森の地形は複雑だった。加えて長い間誰も通らなかったために、木々が生い茂ってツタが絡み合い、通り抜けるのが困難な場所もいくつかあった
違いますね
こちらじゃありません、目標が方向を変えました。目標は……逆方向に動いている?
そのようです。地形が険しく、前方のエリアは詳細不明です。周波数の発生源が移動し続けて特定が困難で……おおよその方角であたりをつけるしかなさそうです
確かにその可能性はあります……
前方には水源がないので、水に流された可能性は低いかと。ただ、動物に拾われた可能性はありそうですね……
午前中に鳥の巣の近くで音声装置を発見したことを思い出し、この考えがほぼ確信に変わった
可能です、前方ですね
ワン!
このエリアには、まだ音声装置がふたつ残っています。これがひとつ、あともうひとつは……
指揮官?
はい……
1本の大樹がまるで巨大な柱のようにそびえ立っている。その葉の表面に溜まった雨水が、重力に引かれて地面へと落ちていった
鱗のような樹皮をたどり上を見上げる。この静かな守護者は無数の傷を負っていた。少女は木の下に立ってこちらに向かって手招きし、近くに来るように合図していた
音の信号によると……あそこのようです
彼女は顎を上げ、高くそびえる木のてっぺんを見上げた
誓焔機体は垂直飛行が可能です。そうでなければ、木登りしなきゃいけないところでしたね
ダメです、危険すぎます。この木は高すぎて指揮官の安全を保証できません
ルシアは珍しくこちらの要求をはっきりと拒否した
近付いて初めて、この木の高さが実感できた。地面から樹冠までの距離を目測してみる。上の状況がわからないので、防護服や外骨格があっても危険なのは否定できない
多くの準備時間は必要なかった。誓焔機体に搭載された噴射スラスターが即座に起動し、ルシアは安定して上昇しながら、重力との綱引きに勝った
白い少女が、鳥のように軽やかに木の枝に降り立つ
しばらくすると、通信機にルシアの声が響いた
彼女の声はとても小さく、何者かの邪魔をしないように配慮している感じだ
指揮官、ここに木の洞があります、その中に……
掠れるような音が聞こえる。彼女は穴の中にある何かを確かめようと、懸命に探っているようだ
これは羽……手触りが違う、これは石かな……これは、どんぐり?
相手の正体が明らかになった。その収集癖で人間を悩ませる栗鼠だ
……見つけました、ここにあります
ルシアは空中で振り返ると、突然動きを止めた。ある対象に、心を奪われたようだった
彼女の背中のリボンが風に揺られて、視界の中で影が揺れ動く。一瞬、彼女の姿を捉えられなくなった
……あ、指揮官、今すぐに降ります
こちらの呼びかけを聞いて、軽やかな白い鳥は静かな風をまとって目の前に舞い降りた。揺れる前髪の隙間から、喜びに溢れる瞳が覗いている
ちょうど上で、最後の装置の場所がわかりました。前方のそう遠くないところです
ルシアは習慣的に手を伸ばし、こちらの手首を優しく握った
行きましょう、指揮官
池が見えたんです。たくさんの草花に囲まれていて、カエルの鳴き声も聞こえました。あそこにはきっと、たくさんのカエルがいるはずです
覚えていますか、指揮官。以前、指揮官に送ったあの手帳
「夜明け前の今、私は爆破後にできたクレーターの縁に座っています。とても大きなクレーターなので、中に水が溜まっています」
「ここは草地だったのでしょうか、私の隣には薄紅色の花が咲いています。リーフがいたら、すぐにこの花の名前を教えてくれるでしょう」
地上で多くのことを経験した。少し黄ばんだ手帳に刻まれたひと筆ずつが、少女の切実な想いだ。黒髪の少女が草に座り、目にした全てを静かに記録している姿が想像できる
出発前に任務概要を確認して、ここがあの時、私が任務を遂行した場所ではないかと思っていたんです
でも、時が経てば状況も変わります。侵蝕体の一掃後、この場所はさま変わりしました。だから、確信が持てなかったんです……さっき、あの池を見つけるまでは
あそこは、私がかつて戦った場所です
近くの池はこの草原でかなりの面積を占めており、当時の戦闘の激しさを物語っている
……もう過去のことです、指揮官。心配しないでください
こちらの心配を察したように、ルシアは静かに近付いてきた。少女がもたらす温もりが不安を和らげてくれる
指揮官に手紙を書いた時、周りには小さな花が一輪咲いていただけでした。でも、生命は強いものですね。あそこの芝生に……すごくたくさんの花が咲いています
指揮官。あの景色を、ご自身の目で見てください
池の周囲には花々が美しく咲き誇り、可憐に風景を彩っている
