コレドールの後に続いて、異災区の最深部へと進む
一行は赤く深い淵の側で足を止め、彼女が両手を赤潮に浸すのを見ていた
どうぞ、ここに赤潮の「秩序」をまとめました。正しいインターフェースを見つけられれば、あなたの負担が減るはずです
あの、まず赤潮を手で持てる形のものにしなくてもいいの?
必要ありません。ここはあなたの記憶にある「巨大なクジラ」と似たようなもの。入るだけで事足ります
あるいは、これらを引き受けてくれる意識を見つけられれば、私がここで同じものを作り出すことも可能でしょう
少女はきらりと瞳を光らせ、後ろの人間を意味ありげに見つめた
ですが……人間は赤潮の中で死ぬと意識を完全に保つことが難しく、意識海に転化した方がいいようですね
必要ない
私との深層マインドリンクを確立しておいて
滅多にない機会でしょう。たとえ危険が伴うとしても、私が見ている全てを見たいとは思わないの?
指揮官、でも……!
リーフはまだ何か言いたそうだが、周囲の昇格者たちと、すでに紫色の霧に包まれた反転異重合塔を見て、不安そうな表情のまま後ろに下がった
赤潮の中にグレイレイヴンを標的にした罠があるかも、と心配しているのなら……
彼女は横目でコレドールをチラッと見た
しっかり確認したあとに私とリンクすればいいわ。このことで利益を得るのは本来あなたの側……今は、準備するだけでいい
彼女は黙って一歩近付き、人間の手の平に自分の手を重ねた
全ての準備が完了した
周囲の雑多な視線や自分でも予測できない感情を踏み越え、少女はその濃密で冷たい赤潮に両足を入れた
腐敗した生臭い悪臭が嗅覚モジュールを刺激する。溶けた死者が彼女の長い髪を引っ張り、月光のように白い体を包み込んだ
浮遊を解除した体はこの死の沼ではほとんど動かせない。ルナは足を取られながらも必死に体を安定させ、一歩一歩岸辺から遠ざかった
そして、無数の死者の虚影が凝視する中、ルナは完全に赤色の地獄へと沈んでいった
目を開けると、彼女はまだ沈み続けていた。地獄から上へ登る蜘蛛の糸を掴むように、腐臭漂う粘着質の赤潮が無数の死者の恨みとともに、彼女の両足をしっかりと掴んでいる
無数の他人の感情や記憶の断片が彼女の思考に刺さる。そのほとんど全てが同じ目的――機体に入ってあの意識と取って代われば、際限なく引き裂かれるこの地獄から逃げられる
耳元で何かが砕ける音が聞こえ、大勢の叫び声が響いた。ルナはまるで人々の喧騒渦巻く広場で叫んでいるようだった。この瞬間、彼女こそが絶え間ない混沌とノイズだった
声はナイフのように彼女の体を引き裂き、その痛みは無数の死者とリンクし、純白の機体を彼女自身の赤色で染め上げていった
彼らは泣き、笑い、尖った声で途切れ途切れに問いかけた
――なぜお前が?
――私もお前と同じように善意を抱き、お前と同じように裏切りを経験し、どうしても手放したくない思いと、全てを奪われた恨みを抱えていたのに
――なぜ選ばれたのがお前なんだ?
――なぜ生き延びたのがお前なんだ?
――なぜ昇格ネットワークを見つけたのがお前なんだ?
なぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだ
なぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだ
<b>な ぜ だ</b>
ルナはもがいたが、パニシングで構成された泥沼は、もはや制御を失った「代行者」に容易に操られてはくれない
彼女は唯一のマインドビーコンを掴み、自分の体を再び掌握しようとした
だがもがけばもがくほど、彼女の意識はますます混沌としていく
彼女はまた何かが砕ける音を聞いた
何か一片の「意識」がルナから離れ、赤潮に変わったようだ
散乱するパニシングが湖面から立ち昇り、薄霧に溶け込んでいった
そっと、ルナはその一片の引き裂かれた意識にすがり、薄霧<//自分>を見つめた
風の痕跡、揺れる木の葉の輪郭、そしてほとりで待つ人々に触れたようなぼんやりとした感覚があった
惑砂はその場でじっと動かずに立っていた
ロランはずっと彼女が消えた場所を見つめている
ラミアは何かに気付いたようで、きょろきょろと辺りを見回していた
……姉<color=#ffffffff>さん</color>。
湖のほとりにいたαは、薄霧<//ルナ>の声が聞こえたかのように顔を上げた
「ここに来るまで、ずっと黙っていたのはルナのせい?」
彼女は、その人間が薄霧<//ルナ>の中で、とても低い声でルシアに話しかけるのを聞いた
ふたりは長い間沈黙していたが、薄霧<//感知>が消えようという時、ようやく答えた
「私たちが空中庭園を離れた時、上の人々はまだ爆発の被害の対応に追われ、大勢の人が混乱していました」
「反転異重合塔と清浄地も同じです。その時点で得られた唯一の情報は、それが昇格ネットワークと関係があるかもしれない、ということだけでした」
もうひとりの姉はそう言いながら、無事を確認するかのようにその人間の手を握った
「昔、075号都市にいた私もルナを救いたかった。でも……今、私はどんな立場で……彼女を救えばいいのでしょうか?」
「……私もグレイレイヴンも、あなたに何か起こるのを見たくありません……もし前のようなことがまた起きたら……」
人間は安心させるように彼女に一歩近付き、今の健康や安全の状態を示した
「指揮官……」
最後に吹いた風が意識内の火を消し去り、彼女はなす術もなく、赤潮を紡ぐ者の腕の中に落ちていった
…………
……このままではいけない。マインドビーコンを掴んで意識海を安定させなければ、残った意識さえも引き裂かれ、風に飛ばされてしまう
……?
その偶然の瞬間、赤潮を紡ぐ者は全ての警戒を解いた意識を捉えた。代行者がかつて俯瞰した深層情報がコレドールの瞳に映り込む
昇格ネットワークの意志……代行者……意識データ……
認知の欠片が赤潮に流れ込み、コレドールの意識の演算下でゆっくりと再構築され、本来の姿を現した
内層がこんなにも単純で直接的なのは、人類文明の特徴とまさに符合しています。これは意志とはいえませんね
内容の掌握が完全になるにつれ、ふいにある説明のつかない想念がコレドールの脳裏に浮かんだ。もし昇格ネットワークの形式が、自分が覗き見た通りに機能するなら……
……赤潮の特性を利用して、ルナの構成を模倣すれば、代行者と同等の存在を作り出せる……?
いえ……そんな簡単ではない……
コレドールの思考が活発化した。赤潮の模倣と複製は万能ではない。もしそうならコレドールはとっくにこの力を利用して、常識を超えた複製品を作っていただろう。だが……
そこまで面倒なことをする必要は……
ルナがコレドールの手中にある今、彼女は赤潮の力でルナの意識を引き裂き、機体に赤潮の概念を植えつけ、赤潮の幻影に似た存在を作り出すことが可能だ……
そして、ルナの目的地に向かい、ルナが向き合うべき試練をクリアすれば、代行者の権限を手中にできる……あるいは……更にその先へ進むことも……
ただ……
存在も必要もない心拍が脈打ち、コレドールの目が思慮深さを増した。この試みは安全ではなく、積極的に行う必要もない。潮が満ちれば波間の孤舟は完全に呑まれる可能性がある
ほんの僅かな波の流れで……
少しだけ目を伏せたコレドールの細い指が、微かに震えていた。更に深い場所で、ルナを包み込む潮の色がますます濃くなっていく
ルナが赤潮に入ってからどのくらいの時間が経ったのだろう――
突然、脳が異様な感覚に襲われて意識が一瞬停滞した。リンク中ずっと微弱だった感覚が急速に消えていく
[player name]
目を閉じて考え込んでいたαはいつの間にか目を開き、鞘から抜いた刃のように鋭い視線で、まっすぐに赤潮を見据えていた
それを聞いたαはコレドールに向き直り、その右手は腰の刀に伸びている
説明を
振り向いたコレドールは不穏な気配を感じ、そっと眉をひそめた。そのまま、何かを感じ取ろうとするように考え込んでいる
ルナはとても弱っています。赤潮が彼女を更に深みへと引きずり込んでいる。まだ私が織り上げていない潮の深淵へと……
残念ですが取引を中止してルナを引き上げますか?言っておきますが、これはそちらの失敗なので報酬はお返しできません。データはすでに私の体に溶け込んでいますし
コレドールは右手を伸ばしてきて、淡々と、だが真摯な眼差しを見せた。αがひと言でも発せば、すぐにルナを赤潮から引き上げてやるということらしい
…………
取つ置いつ考えているαを見て、コレドールはまた頭をかしげると、自分が把握している情報を提供してきた
でも……彼女はまだ抵抗しているようです……うん……状況はあまり楽観的ではないけれど、どうにか持ちこたえているようですね……
どうです?決まりましたか?取引を中止するか、それとももう少し待ちます?
