Story Reader / 本編シナリオ / 28 星灯宿す氷帝 / Story

All of the stories in Punishing: Gray Raven, for your reading pleasure. Will contain all the stories that can be found in the archive in-game, together with all affection stories.
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28-26 地獄

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これはシュルツ·ロスムが自軍の塹壕にいた最後の夜のことだ。彼は主軍の前線守備旅団の攻撃計画を、130km離れたバデーレ砦に届ける命を受けていた。出発は3時間後だ

煙草はあるか?酒でもいい

シュルツは隣にいる夜間警備の兵士を肘で小突き、手に持った錫のスキットルを振ってみせた。暗い夜にも関わらず、その金属の光沢は僅かな焚き火の光でも目を引いた

チッ……あぁ?

警備の兵士はシュルツからスキットルを受け取って簡単に確認しただけで、後ろにあるぼろぼろのリュックにしまい込んだ

中身の素性はわからんが半分だけ残ってる。飲むなら自己判断で飲め

その兵士は振り返ると、褐色の液体が半分ほど入ったラベルのないガラス瓶をシュルツに手渡した

濃厚で粗悪なキャラメルと強いアルコールの香りが混じり合って鼻を刺したが、その芳香はこの厳しい冬でも体を温められそうに思えた

シュルツはすぐに栓を抜き、ゴクゴクと喉を鳴らしながら飲み干した。しばらくしてホッと息を吐くと、冷たい塹壕にもたれて夜警の兵士の隣にしゃがみ込んだ

……クソッ

最悪だな。この酒、ほぼガソリンだろ?まあいい、ちょっとは気分がマシになった

煙草もいるか?

いやいい、今吸えば火ダルマになりそうだ

なら俺が吸う

兵士はポケットを探ってくしゃくしゃの煙草と、明らかに彼には似つかわしくない銀色のライターを取り出すと、風を防ぎながら煙草に火をつけた

焚き火の側で煙草の暗く赤い光が灯る

ああ……あのな

ん?

このブランデー、本当にクソまずいぞ

だろうな

1本もらえるか

結局吸うのか?

兵士は煙草の包みをシュルツに差し出した

俺の奢りだ。丸焦げになるなよ

いや、火はいい。咥えて気を紛らわしたいんだ

シュルツは同じようにしわくちゃの煙草を1本取り出すと、口に咥えた

なあ、ヘンリー――

ウィリアムだ

ん?

俺はウィリアムだ、ヘンリーじゃない

今夜の当直はヘンリーじゃなかったか?

あいつなら今朝の突撃で死んだ

じゃなきゃ、俺もここで煙草なんか吸ってない

シュルツはチッと舌打ちし、ついでに口の中に残る煙草の葉を唾と一緒に吐き出した

じゃあ、ヨシュアは?