花畑でたわむれるガード犬が、姿が見えなくなった次の瞬間、鼻先に紫色の花びらを乗せてひょこっと顔を出した
その光景を見つめ、ルシアは微笑みを浮かべた
ここはずいぶんと変わりました、指揮官
以前はこんな愛くるしい小動物も、こんなに美しい彩りもありませんでした。ここで目にしたのは、ただ侵蝕体が群れをなして……
任務が終わったあと、私は空中庭園に戻り、その後の処理は近くの保全エリアのスタッフに任せました。でもまさか……
時間の経過とともに、ここにこんな美しい景色が戻っていたなんて
指揮官と一緒にここに戻ってくる日がくるなんて、想像もしませんでした
彼女は池のほとりの花の海をじっと見つめている。花々は、彼女の瞳の中で鮮やかに咲き誇っているはずだ
絵や言葉で記録された過去の情景が浮かび上がり、記憶と現在が交錯し、時空が過去へと逆転する
その時、ルシアはひとりでここに座り、ほとばしる熱い想いをひとつひとつ絵に込め、ページに刻んだ。そして、未来の大切な人に届けようとしていた
今この場所を再び訪れた彼女は、もはや孤独な存在ではない。ここにまつわる思い出に、新たな色彩が加わっている
そうだ、忘れるところでした……
まだ最後の音声装置が残っています。もし指揮官に興味がおありなら、任務の終了後に、ここでの戦闘についてお話します
新しい指令を受けるとガード犬は花の中に姿を消し、ルシアは音声装置が発する周波数に聴覚モジュールを集中させた
周囲の地形は平坦だった。それにルシアが空中でおおよその位置を特定したので、小動物が埋めてしまった装置をクローバーの草原から見つけるのは、そう難しくなかった
三つ葉のクローバー……
音声装置を回収したあと、ルシアの視線は再び草原に注がれていた。彼女はしゃがんで、柔らかい葉にそっと触れている
『四つ葉のクローバーとカエルちゃん』……前に約束しましたよね。もう一度、一緒に絵本を読みましょうって
絵本の物語が現実と混ざり合う。この探索の始まりを祝うかのように、カエルたちが一斉に鳴き始めた。草原の奥には、長い間夢に見た幸せが眠っているのかもしれない
ルシアの指の間で黄緑の茎が揺れ動く。彼女は優しく、そして根気よく、クローバーをひとつひとつより分けた
戦いが終わって、灰色のカラスが優雅に空を舞い、私はその羽を拾って……その時ふと思ったんです。私と指揮官もいつか、こんな風に自由な鳥になれるだろうかと……
――空を飛ぶ鳥になれたら、大切な人と一緒に地球の隅々まで飛び回ることができる
その時の私は思ってもみませんでした。いつか……指揮官と一緒にここに戻ってくる日がくるなんて
はい、今の私はあなたと一緒なら、世界中のどこへでも飛び立てます
かつてひとりで孤独に戦った場所でも、ふたりで力を合わせた戦場でも……一緒にいる限り、それは新しい思い出へと変化して彩りを与えてくれる
指揮官で……よかった
ふたりで何かをすると、いつもあっという間に時間がすぎる。夕陽が傾き、四つ葉のクローバー探し作戦も、静かに流れる時の中で終わりを迎えようとしていた
幸運の女神はここにはいないのかもしれない。小さな無念がふたりの心に湧き上がった
もともと、とても小さな可能性でしたから。でも、とても楽しい時間でした
その時、近くでガサガサという音がした。振り返ると、ガード犬がしっかりとした足取りで草の茂みから出てきた。口には戦利品を咥えている
ワンワン!
そして、ガード犬の頭上には、1匹のカエルがちょこんと乗っていた
ゲロゲロ
カ……カエル!
かわいらしい小さなカエルがガード犬の頭の上に座り、得意げに大声で鳴いている
ルシアはひっそりと息を吸い込んだ。その動作は彼女の考えを如実に物語っていた。彼女はその生き物に、そっと手を伸ばした
小さなカエルは首をかしげながらも、ルシアの差し出した手を次の足場とみなして、軽やかに飛び乗った
指揮官……!
彼女はかすれるような小声で叫び、振り向いて、この不思議な体験と光景の喜びを伝えていた
手の甲で、カエルちゃんの生体モデルは相変わらず悠然と声嚢を膨らませている
その人間が近付いた途端、カエルは素早く跳び上がった
突然の跳躍によって描かれた弧が空中に軌跡を残した。ふたりは無意識のうちにその姿を目で追った
……指揮官、見てください、虹です
池の東の空に、いつの間にか美しい虹がかかっていた
ちゃんと収穫がありましたね
ルシアが手をゆっくりと上げると、まるで目の前の虹が彼女の手の平に浮かんでいるように見えた。彼女は満面の笑みを浮かべながら、こちらを向いた
彼女の向こう側で、無数の花々が競い合うように咲き誇っている