空中庭園と協力しつつも、ナナミは今回の捜索救助活動には参加しなかった
彼女は「人類保護事項100条」を細部までハカマに教え込み、今回の捜索救助活動を完全にハカマに委任した
じゃあ、こっちのことはハカマとシブナに任せたからね!
必要なものがあれば、直接ネヴィルに頼んで!もし、ネヴィルが協力しなかったら、ナナミ、戻ってから思いっきりゲンコツを落とすから!
本当におひとりで行かれるのですか?私が一緒に……
こっちの活動にはハカマが必要なんだよ。機械教会の他のみんなは、人間とのコミュニケーションが下手すぎるんだよね
安心して、今回はすっごく慎重にいくから――
アルゴリズムが十分な施設を見つけて、おばあちゃんロボットに連絡するだけだよ
本当にそうしなければならないのですか?
……うん、ナナミ、少し怖いんだ
今って……本当にナナミが以前、演算の中で見たあの「未来」なのかな?
どの兆候も以前見たものと似ているようで、どこかがまったく違うようにも見える
空中庭園が地球を離れる――これは合っている
人類の一部が地上に残る――これも……多分合っている
赤潮が広がり、異災区が拡大する――これもまあ……合っているといえる
眉間に皺を寄せ、ナナミはひとつずつ確認した
空中庭園がもうすぐ地球を発つでしょ。ある程度離れちゃうと、おばあちゃんロボットと連絡が取れなくなっちゃうから
もう一度演算するにしても、直接おばあちゃんに訊くにしても、ひとつだけ知りたいことがあるんだ
――今のこの世界は、かつて彼女が見た、あの未来を目指しているのだろうか?
……
ハカマはナナミを止めなかった。このセージ·マキナと呼ばれる少女が地球の最後の望みを賭けて、ひとり冒険しようとするのを止める理由など、何ひとつないのだ
変異赤潮が地表を侵蝕するにつれ、空気中の温度はぐんと下降した
いつの間にか、新たな氷河期が到来していた
ええっ、ここ、前は入れたのになあ……
廃墟の側で、ナナミは困惑気味に両側のケーブルを繋ぎ合わせた――
目の前の施設は明らかに変異赤潮に侵蝕されていた。どんなに電力を通して回路を改造しようとしても、この巨大コンピュータを再起動することはできなかった
はあ~、これでもう4カ所目だよ
ナナミは地図上に乱暴にバツ印をつけながら、少し困ったように地図を眺めた
以前彼女が発見していたゲシュタルトとリンク可能な施設は、ほとんど変異赤潮に沈んでしまっていた
前方のあの街が……最後の1カ所だ
端末に映し出された地図を閉じ、ナナミは服についた雪を払うと、前方の廃墟に向かって歩き始めた
廃墟となった街の入口には、意外な人物が立っていた
廃墟の一角に立っているピンクの髪の構造体は、ナナミに向かって懐かしそうな笑みを浮かべた
こんにちは
また会ったね、あなたのこと、覚えてるよ
前に空中庭園にいた人だよね……空中庭園はもうすぐ地球を発つんでしょ。どうしてここにいるの?
もちろん、空中庭園の捜索救助活動を支援するためです
彼女はマントを整えながら、前方の廃墟に目を向けた
あなたが何をしに来たのかに興味はないよ……ナナミの邪魔さえしなければいいんだ
あなたを止めるつもりはありません。ただ、私は興味があるんです
本当にその方法で進めるつもりですか?
本当に……地球を離れるのですか?
他に選択肢がある?