あいつならそこら中に散らばってる

ウィリアムは目の前の焚き火をじっと見つめた。口元の暗く赤い火が静かに明滅する

シュルツは多くの死に方を目にしてきた。ヘンリーは恐らく朝の突撃で銃撃されて塹壕の外のどこかに倒れ、ヨシュアは152mm榴弾砲で木っ端微塵になったのだろう

一昨日、戦闘前にシュルツがシャベルで塹壕を掘っていた時、凍土の中の柔らかいものに触れなければ、そこに裸で埋まっていたジョンを見つけることもなかった

それ以外にも夏の雨季、軍医からキニーネをもらい損ねていたら、ベンのように震えながら泥水に倒れ、塹壕にいるネズミに少しずつ齧られてしまっていただろう

しかし、冬はその心配がないのがいい。ネズミも極寒の塹壕では生き残れないのだ

【規制音】、なんて寒さだ

ああ、銃身にへばりついたヨシュアを取り除くのに苦労したぜ

日が昇ればまだ少しはいいんだが

ああ

また沈黙が続いた

アルコールはシュルツの胃を刺激し、洗い流した。彼はもうバデーレ砦での熱いコーヒーやうまい食事、温かい風呂やベッドを想像し始めていた

快適に違いない、きっとそうだ。戦争中でも、街の状況は前線よりもずっといいはずだ

極寒の前線に留まりたい者などいない。ある時は弾薬が、ある時は人手が足りない。しかし後方から次々と送られる電報だけは切れた試しがなかった

バデーレ砦のお偉方は部隊を動かすだけでいい。シュルツの所属する軍は、南に向けて3つの空挺団とふたつの装甲師団に分けられていた

そして今、寒さ以上に恐ろしいのは、4日前に彼らの軍の無線局が砲撃で跡形もなく粉々にされたことだ

そのためシュルツの所属する地上部隊は、この前後20kmの防衛線上で70時間以上も孤立していた

このまま守り続けても意味はない。こちらから打って出るという攻撃計画をバデーレ砦の司令部に届ける必要があった

シュルツはまた舌打ちして煙草の葉を吐き出すと、ほとんど空になっていたブランデーの瓶をウィリアムに返した

さて、行くか

冷たい空気がかつて肺炎を患った彼の肺に吸い込まれ、濃厚なアルコールの匂いを含んで、再び息となって吐き出され、塹壕の中に消えていった

なあ、おい

なんだ?

俺たち、包囲を突破するべきじゃないか?

ああ

バデーレの上官に手紙を届けに行く

シュルツは胸から緋色の封蝋で封じられた文書を取り出した。旅団長はこの任務にあたって突破について説明をしたが、それ以上に文書の機密を守るよう強く念を押してきた

そうか……

緋色の封蝋は焚き火の炎に照らされて、更に赤みを増した

ん……待て

あれは……何だ?

シュルツは鼻筋を摘んで目を細め、遠くの黒くぼんやりした影と、空中にゆっくり昇る赤く光る新星を見定めようとした

信号弾……

信号弾だ!!

敵襲!!!!!

怒号が冬の夜の静寂を破り、その直後に砲弾が空を切る音と銃声が響いた

シュルツはその砲弾の音が何を意味するのかよくわかっていた――

銃弾はシュルツのすぐ側を掠め、硬く凍った地面に大小いくつもの穴を開けていく

ウィリアム!!!

しかしシュルツの叫び声が聞こえないのか、彼は手元のライフルを引っ掴むと、塹壕から次々と飛び出す戦友たちとともに、暗闇に乗じて忍び寄る敵に対抗し始めた

シュルツは自分も撃ちまくりたいという衝動を抑えた

2日後に彼の部隊は外に向けて突破を行う予定で、同時に司令部は外周で支援する必要があった。そうしないと彼らの部隊は全滅するからだ

これは明らかに暗闇に乗じた敵の奇襲攻撃だ。この攻撃が2時間半続くかどうかはわからないが、彼は今すぐ出発しなければならないのだ

部隊が突破を予定していることを、バデーレ砦の司令部に届けなければならない。なんとしてもだ

行くんだ、早く

ここで死ぬ訳にはいかない

ウィリアム!!!

シュルツは再びウィリアムに呼びかけたが、すでに彼の姿は見えない。もう呼びかけても無意味だった

時間がない

シュルツは急いで自分の弾薬と補給品を確認し、旅団長の名前を記した文書をしまった胸ポケットを手で押さえた

早く走れ!

敵の姿は見えないものの、空を飛び交う砲火と銃声が彼の頭で張り詰めた弦を震わせて、それを避けろと彼を駆り立ててくる

戦友たちが次々と塹壕から飛び出し、一散に駆けていく。すれ違う度に彼らの肩や銃床がゴツゴツとぶつかったが、シュルツは気にも留めなかった

幸い、彼が反対方向に歩いていることに誰も気付かず、督戦隊を呼ばれて銃殺されることもなかった

すまない……皆……

狭い塹壕は人で溢れていた。まるで戦争という名の墓場へ、列を成して進んでいるかのように

【規制音】!どいてくれ――

世界が一拍遅れている――奇妙な速度で回転していると思った瞬間、次はその回転が勢いを増し、彼は地面に叩きつけられた

彼の顔の下にはブーツがあり、ブーツの上には膝があるのに、膝の上には何もなかった

彼は起き上がろうとして温かくぬるりとした何かをつかんだが、支えるには足りず、また手探りで何とか掴めそうなものを見つけた

それは別のブーツだったが、先ほどの膝があったブーツとは違うようだ

彼はもがきながら立ち上がった。砲弾が吹き飛ばした冷たい土は、彼の顔の上で雪や泥水と混じり合い、そしてすぐに他人の血で染まった

彼は少し困惑していた。つい先ほどまで塹壕の中にいたはずなのに、こんな平地にいるのはなぜだろう

???

