遺伝子保管施設の奥にある部屋で、痩せ細った老人が興奮気味に目の前の棚をなでていた
棚には彼の大切な成果が並んでおり、特製の培養液の中でゆっくりと脈打ち、蠢いている
私の最初の子……「イヴ」はもう無事に外へ旅立った。次はお前たちの番だ
お前たちも生まれたら、「イヴ」の後に続くがいい。あの子が手に入れた全てを惜しみなく分け与えてくれる。お前たちはともに新たな人類へと進化するんだ……
どうして、進化が予定より早く始まっているのですか?
昇格者の声を耳にした老人は手の動きをぴたりと止めて、サッと振り返った
エビアティス、君こそ、なぜ予定より早く戻ってきた?
君が求めていたあの人間も連れてきていないじゃないか……その体も新しいが、前の肉体は壊されたんだな?道中、相当苦労したと見える
先に私の質問に答えてください。なぜそんなに急いだのですか?
私はグレイレイヴン指揮官を連れてきていない。それなら、一体誰の遺伝子を触媒に?
昇格者が1歩近付くと、圧迫感が部屋全体を包み込んだ
……ハ……ハハハ……
老人は怯えるどころか、逆にこらえきれずに笑い声を漏らした
まさか気付いていなかったのか?使ったのは、私の胚胎だ。他人の遺伝子などの不純物が一切混ざらない、完全なる「私自身」――私こそがあの子たちの創造主なんだ!
老人の哄笑は止まらず、自らの行為におおいに満足しているらしい
君が去ってから、私は「空洞」に更に胚胎を積み重ねた。数え切れないほどにな。もし全部孵化すれば……この島の力だけで、外の家畜どもを十分震え上がらせられる……ハハ!
……
部屋の隅に潜んで、会話を「盗み聞き」していたふたりは冷や汗を流した
ハニフは息をひそめながら、何度も人間に目配せをした
もし、その胚胎が全て孵化し、それら全てが「イヴ」に同化されたら……
突然、懐の中の位置特定装置が微かに震え始めた
そっと俯いて見ると、点滅する赤い光点がこの場所へ近付きつつある
一方、昇格者は老人の言葉を聞き終えると、眉をひそめて目を閉じた
……やはり、あなたの妄想癖を甘く見すぎていたようですね
……どういうことだ?
あなたの狂気は重大な誤りを引き起こしました。あの「イヴ」の現在の状態は、私が望んだものではない。「空洞」内に更に胚胎を準備したことも、全て誤ったやり方です
昇格者は狂人とそれ以上語るつもりはなく、ヘインズのやり方を否定し、立ち去りかけた――だがその時、ヘインズが叫んだ
私は狂人などではない――!
老人は激しく取り乱し始めた
エビアティス、まさか私を拒むのか!?
進化の果てを見たいとは思わないのか?
これまで私たちは同じ目標を持つ協力者でした。しかし、道を違える時が来たようです
あなたが求めているのは純粋な進化ではない。人類文明が進化しようがしまいが、あなたはどうでもいいのでしょう
あなたは自分を「ザンブラの亡命王」だと妄信し、自分を崇拝する国を築き上げたいだけ。何かをよくしようとするでもなく、この方法で自分が正しいと証明したいんです
……ですが、今ならまだ間に合います。あの人間を連れてくれば、進化は正しい軌道に戻せるはずです
あんな家畜のクソでできたような「人類文明」に、一体何を進化させる必要がある?間違っているのは君の方だ!
老人は大声で反論した
昇格者よ、君は自分のその新しい体がどうやって作られたか、わかっているだろう!?
ここまで、そのガラクタの体を守ってきてやってたのは私だ!その気になれば、君に残された躯体など、いつだって壊せるんだ!
発狂して他の機体を壊そうが無駄ですよ。あなたの目の前に立っているこの体も、パニシングで作った「操り人形」です。もう……私本人があなたと直接会って話すことはない
我々の協力関係はここで終わりです、ヘイン……
昇格者は途中で言葉を止め、部屋の隅を振り返った
虫ケラのようにそこに隠れ……欲しかった答えは得られましたか?
