これは、過去の狭間で起きた物語
少女が<phonetic=試練>旅</phonetic>に出て、宿命の扉を開く前の最後の夜
彼女の心に刻まれた、最後の温もり――
これは――
タイムトラベラーたちの物語
時間:■■■■
場所:■■■■
■■:■■■■
ピンク髪の女性は高台に立っていた。ただ黙って、迫りくる破滅を見つめている
通知音が鳴り、彼女は腕につけていた装置に表示されたパラメータを見た
時空の乱れが起こってる……?どうして?
少しためらったが、確認しに行くことにした
赤子が生まれた瞬間のように、暗闇を抜けて光の中で目を開けた。その瞬間、視界を埋め尽くしたのは、すでに崩壊した世界だった
崩れた建物、絶え間なくうねる大地、そして変化し続ける光――
自分を取り囲む環境とは対照的に、心の中は静かだった
そして、心に3つの疑問が浮かんだ――
自分は誰?
どこから来た?
どこへ行く?
単純な思考でさえ、脳に激しい痛みを引き起こした。しかし、おぼろげに「緋色の糸」のことを思い出した
緋色の糸が僅かに震え、宇宙の深部から弦の音を響かせる
弦の音は宇宙の序曲を奏で、やがて永遠の終末へと導く
緋色の糸の傍らに誰かがいる。その人は黙々と糸を紡いでいるように見えた
ドンッ!
大きな音が鳴り響き、意識が現実に引き戻された
すぐ側に崩壊した建物の一部が落ちてきた。ここにも危険が迫っている
今すべきことは、安全な場所を探して身を隠すこと
でも、まだここに……安全な場所があるのだろうか?
こっちです!
声がした方を見ると、角からピンク髪の女性が現れた。こちらに駆け寄り、手招きしている
この世界がもうすぐ崩壊します!
ピンク髪の女性の後を追って走り出したが、数歩進んだだけで、急に体が重くなり地面に倒れ込んでしまった
体が弱っているのではなく、意識がまだこの体に適応できていないようだ
バックグラウンドで進行する大量のプログラムにメモリーを消費された端末のように、体の反応が少し遅れる
ピンク髪の女性は倒れた自分を見るやいなや駆け寄り、こちらの腕を掴んだ
彼女に引っ張られながら前に進み、角を曲がる
すると、目の前に現れたのは金色に輝く光の門だった
光の門をくぐると、目の前の景色が一変した
ふたりはビルの屋上に立っている。遠くに見えるのは――
文明の終焉だった
次々と降る隕石は、大気圏を貫いて天空に尾を引いていた
本来なら惑星に温もりを与えるはずの恒星が、明滅しながら消えていく
恒星の明滅に合わせて、星空全体が揺らめいていた。星と銀河が赤く染まっている。不気味な緋色が天空を侵し、なんとも言えない不吉な雰囲気を漂わせていた
そして大地は、異常な重力によって引き裂かれ、上昇と下降を繰り返していた
可視化された磁力線に無数の磁性体が引き寄せられ、地上で巨大な蛇のように蠢いていた
ひとつの世界の崩壊――幾多ある中のひとつ
遠くから吹く風が彼女の髪をなびかせ、その瞳が露わになった。前方を見つめる彼女の瞳には無限の悲しみが宿っており、全ての光景をその瞳に焼きつけようとしている
一瞬とも、永遠とも思える時間だった。彼女は遠くを眺めていた視線を戻し、こちらを見た
私はイシュマエル。タイムトラベラーです
はい
時空のパラメータの乱れを検知して、あなたを見つけました。本来、ここには他に誰も存在しないはずなんです
異常な現象がどんどんこちらに近付いてきている。今立っている場所が崩壊するのも時間の問題だ
私はもう戻ります。あなたも戻った方がいいですよ
イシュマエルは驚いた表情を見せた
知らないのですか?どうやってここへ?
イシュマエルは少し俯き、考えた
タイムワープの副作用でしょうか?前例がありませんが……
風が強くなってきた。イシュマエルは顔を上げ、こちらを見た
タイムワープ子機はありますか?
