研究所中に、けたたましい警報音が響き渡る
遠くの大きなスクリーンに表示されている数字が激しく点滅し、数がどんどん小さくなっていく
全身血まみれの男性タイムトラベラーが次の言葉を発する前に、崩れ落ちた天井が彼を押しつぶした
続いて、天井の亀裂から無数の赤い粒子と怪物が湧き出してきた
赤い粒子を見た瞬間、その言葉が頭をよぎった
怪物を見た瞬間、その言葉が頭をよぎった
懲戒者と侵蝕体……!
考える暇などなかった。今の自分では、この怪物たちを相手にしても勝ち目はない
あの壁の隠し収納の中に!
イシュマエルと武器がある場所に向かう途中、聞き覚えのある声が聞こえた
受け取って!
立ち去ったはずのトウ·3T型が、武器のようなものを手に戻ってきた
懲戒者にここがバレたわ!あなたたちはワープですぐに逃げて!
トウ·3T型が投げてきたガントレットやライトソードのようなものを受け取る。左腕にガントレットを装着し、背後の怪物に向けて発射ボタンを押した
ガントレットから橙赤色の光波が放たれ、怪物に命中した
背後にいた怪物は後ろへ吹き飛ばされ、体の中央に大きな穴が開いた
しかし次の瞬間、赤い粒子が怪物の周りを漂い、体に空いた穴を少しずつ修復し始めた
トウ、「グレイレイヴン」はワープ子機を持っていません!ワープは無理です!
ワープゲートは?
それも起動できません!
整備エリアに連れていって、新しいワープ子機で一緒に脱出して!
急いで!
あなたは?
私は本体のところに行くわ
トウ·3T型はそう言い、視線をこちらに向けた
彼女の瞳には複雑な感情が浮かんでいたが、そこには明らかに期待が込められていた
……成功を祈ってるわ
彼女はそう言い残し、一度もこちらを振り返ることなく走り去っていった
ドォン――
遠くで再び爆発音が響き、足下の床が微かに震動した。警報灯と粒子が目の前で交錯し、辺り一面が緋色に染まった
早く避難して!
なんで侵蝕体がここに!?
ぼ、僕はもう行くぞ!
クソッ……【規制音】!俺が相手だ!
キャァァ!助け――
悲鳴、怒号、そして怪物の咆哮が入り混じり、まるで深淵から響く絶望の交響曲のようだった
瞬く間に、ここは地獄と化した
イシュマエルは歯を食いしばった。師匠に続き、先輩まで……
もうこれ以上、誰にもこんな経験をしてほしくない
……ついてきてください
…………
至るところから悲鳴が響く中、廊下を進む道のりが果てしなく長く感じられた
整備エリアはすぐそこです……
隣の部屋から激しい戦闘音が聞こえてきた
続きの言葉を言う前に、強引にイシュマエルを引っ張って横に飛んだ
ドォンッ!
すぐ隣の壁が砕け散り、廊下は塵と煙で覆われた
目の前に立ちはだかったのは、全長3m近いネコ科のような侵蝕体だった
その体はいくつもの傷を負っており、傷口からは緋色の霧が立ちのぼっている
ソードの柄を握って起動すると、粒子光線が噴出した
わかりました
身を屈めて突進し、侵蝕体から振り下ろされた一撃を躱して、ライトソードを勢いよく振り上げた。侵蝕体の腕を切り落とした勢いに乗り、侵蝕体の下へ滑り込む
左腕のガントレットから光波を発射し、侵蝕体を空中へ弾き飛ばした
イシュマエルはその隙を突き、武器で空中の侵蝕体を攻撃した。銃口から球状の光波が放たれ、拡大し、侵蝕体に命中した
キイィーン――
侵蝕体と、一部の天井や壁が消滅した
右手を挙げて、イシュマエルにハイタッチを求めた
ナイス……コンビ?
この動作の意味がよくわからないようだったが、イシュマエルは見よう見まねで右手を上げた
パチンッ
軽快なハイタッチの音が響いた
…………
道中でさまざまな侵蝕体に遭遇したが、イシュマエルと協力してなんとか切り抜けることができた
整備エリアに到着すると、イシュマエルは隣の棚からタイムワープ子機を取り出し、こちらに渡してきた
新しいワープ子機を起動させました。これを使えばワープできます
目標地点は遠い惑星です。まだ懲戒者の襲撃を受けていません
そこなら安全が確保できるはず……
私は行けません。本体を守らないと
タイムワープ機本体を破壊されるわけにはいきません。これまでの努力の成果の全てですから
これは私自身が決めたことです
たまたま巻き込まれただけのあなたが、「モズ」のために命を危険に晒す必要はありません
イシュマエルは、相手の決意を変えられないことを悟った
わかりました……
時間がありません、急ぎましょう
万が一、何かあればワープ子機で脱出してください
しばらくして、イシュマエルとともにタイムワープ機本体がある部屋に到着した
すでに床一面が緋色の霧で覆われている
空中に浮かぶ異様な人型生物がタイムワープ機本体を見下ろしながら攻撃している。赤い粒子が次々と拡散されていく
ほとんどのスタッフは床に倒れている。残った数名が、必死に本体の前に立ちはだかり、防戦している――
あれが懲戒者です!
懲戒者が強烈な一撃を放つと、タイムワープ機本体の前で立ちはだかっていた人たちが次々と倒れていった
トウ!