空襲!空襲!

撃ち落とせ!あのクソッタレどもを撃ち落とせ!

伏せろ!!!

これはシュルツ·ロスムが捕虜キャンプの野戦病院で気付け薬によって目覚めた時の最後の記憶だ。あの時、別の砲弾が10m離れた場所で炸裂し、再び彼を地面に吹き飛ばした

小説のような幸運は訪れず、彼は戦場に横たわって満天の星を眺められる体勢ではなかった

彼はうつ伏せで、冷たい土の中に埋まっていたのだ

おまけにその日は、ひとつの星も見えていなかった

……手術……終わった

まだ……必要だが……我々……送る……

彼は爆発の残響が頭の中でぶんぶんと鳴るような電子音と、自分がどこかのテントにいて、周りに白い服を着た人がいることだけをぼんやり感じ取っていた

……何……敵が……

???

……として……送ろう……向こうの人……彼の……

敵……戦友……いいじゃないか

???

全てが君の……かかっている

……2年……君が……

???

もちろんだ……

……戦争は……終わらせられる……

???

いや……始まったばかりだ

白い服の人物は彼の目をこじ開け、懐中電灯を振って照らした

問題がないことを確認すると、テントの外の人に向かって手で合図をした――

その後シュルツは、外観の記憶もないその場所に二度と入ることもなく、自分の目を懐中電灯で照らした医師の声を再び聞くこともなかった

彼は布袋を被せられて運び出され、後ろ手に縛られたまま、風があちこちから吹き抜ける車に放り込まれた。彼が再び明るい光を見た時には、ほとんど凍死しかけだった

捕虜キャンプの「温かさ」がすぐに彼を包み込んだ

最初、シュルツは自分は地雷をくくりつけられ、前線での「道具」にされるのではないかと危惧していた。だがすぐにこの捕虜キャンプは想像以上に人道的だと気付いた

朝昼晩の点呼と、いくつかの必要な集まりを除けば、この捕虜収容所は驚くほど平和だった。シュルツは「捕虜の扱いに関する公約」は知らないが、とにかく状況は良好だ!

そして、彼らの部隊の突撃計画を蝋で封じたあの文書も、幸いなことに守衛に取り上げられはしなかった

唯一残念だったのは、2カ月が経っても一向に戦友に会えないことだ

煙草はあるか?酒でもいい

この日は快晴で、彼らは広場で風に当たっていた。向かいに座る顔中傷だらけの男性は、副参謀長のリーボヴィッツと名乗った。見るからに地位のある人物だ

しかし、実際にシュルツが彼の地位を判断したのは、彼が吸っていた煙草の質からだった。非常に精巧なシガーホルダーに味のいい煙草を吸っていたのだ

いえ

はあ、なぜだか知らんが、ここで戦友に会ったことがなくて……

ほう?

まあ確かに、ここの捕虜収容所はデカいんで

ここには、あなたみたいに経歴や地位のある人もいるし、俺みたいに銃を担いでただけの兵士もいる

でもどうして戦友を誰ひとり見ないんだろう……

君はどこの部隊だった?

シュルツは警戒してリーボヴィッツを一瞥したが、結局は上等な煙草を吸う彼を信頼することにした

バデーレ砦東側防衛線の第57歩兵師団、自動車化歩兵第2旅団です

そうか……

えっ!?

何か?

第3軍、第57歩兵師団だと?

ええ

そんなはずは……

その部隊番号は……3年前に廃止されたはずだが

3年前に?まさか!

俺がこの収容所に来たのは2カ月前ですよ!俺たちの旅団は2カ月前、師団と突破の検討をしていた!

副参謀長はどちらだ?私だろう?

あなたは57歩兵師団だったんですか?

そうじゃないとでも――

???

おい!そこ!