残念ながら、今のところ新しい選択肢は見つかっていません
じゃ、ナナミはこうするしかないもん
その時が……もうすぐやってくるから
彼女の側で虚無のカウントダウンが刻まれ、引力はますます強くなり、時計の針はまもなく終点を指そうとしていた
引力が極限に達した時に何が起こるのかナナミにはわからないし、そんな賭けはしたくない
みんなが、ナナミに問いかけてくるの――「どうすればこの全てを解決できるのか?」って
でも……ナナミは「どうすればいいか」っていう問題ひとつだけと向き合ってるんじゃなくて。そもそも、問題が何なのかさえ、はっきりわかってないの
異重合塔を爆破しちゃえば全部解決できるっていうなら……どんなにいいか
……
ピンク色の髪の構造体は微笑みながら、ナナミの独り言のような愚痴を黙って聞いていた
ナナミには問題も突破口も見つけられない――ナナミはセージ·マキナだけど、別に望んだ肩書きじゃない。でも……ナナミがみんなを導かなくちゃ
ナナミは自分勝手に機械体たちの未来を賭けて、地球に留まることはできない。でも、人類の友達として……
<phonetic=ナナミ>指揮官</phonetic>の友達として……
ナナミは、人間がこのまま消えていくのをただ見ているなんてできない。ナナミは人間が大好きだし、指揮官が大好きだもん
もしナナミひとりだけの問題だったら、喜んで地球に留まったよ。最後に死ぬことになっても、人間と指揮官を助けるためならそれでもいいの
でも、ナナミは他の機械体たちがいるから勝手に決められない……ナナミ、間違ってるのかな?
「正解」や「不正解」という定義は、私が決めるべきではないし、あるいは……この問いに答えを出せる人なんていないのかもしれませんね
心が揺らぎ始めているのですか?
彼女は微笑みながら、側にいる機械体の少女を見つめた
揺らいでなんかないけど、ナナミはただ、考えてるだけ
少女の思考は、遥か遠い未来へ向けられた
今のこの世界は、本当にあの「未来」へ続いてるのかな?
機械体の「道」は宇宙にあり、果てしない宇宙の彼方へ向かっている。しかし、人類の道は……本当に地球にあるのだろうか
あら……私の意見が聞きたいのですか?
自分に向けられたナナミの視線に気付き、イシュマエルは目を伏せた
あなたがあまりおしゃべりじゃないのは知ってる。でも、ナナミはあなたの意見を知りたいな
「未来」は、明日の訪れを阻むものではありません
どんなに恐ろしい状況だろうが、地球の太陽は必ず昇ります
イシュマエルの手の平には、何度もこすれて丸くなったようなふたつのサイコロがあった
奇遇だね、ナナミもそう思ってたんだ
だから、ナナミは今ここに立ってるの
かつての「未来」に従い、人類にひと筋の希望を与えることができるなら……
彼女は喜んで機械体たちを引き連れ、地球を去る
心が決まっているのに、なぜ私に「間違っているのか」と訊ねたのです?
イシュマエルは珍しく興味に駆られた
なんだかあなたはすごいレアキャラっぽいし。何かいい情報を聞けたりしないかな~、と思って
灰色の髪の少女は鼻歌まじりに歩き出した
……もし、私が否定的な答えを出したら?
とりあえずあなたの答えは保留にしておいて、指揮官に会ったら、指揮官と一緒に判断する!
かなり盲目的に「指揮官」を信頼しているのですね
「盲目的」ぃぃ~!?ナナミ、聞き捨てならないな!?
ちゃんとナナミが自分の目で見て、自分の耳で聞いて、判断してるんだから!
もし、ナナミが間違った判断をしそうになったら、指揮官が助けてくれるの!指揮官が困ってる時は、もちろんナナミが助ける!
<phonetic=指揮官>ナナミ</phonetic>と<phonetic=ナナミ>指揮官</phonetic>は、お互いに信頼してる。ナナミと指揮官なら、この結末を必ず最高のものに変えられるんだ!
……不適切な言葉でしたね、失礼しました
イシュマエルは思わず苦笑した
他に、ナナミに言いたいことある?ナナミ、忙しいからもう行くね
先ほどの非礼のお詫びに――
お別れの餞別を贈りましょう
イシュマエルの手の中で、20面体のサイコロがくるくると回り、止まる度に異なる数字を指した
今は……もしかすると、袋小路ではないかもしれません
「世界」は眠っています。しかし、いつか目覚める日が来るかもしれません
特異点が訪れる時は確定できませんが、彼らはきっとどうにかしてこの全てを変える予感がします
だよね!ナナミもそう思う!
<phonetic=ナナミ>人類</phonetic>はいつだって新しい奇跡を生み出すもの――指揮官もそう!
指揮官は、きっと異重合塔から出てこられる!ただ……ナナミが今こうしてることが、人類や指揮官の迷惑になったりしないかな?
