数多くの危険な経験をしてきた身とはいえ、「トロイが立坑に落ちた」「自分はなんとか岩壁に掴まって助かった」というリアルで生々しいブリギットの話は戦慄を覚える
そうよ
目が覚めた時、私は支援部隊に戻っていたの
支援部隊も何者かの襲撃を受けたわ。部隊がバイタルサインを検知して救助に向かおうとした時、坑道が崩落した。パニシング濃度が急上昇して、多数の侵蝕体が現れた
そう、急上昇よ
彼女はその一文字一文字を、はっきりと繰り返した
ずっとパニシングの爆発など起きなかった坑道の奥に、なぜ突然出現したのか……今考えてみれば、あの任務もどこか食い違ってばかりだったわ
急に支援部隊を派遣してその任務にあたらせたのはなぜ?本当に「同時に救援保護と開拓の両方に関わる任務」だったの?
それとも、彼らは他に何か……隠したい理由があったのかしら?
それは……
……ノルマングループが委託していたタンタルラボで不適切な実験が行われた結果、一部の構造体と研究員が事故でパニシングに侵蝕。操作ミスで機器が爆発し、坑道が崩落……
これが最終結論ですって!?
若い構造体が報告書の束を握りしめ、激怒しながら支援部隊のオフィスへ飛び込んできた
……
トロイ教官に一体何があったんです?「意識海の損傷による記憶喪失」ってどういうことです?それに、あの研究員はどうなったんですか!?
トロイは……状況が複雑で、他の部門に引き渡されたわ。私たちはもう彼女のことに口出しできないの
あの立坑に落ちた研究員を救援する余力なんて私たちにはなかったし、それにあの高さじゃ……
立坑の深さを簡易測定した結果、たとえ構造体であってもあの高さから落ちて生命を維持することは不可能だと結論が出たのだ
あの瞬間、ブリギットがトロイを安全な足場へと投げ飛ばしていなければ、トロイも助からなかっただろう
それに、ジョリーンは?まだ顔も見ていないのに、どうして執行部隊へ転属に!?
ああ……それは彼女自身が申請したんだもの、いいことじゃない
彼女、ジェフリーにずっと会いたがっていたんでしょう?ジェフリーって、あのシルクワームの指揮官のことだけど……
私は!資料を!調べたんです!嘘はやめてください!
支援部隊から正規の執行小隊への転属には、最低でも!3カ月の審査期間と!合同調査が必要なはずですよね!
ジョリーンの訓練キャンプ期間中、相互支援小隊の隊長であった私に、調査に関する通知がなかったのはなぜですか!?
……まあまあ、そんなにムキにならないで、ブリギット
隊長は力なくため息をつきながらデスクから立ち上がって歩いてくると、ブリギットの肩をポンポンと叩いた
全ての物語が「END」という文字で終わる訳じゃないのよ
これは物語なんかじゃありません!
彼女は真相が底無しの立坑に落ちていくのをただ見ているだけで、どうすることもできなかった
……とにかく、この件についてはもうこれ以上訊かないで、ブリギット
私たちには……触れられないことだってあるのよ
それだけ
その後は……
その後は……
支援部隊の損失率は執行部隊より僅かに低いものの、弾き出された数字は十分に恐ろしいものだった
当時のベテランの隊長はある救援任務中、ふたりの子供を救うため廃墟に入り、二度と戻ってこなかった
群を抜いて能力が高かったブリギットは、支援部隊の隊長へと昇進していった
隊長に就任したあと、この事件を再調査しようとしたの
だけど、コンスタンティン鉱場に関する資料はほとんど封印されていて、当時の詳細な任務記録や調査報告書も「偶然」失われていた
そう、「偶然」
それからのことは、指揮官も知ってるはずよね
意識海を損傷したトロイは、長期休養のあと新しい小隊に配属され、行方不明になった
ジョリーンがどうなったかは……あなたも知ってるでしょう
彼女はジェフリーを追ってあの薄暗い赤潮の中へ姿を消した
それが彼女にとっての解放だったのかもしれない
ただ、あまりにも全てが「偶然」すぎる
コンスタンティン鉱場での任務後、支援部隊にいた私以外の主要な隊員は多かれ少なかれ、全員部隊を異動させられたり、任務中に犠牲になったりした
この件は、表面的に見えていることほど単純なものじゃないと思うの
茶髪の構造体は窓の外をじっとみつめた。日差しは眩しく、天幕に映し出された青空は雲ひとつない
ずっと信じてるの……
この事件に「真相」がある限り、いつか、全ての闇が白日の下に晒される日が来るって
ハハッ、こういう話をすると、皆からバカみたいだって言われるけど、私はそうは思わない
……ええ、必ず
端末から短い音が鳴った
任務の詳細ね……すでにこっちにも送られてきたわ
ちょうどいいわね、この新機体にもだいぶ慣れたし……
ブリギットはぐーっと伸びをした
すごくいい感じよ。動力システムも強化されたし、全体のバランスもよくなってる……
その時、扉からドンと音が聞こえた。誰かが到着を知らせようと、その音をノック代わりにわざと力を込めて扉を開けたようだった
グレイレイヴン指揮官?ここにいると聞いてきたんですが……
!
