薄暗い一角に、数体のホログラムが次々と映し出された
影たちは円卓を取り囲み、無言のまま互いを見つめ、身分を確認し合っていた
ひとりがまだだ、少し待とう
……
1分ほどすぎたところで、会議の主催者は皆の沈黙の中で何かを察し、口を開いた
あいつは一体どこへ……もう少し待つか?
あの隅に座っていた爺さんか?昨日死んだよ
……
俺ばかり見ないでほしいね。こっちも知ったばかりで、葬式がどうなるのかもわからない
最近、黒野の上層部が相次いで殺されている。妙なプロジェクトに関わった報いかもな。多分、誰も爺さんの葬式を盛大にやることなんてできやしないさ
静かに
若者は素直に静かになり、軽薄な皮肉も一緒に消えた
では本題に入る。まずは最近の一連の殺害事件を追跡している担当者から話してもらおう
こちらの情報では……オーロラ部隊からも1小隊が派遣され、協力任務に当たっているようだ。その責任者にもご説明を願おう
了解、資源を無償で提供するわけにはいかないからな
静粛に!君の発言は許可していない
違うね、責任者ってのは俺なんでね
若者の声には、嫌味ったらしい響きが混じっていた。彼はそう言いながら、自分のホログラム投影の権限をオンにした
次の瞬間、会議に出席している全員の前に、彼の顔と――彼の周囲が映し出された
彼はまるで監獄のような場所で、奇妙な網の山に埋もれて座っていた。頭上の錆びついた鉄柵にはなぜか干された塩漬けの魚がぶら下がっている
……君はどこにいるんだ?
そんなことはいい、後でちゃんと説明する。まずは自己紹介からだ。まだ俺のことを知らない人もいるだろうしな
俺はハニフ。今は黒野本部所属だ。仕事内容は……オーロラ部隊のいくつかの小分隊の面倒を見てる感じだ。もともとあの飛行要塞の秘密部隊だったが、ずいぶん前に分離された
……本題に入れ
最近、チームを率いてこの件を調査してるんだが――どうも黒野を極端に憎んでいるやつが、こっちを片っ端から暗殺しているようだ
いや、「暗殺」じゃないな、派手に次の標的を予告してくるから。そら見ろ、そんな風に皆がビクビクするんだ。「次は自分かも」ってな、ハハハッ
ハニフのホログラム映像は、大袈裟な身振りで、無遠慮に出席者たちを指差した
この犯人がまた、闇に潜む幽霊みたいなやつでね。正直、何の情報も掴めてない
何だと……
――しかしだ、俺はすでに犯人の正体を特定できる大きな手がかりを発見した!
最近の被害者たちの遺体から、極めて強いパニシング反応が検出されたんだ。今まで昇格者の近くでしか検出されなかったレベルのパニシング反応だ
ハニフのその言葉を聞き、会議室内が小さくざわめいた
ホログラムの映像たちはヒソヒソと囁き合い、ある者は差し迫った危機への対応策を議論し、またある者は犯人が「昇格者の可能性」もあると興奮した
議論はまだ早い。まだ発見できていない昇格者であれ、あるいは操作された何らかのパニシングの造物であれ……標的は俺たちだ。まずは我が身の安全を心配した方がいい
相手はこちらに迫りつつある。それに黒野の内部事情に精通してるようだ。つい最近、俺が所属するオーロラ部隊の基地まで突き止められてしまった
数日前、任務に出たオーロラ部隊のメンバー数名の遺体が、俺のもとに「お届け」された。それにはある特殊なメッセージが添えられていた。ここにいるお歴々宛てにだ
ハニフは咳払いをした
敵はある船を名指しで要求している。ダイダロス社が残した「小型実験船」だ。皆さん、心当たりは?