彼女は、失敗した時間修正者だ
彼女は、既定の未来は避けられると素直に信じていた。しかし演算されたいくつもの宇宙を行き来しても、広大な時間の河の中から「正しい」糸口を見つけられなかった
全ての可能性を知り、最善の選択をしようと努力した。しかし……
彼女が最後の「結末」を変えることは、一度もなかった
どうすれば……これが唯一「正しい」宇宙だと確信できるの?
……
その問いには、誰も答えられないでしょうね
ふふん、そう言うと思ってた。誰も答えを出せないからこそ、ナナミはおばあちゃんロボットを探しに行くって決めたんだ
ゲシュタルトでも答えを出せないとしたら?
それは今のナナミが考えることじゃないよ、未来のナナミに任せることにする
ナナミの答えを聞いたイシュマエルはまた言葉に詰まり、笑って首を振りながら、向こうに見える廃墟を見つめた
ナナミは、絶対、絶~っ対!人類を助ける方法を見つけるから!それが、ほんの小さな希望だとしても――
どんな代償を払ってでも、ナナミは必ず指揮官を助けて、全てを最高で完璧な結末に導いてみせるよ!
廃墟を染め上げる変異赤潮は、付近の建物を伝いながら広がり、触れられるもの全てを隅々まで侵蝕していた
あの結末にたどり着くよね、きっと
私の答えなど、いらないでしょう?
もちろん。ナナミ、もう覚悟を決めたから
魂を持つ機械体の少女は、人類という存在を、そしてこの地球を愛していた
ナナミは、人類が愛してくれたから生まれたの。だから、ナナミも人類に愛をお返しするんだ
自らの信念の強さを確かめるように、彼女はもう一度繰り返した
どんな代償を払ってでも、ナナミは必ず指揮官を助けて、全てを最高で完璧な結末に導いてみせるよ!
完璧な……あの結末ですか?
もしかすると、あなたが期待した「変数」は、すでにあなたの願いを見つめているかもしれません
<phonetic=指揮官>そうですよね</phonetic>?
……えっ?誰に話してるの?
……何でもありません
虚空を見るような視線を戻し、イシュマエルとナナミは肩を並べて廃墟の街道を歩いた
これからどうするつもりですか?
そうだね……まずはおばあちゃんロボットを探して、訊きたいことを訊くでしょ。それからみんなで天航都市に行って、どうにか宇宙船の建造を完成させるよ
もし地上に新しい動きがあれば残って状況を見る、と……
万が一、指揮官が塔から出てきたら、今の問題を全部解決する方法だって見つかるはずだし!
指揮官は本当にすごいもん。でもきっと超大変だよ、うん……ナナミ、前に異重合塔に突入して指揮官とルシアを連れ出そうとしたんだけど、無理だったんだよね……
今は入るのも簡単ではありません
だよね~。ナナミの機体も壊れそうだったし、結局何も見つけられなかった
グレイレイヴン指揮官という重要な存在が「見えた」のなら、以前にもっと多くのものを「見た」はずでは?
うん、見たよ
時間の流れがどんなに変わろうと、指揮官だけはその中に立っている
指揮官はこの世界のアンカーポイントであり、始まりであり、終わりでもある
……その位置を見ることができるなんて、本当に才能があるんですね
今の状況は、思っていたほど袋小路ではないのかもしれません
20面体のサイコロが再び回り始め、イシュマエルはじっとサイコロを凝視した
ですが……運命に通じる唯一の蜘蛛の糸が、どこに留まっているのかは誰にもわからない
ナナミが今やっていることも、これからやろうとしていることも……それでもまだ不十分かな?
恐らく足りませんね
<phonetic=あなた>あなたたち</phonetic>がやろうとしていることは……海の中で1本の針を探すようなものです
その針って本当にあるのかな?
ごめんなさい、断言はできません
ずっとこの先、あなたが未来の「あなた」になった時……
また私を呼びたいと願うなら、その時は私はあなたのもとに現れます
短い街道が途切れた場所にたどり着いた時、廃墟のもう一方の端に、ナナミがずっと探していたものがあった――
十分なアルゴリズムを備えた設備のある研究所だ
振り返ると、隣にいたピンク色の髪の構造体の姿はもう見当たらなかった
よーし!このまま一気に突っ走っちゃえ!ナナミ!