい……
あなたと私の関係がなんとなく雑に始まるのは決まっていたこと……実際、そうだったわ
でも、私たちには尽きないほどの「悔い」があった。だからもがき続けた。そしてついに、未来のどこかで物語の続編を迎えたの
だからこそ言える。これは悲劇なんかじゃないわ
彼女は槍をへし折り、両手持ちにして武器を振るった。炎が降り積もった雪をかき乱す
それは、彼女が信念を貫いた物語に捧げる剣舞だった
たとえ胸の「命」が流れ出そうとも、たとえ意識海から湧き上がる闇が彼女を呑み込もうとも、彼女は止まろうとしなかった
「悲しんでいいのは1秒だけ」……
1秒経ったら、私はまた戻るから
データ同期中:98%