銃を携えた看守が、リーボヴィッツとシュルツに向かって怒鳴った

看守

私語は厳禁だ!

リーボヴィッツはそれ以上何も言わず、シュルツに目で合図をすると、不承不承座っていた場所から立ち去った

シュルツも黙って立ち上がり、ズボンの埃を払うと太陽に背を向けて歩いていった

(どういうことだ……)

(3年前に番号が廃止?だが確かに2カ月前に俺は旅団長から任務を受けた!)

(一体どうなってやがる)

シュルツは目を細めて、日光でぼやけた高い壁の上の有刺鉄線を見つめ、生まれて初めて無力感を覚えた

しかしそんなことにはお構いなしに、誰かが時計の針を弄ぶかのごとく、カレンダーは1枚また1枚とめくられていった

そうして、2年が経った

あの日以来、彼はリーボヴィッツに二度と会うことはなく、あの老人の奇妙な発言も彼の記憶から消え去っていた

彼はここで捕虜仲間たちとブリッジの遊び方や、サッカー、ボクシングを学び、更には小規模ながら運動会すら開催していた

中には将官と兵士のマニュアル通り脱走を試み続けて射殺された者もいるし、他の捕虜収容所に移送された者もいた

しかし、シュルツは脱走を考えなかった。将官たちと一緒に閉じ込められた時、銃を担いだ一介の兵士でしかなかった自分に、脱走する価値があるとは思えなかったのだ

更にもうひとつの理由は、彼が次第に自分が任務を完遂できなかった事実を受け入れていったことだ

もし本当に突破が成功したらどうなっていた?

彼は自分にそう言い聞かせた

だがそうやって「慰め」続けても、彼の心の奥底でいつもある声が響いていた。それは、然るべき時に届けるはずだった手紙の緋色の封蝋のように、彼の心を押し潰すのだ

シュルツ?

ああ……ジョンか

ジョンが机まで来る前に、シュルツは気付かれないようその手紙を素早く上着の内ポケットにしまい込んだ

行くぞ、点呼の時間だ

どうしていつもそうモタモタしてるんだよ

ちょっとな――

???

空襲!!!!

重さ300kgの爆弾の飛来音が収容所の手回しの空襲警報をかき消し、その唸り声の直後に耳をつんざく爆発音が続いた

事前の警告もないため、防爆フィルムの補強もない窓ガラスは一瞬で砕け散った。彼はすぐに頭を守ったが、鋭いガラス片が腕を切り裂き、花を飾りたての花瓶が粉々に砕けた

だが彼にはもうそれを気にかける余裕はない

生き残れ!

早く逃げるんだ!!!

シュルツは振り返ると呆けた様子の若者の襟を掴んで、小屋から転がるようにして這い出した

爆弾はふたりがいた小屋の100mほどの場所に落下したようだが、彼はそこに爆弾が落ちたのかを確認する暇も必要もなかった

なぜなら、すぐに更に多くの爆弾が暗い空から唸りを上げて降ってきたからだ

彼らが飛び出して数秒後、3機の爆撃機が頭上をかすめた。その時シュルツは爆撃機の弾倉から斜めに落ちてくる数kgの「小瓶」こそが、真の死神だと初めて理解した

ナパーム弾ッ!!!

彼らがいた小屋はほんの数秒で炎に包まれた

内蔵された爆薬がマグナリウム混合顆粒に点火し、それによって混合油脂と白リンが四方に飛び散る

木製の小屋や地面、フェンスや機関銃眼とあらゆる場所に、ピンクの真皮層と黄色の脂肪を露出させた肉がこびりつき、1200度の炎が沸騰する川のように地を舐める

だがこれはまだ第一波の爆撃にすぎない

そ……そんな……

外に走れ!早く!

この爆弾や焼夷弾の落下目標が捕虜収容所だけならば、この血と炎が渦巻く河を離れることが唯一の選択肢だ

行くって、ど……どこへ?

別の爆弾が収容所の山側で爆発し、高くそびえていた石の壁は瞬く間に瓦礫の山に変わった

第二波の爆撃が始まったのだ

外だ!バカッ!

