臨時キャンプ
シェリルのテント
ドン!――
ブリギットの拳がテーブルに叩きつけられ、不安定だった映像が一瞬ぼやけた
絶対にダメ!
ちょ……ちょっと落ち着いてください。たかだか資源と情報の交換じゃありませんか、そこまで大袈裟な反応をしなくても……
支援部隊の隊長として、あなたは人々の安全を優先するべきでしょう?
黒野が研究で得たデータや資料、タンタル資源よりも安全な逃げ道こそ、今のあなたたちにとっては最も価値があるものでは?
タンタル資源は私の一存では決められないけど、他の人の安全と比べればどうでもいい。黒野が空中庭園とノルマングループを説得できるなら、それで構わない……
……でも、研究資料をあなたたちと共有する理由がない。黒野自身も、それにどれほどの不正が隠されているのかをよくわかっているはずよ
それに研究資料のことより、さっきあなたが言った言葉の方が気になる。あなた……いえ……黒野は、何が言いたいの?
……ええと、すみません、交渉の段階で曖昧な表現を使うのはよくありませんでしたね。あなたが言っているのはどの言葉のことですか?
「安定した逃げ道が存在する可能性はある。避難時に突発的な事故で少数の人員が命を落とすかもしれないが、気にせず、迅速に避難してほしい……」
ブリギットは非常に冷淡な声でその言葉を繰り返した
暗に何が言いたいの?
ハハ……
映像の中の人物はぎこちなく笑った。暗黙の了解で受け止められると思った曖昧な発言について、正面切って突っ込まれるとは予想していなかったらしい
その後、友好的だった彼の口調はきついものになった
仰る意味がよくわかりませんね。坑道が春の遠足にぴったりの場所だとでも?あんな危険で複雑な場所では、どんな事故が起こっても不思議じゃない
あのラボに閉じこもったままで運動不足の研究員たちは、特にね。緊急事態に反応できず、命を落とすことだってありますよ
それを聞いたブリギットは激怒した
はっきりアンジェたちの名前を出したらどう?避難する時に、彼女たちを全員坑道に置いてきてあげてもいいのよ?
何とも残酷な発言だ、ブリギットさん。あなたは支援部隊の隊長ですよね?どうしてそんな非常識なことをわざわざやろうとするんです?
アンジェはノルマングループの大切な人材であり、空中庭園の貴重な資産です。黒野がそんな存在を放っておく訳ないでしょう
我々は全員救わなければならない。だが、人には限界がある。緊急時はどうしようもない時だってある、そうでしょう?
嫌なやつ……
ブリギットは怒りのあまり顔が引きつり、噛み締めた歯の隙間から蔑むような声を出した
……グレイレイヴン指揮官の顔を立てて、事故を最小限にする、というのはいかがですか?
ハッ……それではメリットがあるのはおふたりだけということになる。ならば、もう話すことはありません
ただ……今回の任務は空中庭園だけが言い出したことではないはずですよね?決定を下す前に、ノルマン側の意見を聞いてみませんか?
我々も、グレイレイヴン指揮官の意見に同意いたします
短い雑音の後、通信チャンネルにもうひとりが加わった
[player name]の意見を全面的に支持します。分け前に興味はありませんが、全員が生存しなければなりません
ノルマングループは常に利益よりも社員への配慮を優先する組織です。ほんの僅かな利益などより、社員の命と安全を保障します
今度は映像の中で、議員が怒り混じりに笑った
ヴィクトリアさん……スクリーン越しでも、あなたが計算高く算盤を弾く音が耳障りなくらいだ。社員への配慮がグループの利益よりも優先ですって……ハハ
以前お話した時はそんな態度ではなかったと存じていますが
以前?ああ……あなたのセリフをお借りするなら、交渉の段階で曖昧な表現を使うのはよくありませんでしたね
ノルマングループは大企業ですから、口頭での条約や書面での契約は数え切れないほどあります。私がその全てを仔細に確認するのは無理というものです
鉱井の件について、ノルマングループは確かに以前黒野と接触していましたが、それは協同での産業を目的としたものです。事前準備の必要な手続きにすぎません
…………
議員はしばし黙り込んだがすぐに気持ちを立て直し、ひと言ひと言、慎重に口を開いた
では、話し合いの余地はないと?
