Story Reader / 叙事余録 / ER11 遂生再始 / Story

All of the stories in Punishing: Gray Raven, for your reading pleasure. Will contain all the stories that can be found in the archive in-game, together with all affection stories.
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ER11-6 記憶遮断

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優しく広げられた両手が、光源と自分を守るようにそっと包み込む

心配しないで……私が何としても守る

――どこからか少女の優しい声が聞こえた

耳元にではない。まるで心の中に響くような……強さと哀しみをはらんだ声だ

永遠の抱擁の中にいるかのように、漂う波の温もりは心地よく、体中の傷を包み込んでいく

そして潮が引くにつれ、恐ろしい悪夢も消え去った

大丈夫……大丈夫よ……

彼女の声は、時にはっきりと、時に曖昧になった

一定のリズムでトントンと優し気に叩く音と、懐かしいメロディが心を穏やかに鎮めていく

この鼻歌は子守唄だろうか?

温かな海の中に浸かっているうちに、意識もゆっくりと霞んでいった……

目を開いた

冷たい光が目を刺すようで、脳がぐらぐらと揺れた

意識を取り戻したことに気付き、誰かが近付いてきた

向こうで何を見ましたか?

水色の髪の、見たこともない少女が、とらえどころのない笑みが浮かべながら話しかけてきた

見知らぬ場所、見知らぬ人間、そして曖昧な記憶……とっさに起き上がって腰のホルスターへ手を伸ばすも――そこには何もなかった

記憶は霧がかかったようで、周囲にも見覚えがない。目の前の人間は一体誰で、先ほどまで自分は何を経験していたのだろう?

どうしたんです?私のことまで忘れちゃったみたいな顔してますけど

彼女は疑うようにじっとこちらを観察した。混乱しているのが演技ではないと見て取ると、彼女は側の端末に視線を落とし、データを確かめて再び口を開いた

私はラスティ、ここは空中庭園の監察院です。緊張しないで、グレイレイヴン指揮官。あなたはここへは任務で来たんですから

って、あなたに自己紹介するのはこれで2度目ですけど……

彼女は監察院のIDカードを差し出した。不審に思いつつもそれを確認すると、彼女の言ったことと記載内容は確かに一致していた……

ほんとに何も覚えてないんですか?

ラスティはどうしたものかと、再び端末上のデータを確認した

記憶がここまで影響を受けるなんて……想定内とはいえ、やはり何かおかしいですね……

……とにかく、あなたはここで任務を遂行してください。私は案内役、あなたは実行する人ですから

手元の任務報告書をめくりながら話す彼女の手に、2冊の報告書があることに気付いた

疑わしそうに見られていることを察したラスティは、仕方なさそうにまた口を開いた

はぁ……本来ならゲシュタルトが先輩に案内役を任せるはずだったんです。でも先輩は最近忙しいみたいで。それで案内役を私が引き受けたんです

気の置けない人ですからお気になさらず……私だって案内役として相当頼りになるんですから

そう言いながらラスティはニコッと微笑み、任務報告書をこちらに差し出し、もう1冊をさりげなく背後へしまった

彼女の説明はどこか妙だが、報告書に記載された任務の内容は確かに空中庭園の手順に則っている。ただ……自分はそこに書かれた内容をほとんど覚えていない

はい

ラスティはからかうような笑顔を引っ込めた

……少し前、ゲシュタルトが地上でゲシュタルト分岐端末の信号を探知しました。その内部では、ある「意識」が培養されていたんです

このAI意識が侵蝕されれば、更に大きな問題が発生する可能性があり、ゲシュタルトは実行者としてあなたを選びました。でも意識の転送中にエラーが発生したらしく……

その過程であなたは一部の記憶を失ってしまいました。どうやら、失われたのは任務に関する記憶だけではなく、それより前の一部の記憶も含まれている……

ラスティは監視装置のデータを見つめながら、こちらの存在を忘れたように考え込み始めた

えっ?何を訊きたいんです?