時間平面の破壊と空間定位を元に戻すための装置の子機です
返答を聞いたイシュマエルは、少し考えてから手を差し出した
つかまってください!
彼女は腕時計のような装置を見て、パラメータに間違いがないかを確認したのち、再びこちらを見た
早く!
装置から微かな青い光が放たれた。その光が液体のようにイシュマエルの全身を包み込み、続いて自分の体も包み込んだ
最後の瞬間――目の前の星々が灰色に変わり、そして視界は闇に包まれた
ドサッ――
体が地面に強く叩きつけられた。周囲の光景はぼんやりとしたフィルターがかかったようだ。眩暈でくらくらする
はっきりとはわからないが、ここは研究所のようだ
なぜ任務を途中で放棄して、人を連れ帰ったの?
そう問いかけながら、誰かが近付いてきた
薬を持っていますか?この方を連れて帰ってくるのに、予備の子機がなくて
どうぞ
手を出してください
手の甲に何かが貼りつけられた
口を開けてください
適応剤です。楽になるので、心配はいりません
カプセル状のものが口に入れられ、それはすぐに液体へと変化した
適応剤を飲むと視界が徐々に鮮明になり、眩暈も消えた
立ち上がって、周囲の様子を観察できるようになった
やはり、今いるのは研究所だ。背後には多数のアームに囲まれた空間がある
その空間だけ、周囲とは異なる床材が使われている。六角形で、白く微かな光を放つガラスのような素材だ
その近くには操作台が数台あり、2~3人のスタッフが何かを記録していた。彼らは無表情で、ここで起きていることには無関心のようだった
離れたところにも同じ六角形のエリアがいくつかあり、その周囲にも同じように操作台が置かれている
程度の差はあるものの、タイムトラベルをする度に現実に変革が起きます
彼らは現実変革に関するデータを記録しています。これは非常に重要かつ複雑な作業で、途方もない労力が必要です
すると、女性がイシュマエルの説明を遮った。声には焦りの色が滲んでいた
どうして部外者を連れ帰ったの?規則に反するって知ってるわよね
それに、今回あなたが到着したのは「終結年」よ
目標地点で発見したんです。<M>この方</M><W>この方</W>もタイムトラベラーである可能性が高いので
その返答を聞いても、女性の表情は変わらなかった
イシュマエルは少し説明してから、彼女を紹介した
こちらはトウ·3T型先輩です。この研究所の設立に関わり、一部のタイムトラベラーの任務管理をしています
その時の状況を詳しく話して
目標地点で任務を遂行中に、近くで時空の乱れを検知したので確認しに行きました……
イシュマエルが説明している間、トウ·3T型は奇妙な機械を使って自分とイシュマエルの体をスキャンした
スキャン結果に異常がないことを確認すると、トウ·3T型はひとまず安心したようだ
イシュマエルが説明している間、トウ·3T型は奇妙な機械を使って自分とイシュマエルの体をスキャンした
子機1台でふたりもワープするなんて、とても危険な行為よ
見ず知らずの人のために、そんな危険を冒す価値はないわ
幸いにも今回は「帰還」で、「潜行」じゃなかったからよかったものの
彼女は一度言葉を切り、ため息をついた
初対面の人のために、自らを危険に晒すなんて……
前々からあなたの親切さについては聞いていたけど、今回の件は予想以上よ
研究所の人たちが、あなたを「親切なマエルちゃん」と呼ぶ理由がわかったわ
ふふっ
トウ·3T型は笑って誤魔化そうとするイシュマエルから視線を外し、こちらに向き直った
もしタイムワープを通じてここに来たのなら、あなたもタイムトラベラーね。データベースを調べてみるわ。あなたに関する情報が見つかるかも
あなたがここに来た経緯は想定外だし、まだ身元もちゃんと確認できていないけど……
ようこそ、「モズ」研究所へ
見ての通り、ここはタイムワープの研究所よ
しばらくここに滞在することを許可します。イシュマエルに案内してもらって
そう言うと、彼女は再びイシュマエルを見た
先に用事を片付けてくるわ。マエルちゃん、あなたはこの……
彼女は言葉に詰まった。突然の訪問者の名前をまだ聞いていないことに気付いたのだ
トウ·3T型の眉間にぎゅっとシワが寄った
……じゃあ、招かれざる客とでも呼ぼうかしら
彼女はイシュマエルの肩をぽんぽんと叩き、立ち去っていった。その背中には「また仕事が増えた」という嘆きのオーラが漂っていた
トウ·3T型の姿が見えなくなると、イシュマエルは振り返り、こちらを見た
何か覚えていることは?
