重たい砂の中から身を起こし、深い眠りの底から目覚めた。幾重にも折り重なる夢の層を超えて、なんとか夢と現実の境界へとたどり着いた
水が足首をなでる――そのひんやりとした感触に、はっと我に返った。ここは島のようだ。目覚めの混濁を振り払いながら、自分がここにいる理由を探った
空中庭園、指揮官の休憩室
8つの異なる装いの箱から、紫色の多面体の箱を選んだ
さすがは指揮官様。あなたなら新しい体験を求めると思っていました
危険な昇格者は姿を現さなかった。ただ、彼女の妖しげな言葉と箱から放たれた甘美な香りが、自分を幻惑の夢へと引き込んでいった
意識を取り戻し、何度も周囲を確かめる――ここは無人島だった
あら、もっとゆっくりお目覚めになると思ってましたのに。いかがですか?指揮官様のために用意した「楽園の孤島·ワンデートリップ」は
その昇格者は、すぐ傍に立っていた。自分をこの地へ送り込んだ「犯人」は間違いなく彼女だ
通信も届かない、完全に世間から隔絶された孤島です
どこにも繋がらない端末を手にしながら、自分が世間から切り離された現実を知った
繋がりませんよ、私が信号を遮断しておきましたので。正真正銘、隔離された孤島へようこそ
まあ、そんな風に誤解されるなんて……少し傷つきましたわ。私はただ、忘れられない誕生日にしたいだけですのに
驚いていただけました?ここまで壮大なお祝いを用意できる者は、他にはいませんよ
はぁ……あなたがそのように受け取るとは思いませんでした。どうやら、お気に召さなかったようですね?
目の前の昇格者は背を向け、いかにも悲しげな仕草をしてみせた。こちらの激しい不満を予想していなかったのか、彼女はしばし思考に耽った
昇格者の隙を突くように「囚われた者」は腰に隠していた拳銃に静かに手を伸ばした。即興の反撃が今始まろうとしている
想像していた、腕で昇格者を拘束して銃口を突きつけるという光景は実現しなかった。全力で飛びかかった瞬間、投影された彼女の虚像をすり抜け、砂浜へと転がり落ちた
ふふ、気付かれてしまいましたか。本物の私は、もっとビッグなサプライズを用意している最中なんです
たとえ指揮官様が私を敵視していても、私の気持ちは本物ですので
「帰す」?それは最後の報酬として用意してありますわ。でも、ミッションの進捗はまだそこに至っていません
「無人島サバイバルミッション」です。ひとつクリアするごとに、ひとつ報酬がもらえる――わかりやすいでしょう?
まさか指揮官様がミッションに嫌悪感を示すとは……でしたら、ずっとここに残る「無限バケーション」はいかがでしょう?私は「メフィスト」としてずっとお傍におりますわ
目の前の昇格者は、決してルールを軽んじる者ではない。ましてや、それが自ら定めたものとなれば尚更だ。少しの沈黙の後、質問を口にした
火起こしです。報酬として端末のアンテナが1本回復しますわ
野外での火起こしなど、ファウンスの優秀な卒業生にとっては朝飯前だ。孤島の浜辺で手持ちのツールを活用し、すぐに火を起こした
この瞬間は記録しておくべきでしたね。人間が起こした火が、初めてこの孤島に灯った歴史的な瞬間なのですから
せっかくの歴史的瞬間なのですから、そんなに焦らなくても……
では、次は魚を1匹捕まえて、自らの手で空腹を満たしていただきましょう。簡単ですよね?