ゲシュタルトと同じ技術を利用して作られたスーパーコンピューティングセンターです。でも、華胥やゲシュタルトと比べるとアルゴリズムは一段階低いですね

分岐端末の存在は、最近になって発見されたんです。それがなぜ存在し、どの組織が所有しているのかが一切不明で。それが人を派遣して調査する理由です

鋭いですね。主な理由は、それが巨大な脅威となる恐れがあるからです

簡単な例を挙げると、ゲシュタルトが人類の敵に回ったり……誰かに利用される可能性とかです。あるいはパニシングに侵蝕される可能性も……

さっき、分岐端末のアルゴリズムは一段階低いと言いましたが、だからといって同じ理由から楽観視はできません

その通りです

その分岐端末では新生のAI意識が育成されています。それこそが重要な観測対象です

ゲシュタルトと同じ技術由来で作られたスーパーコンピューティングセンターなら、内部環境も似ている可能性が高い

そして、あなたはゲシュタルトの内部に浸入し、作戦を遂行した経験があるじゃないですか

――それは、つい先日起こった出来事だった

ゲシュタルトがエンジンの点火信号を遮断した事態を解決し、地球へ墜落しつつあった空中庭園を救うため、グレイレイヴンはファウンスの槍を利用して内部へ潜入した

だが……どうも腑に落ちない

実際のところ、正式にあなたを浸入させる前に、私たちはすでに何度も失敗しているんです。相手も非常に高度な浸入検知システムや防御システムを備えていましたから

当然ですよね。ゲシュタルトですら何層にも及ぶ対外防御機能を持っているんですから。これほどの計算資源を持つ者が、それを無防備に晒すわけがありません

でももし相手に「内部の存在」と認識させることができたら、話は違ってきます。自分自身のシステムを攻撃する防御機構なんて存在しませんからね

要約すると、科学理事会の協力の下、私たちは分岐端末の内部で意識の「抜け殻」を発見しました

ラスティは眉根を寄せ、どう説明するべきか考えているようだった

AI意識の大部分は、人類が特定の分野の問題を解決するために生成したものです。問題解決能力はあるものの、結局は命令に従って動作する機械にすぎません

自身の個性もなければ欲望もなく、能動的に行動を起こすこともありえません

これまでの存在は機械としか呼べないものであり、人間の命令に従って仕えるだけのものです。人間の意識を宿す能力はありません

でも、あの個体は違いました。人間の意識サンプルを基に生成されたモデルで、人間の意識と非常に高い互換性を持っています

偶然、その意識は人間の意識から生まれたのですが、「過学習」によって個性を失ってしまいました

俗っぽく表現するなら、魂を失った抜け殻ってことです

ファウンスの槍を利用して、あなたがあの個体とリンクし、抜け殻を満たす魂となりました。こうすれば、遮断されずに浸入できるはずだったんです

そうなんですが……

ラスティはがっかりしたように首を振った

確かにあなたに浸入を任せましたし、実際に成功もしました。でも結果的には、あなたは向こうの状況をほとんど何も覚えていなかった

それどころか、私が事前に説明した任務内容の記憶さえ、一緒に失われてしまっています

想定内ではありました。そんな易々と外部信号を受け入れるスーパーコンピューティング施設などありえません。きっと何か見えない障害があったんでしょう

それが不思議なんですよね。しかも……実はそれだけじゃないんです……

分岐端末の探査も、ゲシュタルトが要請したんです。分岐端末の信号を突然捉えた理由についても……ゲシュタルトの説明によれば、同源技術による追跡の結果だとか

強引に理解すればその説明は筋が通っています。抜け殻についてなぜそれほど詳しく知っているのかも、一応は説明できます。でも……

他にも別の要因がある気がするんですよね……

彼女はしばらく懊悩していたが、最終的にはがっくりと肩を落として諦めた

ゲシュタルト分岐端末の存在は空中庭園の人々に混乱を引き起こす可能性があるため、この未知の勢力への秘密潜入任務は極めて高い機密レベルとされています

この件を知っている人間は少ないほどいいんです……今回記憶を失ったあなたに、もう任務の詳細を説明しないという権限すら私は持っているんです

この後も、またあなたに潜入をお願いするからです。何も覚えていなかったら、またイチから説明しなきゃいけないじゃないですか。それはさすがに面倒ですもん

ラスティはその場で大きく伸びをした

とにかく、あの分岐端末の状況は今後も観察が必要ですね

今回の記憶喪失はたまたまで、次の浸入時にはもう少し有益な情報を持ち帰ってくれたらいいんですが……

空中庭園の最高管理AIとして、ゲシュタルトのコアエリアへ通じる通路の封鎖は、厳重という言葉以外に表現しようがない

ピンク色の髪の女性は、巨大な機械の巨獣の前で静かに立っていた

ゲシュタルト

マトリクスに関する情報は、全て送信済みです

あなたはそれを確認できる立場にあるのに、なぜ引き続き観測しないのですか?