敵からの具体的な要求を聞いた途端、先ほどまでとは打って変わって、全員が静まりかえった
ハニフは重苦しい沈黙の中で更に情報を補足した
わかった、俺が話そう。その船はもともと、カッパーフィールド傘下の小さな医療バイオ企業が所有していたものだ
俺の知る限り、会社は経営不振だったようだ。黄金時代末期、パニシングの爆発が起こる前に、かつて黒野グループ傘下だったダイダロス社に丸ごと買収されている
問題の小型船は取るに足らない資産だったはずだが、なぜか使用権まで含めて「厳密に」譲渡されていた
しかも、その船はパニシング爆発後に多くの航行ルートを追加した。当時のダイダロスは、その船で何か重要な物資を運んでいたと俺は推測している
何を運んでたか知らないが、ここにいる皆さんは俺よりも年長者だ。その顔を見るに、俺よりずっと多くのことを知ってそうだな。え?
……
おっと、あんたが言おうとしてることはわかる――だが、まずは最後まで話させてくれ。あの船を調査したところ、なかなか重要な情報を手に入れたもんでね
船には特別な「鍵」があり、その鍵がないとまったく起動できない仕組みだ。しかもダイダロス社は黒野から分離した際、わざわざ予備の鍵を作って持ち出している
黒野本部は何年にもわたって、その違法に作られた予備の「鍵」を回収しようとしていたらしい。黒野特殊作戦班の有望な構造体小隊を派遣したほどだったが……
結果は、ほぼ敗北
ハニフの「大げさ」な演説に頭が痛くなったのか、何人かの黒野メンバーは額に手を当てている
あの船については、なにぶん相当昔の話で、絡んでいる事情も複雑だ。しかし、それと最近の事件は関係ないはずだ……
何しろ、あの件の関係者で生きている人間……いや、生きている構造体といえば、ひとりしかいない
それはつまり、今の黒野もその「鍵」を持ち出すつもりはないってことか?
はぁ……無駄に歳を食ってるのに、役に立ちそうにもないな
……
俺には鍵が必要なのに?俺はこの件を調べたいし、敵はまさにその船を名指しで要求している。なのに、あんたたちはまともな情報すら教えないつもりか?
黒い影たちは更に深く黙り込むだけだった
本気で教えるつもりはないみたいだな。俺に「条件がないなら、条件を作れ」ということか?
よし、わかった。さっきの話、俺はまだ半分しかしゃべっちゃいないからな。補足させてもらおう
ハニフは皆の視線の中で眉を吊り上げた
敵が黒野の内部事情に詳しいという証拠がもうひとつある。どうやらこの情報は、空中庭園にも共有されているらしい
空中庭園はすぐに「鍵」の回収に人員を派遣した。こちらの本物の鍵には期待しちゃいない。ダイダロスが作った予備の鍵を探している。恐らくあの船を本格的に研究するつもりだ
黒野は当時、回収に失敗したが、空中庭園なら見つけるかもしれないな
…………
会議は数秒間、沈黙に包まれた。「講釈」のようなハニフのおしゃべりは、ついに会議主催者の怒りを買った
……それほど重要な話は会議の冒頭で話すべきだ!まだ話していない情報があるのか?なら今すぐ全部話せ!ここはお前の遊び場じゃない!
はいはい、全部まとめて言ってやるよ!
ハニフは大きく息を吸い込んだ――
調べたところ、空中庭園が派遣したのは、かつて黒野特殊作戦班に所属していた構造体<b><ud><color=#34aff8ff><link=21>「ヴィラ」</link></color></ud></b>だ。彼女こそ当時「予備鍵回収作戦」に参加した構造体唯一の生き残りだ
このヴィラという構造体、とんでもなく有能で、感心するばかりだよ!彼女がことを大きく進めさせた。まずは当時、彼女たちの特殊作戦を失敗に追い込んだ裏切り者を捕まえ――
裏切り者の口をこじ開けたらしい。つまり予備「鍵」の在り処を突き止めた可能性が非常に高い――この会議が始まるよりも前に、だ
それどころか、船すら見つけているかもしれない!今頃彼女は、船を操縦して海に出ているかもしれないぞ!
「かもしれない」だと?それはすでに事実なんだろう、ハニフ!
――まだある!空中庭園はこの任務を非常に重要視し、なんとグレイレイヴン指揮官まで極秘に派遣されたとか……
ハニフ!!!
まだ終わってない!一気に話してる途中なんだよ!