人間、爆弾、飛行機の唸り声と、仮設の対空キャノンが重なった轟音の中、シュルツはジョンに自分の言葉を聞かせるために全力で叫ぶ必要があった

なぜ、たった2日半前に知り合ったばかりのこの若者の生死に関わろうとするのか、自分でもわからない。ただ本能が彼に、生き残れと告げている

もうひとりくらい生き残ってもいいじゃないか

看守

助け……

ズタズタになった白い手がシュルツの靴を掴んだ

看守の制服は油と血で身体にべったりと張りつき、異様な色になっている。うつ伏せの彼に左足はなく、露出した白い骨がジリジリと焼ける音がしていた

くっ……

構うな!

走れ!

シュルツはグッと奥歯を噛み締めてその手を蹴り飛ばし、足でその看守をひっくり返すと、彼の半分になった手がまだ握っていた銃を拾い上げた

シュルツの靴に残った跡は血ですらない、脂肪が溶け出した油だ

シュルツ

行くぞッ!

身長がチグハグなふたりは沸騰する火の河を横切って対岸へと向かった

その看守はもう身動きせず、音も立てない。彼の頭蓋骨を貫通した弾丸が、彼が伏したその先の地面に埋まっていた

???

目が醒めたか

シュルツは身じろぎしようとしたが、失敗に終わった。彼を縛る縄は無造作に巻きつけられていたものの、彼をしっかりと椅子に捕縛している

オレンジ色の強い光が直接彼の顔に当たっているため、彼には自分の側を通りすぎてその眩しい光の中に消えていく黒い影しか見えない

【規制音】……どうなってやがる……

彼は自分が僅かに震える理由が、恐怖なのか怒りなのかわからない――それに寒さの可能性もある。彼は拘束から逃れられない無力さに耐えながら、灯りの方に向かって罵った

???

名前は

ここはどこなんだ?

???

名前を

お前らは誰なんだ!

???

名前を

……

強い光の背後に隠れた声は非常に落ち着いており、何を喚かれても少しも動じていない声音だった

違う、絶対に味方ではない

自分は銃を持って戦う兵士にすぎず、これまで誰とも揉めたことがない。自分の肺炎の病歴を無視した募兵官に、軍務に就けるか疑問だという主張すらできなかったのだ

???

名前を

……シュルツ·ロスム

???

部隊番号

【規制音】め――

???

部隊番号

シュルツは黙り込んだ

この冷酷な尋問と現在の周囲のさまざまな状況が、彼に自分の置かれている状況を悟らせた――もう敵の手に落ちている

しかし彼はそれ以上のことを思い出せなかった。彼の頭に最後に残っているのは暗く湿った森の中を、あの「ジョン」という名の新兵と苦労して逃げ回っていたことだ

彼は拾った鉈で道を切り開き、ジョンはその後ろをついてきていた。その後のことは何も覚えていない

(あの情報か!)

「……本部と司令部の連絡が80時間以上途絶え、かつ突破または死守の指令を一切受けていない点を考慮し、戦力保全のため1月18日の午前3時、南への突破を決定……」

いや、違う

突破の正確な時間から今に至るまで少なくとも2年が経過している。とっくに時効を迎えた情報にこだわる者はもう誰もいないはず

???

部隊番号

それとも……あのジョンのやつが裏切ったのか

可能性はそのどちらかだ

強い光の中から響くその声は、変わらず冷淡だった。そしてその直後、少し年配らしき人物の声が同じ場所から聞こえた

お前は理解した方がいい。たとえお前が自白しなくても、こちらには全てを調べるやり方がある。問題はそれにかかる時間の長さだけだ

お前らのようなクズに何も話すつもりはない

お前はただの兵士だ、そこまで気高くある必要はない

我々はただお前の部隊番号と、その文書の詳細が知りたいだけだ

背の高い人物がシュルツの側まで来ると、もう紙とは認識できないようなものを彼の眼前のテーブル上に慎重に広げた

シュルツは置かれたものが何かを、すぐに悟った

知らん

文書が開封された形跡はなく、封筒の上の緋色の封蝋が灯りの下で輝いていた

これはお前の服から出てきたものだ

知らんな

それはじきにわかる

勝手に開ければいいだろうが?

そうだな、だがお前もこの文書の内容を知りたくはないか?