成長に干渉したくありませんから

同時にとても意外でした……あなたがグレイレイヴン指揮官に、観測の代行任務を要請するなんて

ゲシュタルト

演算の結果、この件はゲシュタルトの最高指令には反しないと判断しました

加えて、私は他の技術についての理解を補完するため、より多くのデータを必要としています。現時点で、分岐端末へ浸入するための余剰アルゴリズムはありません

人類に頼れば、多くのアルゴリズムを節約しつつ、分岐端末の技術情報を調査できます

なるほど……

では、情報提供の報酬として……その子の成長の知らせを待っています

音もなく現れたその女性は、厳重な警戒下にある部屋から、また音もなく出ていった

ごきげんよう、先生

グストリゴの蛍菊が咲く花壇で、マルタは再び白衣を着た少女と会った

彼女はいつものように目を伏せており、夕暮れのもとで見るその瞳には何の感情も映っていない

マルタの気のせいなのか、以前はほんの少し触れるだけで壊れそうなほど蒼白だった彼女の頬に、今日は僅かに赤みが差しているように見えた

礼儀正しい呼びかけを聞いたマルタは、手を小さく振り、もうその必要はないことを示した

ヘルタの代の子供たちが卒業して以来、私はもう先生ではありません。グストリゴに、もう新しい生徒は来ません

彼女はもううんざりしていた

家を失った孤児たちを教育という名目で受け入れて教育し、最後には薪として会社の炉にくべる。彼女はその長い繰り返しに、もう耐えられなかった

この前にユイと会ったあと、マルタは会社に退職を申し出ていた

ですが、先生の教えは今も私の心に刻まれています

彼女は、何か悩みを抱えているようだった

マルタはユイの変化に鋭く気付いたが、何も答えず、彼女が再び口を開くのをただ静かに待っていた

知識と理性は偉大な力です。人に恐怖を克服させ、無知や愚かさを払拭し、前へと進ませます

黄金時代の学者が残した名言の引用です。私はただ、あなたに本を数冊持っていっただけよ

でもそのお陰で当時怯えていた私が成長し、今日まで歩んでこれたことは事実です

あなたは、これまでずっとよくやってきたじゃない

さあ、それは……どうやら私、バカなことをしてしまったようなんです

ずっと感情のなかった瞳にふと、途方に暮れたような色が滲んだ

本社へ昇進するチャンスを放棄したんです。たったひとつの「実験成果」とやらを取り戻すために

微かに小さく眉をひそめ、その顔は少し憂鬱そうになった

聞く限り、ただの無機質な「実験成果」の話ではなさそうね

マルタは興味を覚えたのか、じっと彼女を見つめた

確かに特別な存在でした。会社の執行官が視察に来たあの日は、とても重要だったんです。私たちが別のマトリクスのアルゴリズムを分けてもらえるかどうかが決まる日でした

それに、あの時の私が執行官を説得できた確率が、50%以上あるという証拠もない。実際には10%にも満たなかったかもしれません

ほぼ不可能なことのために、大きな利益を犠牲にしてしまいました……あらゆる要素を総合的に考えたのに、私は間違った決断を下したんです

じゃああの時、救うべきではなかったと思っているの?

いいえ、どうしても救いたかった

ユイの少しも揺らがないその表情に、マルタは思わず微笑んだ

だったら、何があなたをそこまで悩ませているの?

ユイは小さくため息をついた

それが感情に突き動かされたゆえの行動だったからです。怖いんです……まるで子供の頃と同じようで

このままだと、また同じ過ちを繰り返してしまいそうで怖いんです

マルタはそれは違うというように手を振った

常に理性的であれ、と自分を縛りつけていては、かえって苦しむことになりますよ

あなたがあの数式とプログラムだらけの檻から1歩踏み出したことは、悪いことではない。私はそう思いますよ

ユイはとまどったように、小さく首をかしげた

マルタはすぐには答えず、しゃがんで蛍菊の花びらをそっとつまむと、成長具合をじっと観察した

あなたの出身地には、「Je t'aime」という言葉があったそうですね

花びらをみつめながら、マルタは淡々と話した

何か嫌な記憶を思い出したのか、ユイは顔をしかめた

どうして急にそんな話を?リーボヴィッツに来てから、もう長らくその言語は使っていません

でも、意味はわかるでしょう?「愛している」という意味を

はい。ですが、愛は人を脆弱にします

これは「おまじない」の言葉だとか?

そう言われていますが、私は神を信じていません

信仰は関係ありません。おまじないは、ただ人を幸せにするためのものです

ふふ……そうですか。私の子供時代が楽しいものではなかったのは、それが理由かもしれません

彼女は自嘲気味に笑った

私を生んで育てた人は、1度たりともそんな馬鹿げた「おまじない」を私に言ったことはなかった

ユイは聞き取れないほどの小さなため息をつき、小声で呟いた

マルタは肯定も否定もしなかった

母語というのは、多くの場合、最も感情を伝えやすい言語です

人は愛に呪われ、愛に祝福される……私たちは、そんなまじないの言葉に頼って生きざるを得ない生き物なのです

ユイはまだ困惑した表情のままだった

……まったく私ときたら、引退しても説教癖が治りませんね

マルタはアルミの袋をいくつか取り出し、ユイに手渡した

最近、会社から送られてきた物資の中にコーヒー豆がいくつか入っていました。研究室に持っていって。苦すぎて、私には飲めたものじゃなかったの

はい……先生ですら飲めないなんて、よほどの逸品なんですね

では、これからはこのコーヒーを日々の楽しみにしますね、先生

状況はどうなっている?

目の前の研究員たちは互いに目を見交わし、答えるのをためらっていた

状況はどうなっているのかと訊いてるんだ

多くの者が精神に異常をきたし、現在、使える実験体がどんどん減っています……

では、モデルのサンプリング成果は?

ほとんどが芳しい成果ではなく……

そんなものは、実際に機械体に放り込んで起動してみなければわからないだろう

ですが、機械意識がまだ覚醒の基準に達していない状態で体に入れると、制御不能に陥るリスクが非常に高いと、以前ドレイヴィさんが……

ドレイヴィ、ドレイヴィ……一日中ドレイヴィの名前を聞かされている。彼女がいなければ我々の研究は進まないとでも?

マトリクスの安全システムを見くびるな。ぐずぐずせず、さっさと一部のサンプルを試してみろ