まあ、落ち着けって。「重要な任務をほったらかし、ふたりの行動をポカンと見ていた能無し」のくせに、俺を責めるな……俺の仕事ぶりだって悪くないぜ?
俺は首を突っ込むタイミングを逃さず、空中庭園の行動に全面的に関わり、ヴィラとあの指揮官を大いにサポートしてやったんだ
予備の「鍵」や船を見つけられたのは、俺――つまり、黒野の貢献あっての成果だといえる
今は空中庭園の方から、黒野が提供する関連資料を受け取る意思を示している……どうやら、これから俺たちは空中庭園と楽しく協力し合うことになりそうだ
……
ふぅ!よし、進捗報告は一気に話したぜ!ことここに至って、あんた方も、昔を振り返ってみる気になっただろ――いや、振り返らざるを得ないよな?
あの実験船は一体どこへ向かうんだ?自動航行システムに目的地は記録されていなかった……つまり、その目的地こそ、あんた方が本当に隠したい情報なんじゃないか?
ハニフの「おふざけ」への怒りがくすぶるも、「ことここに至る」というひと言が、出席者たちの耳に残った。だが当のハニフ本人は、オウムのようにまだ「講釈」を垂れ続けた
黒野の議会内での影響力は、以前ほどじゃない。しかも議会側は各ラボの管理制度や倫理監査体制を強化し、更に粛清部隊や倫理委員会、専門の監査チームの動きも活発だ
アドバイスするなら、皆さんも、手を引くなら早い方がいいってこった。空中庭園と手を組むのが、恐らく一番マシ……
ブツッ――
耐えきれなくなった主催者は、おしゃべりオウムのマイクを切った。ハニフの投影はまだ口を騒がしく動かしていたが、会議室内に響くのはマイクのノイズ音だけだ
この件についてはできるだけ早く協議し、採決を取る。だが現時点で、君がオーロラ部隊を連れて勝手な行動をすることは禁ずる
それに……
主催者は眉をひそめて発言を止めた。投影されたハニフが両手を振り上げ、必死に何か伝えようとしていたからだ
ひどく焦っているようだ
話は終わったんじゃないのか?まだ何か話すことが……
主催者は再びハニフの音声をオンにした。先ほどの騒がしい声が一気に会議室内に流れ込んでくる
俺は「勝手な行動」なんて絶対にしてない!
……?
あの赤髪の狂った女に、船へと連れ去られたんだ――そう、俺は今、その船の上にいる
俺たちは今、未知の地点へと自動航行中だ。空中庭園の連中もルートを追ってる。あの様子じゃ、目的地を突き止めるまで引き下がらないつもり……
ブツッ――
ハニフ?ハニフ!
ハニフのホログラムは完全に消えた。ただし、今回は主催者が通信を切断したわけではない
赤髪の女性は禍々しい目でハニフを睨み、彼の端末を部屋の隅に叩きつけて、彼の会話を完全に終わらせた
黒野から訊き出せる情報は、大体聞いたわ。あなたもいい加減にしてよ、こっちの状況をどこまでしゃべるつもり?
……
「いい人」を演じるなら、最後までやり切りなさいよ?……そうでしょ?
ヴィラは隣を見た
すぐにでも見つけ出して、始末しなきゃならない。どんなやつだろうと、パニシングまみれの昇格者をこれ以上のさばらせるわけにはいかない
そうね、黒野が資料を提供すれば、空中庭園はもっと迅速にこの船の情報を手に入れられる。どこへ向かい、目的地に何があるのかもわかるはず……
ヴィラも頷いた
船内の灯りが、ヴィラと人間の影を長く大きく伸ばし、床に座り込んだハニフの上に重く影を落としていた
ハニフは目の前のふたりを交互に見やり、しばらくしてようやくひと言口にした
……さっきから訊きたかったんだが、あんたたち……ずっとそんな話し方なのか?
大きな波が船体にぶつかり、ハニフの問いに答えるように鈍い音が鳴り響いた
船は孤独に海を漂いながら、風と波に抗い、人知れぬ終着点へと向かっていた――だが、今の波はどこか普通ではなかった
シッ、何かいる
ヴィラは警戒し、眉根を寄せた
ここまでの航路記録は、全部空中庭園にリアルタイムで送ってるのよね?