昇格者は、盗み聞きしていたふたりがすぐに飛び出すかと構えたが、意外にもその場は静まり返っていた
……
ふたりは昇格者が暴いた内容を全て聞いていたが、どちらも動かなかった
冷や汗が地面にポタリと滴る音でさえ、はっきりと聞こえそうだ
動かないのではなく、動けない――今、まさにふたりが探していた「イヴ」が現れ、人間の背後にぴったりと張りついていた
先ほど人間は位置特定装置の赤い光点が自分の場所と素早く重なるのを目にした――ゆっくり振り返ると、まだ完全に進化しきっていない顔が、まさに自分の背後にあった
今は動くな……近すぎる……
だが、ふたりの予想に反し、イヴも同時に「手」を上げ、人間の動きとまったく同じように、自分の何もない「腰」に手を伸ばした
何だコイツ……どうなってるんだ……
人間の足首の傷はまだ鈍く痛みを放っていた。つい先ほど、この相手に「舐められた」感触が、まだ生々しく残っている
ここまで来たからには、姿を現しなさい――!
外で待ち構えていた昇格者は、ついにしびれを切らし、ふたりが身を潜めている棚を刀で一気に叩き斬った
人間はすぐさま反応し、ふたりへ銃弾を浴びせた。同時にハニフを連れてキャビネットの後ろから転がり出ると、硝煙が立ち込める中、扉を突き破るように脱出した
しかし、「イヴ」はなぜか人間に攻撃を仕掛けてこなかった。イヴは状況が急変したと同時に、甲高い叫び声を上げ、外へ走り出ていった
待て、1秒くれ!ここの「子供」をあいつに渡しちゃダメだ!
そう言ってハニフは銃口を上げ、目に映る全ての棚を、正体のわからない薬品や容器もろとも破壊した
貴様――
じゃあな、ジジイ!二度と会うかよ!
ハニフは銃口をゆらゆらと振って痩せ細った老人の前で大げさに別れの挨拶をし、人間の後に続いて煙幕弾の中へ姿を消した
さっきの異合生物は狂ったのか?あれが「イヴ」だよな?
ふたりは「イヴ」が残した地面の湿った痕をたどって走った。ヴィラを背負った人間は飛ぶように考えを巡らせたが、答えは出ない
だがそれ以外にも、難題は次々と目の前に押し寄せた
ああ、バッチリな!昇格者にはまだ何体も体があって、あのジジイにはまだ大勢の「子供」がいる。それから「空洞」とやらには、大量の胚胎――異合生物予備軍がいる!
更にヤバいことに、あの昇格者はまだあんたを狙ってる!
話を聞く限り、現状は俺たちの予想の100倍はヤバいぞ!
マジで運が悪すぎる……前には意味不明な異合生物、後ろにはしぶとい昇格者……
これでもかなり焦ってんだ!こんなことは初めてだ、生きた心地がしない!
まだ腰を抜かしてないのは、「来るべきものは避けられない」って思ってるからだ!
ずっと泥の中を這い回ってきた俺みたいな人間は、何か信じなきゃ、もう本当に終わっちまうんだよ
でもな、俺にはもうひとつ、信条がある……
その瞬間、振り返ったハニフの視線が流れ星のように光った
カチャ――弾が装填され、即座に照準を合わせる
「来るべき」厄介なものは確かに避けられない……だが、それを泥の中に叩き込むかどうかは、俺が決められる!
伏せろ!!
火花とともに銃口から噴き出した強化弾が、先頭に現れた数体の異合生物の顔面を精確に撃ち抜き、汚らしい肉片を撒き散らした
異合生物がまた出てきやがった!やっぱりな。このヤバさは俺たちの予想の……120倍だな!
ハニフの発砲はあまりにも突然で、人間すら避けそこなって体がふらついた。背負ったヴィラへの衝撃をなんとか和らげようとしながら、地面に転がった
……
マインドビーコンが僅かに反応し、ヴィラの沈黙していた意識海が微かに動いた――機体データの同期速度がある閾値を越えたのか、急激に加速し始めた
ヴィラのデータは、どこまで同期された!?異合生物が多すぎる、彼女の戦力が必要だ!
データ同期プロセスは90%のところで一瞬停滞したが、その後は目に見えるほど速度を増していった
そりゃサイコーに素晴らしい知らせだ!