お忘れなく。ノルマングループの執事であり我々兄妹の家族でもあったスケッチの死は、あなたたちと無関係ではありません
それを聞いて、映像の中の議員は姿勢を正した
ヴィクトリアが本当にスケッチという執事を重視しているかはともかく、この言葉が出た瞬間、この交渉にまとまる余地はないと彼ははっきり理解した
いいでしょう、そういうことでしたら、このお話はなかったことに。非常に残念ですが……
黒野の支援がなければ、鉱井の危険は増す一方です。本当に事故が起きてしまえば、予想を超える多数の死者が出るかもしれないが……それでもいいのですね、指揮官?
答えを待つことなく相手はさっさと通信を切り、目の前から姿を消した
ドンッ!――
それを見て、ブリギットはまた強くテーブルを殴りつけた。しばらく黙って聞いていたウィリスがタイミングを見て口を開き、現場に漂う不穏な空気を一掃した
君の選択は正しい。ブリギット、君の良識が他人より優れているということだ、怒ることじゃない
ただ、我々はもっと現実的に考えなければならない。ヴィクトリアさん、ノルマングループから更なる情報の補填はありませんか?
……お恥ずかしながらこの件に関しては、ノルマングループよりも黒野の方が多く手札を握っています
私にできるのは場外から支援をすることだけです。ノルマングループ主導で集めた地質探査、及び工学関連分野の専門チームがすでに出発しています
では、最初にカレニーナが提案したプランに従おう。やれるか?[player name]
何かあればすぐに連絡を
ウィリスは頷き、通信を切った。ヴィクトリアも軽く一礼し、映像を止めた
…………
[player name]、ごめんなさい、ちょっとカッとなりすぎたわよね?
笑ってブリギットの肩をポンポンと叩き、彼女が普段の表情に戻るのを見ながら、静かに言った
わかったわ。でも……彼らに、全部正直に話すべきかしら?
……オッケー!
臨時キャンプの雰囲気は新しい情報を得て多少変わったが、ブリギットと支援部隊のお陰で、その変化がキャンプに大きく影響することはなかった
再度ブリギットに会った時、彼女は皆のケアを終えていた。キャンプは再び稼働し、全員の任務が調整され、外部で作業する工兵部隊との連携も取りやすくなった
皆の気分が多少落ち込むのは避けられなかったが、まだ対応できる範囲内だった
[player name]、そっちはどうだった?
目の前では、アンジェが青ざめた表情でぐったりと座っている
本当に彼らがそう言ったのですか?そこまで私の命を……
ハッキリとは言わなかったけど、ここまでの出来事を考えれば、あなたにだってわかるでしょう
わ……わかりました。私が持っているものは全てお渡しします。命だけはどうか助けてください
アンジェは唇を噛み締め、震えながら自分の荷物に手を伸ばした
これは黒野の加工が施されたノルマンの権限カードです。これがあれば、あなたたちの探しているものが見つかるでしょう
ブリギットは差し出されたカードには手を伸ばさず、アンジェをじっと見つめた
たとえあなたがそうしなくても、私たちはあなたを守るわ、アンジェ。私と[player name]は、あなたを脅しに来た訳じゃないの
私たちは黒野みたいなやり方はしないし、あなただってそうなれる。今の私たちは皆、一緒に生き延びようとする仲間よ
そんなに怖がらないで、ね?
…………
アンジェは唇を震わせ、しばらくして小さく頭を下げた。彼女はリュックからいくつかのチップを取り出し、チップを持った手をブリギットの手の平に重ねた
……これは?
特殊な指紋と掌紋のスタンプです。それから私の頭脳もお役立てください。あなたたちの任務に協力します
もしあの扉を開けるのに権限カードと私の掌紋でこと足りるなら、彼らはとっくに私の手を切り落として、自分たちで行動しています
……信じてくれてありがとう。私が必ずあなたを守るわ、アンジェ
…………
アンジェは答えず、ただ力強く頷いた
さて、じゃあ……
ブリギットが立ち上がろうとした時、誰かが部屋に飛び込んできた
指揮官、シェリルのところで動きがありました
指揮官が電源の妙な点を指摘してから、シェリルは何かを試していたんです
するとさっき一瞬ですがレーダーが、バイタルサインを検出したんです
サインのピークが普通の人間や構造体とは違いました。シェリルは設備の誤作動を疑って今、再度確認中です。ですが、私はその必要はないと考えています
私は指揮官の判断が正しいと思います。坑道の下に、黒野と支援部隊以外の誰かがいます。私たちも動き出すべきです
了解、すぐに手配するわ