…………

お前たちは必ずしも死ぬ訳じゃない

???

入れ

部屋の外からまた誰かが入ってきたようだ。その者たちが身につけた弾薬とガンオイルの臭いから判断するに、恐らく軍人だろう

彼らはシュルツを縛りつけていた縄を解き、後ろ手に拘束していた手錠を外し、彼の両手を解放したあとにぞろぞろと部屋を出ていった

先ほどシュルツの前に文書を置いた男は再び彼の側まで来ると、シュルツの肩にポンと手を置いた

お前が選べ

男性は部屋の中にいたもうひとりの人物に手を振り、一緒に外へ出るよう合図した

ギイィと蝶番のきしむ音が再び聞こえ、その鉄のような部屋の中にはシュルツひとりだけが残された

(どうなってるんだ……)

冷静さを取り戻したシュルツは、自分が置かれた状況を必死に整理しようとしたが、皆目わからなかった

地獄と化した捕虜収容所のことや、数日間あの新兵ジョンと山の中を東に歩き回っていたことは、自分が今ここにいる理由になりそうにもない

ジョンが自分を裏切るはずは……ジョンがそんなことをするだろうか?

そうだ、あいつも捕虜収容所に捕えられていた身だ。きっと敵に捕まったに違いない

それなら……

シュルツは目の前の小さなテーブルの上、緋色の封蝋で封印された文書をじっと見つめた

もう2年以上も経ってるんだ……

第3軍、第57歩兵師団だと?

もう突破しているはずだ……

その部隊番号は3年前に廃止されたはずだが

絶対にありえない

リーボヴィッツと名乗る白髪交じりの人物の言葉が、彼の頭に浮かんでいた

奇妙な何者かの視線がその文書を通して、彼をじっと見つめているように思える

クソッ

シュルツは唾を吐き捨て、緋色の封蝋を剥がした――

??

手術は終わった

実際にはまだ検証する時間が必要だが、今は時間が足りない。我々にはもう彼を送る準備ができている

???

彼が何をすべきかは、敵が計画するだろう

彼を我々の内情を伝える者として送ろう。向こうが彼の面倒をみるはずだ

??

過去の敵が戦友となり、過去の戦友が敵となる。いいじゃないか

???

全てが君のこの手術にかかっている

??

過去2年間の記憶を切り取ってある。彼は一切を昨日のことのように感じるだろう。もちろん、最終的には全て君が決めることになるが

もちろんだ、問題ない

彼はこの戦争を終わらせられるだろうか?

???

いや、この戦争はまだ始まったばかりだ

白い服の人物は彼の目をこじ開け、懐中電灯を振って照らした

??

酒はあるか?煙草でもいい

通信機

……上空の天候状況は良好、視界も良好だ

通信機

無線電波測定、正常。「ダガール」、敵を発見できず……

通信機

ありがとう、「ダガール」。帰還してくれ……

通信機

問題ない、皆、楽しんできてくれ

通信機

山の麓の平原が見えた!あと20km!

通信機

高度を下げろ!

通信機

決められた順序通りに。「ダイオード」、君が先だ

通信機

裏切ったクソ野郎どもを地獄へ送ってやる

2年……経ったのか?

戦争はもう終わった?

もし俺が敵なら、俺の戦友は敵なのか?

それとも、俺の敵こそ俺の敵なのか?

なら、俺は何なんだ?

待て……

手紙はまだ完全には開けられていない

その緋色の封蝋は彼の手の中で、歪み、溶け、血のように彼の体とその文書の中に流れ込んでいく

悪魔に突き動かされるように、両手の焼けるような痛みにも耐えて、彼は絶え間なく湧き出る緋色の血の中から、その文書を掬い上げた……

お前がやるんだ!

戦争

飢饉

疫病

ガリラヤの人が到来した時、誰がひれ伏さずにいられようか?

行け、我が子よ

我の意志に従え

これはシュルツ·ロスムが自軍の塹壕にいた最後の夜のことだ。彼は主軍の前線守備旅団の攻撃計画を、130km離れたバデーレ砦に届ける命を受けていた。出発は3時間後だ

煙草はあるか?酒でもいい……