ヴィラの意識海で何が起きているのかを探る余裕もなく、歯を食いしばって起き上がろうとした時、マインドビーコンに温かさが伝わってきた――
まるでそれは炎の塊だった。「マインドビーコンがデータをリードする」状態から一転、「データがマインドビーコンを巻き込み猛スピードで駆ける」感覚に変わった
マインドビーコンの探索を通して、人間の目の前を時折、ぼんやりとヴィラの記憶データの断片がよぎる……
断片の中に、見覚えのある姿が頻繁に現れていた。衝撃的だが、深く考えることはできない――その姿はまるで鏡に映ったような、自分自身だった
昇格者が追いついてこない内に、異合生物たちを片付ければ、まだチャンスはある!どいつが「イヴ」か確認してくれ!この中に紛れている気がする!
頭の中にまた鈍痛が走り、人間は頭の古傷の跡を押さえた――この傷ができた詳しい経緯を知る者はいない。本人すらも、卒業前にできた傷としかわかっていない
おい、今度は何だよ!こんなとこでヘマなんてしてられないぞ!
しかし、ハニフの言葉が終わらない内に、見覚えのある灰色の髪の昇格者が廊下の角に現れた
あなたたちを殺すつもりはありません……
本気で言ってるのかよ?異合生物たちは今まさに暴れ狂ってるんだぞ!?
……[player name]、友好的に招待するのはこれが最後です
さっきの老人とはある意味、目的を共有していましたが、あなたたちも聞いた通り私が動き出す前に、彼はすでに別の人間の遺伝子サンプルで進化を促進してしまった
異合生物たちはまだ進化途中ですが、ほとんどは未完成で、方向性も大きく逸れている……
何だそりゃ?「悪役同士」の内輪揉めか?
痛みをこらえ、ヴィラを下ろして昇格者と向き合った――マインドビーコンはヴィラの記憶データの断片を「読み」続け、目の前の出来事が別の物語と絡み合うかのようだ
酷く混乱しながら、ふたりはその混乱を共有し合っていた
[player name]、あなたにはこの「進化」を正しい道へ導く触媒になっていただきたい
遠くに立っている昇格者は、人間に向かって手を差し伸べ、再びその言葉を口にした
素早く考えを巡らせていたのは人間だけではない――ハニフも何か思いついたようで、素早く人間に近付き、小声で囁いた
聞いたか?外にいた時から言おうとしたが……パニシングにとってあんたはただの餌で触媒、その上クソまみれの堆肥だ。人間とは思われてない。昇格者の話に耳を貸すな
ちょっと思いついたんだが……もうひと芝居、打ってみないか?
多少セコイが、試す価値はある。俺が確信してるのは……あんたは昇格者にとってとても重要な存在だってことだ!
状況は急転直下し――味方の銃口が、人間のこめかみに押し当てられた。ハニフの手が人間の首をがっちりと押さえ込んだ
ハニフが昇格者に向かって声を上げた
あいにく、俺はこの指揮官の腰巾着じゃないんでね!むしろ逆だ。俺は黒野の人間だ、俺もこいつに興味がある
ハニフは胸元を大きく開き、黒野のロゴを堂々と昇格者に見せつけた
昇格者、空中庭園をずっと観察してたなら、俺の言葉が嘘じゃないとわかるだろう?黒野も人工的に「首席」を作りたがってる。こいつの体、遺伝子、記憶……どれもが重要だ
それに、俺はよーくわかってるんだ。極度に危険な状況下で、グレイレイヴン指揮官を手に入れられない場合、殺害するのが最善だってことをな
……俺は、恨みを持ち越さない主義でね。グレイレイヴン指揮官、オーロラ部隊の目の前で、よくも俺を絞め殺そうとしてくれたな。あの借りを、今ここで返してやる
……
伏せなさい、子供たち
異合生物たちは本能の衝動を抑えきれずにいたが、昇格者の圧倒的な威圧を受けて地面に伏せた
ただし、1体だけは違った――昇格者の命令に身を震わせながらも、なぜか立ったままの個体がいる
その生物に目はなかったが、それでも人間は自分に向けられている「視線」を感じた
ハニフは人間を人質にしながらゆっくりと後退し、徐々に安全な距離を取っていった
それでいい、昇格者。すぐにその狂った異合生物どもを下がらせろ。でないとあんたも俺も、欲しいものが手に入らないぞ
昇格者は黙ってハニフの動きを見つめ、何の反応もしなかった――しかし、人間は不気味な緊張感を覚えた。まるで心臓を鷲掴みにされ、無理やり動かされているような
[player name]……すぐに安全な場所まで退け……
ハニフの視線が人間の顔へと移る――ハニフの意図を察したが、すぐに声を上げて止めようとした
ぐっ!!!
