……隊長、その怪我……
……問題ありません。あなたは輸送車に乗って安静に。空中庭園へ戻る輸送機の到着にはまだ時間がかかりますが、あなたには治療が必要です
ビアンカはルイナンを助け起こし、ふたりはなんとか輸送車に乗り込んだ
ビアンカ隊長って……本当にすごいですね。あんなに大勢から奇襲されても、まったく動じないなんて
もともと心構えをしていましたから
彼らの裏切りにとっくに気付いていたんですか?
いえ……ここに離反者が潜んでいる可能性が高いとは思っていましたが……まさか彼らだったとは
それって極秘捜査員からの調査情報ですか?
他の手がかりと合わせて推測した部分もあります
――まさにヴェサリウスが勘繰ったように、ビアンカはデータをバックアップして残しており、アシモフの協力で繰り返し再現していた
データの正確性についてはまったく期待していなかったが、「極秘捜査員」からの情報と照らし合わせるうちに、両者に「偶然の一致」があることに気付いた
これを見すごせば、この件はぶくぶくと発酵し、いつかは自分の首を締める結果になる
彼女はその推測を確かめるため、一見何の変哲もない調査任務に自ら志願して参加したのだった
これからどうしましょうか……
あなたは帰投しなさい。私は引き続き調査します。被害を受けたばかりの現場なら何か手がかりがあるはず……彼らの遺体も回収しなければ
遺体の回収?あっ……遺体の記憶データも調査でき……いえ、調査しないとですよね
……隊長の方がどう見たって重傷なのに……ひとりで全部やるんですか?
私なら大丈夫です。あなたはまず傷の手当を
隊長は本当に優しいんですね……いつも私たちを気にかけてくれて。でも今日のことはちょっと意外でした。彼らに情けをかける、そう思ったんですけど
彼らにはすでにチャンスを与えましたから
チャンスを与えた……それは私にも言えることです。隊長とセン姉さんは私に一度チャンスをくれたのに……私はまたこんなバカなことを……
今回のことはあなたが悪い訳ではありません。前回だって、あなたが私たちをフォン·ネガットの下へ誘い込んだ訳ではないでしょう
……でもレアンは私のせいで……
…………
レアン――ビアンカにとっても知らない名前ではない。彼はかつて粛清部隊の一員だった
ビアンカの記憶では、この寡黙な男性は一度だけビアンカのもとを訪ねてきたことがあった
隊長、セン副隊長のチームへ異動を申請したいのですが
理由を聞かせてくれますか?
「隊長よりも副隊長の方が尊敬できる」という言葉を覚悟していたが、彼はうつむくと、意外な理由を告げた
……幼馴染が副隊長のところにいるんです。もし俺の異動が無理なら、彼女を……ルイナンをこちらに異動させられませんか?彼女に……会いたいんです
センにこの件を伝えると、彼女はビアンカに粛清部隊入隊時の宣誓を復唱してみせた
強い絆と私情は、判断を鈍らせ、別れを惜しませる。粛清部隊にいる以上、それは決して許されないことだった
この話はそのまま流れ、地上の戦況はますます悪化していった。任務地点が離れているふたりが会える時間はほとんどないことに、ビアンカは気付いていた
カッパーフィールド海洋博物館の事件が起こる前、任務の脅威レベルが更新され、ビアンカとセンは任務地点を交代することになった
センの部下は一時的な補充要員としてビアンカとともに行動することになり、ルイナンもそのメンバーの中にいた
やっと一緒の任務になれたな、ルイナン。「縁があればまた会える」って言ってただろ?
その「縁」までにどれくらいの時間が経ったのよ?
1年7カ月に、11日と17時間……
そ……そんなにきっちり覚えてるの……
すれ違う時間が長すぎた。ずっと会いたかったんだ、ルイナン。これで最後の願いが叶った
何よ、これから死ぬみたいな言い方して……今回の調査だって別々の班だってセン姉さんが言ってたけど……
いいんだ、これで……あとは、帰る時に話すよ
ルイナンはそれ以上何も言わず、笑顔でレアンを抱きしめると、彼に手を振って別れた
すみません……私のせいで酷い怪我を
粛清部隊と代行者フォン·ネガットの交戦後、ビアンカは重傷を負って空中庭園へと戻った。そこへ地上で任務を続けていたセンから事故の報告が届いた
ビアンカ隊長、副隊長はカッパーフィールド海洋博物館へ向かいました。この報告書のコピーを隊長に渡すようにと
ありがとう
センの報告書にはこう書かれていた――任務中、ルイナンは多数の侵蝕体の襲撃により重傷を負い、侵蝕度が限界値に近付いていた
侵蝕体の異常な動きに気付いたレアンは任務を無視して部隊を離脱。ルイナンと、後方で侵蝕体を操る紫色の髪の昇格者を発見した
昇格者は、ルイナンの侵蝕度抑制と機体修復に協力する代わりに、主力部隊をある場所へ誘い出すようレアンに持ちかけた
…………
ビアンカや粛清部隊を待ち伏せするために、昇格者がレアンをおびき寄せたとセンは考えたが、内部抗争を引き起こすのが目的ではないかとビアンカは推測した
昇格者の目的が何であろうと、この事件の元凶はレアンであり……
……彼はルイナンの手によって処刑されました……
――これが、センがルイナンに与えた「チャンス」の代償だった
レアンの……バカやろう……
彼女は憤りながらつぶやき、体の痛みで心の鬱積を打ち消すかのように、自身の足の傷口をひっきりなしに引っ掻いている
センが消息を断つ前、ビアンカは通信でレアンが取った行動の理由を訊ねた
センはこう答えた。「彼が何を考えていようが興味ありませんね。ただ罪の代償を払ってもらうだけです」
暴力と処刑による見せしめのみが犯罪の抑止力となるのか?