バンッ――またしても歴史的な瞬間が刻まれた。海に入り、この島で初めて銃によって仕留められた魚を拾い上げる
手持ちの作戦用ナイフで魚を串刺しにして火にかけると、焼き魚が完成した
ふふ、やはり難なくクリアしましたね。では、次のミッションへ移りましょう
3つ目のミッションは……
4つ目のミッションは……
昇格者の言葉通り、無人島サバイバルミッションはそう難しいものではなかった。ミッションを順調にクリアしていく
ミッションに従い、島の最も高い崖の側に休憩用のスペースを設けた。海と空を一望できる展望台のようなものだった
そろそろ時間ですわね……指揮官様、次のミッションです
陽は西に傾き、黄昏の光が雲を突き抜けて島を照らした。チンダル現象が光の道を作り、自分が立つ崖を染め上げる
作業を終え、自らが築いた「展望台」に座り、この滅多に見られない荘厳な景色をただ静かに見つめていた
感動に浸るあなたを邪魔するとでもお思いで?そんなことであなたの魂を奪おうなんて思いませんわ
もっとも、その魂に興味があるのは確かですけど
ご安心を。今この瞬間、ここにある全てを思いきり楽しむこと――これが最後のミッションですわ
昇格者もまた、静かに隣へと腰を下ろした。敵対しているはずのふたりが、この世界の果ての絶景の前では策略も猜疑も脇に置き、ただ黄金に染まる空を見つめている
太陽は緩やかに1日の歩みを終え、海の彼方へと沈みゆく。涼やかな海風が水面から溢れた青を空へと溶かし、静謐なる蒼の前奏曲が夜の帳として広がっていく
幻のように儚い時間はあっという間にすぎ去った。人影なきこの孤島は夜の訪れが早い
昇格者の投影は立ち上がり、深き群青に溶けゆくように消えようとしていた
……本物の誕生日プレゼントを差し上げます
その言葉とともに昇格者の投影は静かに崩れ、夜空へと舞い上がった。紫の光が、漆黒の空を淡く照らす
深い宵闇の天幕の下、海底火山が目を覚まし、数千mの深海を突き破って灼熱のマグマが海面へと吹き上がり、ひとつの島が誕生した。そして、その後の数万年の間に……
昼と夜が巡り、年月が流れ、地殻変動がその姿を変えていく。生き物たちが棲み、命が巡る。ただひとつ変わらないのは、この島が文明の外に在るということだった
ある人間が、自らの誕生日にこの島に初めて足を踏み入れる瞬間までは――投影はそこで終わった
気に入っていただけました?この演出、結構手間をかけたんです。もし島主様にご満足いただけなかったら……私、とても傷ついてしまいます
この島には座標がなければたどり着けません。そしてその座標を、今あなたの端末に送りました。これで晴れて、あなたは島の主――お好きに命名していただいて構いません
ここは、あなたと私だけの……世界の果て
ね?ここまで壮大なお祝いを用意できる者は、他にはいないでしょう?
崖の端に立ち、目の前の海に浮かぶ月を眺めていた。潮の香りを含んだ冷たい風が吹き抜ける。その時、背後からヒールの音が近付いてきた
そうですね、シンデレラは真夜中の鐘が鳴るまでに帰らなければ
もう一度だけ、この島を目に焼きつけてください。願わくば、今日のことを忘れないでいてくれますように
昇格者の投影が危険を及ぼすとは思っていなかった。だからこそ、虚像の手が自分を背後から突き飛ばすなんて、まったく想像していなかった
お誕生日、おめでとうございます。我が愛しき島主様
いつの間にか、昇格者本人が投影と入れ替わっていた。彼女は、先ほどまで自分が立っていた崖の端に立ち、海へと落ちていくさまを愉しげに見下ろしていた
よい夢を、指揮官様
指揮官の休憩室
指揮官の休憩室――
捧げられた孤島の、幾万年の創生と進化の記録が映し出されたモニター。その前でソファに身を沈め、幸せな夢に浸るように穏やかな呼吸を繰り返していた
お誕生日、おめでとうございます。我が愛しき島主様
崖から突き落とされる直前――確かに、昇格者の囁くような魅惑的な祝福の声を聞いた
孤島の島主が水面に消えたその瞬間、モニターの映像もまた、再生の終わりを迎えた
幾層にも折り重なった夢の底から、現実という名のソファに落ちた
部屋には、あの危うくも甘美な香りが漂っていた。紫のジャムで彩られたケーキのロウソクが、ちらちらと揺れている。まだ夢の中にいるのだろうか?