端末を何度かタップしてみたが、まったく反応がない
チッ!
……何も起こってない時にこそ、何か起きるもんだろ?ってか、聞いたことがあるんだが、グレイレイヴン指揮官が任務に出るといつも……うぐっ!
掴まって!
ピピピピ――!
パニシング検知器が突如警報を鳴らし始めた。海もパニシング濃度に呼応するように不気味にうねり始める。船は波に煽られて大きく揺れ、全員が床へ倒れ込んだ
ハニフは足先をぶつけたらしく、次々と襲いくる激しい揺れのせいで立ち上がれずにいた
うっ!イタタ――
何かにしっかり掴まって。転んで体をぶつけても知らないわよ
船室の扉に激しく波が叩きつけられ、雷鳴のような音が響いた
ヴィラの顔がふと険しくなり、体勢を安定させながら船室の扉を睨み、すぐさま旗槍を構えた
……足が……
ドンドン――
……うるさいわね
ドンドン――
誰かが外から船室の扉を叩いているらしい
何がうるさいんだよ、さっきからずっと――
――黙って!
ヴィラは旗槍で船室の扉を一気に貫いた
!
フン……聞こえたのよ。汚いものが船体を這い上がってきた音がね
ヴィラは旗槍を引き抜き、足で扉を蹴り開けた。船外の通路には、確かに人型の何かが歪んだ姿勢のまま立っていた
「それ」の胸には、ヴィラが旗槍で突き刺した大穴がぽっかりと空いている
…………
一撃必殺
いいわ、もう問題ない
さあね。ただひとつ確かなのは――私たちが狙われてるってこと
ヴィラは旗槍の先で異合生物の残骸を跳ね飛ばし、船尾の廃棄物の山に放り込むと素早く扉を閉めた
もし、黒野の上層部を狩りまくってるやつが昇格者なら、これくらいやってのけて当然よ
あなたたちも気をつけなさい。今は空中庭園とも連絡が取れないし、自分たちの居場所すらわからない……
ドンドン――
その言葉も終わらぬ内に、また船室の扉が叩かれた――3人は一斉にヴィラが貫いた穴に目を向けた。穴から見えるのは濃霧のような未知の世界だ
人間は警報を鳴らし続ける検知器を握りしめ、ヴィラも再び旗槍を構えた
さっきは偶然かと思ってたが……聞き間違いじゃなければ、外にいるやつは「ノック」してるつもりなんじゃないか?
あら、礼儀正しいわね。お迎えして、お茶でもお出しする?
ふたりの会話を聞いた人間の胸に、ある奇妙な考えが芽生え始めた
?
ドンドン――
人間の提案に応じるように、扉の外の「未知」のものは、またもや「礼儀正しく」ノックしてきた
ドンドン――
しかし、ノックは人間の提案に「礼儀正しく」反論し、外からまたこちらの様子を探ってきた
フン、しつこいわね
スリルを味わいたいってこと?いいわよ。でも、責任は持たないから
ヴィラは顔をしかめて答えながらも、手を伸ばして扉を開けた
その瞬間、船を打つ波が、扉の前に立っていた人型の何かに降りかかった
……
ようこそ、中でお茶でもいかが?
ヴィラは笑顔を浮かべつつも、警戒して旗槍を異合生物に向けていた。異合生物はヴィラの誘いに応えるように、本当にゆっくりと動き出した
……ゴドー……
私……ゴドー
名前があるなんてご立派じゃない。ここに何しに来たの?誰の差し金?
ゴドーは何かを「考える」ように、じっとしばらくの間立ち尽くしていた
目的……ない
ただ……来た
もう……帰る
ゴドーは「足」を踏み出し、背後の海へと真っ直ぐ歩き出した。本当にその場から立ち去ろうとしているらしい
変なやつ……誰が帰っていいって言ったの?
ヴィラは再び投げつけた旗槍で謎の異合生物をひと突きし、船尾へと放り投げた。船尾の廃棄物の山に、新たな残骸が加わった
フン、友好的な交渉は終わり。異議は?
