死に限りなく近付いているという錯覚が、人間の感覚と神経を揺さぶった
深い海底に、悲しみに満ちた低い嘆きが響き渡る
4月1日、エイプリルフール。運命はグレイレイヴン指揮官の失踪という、残酷な冗談を仕掛けた
空中庭園へ戻る途中の輸送機が襲撃され、機体の全応急システムが破壊された。破損を免れたかに見えたパラシュートも、いざ展開してみると大穴が空いていた
人々から称賛されていた「人類の英雄」は、汚染された川へ、まさに「どぼん」と墜落した
今の日時は?
5月10日の午後です。あなたが輸送機から赤潮に落ちた1カ月後ですね
運命の織機が錆びた鉄の針で、混乱し曖昧になった時間をひと針ひと針縫い合わせていく
深い苦境に陥っていた人間が、ついに長い昏睡から目を覚ました
不鮮明な記憶が、順を追いながら延びていく――
うん、死を乗り越える新人類になってほしいんだ
あなたが構造体になれるなら話は簡単だったのに、本当に残念だよ。でも大丈夫、まだボクらには別の手があるからね
その薬剤も僕たちの研究成果のひとつだよ。毎日注射する必要があるけど、あなたはあと1回注射をすれば適応性が生まれるはずだ
だからあなたが異合生物との適応性を備えれば、「ここで」よりクティーラに受け入れられ、より完璧な状態で産まれることができるよ
これが大当たりなのか?まさかグレイレイヴン指揮官までここに落っこちてきたとはな
さ、先にここから……逃げた方が……よくないかな?
ようこそ、27件のメッセージがあります。再生しますか?
指揮官、ずっと捜していますから。今どこにいたとしても、希望を捨てないでください
惑砂の意識のバックアップ場所を探すことが先決だ。あいつを殺さないと、どうせ俺らはここから出られない
ブードゥー-001
「実験は成功した。彼女はロキの暴走する感情の受け皿になってくれた」
「この研究はきっとクティーラを呼び覚ますのに役立つ。彼女の意識も同じ欠陥を持っているからだ」
そして……
重苦しさが残る頭で、更に多くの記憶を呼び起こそうした
こいつが「本当の俺かどうか」、そんなクソ哲学みたいなことはどうだっていい
今、動いているのは俺で、判断ができるのも俺しかいない。つまり今の俺こそが本物だ。他のことはどうでもいい
指揮官!!!俺の後ろだッ!!!
どっちを選んでも後悔するなら!!1歩だけでも前へ進んでやるッ!!
最後の注射をすれば、残された命は48時間のみになる。空中庭園に戻れたとしても、あなたを助ける技術があるとは限らないでしょう?
どうだろう。でも卵から孵化できたら、更に強力な魔法少女になるんじゃないかな
更にその後……
死まで残り13時間
死まで残り13時間
冷たい水滴がポタポタと顔に落ち、人類は深い夢の中から目を覚ました
イシュマエルが約束した通り、人間の意識は海底のゆりかごへ降り立った
こんな巧妙な目くらましなら、深宇宙の群星の中にいる高次元の存在たちも、真偽を見抜くことなどできないだろう
無数の苦難を経て、体の皮膚はすでに爛れている。惑砂の言葉通り、パニシングに完全に侵蝕され、クティーラの懐へ溶け込もうとしていた
シュトロールの認識票を取り戻したラミアが、悲しげな顔で自分のすぐ側で座り込んでいた
私、防護板の上にあなたを寝かせてるの……ここは本来の異合生物の姿に戻ったから、人間には危ないと思って
……クティーラを束縛してるものが思ったより多くて……それを破壊するのに時間がかかっちゃって
……でもね!全部破壊できたの!私たち今は海の底だけど、すぐ海面に出れるから!
もう少し耐えて……もうすぐだから……
彼女は目の前の人間を悲しそうに見つめ、その手を握るべきかどうかためらっていた
頭が割れるように痛む。滝のように降り注ぐ豪雨の音が、世界全体を覆い尽くしていた
疲れすぎているのだろうか……
入り乱れた細切れの記憶の光が、目の前をチラついている
曖昧な時間が網膜の上で繰り返し躍動する
何か……何かが脳内で目覚めようとしているようだ……
たぶん……10数時間くらい
…………
その問いかけに、ラミアは困惑した様子でパチパチと瞬きをした
私がここに来た時は、まだ端末が壊れてなかったから……
ここでの経過時間も入れて、たぶん3月30日か、31日くらいだと思う
え?……たぶん3月30日か31日かと……
意識は孤島へと沈み、雷鳴は5000mより深い深淵にまで轟いた
今日はエイプリルフールですよ。指揮官にどんなプレゼントを贈りましょう?
4月1日……エイプリルフール……
今の日時は?
5月10日の午後です。あなたが輸送機から赤潮に落ちた1カ月後ですね
猛烈な雨が脳内を洗い流し、意識の中で何かが解き放たれたかのようだった。大量の奇怪な記憶がねじこまれるように脳内に押し寄せる――
いや、「脳内に押し寄せる」というよりは……全ての過去を「思い出した」ようだ
黒い星……
異重合塔……
赤潮……黄金時代……
冷たい汗が爛れた皮膚を濡らし、塩分を含んだ汗は、パニシングに侵された血肉を鋭く刺した
では……ここにしましょう
ちょっとした目くらましが必要――
彼女は「グレイレイヴン指揮官」の視線を導き、この「時間」へと向けた。そして、人間の記憶を封じ込めた――適切な時が来るまで
「私と同じように、異なる世界が見えるかしら?」
「あなたも私と同じように……ここに残るただの投影?」
夢の中の視線は、より高次元を俯瞰していた。自分、あるいは誰かの経験が、静かに、苦しみながら、喜びながら、悲しみながら、目の前を猛スピードで通りすぎていく……
「自分」だけだ。これまで……「他の誰か」なんていなかった
……何を言ってるの?
「規則」の束縛が、人間にぼそぼそと言葉を呟かせた
「しかし、自分<//グレイレイヴン指揮官>はいずれこの海底に戻ってくる」
「だが、自分<//グレイレイヴン指揮官>は身を盾にして、彼らの計画を阻止する」
ラミアは、人間の心の中の叫びを聞き取ることができなかった
……どうしてこんなことに……
空中庭園の人たちにとって、あなたは最も価値のある人間でしょうに……
彼女は悲しげに地上の人間に向かって手を差し伸べた
どうしてこんな人まで見捨てられるの?
唇の端から血がこぼれ、爛れた皮膚と混じり合う。「真実」の言葉を口にしたが、ラミアにはここでの声は届いていないようだ
規則に縛られた片隅で、人間の指揮官の視界はなおも広がり続けていた。それはこれまでの全ての「夢」と同じように、より高く、より遠くへと広がっていった
巨大なクジラは痛ましい悲鳴をあげ、奇怪な大樹の根が、この異様な形をした棺の中に深く食い込んでいる……
せめて……最後の瞬間まで足掻こう……
「夢」が急激に沈み、ラミアの悲痛な声が聞こえた
でもどうして……どうして、こんな結末になっちゃうの?
あなたって……物語の主人公キャラで、強運で、すごい人なんでしょう?
どうしてこんな場所で、こんな酷い形で……
途切れ途切れの言葉が震える唇から漏れた
ラミアは少し戸惑った
彼女は目の前の人間のどこかが変わったと感じたが、それが何なのか具体的なことまではわからなかった
最後に……
赤い泥が渦巻き、最後の人間を包み込んだ
4月1日、夜明け
――我々は死しても進み、死体のパレードは続く