長い時を隔てて、青い髪の構造体はふらりと彼女の目の前に現れた
彼女は大きく変わったようでもあり、何も変わっていないようにも見える
ああ、えっと、確かこちらは……
……紹介してくれません?私、本当に詳しくなくて……
あ……どうも、ブリギット支援部隊隊長。トロイです、よろしく
目の前の青い髪の構造体は、ブリギットがよく知るあの営業スマイルを見せた
……こんにちは
ちょっと訊きたいんだけど、私に……見覚えは?
えっ……私が?あなたに?
トロイはブリギットを振り返り、無遠慮にブリギットをじろじろと見つめた
うーん……いえ、初対面のはずですけど
青い髪の構造体は申し訳なさそうに肩をすくめた
悪いけど私、意識海に問題が起きて。いろいろなことを覚えていないんです
それで、えーと、ノルマングループを代表して、今回の「任務」に参加することに……
ですから、過去に何かがあったとしても、今の私はあなたの敵じゃありませんよ
……
ブリギットは小さくため息をついた
とにかく、あなたたちに集合を知らせに来たんです。そろそろ時間です
皆、出発地点で待機しています。もう一度、任務について簡単に説明するらしいですよ……
……もう、説明ばかりして何の意味があるんだか
トロイがどれだけ気乗りしなくとも、任務前のブリーフィングは通常通りに行われた
3Dの立坑地図が、会議室の中央に大きく浮かび上がった。採掘現場の建造物というよりも、逆さの「塔」のように見える
セリカが地図の側に集まった任務関係者たちに、今回の任務について説明をし始めた
――データウォールが一時的に開放された時に、科学理事会が一部の資料を抽出しました
大部分のデータは順次整理中ですが、その中の一部、特に「Ta-異形コポリマー」について触れている部分がありました
別の材料を結合媒介にして、主軸のタンタル元素に別の分枝を結合することで異形コポリマーを形成。これにより、Ta-193コポリマーの適応性を高めるという構想です
今回の任務の基本目標は、コンスタンティン鉱場へ向かい、当時の実験資料を可能な限り回収することです
空中庭園が当時の一部の物資流通状況を調べたところ、確実とはいえませんが、当時この区域にその研究を行うラボが存在した可能性があるんです
そして、最も疑わしい場所がコンスタンティン鉱場です
ノルマングループが自発的に提出した資料とつき合わせてみて、その可能性の確信に至りました
……それで、彼らの技術は進化してたんですか?
断定はできない
暗号化された僅かな資料によれば、一部の実験成果は得ていたようだが、具体的にどんな結果だったかは明確に書かれていない
そこで、お前たちのもうひとつの目標は、鉱場で起こった「異常」の調査と解明だ
科学理事会がタンタル鉱石を無から作り出せるようになるまでは、コポリマーの合成にはタンタル原料が必要だからな
もちろんだ
空中庭園のタンタル鉱石の備蓄には限りがある。今のところ、保全エリアでは十分な埋蔵量のタンタル鉱脈は発見されていない
危険を冒して探索するより、コンスタンティン鉱場で回収した方が効率がいい
ノルマングループはコンスタンティン鉱場の建設資料を提供し、グループから研究者たちを派遣して、皆さんの作業を支援します
タンタルラボの資料は?
……その資料は移送中に紛失しました
あら、それ本当?
こういった場で皆さんを欺くことはしません。ノルマングループとしても、この鉱場をなんとか取り戻したいと思っているんです
数度実施した崩落事故の調査記録や、当時坑道内で犠牲になったスケッチという執事が送ってきた最後の録画映像を含む資料も全て、提供いたします
当時、ノルマングループが投資していた研究室が長らく成果を出せず、投資の打ち切りが決定しました。ことが重大なので、祖父は最も忠実な執事を派遣して交渉したのです
当初は順調でしたが、突然、スケッチから「新たな研究成果が出た」というメッセージが届き、グループに投資の継続を検討するよう求めてきました
ですがグループが新たな視察チームを派遣するより先に鉱場が崩落し、スケッチは犠牲となりました。遺体は今も見つかっていません
それから……ブリギットさん、あなたのご両親も含め、我々は鉱場内での救助と調査を行いましたが……
その後、また新たな鉱場事故が発生してしまいました。大量の侵蝕体を前に、当時のノルマングループには問題を解決する力はなく……
この場を借りて、深くお詫びいたします
ヴィクトリアはテーブルの向こうから進み出て、ブリギットに深々と頭を下げた
……
ノルマングループの権力者がこれほど素直だと、ブリギットは逆にどう話を続ければいいのかわからなくなった
スケッチは……私を育て、生涯ノルマンに忠誠を誓ってくれた執事です。もし任務中に彼を……彼の遺体を見つけたら、どうか運んでやっていただけますか
ノルマングループは、感謝の意を込めて高額の報奨金をお支払いします
以上が……今の私の権限で把握できる、コンスタンティン鉱場の全ての資料と情報です