ヴィラは再び船室の扉を閉め、人間の方を見た
あいつら、人間の真似をしてるんじゃないか?
ドンドン――
……
今度の命知らずはどんなやつかしら――
ヴィラはイライラしながら船室の扉を開け、旗槍を高く振りかざした
待て!――怪しい者じゃない!
私……海上の……商人!交換して……
海上の商「人」?一体何を食べたら、そのナリで人になったなんて思えるの?
ほ、本当!商品……ある
異合生物が奇妙な体の中をゴソゴソと探ると、ナットがジャラジャラと音を立てて落ちた
ナット、たくさん。交換して……
船尾の荷物と……交換
3人の視線が船尾へと向けられる。そこには先ほど倒した2体の異合生物の残骸があった
断るわ
!!
何か遺言は?
断る……?断る?
……?
驚いた表情を浮かべるヴィラの前で、海上の商人は突然啜り泣き始めた
皆……仲間……友達……一緒に過ごした……何をして過ごした?楽しい時間?そう……友達!
軽率に、船に乗って、あなた、怒らせた。間違った、でも……
人間の言語体系に馴染めない異合生物は、「啜り泣き」ながらも、何とか文章を完成させようと言葉を紡いだ
――だからって……処刑!?
あんたたち異合生物を船の上で好き勝手に歩き回らせろって?1秒たりともパニシングの側にいたくないのに
違う!間違ってる!
間違っていても結構よ、ここでは私が正義。私の意に反するものは全部「悪」なの。処分したければ誰であろうと処分する。うだうだ言うなら、次に死ぬのはあんたよ
……間違ってる!特別、大きな間違い!
異合生物は次第に号泣し始めた
返して……残骸!残骸!残骸!
異合生物は理性が崩壊したように牙を剥き、手を振り回して暴れ始めた
いいわよ。返してほしいなら力ずくで奪ってみなさい。できるものならね
やはり……恐ろしい!横暴!理不尽!悪い!悪い女!!
ヴィラは旗槍を体の前に立て、僅かに前傾姿勢で身構えると、頭をクイッと傾け、挑発するように異合生物に手招きした
かかってきたら?
わああああッ……ギイィ!!
逆上した異合生物が大声で叫ぶと、海霧が沸騰したように立ち込め、漆黒の海面からボコボコと噴き出す泡が船の周りをぐるりと取り囲んだ
まるで、海そのものが「激昂」しているようだ
だから何よ!
それでいい!やつらを引きずり出せたってことよ!
暗がりに潜むやつらは、こうやって引きずり出すの――蜘蛛の巣を揺さぶるご挨拶は気に入ってくれたかしら?異合生物ちゃん
ヴィラはニタリと凶悪な笑みを浮かべ、手にしていた旗槍を思い切り投げつけた
ギィ――
旗槍の刃先が、異合生物をまさに貫こうとした瞬間――
海霧の中から伸びてきた手が、ヴィラの攻撃を阻止した
あら?
ヴィラは目を眇め、両者は武器を握ったまま膠着状態となった
海霧の中から、新たな人型の姿がゆっくりと現れた。今までの異形の異合生物たちとは違い、一見、彼は普通の構造体のように見える
彼の体からパニシング反応は検知されず、逆に急上昇していたパニシング濃度を鎮めたのか、混乱の拡大が収まった
また会いましたね、ヴィラ
異変を察知した人間は、薄れていく海霧に向かって銃を構えた
……
異変を察知した人間は、薄れていく海霧に向かって銃を構えた
……わかってる
「さん付け」はもうやめたの?ちょっとモノマネが下手なんじゃない?「ロイド」
人型をした姿は海霧の中から完全に現れ、先ほどの「向こう見ず」な異合生物に代わって、3人の前に立った
この姿を借りて皆さんの前に現れたことをお許しください……この方が、友好的に交流できると思いまして
ひとまず武器を下ろしてくれませんか。それは「私」から受け取ったものでしょう?
