目の前には古めかしい構えの店があり、扉の上に大きく「林屋衣裳舗」という看板がかかっていた
服屋さん?指揮官、なんで蒲牢をここに連れてきたのですか?
指揮官は蒲牢に変装させるつもりなのですか?偽りの姿で彼らに近づけば、彼らと親しくなるのは構造体としての蒲牢じゃなくなります
……一歩踏み出したから、指揮官は「朝食はもう済みましたか?」という九龍の挨拶に答えられた、と?……そうですね、じゃあ蒲牢も、この一歩を踏み出しましょうか……
多少の不安を抱えながらも、少女はずいと一歩足を前に踏み出し、店舗の戸を叩いた
はいはい!いらっしゃいませ、何かご入用ですか?お衣装それともオーダ……えっ、蒲牢衆!?
突然の来客に、店主はやや取り乱したようだ。しかし彼はすぐに落ち着きを取り戻し、静かにこちらを眺めてきた
ほ、蒲牢様とこちらの方は、お召し物を買われるのですか?……それとも、何かの調査で……?
ふぅ……衣装を、ご所望なんですね。ああよかった、よかった!
いやお恥ずかしい、ノミの心臓でして――驚いてしまって
調査って、何か事件でもあったのですか?
いやいや滅相もない、当店は何も後ろ暗いところはありませんよ。この辺りで聞いてみてください。皆、私のことをよく知っていますから……
指揮官、他のお店に行った方が……
えっ、ちょっとお待ちくださいよ、中へどうぞ、どうぞ
……そういえば、指揮官の服も結構目立ちますよね。せっかくだし、一緒に着替えましょうよ
蒲牢と連れだって服屋に入ると、豊富な色彩が視覚神経を刺激した。飾り気のない作戦服を見慣れていたため、少し眩暈を感じる
指揮官、蒲牢にはどれが似合うと思いますか?
うーん……
うん、蒲牢、着てみます
ゴホン、お客様、こちらの衣装はお色は鮮やかですが、実は男性用なんです
これはいかがでしょう。ちょっとお待ちください……
蒲牢様、こちらはいかがですか?
店主は壁にかけてあった水色の衣装を取って、蒲牢に手渡した
わあ、とっても素敵!試着してみます!
その服を受け取った蒲牢は嬉しそうに、いそいそと試着室に入っていった
こちらのお客様は気になる衣装はありましたか?
よろしければ、私がどれかおすすめしましょうか
かしこまりました、お客様の体型からすると、こちらがお似合いかと……
九龍の服は思ったより複雑で、苦労してようやく着ることができた。着替え終えて試着室から出ると、店主が赤い紐で蒲牢の髪をお団子に結っているところだった
よし!このお衣装にはこの髪型の方が似合いますからね
おや、お客様も晴れやかですね!
あ、指揮官も着替え完了ですね、蒲牢のこの服、どうですか?
はい、蒲牢もこの衣装の方が好きです
後に続けようとした言葉は店主の目線で制止されてしまった
指揮官もお似合いです。服を選ぶのがお上手ですね
おふたりがこれでよろしければ、230蜉蝣銭になります。どうもありがとうございます
財布を取り出すと、中には黒パスがびっしり入っていた
しかし……
蜉蝣銭はただの1枚もない
申し訳ないですが、空中庭園の通貨はこちらではお使いいただけないんです
真っ当な答えだ、だがこの状況は想定外だった。どうしようもない気まずさから救い出してくれたのは少女の明るい声だった
指揮官、お忘れですか?九龍の貨幣はよくわからないからと、蜉蝣銭を入れた財布を蒲牢にお預けになりましたよ
少女は膨らんだパンダの財布を取り出すと、中から蜉蝣銭を出して数えた
27、28、29、30……はい、店長さん、これで大丈夫ですよね
蒲牢様、17蜉蝣銭多いようです。こちら、お釣りです
……わ、わかっています、あえてです。正直なお店かどうかを試したかっただけですから
さ、指揮官、早く行きましょう
蒲牢は蜉蝣銭を財布に戻すと、急ぎ足で外に向かった。店主に一礼をして蒲牢の方に振り向き、その場を離れようとした時――
お待ちください
どうしました?お会計が間違っていましたか?
