正しい方向を確認したあと、ビアンカはグレイレイヴン指揮官がいるエリアに向かって進んだ
恐らく海洋博物館にもともと備わっていた排水システムが作動したのだろう、海水が通路を通って徐々に引いていった。赤潮は泥のように道の両側にうねりながら広がっている
意識海はパニシングによる重度侵蝕の後遺症の影響があるようだ。ぼんやりとした状態の中、ビアンカは道の両側に微かな「影」を目にした
彼女は風雪の中に現れた教会を見て、その中で必死に祈りを捧げる自分を目の当たりにした
彼女は修道女のいでたちで、何度も神像の前で手を合わせ膝をつき、子供たちが食べ物に困らないように、人々が無事でいられるように、神の民が救われるように祈った……
経典にいう「世に愛を伝える天使」に違いない。私のニューラルネットワークはそう結論づけた
私が彼女を育てたのだ。もともと機械体に時間の概念はないが……ともにすごした9460800分は刹那のようだった
ずっと見守ることができれば……ビアンカ、我が子の……健やかな成長を
……それが叶うなら……
神は人を愛し、人を祝福する。「人」でない私に加護などない
それでも日夜絶えず捧げた祈りに、ご慈悲を賜われるなら……
どうか、我が子ビアンカと……数多の人の子に……
……
神よ。もし私が私でなくなってしまったなら、その時は全ての裁きを受け入れます
彼女は神に自分が進むべき道を示し、正しい選択をできるようにと祈った……
――彼女は拘束装置に抑えつけられた構造体がその扉の前にいるのを見て、虚ろな目で前方を見つめていた
これだから「おしゃべり」は碌なことがない。日中の愚か者さえいなければ、こんなことにはならなかったでしょうに……
我々が販売するものは安全。そして、安全は武器と力によって確保されるもの。今の時代、最も強力な武器は何か?言わずとも、わかるでしょう
残念ながら「信仰」という重大な欠点により、君には人間性が残ってしまった。だが、それでも君は極めて優秀だ
とはいっても、他の商品と同じで、耐用年数の壁は越えられないんですがね。武器にも使用の限界……つまり、寿命がある
諦めることです。君もまもなく、君に「処理」された構造体と同じ運命をたどることになる
彼女は両手を下ろし、神に自分の願いをどう願えばいいのか、もうわからなくなっていた
彼女は幾度も祈りを捧げたが、神は彼女にさまざまな悲哀と苦痛を与え続けた
彼女は離反した構造体が惨殺されるのを見た――
粛清部隊……粛清部隊の魔女だ!
どうして、どうして私なんだ!私は何も間違っていない!
私はただ……生きていたい……ただ生きていきたいから、執行部隊の情報を売った――
彼女にまだ……何ができるのだろう?
ですが、私自身が自分の性格で悩むこともあるのです
信仰を矜持とする私の脳裏に、なぜ信仰と矛盾する思いがよぎってしまうのか……
手を組んで祈りを捧げていたその手で銃を取り、百合の花を受け取ったその手で弓を握りしめた
彼女の両手には、もう肌の柔らかさも温もりもない。それは冷たい金属へと変わり、傷跡が無数に増えていった……
彼女は黙々と自分の祈りを実行した。人が色々なレッテルを彼女の指の関節に貼りつけてきても、それが祈りであれ殺戮であれ、彼女はまるでそれを忘れているかのようだった……
あの手の持ち主は、いつだって彼女自身だ
そう……私こそがビアンカなのだ
彼女は墜ちた海の中で、自分自身を取り戻した
揺らめく光と影。赤潮の中で奇妙な泡影が歪み浮かび上がった。自分に纏わる記憶も、そうでない記憶も、徐々に彼女の意識海へと流れ込んでいった
…………
赤潮の虚ろな影……これは意識海の幻覚?
彼女の記憶に存在しない映像が、赤潮の中で揺れ動く
もしこの戦いが終わったあとも、こうして語り合えるのなら……
こんな私に、あなたは何を言ってくれますか?
けれど、たとえあなたが何を言おうとも……
足を止めることなく、ビアンカは指揮官のいるエリアへと近付いていく
こんな私を――あなたは、喜んでくれるでしょうか
信仰であれ殺戮であれ、光であれ影であれ
私はどんな私にもなれます――
それでも、私は私であり続けます
女性の構造体は長剣を手に掲げ、凛然と前方の閉ざされた扉を力強く斬り開いた
私は聖女、そして魔女。私は――ビアンカです