しかし全てが手遅れだった――昇格者は激しく渦巻くパニシングを錐のように凝縮させ、銃を持つハニフの右前腕を一瞬で吹き飛ばした
血肉と骨は蒸発したかのように空気中に消え、恐ろしいほどえぐれた傷と、辺り一面に飛び散った濃厚な血の匂いだけが残った
………………ぐああああッ――!!!
地面に伏せていた異合生物たちは興奮して咆哮し、空中に漂う血飛沫を舐め取ろうと頭を持ち上げた
ハニフは激痛のあまり手を離し、思わず膝をついた。向かい合う昇格者は、滑稽な芝居を見終えたとでもいうように、微動だにしなかった
そうやってグレイレイヴン指揮官を連れて逃げるつもりでしたか?あのヘインズと同じだ、まったく小賢しい
私はあるひとつの真理を知っています。それは、「絶対的な実力の前では、どんな策も無価値だ」ということです
昇格者は誘うように伸ばしていた手を引っ込めると、人間と壁際に横たわるヴィラに狙いを定めた
人間がヴィラの前に身を投げ出すと同時に――また繰り出された1発が、人間のふくらはぎの腱を貫いた
動脈から鮮血が噴き出し、ズボンの裾が瞬く間に真っ赤に染まる
脳に叩き込んでいた応急処置の手順通りに、ふくらはぎの傷口を押さえた
事態は急速に悪化し、より重傷の負傷者が背後でうめき声を上げていた。鈍痛を伴うマインドビーコンも、目の前のヴィラのデータの同期進度をフィードバックしてくる
94%……
う、ああ……
ハニフはいまだ苦痛の中にあり、昇格者と異合生物の脅威はなおも迫りつつある。全身が冷や汗まみれだったが、痛みのお陰で思考はかえって冴え渡っていた
視線の先にいる昇格者の背後に、イヴが立っていた。まるで猿のように、ふくらはぎを押さえる人間の動作を真似ており、全身を震わせて痛みを感じるふりをしている
すると、他の異合生物たちも震え始めた。一部の異合生物は、次第に昇格者の命令を振り切り、イヴと同じように人間の動きをおぞましくも滑稽に模倣し始めている
昇格者が近付いてきた
すまないが、あなたの行動を制限させていただく……
カチッ――人間は、たった今地面に叩きつけられた銃を素早く拾い上げた
無駄だ……逃げろ!今すぐ!!
彼の言う通りです。その類いの物は私には何の効果もありません
人間の視線はせわしなく昇格者とその傍らの異合生物の間を行き来し――突如、狂気じみた考えが脳裏に閃いた
昇格者を攻撃することはせず、銃口を自分に突きつけた
……
……ッ……正気かよ……
本気で自殺を盾に、私を脅すつもりですか?
昇格者は人間の反応に少し失望していた
異合生物たちは忠実に人間の模倣を続けている。鋭利な手や足の先を自らの頭に突きつけている様子は、皮肉でしかない
更にイヴの「口元」には、人間のズボンの裾だった灰色の布切れが引っかかっている
銃をまだ自分に向けているんです、よそ見はよくない
自分を大切にしなければ。この先、あなたはあれらの母体となり、進化の源となるのですから……足もかなり痛んでいるでしょう?
最後まで話す必要はありません。あなたはもう結末を察したでしょう?無駄話はしたくない、銃を下ろしてください
全員の心をまだ激しい痛みが苛んでいる。人間が僅かに首を傾け、こめかみに熱い銃口をぐっと押し当てると、皮膚に赤い円形の跡が残った
同時に、模倣が得意な異合生物たちもイヴの動きに従い、揃って小さく首を傾けた
もう一度言います――銃を下ろしなさい。3度目はありません。次はあなたの腕を吹き飛ばします
人間は突然、ヴィラとハニフを引きずって素早く後退し、銃口をしっかりと昇格者に向けた
逃げもしないで……気でも触れちまったのか……!?全員イカれてる!!