イシュマエルは、倒れたトウを助け起こそうと駆け寄った。赤い人影がそれに気付き、ゆっくりとこちらに振り返る……
とっさにイシュマエルの腕を掴み、ワープ子機を起動した
その瞬間、ワープを示す青い光と爆発の炎が視界を覆った
………………
目を開ける前に、まず触覚と嗅覚が戻ってきた
草がチクチクと肌を刺す感触がし、土の香りが鼻先をくすぐる
ワープ前の記憶が徐々に蘇ってきた
我に返って起き上がると、そこはあの研究所ではなかった
うっ……
声がした方向に目を向けると、イシュマエルが隣の草むらに倒れていた
彼女は痛みでうめき声を上げていた。背中には爆発で負った傷がある
イシュマエルは身に着けている応急キットを弱々しく指差した。それを手にして、薬を探す
鎮痛薬をイシュマエルに飲ませると、彼女の苦悶の表情が和らいだ
お願い……します……
まるで幾度となく経験したことがあるかのように、手際よく傷を洗浄し、消毒し、薬を塗って、最後に包帯を巻いた
その間、イシュマエルの体はずっと微かに震えていた
手に込める力を少し弱め、優しく触れる
彼女は質問に気を取られ、深く考えずに答えた
初めてです
そこでハッと我に返り、彼女は思わず笑った
変な質問ですね……
常日頃怪我をする人なんていないでしょう?
あなたは?
かなり手際がいいですが……怪我に慣れているのですか?
そういえば、記憶を失っていたんでしたね
包帯を結び、応急処置を終えた
ありがとうございました
イシュマエルは目の前に広がる草むらを静かに見つめ、少ししてから答えた
……わかりません
タイムワープ機本体が破壊されたのは初めてなので
本体が破壊されたので、全てのタイムトラベラーはもうタイムワープをすることができません
「モズ」で起こった出来事を思い返し、大切な人々や物が目の前から消えた事実を痛感したのか、イシュマエルは再び黙り込んでしまった
研究所にいた時間はそう長くはなかった。しかし、それでも彼女の人生に消すことのできない痕跡を残した
かつての重要な出来事の数々が、今の彼女を作っている――だとすれば、彼女の一部が失われてしまったようなものだ
……実は「モズ」が設立されてから、まだ3カ月しか経っていません
トウは本当に優秀で、彼女がタイムワープの方法を改良したんです
研究所が設立されるまで、タイムワープをして戻ってきた人はひとりもいませんでした
ですが、私たちは僅かな希望を追い求めて、次々とタイムトラベラーを送り出しました
今となっては、全て終わったことですが……
……どういう意味ですか?
イシュマエルの反応を見て、記憶のない自分の方が自信をなくしてしまった
聞いたことがありません
本当にそんなものがあるんですか?
ただ投げて……思い悩むことなく、結果に従って進む……
未来は……心の中に……
その時、風が吹いた。その風は幾千万年の時を超え、嵐の中で帆を煽り、そびえ立つ岩を引き裂いてきた……そして今、優しくイシュマエルの髪をなでている
夕陽が差し込み、黄昏の光が彼女の瞳を照らした
自分が指差す方向を、彼女は見た
イシュマエルは、その景色をじっと見つめた
巨大なアーチが空にかかり、細かい光を反射させて地平線の彼方に沈んでいく
太陽がゆっくりと沈み、空一面が暖かい色に包まれた
ひとつの太陽が消えると、別の太陽が天頂に姿を現した
世界全体が琥珀色に染まり、地上のふたりを包み込む。このまま穏やかな時が、永遠に続くかのようだった
ここは……
イシュマエルの瞳に再び光が宿り始めた
ここはエンデュミオン。トウの故郷……
トウが言っていました。彼女の故郷では、星系で一番美しい夕焼けが見られると
「……遥か彼方の星の光は永遠に頭上で輝き……長い黄昏は永遠に続く……」
トウ·3T型に故郷の話を聞いたあと、イシュマエルはエンデュミオン星について調べたそうだ
この星は安定した二重星系に位置しており、ひとつの太陽を主星として公転している。もうひとつの太陽は遠すぎて、この星にはほとんど影響を及ぼさない
エンデュミオンの環には光を反射する鉱物が大量に含まれており、光の屈折によって、まるですぐ近くで星が輝いているように見える
でも、それは重要なことではない
私たちの時代では、もうこんな美しい景色は見られませんでした
私たちは……過去に戻ったのですね!
イシュマエルの声には興奮が込められていた
ワープ子機の目標地点を変えたのですか?
じゃあ、トウですね。彼女がタイムワープ機本体で目標地点を変えてくれたんです
明るさを取り戻したイシュマエルはワープ子機を取り出した。しかし、それは壊れていた
自分のワープ子機をイシュマエルに差し出すと、彼女は微笑んでそれを受け取った
「モズ」での最後の瞬間――彼女がワープ子機を起動する間もなく、自分が彼女を連れ出した。それで、彼女のワープ子機は壊れてしまったのだ
イシュマエルはしばらくワープ子機を触っていたが、ようやく手を止めた
私たちは40年前に戻ったようです
はい。その可能性はあります
「モズ」の設立を前倒しするか、「モズ」を設立する場所を変えれば……「モズ」の破壊を防ぐことができるかもしれません
夕暮れの中、イシュマエルはこちら見つめて微笑んだ
世界を救いましょう、一緒に
これが――
記憶を失った「グレイレイヴン」と「親切なマエルちゃん」の勇者コンビが結成された瞬間だった