図雷はまだ度胸があるようだが、「石頭」はいつの間にか姿を消していた。図雷は曲がりくねった道を案内しながら、自分を脇堂まで連れてきた
恐る恐る荒れ果てた脇堂の扉を叩くと、中からすぐに荒々しい声が聞こえてきた
誰だ?どこの【規制音】クソ野郎だ?赤い眼の機械体か?
中から一斉に布擦れの音と銃を構える音が聞こえた。図雷は今にも逃げ出しそうな様子だ
待て、中に入れてやれ
重たい木の扉がゆっくりと開いた。左右に一列になって、黒い法衣を着て銃を構えた……「僧侶」が立っていた
は?ケンカ売ってんのか!?死に急いでいるようだな?
お前、誰に言ってるか、わかってんのか?痛い目に遭いたいのか?
まぁ、まず話を聞け
ですが……
喧嘩はする相手がいなきゃ始まらねぇ。笹舟、兄貴が昔、口酸っぱく言ってたことを忘れたのか?
山組は「任侠」だ、チンピラじゃねえ
威厳のある声が脇堂に響き渡り、威勢がよかった若者はすぐに頭を下げた
すみません、貝木の親分
で、ですが、こいつはあの姐さんが連れてった「獲物」です。俺たちは姐さんとひと言も話せず……
なんだ?
中年男性の目が一瞬、鋭く光った。まるで全身を上から下まで見定められたような感覚を覚えた
まぁ、中で話そう
痛いほどの緊張感は少し和らぎつつも、敵意に満ちた視線を浴びながら、脇堂の中央に通され、ゆっくりと腰を下ろした
図雷は逃げる機会を逸して一緒についてきた。立ち上がろうとする度に、屈強な男たちに「温かく」阻まれた
携帯していたガラクタのような武器はすぐに、「丁寧に」没収された
貝木の親分と呼ばれる男が、彼らのトップのようだ。彼は感情を表に出さず礼儀正しい振る舞いを見せるが、油断ならない人物であることは明らかだった
客人、我々に何のご用だろうか?
ふざけんな!あいつら、今日は米を盗み、明日には銃を盗む。そんなやつらと仲良くしろって?そんなの、俺らが納得すると思うか!?
お前らも、突然俺たちを殴ってきただろ!お返しだ!
図雷は言うだけ言うと、即座に自分の背後に隠れた。笹舟は怒りに燃えた目で睨みつけている。図雷を黙らせ、早めに話題を替えることにした
は?危険だからか?そんなことは百も承知だ。俺たちがなんの覚悟もなく、ここへ来たとでも!?
笹舟は叫び、拳を握りしめて一歩前に踏み出した。後ろにいた者たちも一斉に立ち上がった。一触即発の状態となっても、貝木はただ黙って見ているだけで、止める様子はない
状況は不穏だった。笹舟は衝動的で短気だ。何度も非難されたことで冷静さも失いかけている。武器もないし、今ここで戦ってもひとりでは勝ち目がない
もしかして孤立無援の窮地に陥ったのだろうか?汗がにじんできた
膠着した局面の中、突然、屋根でパチっという小さな音がした。静電気が起きたような音だ
――α!?
その考えが脳裏をよぎると同時に、鋭い光が走った。小刀がすごい勢いで飛んできて、目の前の低いテーブルに激しく突き刺さった
なんだ!?どこからだ?
その小刀は柄に傷がいくつかあるものの、刃はしっかりと手入れされており、鋭く輝いている。持ち主が年月を経て、大切にしてきたことがひと目でわかる
場の空気は一変した。澄んだ刃に映る皆の表情には、警戒、不安、そして恐怖が混ざっていた
心の中で、絶妙なタイミングの乱入に感謝しつつ、平静を装って話を続けた
最強の後ろ盾を得たことで、自然と背筋が伸びる。後は、彼女がこの小刀で異議を申す者を皆殺しにするつもりでないことを願うばかりだ
再び「姐さん」という言葉を聞くと、貝木親分の眼差しが変わった
お前ら、やめておけ
空中庭園の人間が、姐さんとどういう関係で?
中年の男は指で低いテーブルをコツコツと2回叩き、両手を組んで顎に手をやった。弟分たちは皆、素直に一歩下がる
客人は知らないだろうが
僧院に隠された宝刀は、黄金時代の刀匠である正斉がその生涯をかけて鍛え上げたものだ。超一級の玉鋼を使った、この世に類を見ない銘物だ
年月を経てもなお刃は鋭く輝き、鉄をも切り裂く。この刀はもともと、俺たちの兄貴のものだ。兄貴がいなくなった今、俺たちが受け継ぐのが筋ってもんだろう
こんな宝刀をここに埋もれさせる訳にはいかない。兄貴の家族として、そんなことは決して許されない
ただ……
俺が兄貴の剣術を間違うことはない。あの人……彼女こそが、兄貴が一度だけ話してくれた後継者だ
もし姐さんがこの刀を持っていくというのなら、俺たちは止めやしない
笹舟は何か言いたそうだったが、貝木親分が軽く手を挙げて制した
俺たちのように見捨てられて帰る家もない放浪者にとって、兄貴は親のような存在だった。だから、兄貴の仁義と信念を貫くことが、山組の鉄則なんだ
ここにいるやつらは皆、俺のかわいい子どもだ。何があっても俺がこいつらを守る。でも外の人間は、申し訳ないがそうはいかない
山組は自分たちの力で兄貴の僧院を守る
その通りだ!!
笹舟は得意げな顔でこちらをじっと睨みつけている。声の大きさが信念の強さだと言わんばかりだ
あなたたちの考えはよくわかった。ただ、目の前には解決すべき難題がある
本堂に潜んでいる侵蝕体はいつ暴れ出すかわからない。それに肉体を持つ人間が太刀打ちできる相手ではない。いずれ新たな死傷者が出るだろう
あなたもかわいい子どもを死に追いやりたくないだろう?