ヴィラの張りつめた体は、まったく緩まなかった
私は絶対に武器を手放さない――もし、死んだ人間がこんな形でまた目の前に現れるんだったら、最初からあなたたちを全員粉々にしておくべきだったわ
粉微塵にしたって無意味です。精神と意志さえ滅びなければ、英雄の模倣者は現れ続けます。そんなことに怒る必要はありません
それに、あなたも同じ「英雄のジレンマ」に陥っているようですね。その旗槍が一番の証拠です。私たちは本来、同類であるはず
最近、面白い噂を聞いたわよ――黒野の上層部がビクビクしてるってね。あれ、あなたの仕業?
はい
アハ、よくやってくれたわ。私の望み通り死んだやつもいるし。だけど、あなたは戦果を報告しにここに現れたわけじゃないんでしょう?
ヴィラの胸の奥から、微かに唸るような音が響き始めた。彼女はすでに戦闘準備が整っている
あなたたちとは戦いたくはありません。私は会話を望んでいるのです、グレイレイヴン指揮官
「ロイド」の視線は、ヴィラの背後にいる人間へと向けられた。ヴィラはサッと足を踏み出し、その視線を遮った
……わかりました。まずは私から誠意を示しましょう――私とふたつ取引をすれば、あなたたちは無事に陸へ戻れます。それにあなたたちの疑問にも答えましょう
昇格者ってのは、皆こんな風に口が上手いのか?こっちに選択肢なんてないってのに
ヴィラの視線が敵と味方の間を素早く行き交う。高濃度のパニシングを示す警報は鳴りやまず、この小さな船はすでに異合生物に完全に包囲されていた
ハニフの示唆は正しい――海上で昇格者と無謀な交戦をすれば、自ら生存率を下げるに等しい
取引……さっき海上商人だと名乗った異合生物は、あなたの真似をしていたの?
そうです。ですが、あれはパニシングの小さな産物にすぎません。せいぜい言葉をオウム返しする程度で、本当の「進化」とは呼べないものです
あの子たちの軽率な行動については謝ります。それに、船尾の2体の遺体についても目を瞑りましょう
波がうねり、船体を叩いた――たったこれほどの波でも、この小さな船を容易くひっくり返してしまうだろう
ヴィラは踏ん張って姿勢を保ち、ロイドから目を離さなかった
……取引の内容を。でも、あまり欲張らない方がいいわよ、「ロイド」
あなたはきっと同意するはず――私が欲しいのは「面白い物語」です
もしその物語に十分な価値があるなら、私は記録者となり、それを新たな伝説として編み上げるつもりです
……我々の指揮官、何か問題はありますか?
誰を自分の指揮官呼ばわりしてるのよ?突然身内ヅラしてくるなんて、見苦しいわね
いずれそうなります
彼の視線は人間を通り越し、更に遠くの海原へと向けられた
確かに、私はこの果てしない世界をあまりにも長く彷徨い……よければ、さほど面白くはありませんが、私から話をしましょう。それがきっかけになるかもしれませんから
「ロイド」は少し考え込んだ
そう……この世界のどこかの片隅で、毎日のように競い合っている人々がいます
彼らは、誰が最初に長い道の終点にたどり着き、その先にあるものを見れるのかを競い合っています
つまらない始まり方ね
もっと退屈なのはこの後ですよ――その競争に勝者はひとりもいません。見えなくなるまで走っていった誰かも、ひとりとして戻ってこなかったんです
話はこれで終わりです
確かに、後半はもっと退屈だったわね
ええ。作者が作品の打ち切りや大幅改変に納得できず、恨みを込めて仕上げた未完の話のようなものです
この話で、取引に応じてもらえますか?
いいわよ。じゃあ私も今の話に見合ったくだらない話を聞かせてあげるわ
ヴィラは旗槍に寄りかかった
物語の主人公は……ある優秀な殺し屋よ。彼女に任務を任せれば、失敗することはない
彼女はある災厄の中で、なぜか善意を示す人物に助けられた。だけど、その人物は善意の行動のせいで重傷を負ってしまった
なるほど。彼女は「借り」を作ってしまった、と
そうかもね。その人はなんとか一命を取り留めたけど、腹部と脳に大ダメージを負った。殺し屋は勝手に善意を発揮した厄介者の面倒を見ながら、任務を続けるしかなった
とにかく、全てが面倒なことになった。殺し屋が今まで経験したことのないほどの面倒事よ
それで、どうなったんですか?