名前も?
イシュマエルは少し考え込んだ
じゃあ、ニックネームをつけましょうか?自分の名前を思い出すまで、ニックネームで呼ぶことにしましょう
……
イシュマエルは少し俯いて真剣に考え始めた。小声でぶつぶつと呟いている
サツマイモ……いや……ククロ……それともクシュ……
あっ!
彼女は突然、明るい顔をして手を叩いた
灰色の服を着ているから「グレイレイヴン」はどうですか?
四翼の白いカラスは幸運を運ぶっていいますし
どうです?いいニックネームだと思いませんか?
水面に波紋が広がるような、何かを思い出しそうな感じがした。しかし答えは得られず、その感覚もすぐに消えてしまった
あっ……嫌でしたか?
何か思い出せそうですか?
大丈夫です。少しずつ思い出せばいいんですよ
ついてきてください。まずは休憩室に案内しましょう
イシュマエルと一緒に歩きながら、研究所について色々と訊いた
位相転送スクリーン……いわゆるワープゲートです。それすら忘れてしまったのですか?
ワープ技術はすでにかなり確立されています。この時代では常識に近いものですよ
……どうやら色々なことを忘れているようですね
時間平面の破壊と空間定位を元に戻すための装置の子機です
普段は「タイムワープ子機」や「ワープ子機」と呼ばれるので、それで通じますよ
本体との連携が必要ですが
イシュマエルは微笑み、明らかにこちらの意図を察した様子だった
今は正式名称を言わない方がよさそうですね
本体はスーパーAIコンピュータのサポートを受けて動いています。その中には、全ての子機のデータが保存されています
ワープ子機は「ロープ」のようなものです。一端は本体に、もう一端はタイムトラベラーに繋がっています
タイムトラベラーが「モズ」に帰還する時は、この「ロープ」が引き戻してくれるんです
視界が一瞬ぼやけたが、すぐに元に戻った。目の前で何かが一瞬光ったような――
イシュマエルの表情は変わらず、何の異常も感じていないようだった
タイムワープの後遺症だろうか……?
トウ·3T型は廊下を歩きながら、AIコンピュータ「サイレント」を呼び出した
「サイレント」……「モズ」内部のメンバーデータを表示して
ピピピピ――
その時、メッセージが届いた
トウ·3T型の表情が険しくなった
……「終結年」に閉じ込められた?
イシュマエルが廊下を進むと、角を曲がった先に大きなスクリーンがあった。中央には赤い大きな数字が表示され、その周囲に無数の複雑なデータが流れていた
イシュマエルはこちらが指差す方向を見て、その数字を確認した
少しの沈黙があり、彼女は沈んだ声色で言った
終結年です
つまり、この世界が滅びる年のことです
近い将来、世界全体に破滅が訪れます。「モズ」の目的は、タイムワープを通じて、その未来を変えることなんです
……そうです
少し前に目にした世界の終末を思い出すと、胸の奥に「痛み」という感情が湧いてきた
――似たような光景を、もっと前にも見たことがある気がする
それは……
キイィーン――
すぐ側の六角形のプラットフォームから、異様な音が響き渡った
ドサッ――
続いて、人の体が地面に打ちつけられる音がした
慌てて振り返ると、全身血だらけのタイムトラベラーが床に倒れていた
早く……ゴホッ……
彼は短い言葉を発したあと、激しく咳き込み、血を吐いた
そして、渾身の力を振り絞って声を上げた
早く、逃げろ……!やつらが来た……!
何が起こったのかを理解する前に、研究所全体に警報が鳴り響いた