………
[player name]
αは再び口を開き、先ほどと変わらぬ口調でこちらの名前を呼んだ。だがその意味は明らかだった
雑念を払い、意識は微かな痕跡をたどってゆく
何度も方向を変え、ようやくマインドがルナの痕跡を捉えた
偶然だったのか?ルナは安全なようだ……
感知した情報を伝えようとした瞬間、先ほど感じた異様な感覚が再び襲ってきた。意識がぼんやりと停滞したあと、恨みを帯びた低い声が耳に響いた
コレ……ドール……!
ザァア――
波音がその声を覆い、窒息感が意識をズタズタに引き裂く
これがルナがなんとかして伝えたかった怒りの叫びなら、今のこの事態は間違いなくコレドールによって、何か別の企みのために引き起こされたものだ
キィン――ザアァ――
αが迷うことなく刀を抜くのと同時に、コレドールが両手を高々と上げた。次の瞬間、羊のようにおとなしかった赤潮が突如巨大な波となり、木々と同じ高さまで押し寄せた
波間から浮かび上がった異合生物が凶暴に襲いかかってきて、その場が瞬く間に混乱に陥った
ヒィィッ!どういう状況よ!?
了解です
はっ?計画って何よ?私、聞いてないけど!?
リーフ、指揮官の傍にいてください
後方は本来安全な場所のはずだろう。その心配する様子じゃ、私たちも警戒すべき対象ってことかな?
ロランはルシアの指示内容に不満を述べた訳ではない。彼はそう言うとすぐさまルシアに背を向け、αの援護へと向かった
ちょっ……!?私は?……ねえ……ど……どういうこと?
か、確認してくる!
そう言ってラミアは一瞬で惑砂たち3人とグレイレイヴンの間に移動した。そうやって動く内に、ロランと指揮官の考えがだんだん理解できてきた
……恩を仇で返す。どうやら昇格者たちも互いに欺き合っているようだ
目の前の混乱を見たテセは低く呟いた。彼は一歩踏み出そうとしたが、惑砂がそれを制止した
ボクたちはルナさんの戦いに加わるべきじゃない。勝手に手を出せば敵とみなされてしまうよ
ほら……あそこでラミアがこっちを見てる
彼は横の空地を示した手で、グレイレイヴンにひっそり接近していた異合生物を捕まえ、手の中で溶かした。そして再度手を振り、テセたちふたりにもう一歩下がるよう合図した
ごめんね……ラミア。今のボクたちに悪意がないことを証明するには、何もせず傍観しているしかないんだ
去る前に彼は振り返り、ラミアがいる空き地に向かってそう言った
…………
どうしようもない緊急事態になったら、ボクたちを呼んで
惑砂はブードゥーとテセの側へ行くと、声をひそめた
もし状況が悪くなったら離れよう。無駄死にする必要はないよ。君たちは、リリスのところでも生き延びられなくはないんだし
言ったはずです。私は彼女を見ると、あの悪辣な女を思い出してしまうと。私は絶対に彼女の下へは行きません
行くのか?
あの方に約束したから……それに……ルナさんがそう簡単に失敗するとは思えないしね
わかった
惑砂は顔を上げた。その視線は戦場を突き抜け、赤潮の高波を引き裂いたように、ある人物へと注がれた
バンッ――
混乱の中で弾丸の鋭い音が耳を刺すように響いている
見つけた
ザシュッ!――
弾丸を追いかけるようにαの刀が振り下ろされ、コレドールの人影はバラバラに切り刻まれる。しかし、彼女はすぐに異合生物の群れの後方から立ち上がってくる
1対6の状況でもコレドールに疲れは見えない。この赤潮に覆われた区域では、勝算は彼女の方にあるのだ
あなたの鋭敏さは予想以上ですね
思いつきでしたことですから、完璧とはいかないのは当然です
コレドール!