いいえ違います、こちらの方、お忘れ物ですよ
店主が1枚の銀色の勲章を渡してきた。それにはファウンスの紋章が刻まれている
試着室にありました。おそらく、着替えられた時に落とされたのかと
どういたしまして。これはよくあることなので、気をつけているんです。肌身離さず持っているんだから、きっと大切な物なんでしょう。もうなくさないでくださいね
それと……西区に蜉蝣銭と空中庭園の通貨を両替してくれるところがあります。次は、子供にお金を払わせない方がいいかと……
あ、バレてましたか……でも大丈夫ですよ指揮官、蒲牢はもう子供じゃありませんから
指揮官、待って、待ってください!!
服屋を後にして、両替所で十分な蜉蝣銭に両替した。でも蒲牢は服を買った代金を頑として受け取らなかった
蒲牢の服が目立ちすぎるからと、着替えることを提案した。なのに制服を脱いだ蒲牢はまるで兎のようにぴょんぴょん飛び跳ねながら歩いており、周囲の注目の的だ
おっとっとお嬢ちゃん、気をつけて、転ぶなよ。ちょっと横のアンタ、しっかり見ててやんなよ
蒲牢の行動を制限することはできないし、また制限する気もないので、自然と叱られることが多くなった。それに気づいた少女は少し落ち着いたが、歩く速度は緩めなかった
その時、前方に群衆が見えてきたかと思うと、大きな叫び声が静かな夜航船に響きわたった
大当たり!大当たり!大当たり!あ……
大当たり!大当たり!って……もしかして、賭博ですか?規則違反ですよ!
制服を脱いでも、蒲牢は職務を忘れていない。彼女は素早く前に突き進むと、人込みをかき分けて群衆の中に入った
この女の子、どこからきたんだ。まったく、押すなよ……おいおい、結構力があるな
押しのけた人に謝りながら、蒲牢について人混みの中心まで来た。そこにはぬいぐるみ、菓子、仮面などが並んだ棚、口が狭くなった陶器、そして数本の矢があった
あ……勘違いでした……
蒲牢の勘違いによってその場に少し気まずい空気が流れた
お嬢ちゃんも壺投げに興味があるの?1回遊んでみない?
コホン、調査として、気になりますね。これはどうやって遊ぶんですか?
簡単だよ、5蜉蝣銭で矢を10本投げられる。壺に入れば賞品がもらえる。君は可愛いから、オマケに2本矢をつけるよ、どう?遊んでみない?
可愛い……じゃあ、1回、お願いします
はいよ、ありがとう
矢の長さは約30cm程度、壺の高さは15cm程度で口の広さはコインほどの大きさだ。正確な制御力と計算能力が必要だが、人間と違って、構造体にはいとも容易いはず――
ぱりんっ!
陶器が割れる音がした。見ると矢の4分の1ほどが地面に突き刺さっている。その傍らにまっぷたつに割れた壺が転がっていた。横にいる蒲牢はまだ投げた姿勢のままだ
ものすごく手加減したのに……
周囲の人はまるでミュートボタンを押したかのようにむっつりと黙っており、蒲牢のつぶやきが辺りにはっきりと響いた
こ……これ、入ったといえるのか?
もちろん、あの矢は壺に入ってから地面に突き刺さったんだ、見たよ
……お嬢ちゃん、いや、お嬢様、蜉蝣銭を返していいかな?
やれやれ、興醒めだ。入れ方に決まりはないんだろ?
そうだそうだ、お嬢ちゃん、俺たちはお嬢ちゃんの味方だよ。この店がズルするんなら、蒲牢衆に告発してやる
も……もうやめますね、残りは指揮官、お願いします
もう、お手柔らかに頼みますよ……
店主は泣きそうな顔でそう言ってきた。蒲牢から渡された残りの矢を受け取り、投げる角度を計算した
この角度から投げれば必中だ!腕を動かして、えいと矢を放つ――
――しばらくののち、ゲームオーバーとなった
……えっと、もう1回試してみませんか?今度こそ入るかもしれませんよ……ああ、いい?本当にもうやらないと?
残念でしたね……
はい、お嬢様、こちらの仮面をプレゼントします。また来てくださいね
背後から店主の声が聞こえてくる。振り向かなくても、彼がニヤニヤと満面の笑みを浮かべていることは容易に想像がつく
指揮官……50蜉蝣銭をかけても入らないなんて……でも最後の1本は、あとちょっとで惜しかったですよ
蒲牢は親指と人差し指でその「あとちょっと」の長さを示した。そして、その幅が広すぎたと感じたのか、指の距離を少し近づけた
ほんのちょっとだけでした
この先に確か、シューティングのお店があったと思います。指揮官、試してみますか?
ぷぷっ……指揮官、実は負けず嫌いなところがあるんですね。蒲牢が最初の1本を投げなかったら、きっと知らないままでしたね