「死に追いやる」という言葉を強調して言った。予想通り、彼らは組織的で規律正しく、仲間を大切にする
侵蝕体が雪山周辺をうろついているにもかかわらず、彼らがここまでやってこれたのには、それなりの理由があってのこと。その決意と努力は称賛に値する
しかし僧院を守り、ここに拠点を構えるのは、彼らの力だけでは不可能だ。上に立つ者は状況を見極める必要がある。決意で乗り越えられるものではない
領土を奪うのは簡単だが、それを守るのは難しい。この提案について、考えてみてほしい
侵蝕体の件は、自分とアル……あなたたちの姐さんが引き受ける
誰かが鼻で笑った。信用に値しないと態度が物語っていた
わざと声を張り上げ、交渉の主導権を握り続けた
もう一度僧院に住みたいのなら、これから更に多くの努力が必要になる
ここでの秩序を取り戻すために、空中庭園が支援すると約束する
図雷は空中庭園の指揮官がどういうものなのかよくわかっていないようで、驚いた顔でこちらを見ていた
立場を変えて考えてみてほしい。今ここにいる難民と、かつての家を失ったあなたたちはどう違うのだろうか?
あなたたちの兄貴がかつてあなたたちを受け入れたのなら、彼はきっと今、この瞬間にあなたたちが最善の選択をすることを望んでいるだろう
心を込めた言葉が、貝木親分の心に響いたようだ。厳粛な面持ちでじっと座っていたが、彼はゆっくりと頷いた
この勝負に終わりが見えてきた。ここぞとばかりに最後のひと言を付け加えた
誰にとっても、これは<b>ウィンウィン</b>になる絶好チャンスだ
確かにそうだな。もしあなたたちが本当に侵蝕体を退治できるのなら……
親分!?あいつの口車に乗っちゃダメです……!
なら、他にいい方法があるか?笹舟、確かに面子は大事だが、今は弾も尽き、武器は食料にはならない。背に腹は代えられない
笹舟はキッとこちらを睨みつけ、握りしめた拳を震わせていた。顔を紅潮させ、何度も深呼吸をした。そして突然、怒鳴り出した
お前【規制音】は何さまだ?俺たちはここまで命がけで来たんだ。シマは組の命。それを簡単にくれてやるとでも?
貝木親分、納得いかねぇならやるしかねぇ。それが俺たちの生き方だ!
ここはお前が好き勝手できる場所じゃな……
笹舟が懐から拳銃を取り出そうとした瞬間、貝木の無表情な顔が初めて崩れた。彼は言葉を最後まで言い終えることも、笹舟を止めることもできなかった
距離があってよかった。極道とはいえ人間の動作は遅すぎる。皆が反応しきれない内に相手の銃を蹴り飛ばし、ついでに背負い投げもお見舞いしておいた
こういう自尊心の強い者には、手首の関節を外すのが効果的だ
「ドーンッ」という大きな音が脇堂に響き渡り、それに続いて叫び声が上がった
床には、苦痛に顔を歪めた笹舟が倒れている。確かに彼の言うことも一理ある。時には武力で解決する方が話が早い
交渉成立とみなしていいかな?あなた方が「仁義」を尊重することを願う
今はまだ間違いを犯しても挽回できるが、戦場では命取りになる
予想外の結末に、周りの者たちは慌てて一歩退いた。貝木は青ざめた顔で額に手を当て、天を仰いで長いため息をついた
指導が行き届かず、お恥ずかしい限りだ
笹舟、お前がまだ極道の端くれなら、するべきことはわかってるな?
今回はお前の不手際だ
貝木親分は厳しい目つきで、テーブルに突き刺さっている小刀に視線をやった。脇堂内に緊張が走り、静まり返った
は、はい、貝木親分
笹舟はうなだれて頭を下げ、鼻血を拭いた。仲間に取り押さえられながら、冷たい光を放つ鋭い小刀の刃に左手を差し出した
エンコ1本で許してはもらえないだろうか。これをもって、この者の愚行の謝罪とする
これが我々の掟だ
彼の仲間は困惑しながらも笹舟を解放した。笹舟は複雑な目でこちらを見ている。先ほどまで全員から向けられていた敵意に、変化が出ている
急いで小刀を奪った。この行動を小刀の持ち主が気にしないことを願いながら
中年男性は疲れた様子で手下たちに退くよう指示し、立ち上がって仏前に灯された行燈の火を見つめた
兄貴は……とても義理堅い人だった。皆が彼を慕っていた。生まれながらの剣の達人だったが、武力で人を制圧することは決してなかった
そんな兄貴が、敵に弱みを握られて家族を失い、この山に逃げ込み、争いから身を引いた。あの宝刀は姐さんが……有意義に使ってくれることを願う
脇堂を出ると、図雷はまるで解放されたかのように、ぎこちなくお辞儀をして、そそくさと走り去った
雪の中、一輪の赤い椿が誇らしげに咲いていた
曇天の下、背後の石塔に寄りかかりながら腕を組んでいる純白の髪の彼女はいつものように際立っていた。それは、安心感を与えてくれていた
顔にかかる雪を払いながら、彼女の隣に歩み寄った
αは曖昧に肩をすくめ、肩に積もった薄雪を払った
彼女の解決策はいつもシンプルだ。無視するか、さっさと踏みつけるか
私は何もしてないわ
冗談が上手ね
近くにいた侵蝕体は全て片付けたわ。もう邪魔者はいない
その言葉を疑う必要はない。彼女の道を阻むことができる者など、いないのだから
小刀、使い終わったのなら返して