「ロイド」は、この物語に興味が湧いたようだ
それから……災厄は臨時の医療拠点にも広がり、殺し屋はその善意の厄介者を引きずって逃げるしかなかった。行き先もわからないままにね
その後は?
すると、突然ヴィラは背後の人間の方を振り返った
その後は?
そうよ、あなたに訊いてるの。続きを知ってる?
聞いた?続きはないんだって。物語はこれでおしまい
起承転結もはっきりしない話ですね……
ええそうよ、あなたが適当に終わらせた話と同じ。これでおあいこ。というか、はなっから誰も真剣に取引なんかしてないのよ、あなたも含めてね
どうせ次もウンザリするような嘘くさい取引なんでしょ?さっさと言いなさいよ
……
ロイドは手を上げて人間を指差した
私はグレイレイヴン指揮官が必要です。この人物が消えることはなく、今よりもっとよくなると保証しますよ
……アハハ
ヴィラは再び旗槍を構え、とんだお笑い種だとでもいうように笑いながら首を振った
こうなるとわかってたら、最初から無駄話なんてしなかったのに
皆の時間をこれだけ無駄にしておいて、どう補償するの?――下手くそなロイドのそっくりさん!
ヴィラが投げつけた旗槍は、サッと身をかわした彼の耳元をかすめ、甲板に突き刺さった。的を外したその巨大な力は、旗槍の柄の振動とともに消えた
真実はあなたの認識と完全に真逆です。この名前は、もともと私のものでした
くだらない話はもういい!さっさと私の目の前から消えなさい!
またひと筋の稲妻が落ちたのに乗じてヴィラは振り返り、人間に向かって叫んだ
操縦室に行って通信を再接続して!私が援護する!
人間は船の揺れが少し安定したタイミングを見計らい、素早く飛び出した
しかし、昇格者は哀れむような視線を投げかけた
そんなあがきを、もう何度も見てきました……もしそれがうまくいったなら、私もこうはならなかった
やめてください、人間
ロイドは雷光と雨の帳の中から歩きだした。ヴィラがつけた傷が体中に刻まれていたが、彼の行動にはまったく影響がなかった
雨が降りしきる中、彼の手に握られた大鎌が高々と振り上げられた
裁断
ドォン!!
大鎌の刃が船体の中央を真っ直ぐに裂き、海水が一気に噴き出した
瞬時に人間は周囲を見回した。ヴィラは険しい顔でこちら側に飛び込み、ハニフは誰にも助けてもらえないと察したのか、頑丈なパイプを必死に抱きしめていた
今、最も危険な状況にあるのは自分だ
すぐにヴィラの方へ手を伸ばした
ザバーン――
しかしその手は間に合わず、ふくれあがった海水が人間を包み込み、そのまま一気に海へと引きずり込んだ
息を止めるのには間に合ったが、船の下に群がる異合生物たちは、誰ひとり見逃す気などなかった
異合生物たちは命令されているのか、原始的な本能を抑え込み、すぐに噛み殺そうとはしなかった。それでも人間が抜いた刃だけは打ち砕いてきた
更に1体の異合生物が上着を掴み、海の底に向かって強く引きずり込んだ
口からゴボゴボと溢れた泡が次々と上へと浮かんでいくが、水面がどこにあるのか、もうわからない
もがく力は次第に弱まり、視界は暗くなっていく。思わず口を開けて息を吸おうとしたが、肺に流れ込むのは塩辛い海水だけで、咳き込むことさえできない
人間は窒息し溺れ死のうとしていた
人間はやがてもがくことなく、水中に漂ったまま停止した
最後に目の前をよぎった映像は、上から降ってくるような混沌とした泡の塊だった――まるで、誰かが海面から飛び込んできたような
誰かが周囲の異合生物をかき分け、冷たい手が人間の手首を強く掴んだ