もしその理由がわかれば……再発を防げるのだろうか?
「あなたが正しいと思うことをしてください」――センは最後にそう言い残した
小さい頃、あいつはいつも「大人になったら悪者を全部やっつけてやる」って言ってました。そうすれば皆が安全な場所で暮らせるって
なのに最後は……あいつが悪者になってしまうなんて……
…………
ビアンカ隊長、さっきの彼らはなぜ裏切ってまで計画に参加したのでしょう?
戦況は厳しくなるばかりです。離反者たちにはそれぞれ「手段を選んでいられない」事情と苦悩があるのでしょう
だからといって誰かを裏切り、傷つけていい理由にはなりません
…………
そうですよね、裏切ったやつは代償を払えばいい。すみません……こんなバカな話をするべきじゃありませんでした
……ルイナン、北風と太陽の物語を知っていますか?
北風と太陽のどちらが先に旅人の上着を脱がせられるかを競う話ですか?
ええ
なぜ急にそんなことを?
離反を止めるには、懲罰と処刑だけでは不十分なのです
最も強固な繋がりは鎖ではなく、安らげる家……
こんな言葉を聞いたことがあります。「苦難で人の心を試さぬように」と。人の心はとても脆いから……
文句も言わずに寒さに耐え、温もりすら必要としない……そんな人、いるはずがないでしょう?
離反者の粛清も「家」の再建も、どちらも重要なんです
心の弱さをいかに理解しようとも、人を傷つけた離反者を許すつもりはありません。でも苦悩に喘ぐ彼らを軽蔑もしません……その理由を理解することができるから
……隊長はセン姉さんとは全然違いますね。もし隊長が救済のために神様に遣わされた聖女だといわれても、私、信じちゃうかも……
神などいません。これまで人々を救ってきたのは神ではなく、人です
ふふっ、そうですね……でも、神は存在しないとわかっていながら、なぜ祈るんです?
習慣になっているので。それに勇気を得る方法でもあります
勇気を……「聖者は民を赦しても、己は赦しがたし」。だから祈るんですか?
センがそう言ったのですか?
そうです。でも両手を鮮血に染めた私たちが祈ったところで、一体誰がこの罪を赦し、救ってくれるというんです……?
……レアンのこと、辛かったですね。この任務が終わったら、粛清部隊を離れなさい。もっと穏やかな部隊へ異動させますから
この任務が終わったら……?……ん……離反事件の進捗って、今どんな感じなんです?
多くは明かせませんが、昇格者と手を組む者が空中庭園にいるはず。彼らは人体実験を再開するために、離反の混乱に乗じて犠牲者を探しています
さすが隊長、ぬかりないですね……
ルイナンは突然笑い声をあげ、ビアンカに一歩近付いた。その声は心なしか震えている
どうしました?傷が痛みますか?
いいえ、大丈夫です……今になって隊長のことを理解するなんて、遅すぎました。レアンのことで、あなたと自分を、粛清部隊とセン姉さんを憎んでいました……
……あの時、あんな風に憎まなければよかった。だけど、隊長の言う通り、離反者には離反者の苦悩がある
……?
もう……自分のためだけじゃないんだ……
苦しそうにうずくまったルイナンの頬が、汗で濡れている
……ルイナン?大丈夫ですか?
弱りきった様子の彼女にビアンカは優しく声をかけながらも、並行してそっと武器に手を伸ばす
大丈夫です……ハハッ、肝心なのは、もうすぐ粛清部隊が黒幕を見つけてしまうってこと
だから……なんとしても……ここであなたを止める!
――ビアンカの読みは当たった。ルイナンが顔を上げた瞬間、あたりは爆発音とともに炎に包まれた