αは再びコレドールの前に飛び出し、彼女を護る異合生物ごと横ざまに真っぷたつに斬り払った
無視しているのか気にも留めていないのかはわからないが、再び立ち上がったコレドールは、αや援護するロランを相手にするそぶりを見せない
私が旅の途中で最も多く味わった、最も意味のない感情、それが怒りです。私が何をしようと、あなたたちには止められません
それよりも、グレイレイヴン指揮官、少し話しませんか?
もう少し時間をくれれば、ルナがあなたたちに与えられるものは私も与えられるようになる。グレイレイヴンと昇格者が、利益以外に協力する理由などないでしょう?
コレドールの言葉に、グレイレイヴンの3人とロランの動きが一瞬止まった
前半の言葉の意味を全員が理解できた訳ではない。だが、後半部分は互いに反目させるために挑発してきたのが明らかだった
チッ!
刀が再び振り下ろされる。この会話を通して唯一影響を受けていないのはαだけだ
今の目標はひとつだけ。集中しなさい、ロラン
αは刀の切っ先をブンと払い、こびりついた異合生物の血肉を振るい落とした。彼女の目線がグレイレイヴンを見渡し、やがて止まった
敵であっても、私たちは十分にお互いを知っているはず。判断にこれほど時間をかける必要はないでしょう、[player name]
αに小さく頷き、グレイレイヴンの3人からの問いかけるような、静かな視線にしかと応える
[player name]、私はルナを信じている。だけどここはコレドールの赤潮区域よ。彼女が手を引くことは絶対にない
深層マインドリンクは切れていないわね?
αの冷ややかな口調の中に微かな不安が隠れていた
これ以上異合生物と戦っても消耗戦になるだけ。なんとかコレドールを倒す方法を考えないと。後は……
わかった
形勢が瞬く間に変わる。コレドールが再び現れると皆はためらいもせず、コレドールと異合生物に向かって一斉に攻撃を開始した
先ほどと同じように、意識は微かに見える痕跡を追い、何度も方向を変えていく
焦りのせいで意識にブレが生じるが、すぐに理性がそれを修正する。緊張した状況ならなおさら冷静さが必要だ
ルナが赤潮の中でどんなトラブルに遭遇しているのかはわからない。だが、今の彼女は確実に助けを必要としている
ルナを見つけ、必ず助ける
単純明快な思考は非常にクリアに、その短い思念だけが最速でリンクを通じて伝達される
シンプルであればあるほど強力だ
やがて混沌とした凶悪な赤潮を越えると、意識の視界の果てにひとつの姿が見えた
彼女を見つけた次の瞬間――
全てを溶かす赤潮が激しく渦巻いて湧き上がり、独特の腐敗臭を振りまきながら外へと溢れ出した
唇に指をそっと押し当てられたように呼吸が遮られ、僅かに気を失いかけた瞬間、酷く濁った月光が森を覆った
彼女は無言でコレドールを指差した。コレドールが驚き、動揺から立ち直れない内に、駆けつけたαがその進路を塞いだ
…………
私にそんなやり方は通用しないと……
その言葉の途中で、空気中のパニシングが無数の棘となってコレドールを貫いた
ルナの口角が僅かに持ち上がり、空虚な目に浮かぶのは笑みにも怒りにも見える
ルナの指差していた手がそっと握られると、パニシングで構成された異合生物――コレドールはバラバラに粉砕され、破片となり……
不完全な冷笑を浮かべながら、赤潮に向かって転がり落ちていった
まだよ、コレドールはまだ消滅してない!
コレドールの破片が赤潮に落ちる寸前、彼女を待ち構えていたのは人間の手から放たれたΩ武器だった
その瞬間、全てが静寂に戻った
αは素早く岸辺に駆け寄ると、空から落ちてくるルナの体をしっかりと受け止めた
先ほどの戦闘中すでに、彼女は限界に達していたのだ
とどめを刺してくれてありがとう、[player name]
そう言って、少女は姉の腕の中で静かに目を閉じた