そんなものあいつには効かないって言ってるだろ!どけって!!
ハニフは残った半分の腕を押さえながら、またもやヴィラと人間の前に身を投げだそうとした
バンッ――
全てがスローモーションのようだった。ハニフはゆっくりと前方へ飛び出して再び身を挺し、憤怒する昇格者の攻撃から、怒りを買った人間を庇おうとしていた
そして、誰もが「完全に役に立たない」と思った弾丸が、固執する人間によって引き金を引かれ、発射された
弾丸はパニシングと血の臭いに満ちた空気を引き裂き、それをまったく気にしていない昇格者に向かって飛んだ
無駄です!
ふくらはぎからは血が流れ続けていたが、人間はそれでも立ち続け、これまで押し殺していた感情を爆発させるように、昇格者に向かって怒鳴った
無意味な弾丸は昇格者の顔の前で止まり、パニシングによって木っ端微塵に砕かれる
――だがその時、昇格者の側に立っていた「イヴ」が、突然飛びかかった
人間が真似る銃声を聞いたイヴは「興奮」して身をよじった。そして威圧と喉の唸り声をこらえながら、弾丸が狙った場所へ鋭い「手」を突き出し――昇格者の胸を貫いた
お母さん<//お父さん>……
!!!
スローモーションのようだった時間の流れは元に戻り、世界の形勢は一瞬にして逆転した
昇格者は「イヴ」に足止めされ、その場から動けずにいる。人間はその一瞬の隙に、1本と半分の腕しかないハニフをすぐさま地面から助け起こした
あんた……
反抗の炎は消えず、まだめらめらと激しく燃えている。人間は昇格者に残りの弾を容赦なく放った
次の瞬間、イヴだけではなく、イヴに同化した全ての異合生物が一斉に暴走し、粘りつく深紅の波のように激しく押し寄せ、凄まじい速度で昇格者を呑み込んだ
異合生物たちが最も特殊なイヴのリードに従っているとわかっていても、この凄絶な光景を前にすると、心がざわつくのは避けられなかった
こいつら、正気じゃないのか!?
正気を保ってるなら、どうして昇格者を殺そうとしたんだ?誰の真似をした?あんたか?
群がる異合生物たちの咀嚼音の中、人間は額の冷や汗をぬぐうと、素早く脚部の外骨格を外し、携帯していた応急処置素材と一緒にハニフへ押しつけた
……どういう意味だ?あんたはどうすんだよ!?
人間が振り返って目をやるとやはり、イヴはすでに昇格者の残骸から身を起こし、首を傾けてこちらを「見て」いた
ヴィラの様子がおかしいことはわかってるだろ!?もし彼女が目を覚まさなかったら、あんたはこのまま死を待つだけだぞ!
あんたの考えはこうだ――もしイヴを始末できなくても、俺が「空洞」の中の胚胎を破壊する時間くらいは稼げる……そうすればこの異合生物たちも、手に負えなくはない……
でも、それを最後までやりぬく英雄はあんたのはずだ!どうして……
今はこれが最善の選択だとわかっていても、ハニフは訊かずにはいられなかった
彼は目を真っ赤にして目の前の人物を見つめた。何度も災厄を経験し生き抜いた唯一の英雄が、なぜこんなにあっさりと次のチャンスを自分に託せるのか、理解できなかった
「影」の場所で出番を待っていたのは……俺なのに……
人間はハニフの顔を強く叩き、腕を失った激痛の中から無理やり意識を引き戻した
蟻は群れを成して火の海を渡る。誰かが一番外側の殻になることを選ばなければならない
無理やり深呼吸させられたハニフは、最後に人間の傷ついた足に目を向け、外骨格を拾い上げて装着した
…………マジで嫌なんだよ……英雄になるなんて
……ハッ、お見通しってか……!
よし、復唱するぞ――もしあんたとヴィラに何かあったら、任務は俺が引き継ぐ!
ハニフは歯を食いしばって言葉を繰り返した
「空洞」に残っている胚胎は、俺が必ず破壊する。絶対にこれ以上災厄を拡大させたりしない!