指ー揮ー官ー!お怪我はありませんかー
崖の上の端から構造体の頭が覗き、下でネットに落ちているふたりに向かって大声で呼びかけた
難民キャンプも制圧しました。作戦は順調です!
指揮官が騒ぎを起こして守衛らを引きつけてくれたお陰で、人質が傷つけられる前に彼らを制圧できました!
ですが……
人質は長期にわたって、注射や薬物を投与されていたようです……彼らをコントロールするためでしょう
その薬物によって彼らは脳や神経に大きな損傷を受けていまして、今後の回復はおそらく不可能かと……
ラミアは、人間の手が僅かに震えたのを感じた
確認してみます……
あの……
先にロープで引き上げてもらった方がいいんじゃない?
ラミアは力なくそう言った。目の前で起こる激しい事態の変化に、彼女はもう驚かなくなっていた
ここまで頑張ったもの、お疲れさま
ラミアは「心から」「感謝」を伝えた
指揮官、こちらに手を
隊員の助けを借りてふたりは再び地上に戻った
指揮官、顔の変装はもう外していいんじゃないですか?
そう言われてその人間が顔の包帯と作り物の皮膚を取り去ると、数回しか見ていなくてもラミアにとっては印象深い顔が現れた
(以前より少し……痩せてる?)
記憶の中の面影と違い、その人間の顔は以前よりずっと痩せこけ、頬と顎の骨が目立って見える
ご無事で何よりでした。病み上がりなのに、こんな危険な任務をするべきでは……
潜伏中は武器も通信機も持てないし、いささか危険すぎましたよ
鏡で日光を反射した信号を送ってくださったので、毎日の安否確認はできましたが……
あんな方法、どうやって思いついたんです?
指揮官がこの話題にあまり乗り気でないと察した粛清部隊の新人は、背後に隠れるように立っているラミアの方を見た
そちらの方は?
鏡で伝達できる情報は限られていたため、この新人はラミアの存在を知らなかったのだ
私は……アイリーン
ラミアは指揮官の背中に隠れ、相手の視線を避けた
あの連中め、子供にまで容赦がないんですね!
構造体は怒りをあらわにして、空中に向かって数回殴る素振りを見せた
この子をどこで保護しておきましょうか?
一番近い診療所までは20km、陸路で向かえます
車を持ってきますね
ラミアは、子供の目線にしゃがんだ人間と目を合わせた
[player name]……
(知ってるけど……)
ラミアが気まずそうに笑うのを見て、その人間は軽く咳払いをした
いいよ、気にしないで
(それはお互いさまだもん)
指揮官、車の用意ができました
構造体がオフロード車から顔を覗かせていた
その人間はすでに包帯を解き、浮き出た骨とうっすらと静脈が見える手をラミアに差し出した
うん
逃げる心づもりをしていたのに、どうしてかラミアはその手を握ってしまった
星空の下の慰めや抱擁のせい?
ここ数日で感じた優しさのせい?
それとも、力尽きても決して手を離さなかったその庇護のせいだろうか
これまで感じたことのない感情に、一瞬だけ名残惜しい気持ちが湧き上がった。いつもはあまり自我を出さない彼女だが、今回はその衝動に従うことにした
(とりあえずついていけばいいや、あとで逃げる機会を探そう)
どこに行くの?
お嬢ちゃんはツイてますよ。診療所は清浄地内だから、絶対安全です
清浄地内……
(マジで!!??)
ラミアの反応を誤解したあの人間が、清浄地の特徴についてわかりやすく説明し始めた
パニシングがまったく存在しないエリアであり、境界の監視用に大型の監視台が複数配置されていること
地球上で最も安全といえる場所であること……人間にとっては、だが
(知ってるっつーの!)
(ヤバイヤバイ、清浄地に入っちゃったらパニシングを制御できないよ。偽装が消えちゃうって)
(そうなったら私は……まな板の上の鯉だ)
じ……実はキャンプの片付けがまだの物があって……
大丈夫ですよ。キャンプは私たちが片付けておきました
証拠になる物があるかもしれないから、大隊と合流してから受け取るといいですよ
証拠を残す必要がなければ、検査後には全て返却しますし
皆、新人の隊員ですが、仕事は安心してお任せください
車窓に身をもたせかけた構造体は、ラミアに親指を立ててみせた
わあ、頼もしいね……ハハ……ハハハ……
ラミアは乾いた笑いをした
(ここで元の姿に戻る方が……)
ラミアが顔を上げると、あの人間が心配そうな目でこちらを見ている
もしここで元の姿に戻ったら、偽装によって生まれたあの優しさも消えてしまうのだろうか
初めてラミアは生存以外のことを考えた。生き延びたいと願ってはいるが、柔らかい光に包まれた思い出を壊すのも惜しい
このふたつの難問を前に、彼女は無意識に後ずさっていた
突然、岩と鋼鉄が激しくぶつかる音が響き、黒い崖の岩が崩れ始めた
固定ロープネットの杭打機が暴走してる!?まさか、パニシング?どうして急に現れたんだ!
ほんの一瞬で足場を失ったラミアは、加速していく落下の中で目を閉じた
選択できないのなら、前みたいに逃げてしまおう。この嘘に、突然の終わりとしてピリオドを打つのだ
真実を話せない人魚は、最後は泡になって海へと帰る運命なのだから
(そう、前みたいに。これでいいんだ……)
海に入ればアイリーンの姿は消える。あの人にとって、自分はただの通りすがりの難民だろう
あの人の性格だと、アイリーンを見つけられなかったと長く悔やむかもしれない。そう考えると……私って、本当に悪いやつだ
しかし、落下の勢いが止まった――力強い手がラミアをしっかりと掴んでいた
だがその手はとても脆く、ラミアが軽く力を入れるだけで潰れそうなほどだ
なのにその手はとても力強く、たとえ骨が砕けようとも手を離さないだろうと思われた
どうしてここまでするの……
その人間はラミアの問いに答えなかった。強い海風で、ラミアの言葉が聞こえなかったのかもしれない
あるいは全ての重さを支え、岩の突起を掴む右手に意識を集中しているからか。それが、ふたりが重力に抗う唯一の支点だった
ポタポタ……
真っ赤な鮮血が、相手の掌から、ラミアの頬に滴った
重さに耐えかねた岩と支点を失ったふたりは、ともにどこまでも落ちていった