運命の奔流に溺れた者は深海に引きずり込まれ、誰もが死に直面し、窒息しそうになっている
誰もが絶望に苛まされている中で、ひとりだけが新生を得ていた
……こんなことまでできるようになってる
彼女は気付いた――この赤い卵を抱えていれば、彼女は全てを意のままに操れることに
絡みついてくるイソギンチャクも、傲慢な「シーニンフ」も全てだ。この武器を手にしたラミアにかなう者はいない
この卵……一体なんなの?
クティーラはこれを操って攻撃していたし、私が持てば……昇格者の力が強化されるみたい
でも、このなんだか変な異合生物は使えないのか……
彼女は卵を持ち上げて、仔細に観察し始めた
観察すればするほど惹かれていくのを感じた。意識が風に煽られた蝋燭の火のように、その鼓動とともに揺れ動く
もし指揮官とリンクをしていなければ、ラミアはまた前のように幻覚に巻き込まれていただろう
だが今の彼女は幻覚に巻き込まれることなく、自分をしっかりと保っていた
まるで、マッチ売りの少女だ……
マッチを擦る度に暖かくなり、光が見え、反撃する力が湧き上がる
ラミアは無意識に手を伸ばし、爪で透き通った卵の表皮をなぞった
その瞬間、卵はマッチを擦った時のように、周りを素晴らしい「商店街」に一変させた
……まさに「商品」を手にしてみろとばかりに「誘惑」してくる
…………?
突然の寒風に彼女はぶるっと震えた。凍った「商店街」を歩くラミアの意識が、スカベンジャーの外套のように引きちぎれていく
居場所のわからない指揮官が残したマインドビーコンを頼りに、ラミアは強引に幻の商店街へと足を踏み入れ、道路の両端の影を眺めた
その影は万華鏡のように、さまざまな世界を映し出していた。万能な医者、食べきれないほどの食べ物、明るい教室、親しい友人
――子供が憧れるものばかり
影<//展示ウィンドウ>に映し出される、かつて憧れていたものを羨ましそうに見つめながら、ラミアはその近くをうろうろと歩いた
影<//展示ウィンドウ>に映し出されたものを、彼女はどれほど渇望していたことか
……本物だったらよかったのに
ラミアはまた卵<//マッチ>を持ち上げると、爪で表皮をなぞった。卵から微かに赤い光が漏れ、影<//ウインドウ>を赤く染めた
映し出された幻は更にリアルに立体化した。卵<//マッチ>はまるでガイドのように、ラミアが憧れていた生活を見せてくれた
朝11時30分。朝ご飯を用意したママが優しく呼びかける。永遠の16歳のラミアはオモチャと本がいっぱいの部屋で目を覚ます
昼12時。朝ご飯を食べたラミアが端末を開くと、友人からの99通ものメッセージが届いている。友達は誰もが優しく、ラミアの返信を首を長くして待ってくれているのだ
午後1時30分。ようやく友人にメッセージを返し終わり、パパが宇宙船を飛ばして、空中庭園の学校へ送ってくれた
いやいやいや!私の記憶の再現はいいって!もっと平和なのがいい!
午後1時30分。ようやく友人にメッセージを返し終わり、パパが宇宙船を飛ばして、空中庭園の学校へ送ってくれた
午後2時。クラスメイトと先生に囲まれて教室に行き、先生はラミアが学年1位を取ったと誇らしげに発表した
午後4時30分、下校。クラスメイトと遊びに行って記念写真を撮った。全員がラミアと写真を撮りたがっていた
夜7時。パパが宇宙船で迎えに来てくれた。ママは夕飯と、夜食まで用意してくれていた
…………
本当に「平凡」な生活を送っている人なら、これらの光景は全然「平凡」ではないと知っている。これではまるで童話のお姫様だ
この願いを実現するにはどんな代償を払えばいい?どんなリスクがある?幻に気を取られて、ラミア<//マッチ売りの少女>にはそれを考える余裕がなかった
ママ……
彼女は母親の幻に惹かれて、無意識に近付いていった
卵<//マッチ>はまるで彼女の考えを読み取ったように、「リビア」が生き残る未来を見せた
ポイントを検索>>>>>>>>>>>>>>>
>>ラストリアスがリビアの妊娠期間の滞留を許可――変更>>>>>ラストリアスはリビアの妊娠期間の滞留を許可しない
>>リビアは本来の予定通り、補給船で大陸へ戻って休暇をとる。家の近くの研究室で仕事をできるように変更
>>>>ラミアが無事誕生
>>使用者の既存情報を利用し
>>未来プレビューをローディング>>>年齢推定>16歳>>>>観測者の要求により、世界的事件の発生時間を遅延させる
ラミアは廊下に立ったまま、卵<//マッチ>が映し出す平和な黄金時代をじっと見つめていた
彼女は自分がよく知る「家」へと戻った。よく知る「リビング」で、初対面なのによく知る「ママ」が、ラミアにはよくわからない資料を読んでいるのが見えた
……ママ?
母の存在で、骨身にこたえるような寒さがだいぶ和らいだ
ママ、夕飯に何か食べるもの、ある?
冷蔵庫にたくさんあるわ。ママは仕事があるから、自分で取ってきなさい
母親は無表情だった。これはラミアが憧れていた生活とは全然違う
しかしこの未来は現実に基づき、最小限の変更しかなされていないものだ
冷蔵庫はどこ?
…………
……ママ?
母親はようやく資料から顔をあげたが、その表情は冷たくうんざりしたものだった
冷蔵庫すらわからないなんて、本当にバカね!私がいなかったらどうやって生活していくの?
…………
私はあんたのために輝かしい前途を諦めたの。まだ私の生活をそんなどうでもいいことで邪魔したいの?
その冷たい言葉は観測者であるラミアの心を粉々にし、意識海が大きく揺さぶられた
私……時間……
私にはもう時間がない
その口調が突然悲しそうなものになり、ラミアは驚いた
もうここにはいないで
母親はすぐにいつもの冷たさに戻った
他に用がないなら、私たちの仕事を邪魔しないで
ママ……
ひとつ訊いてもいい?
1分あげる。話して
…………
30秒
ママは……
15秒
ラミアさえいなければ……
死なずに済んだ?
憧れだけで構築された未来演算は、完全に瓦解した――過去の記憶が流れ込む。あの日、ラミアはずっと心の底に押し込めていた質問を口にした
……
こないだの宿題はもう終わった?
ご、ごめんなさい……難しすぎて……
教材は?
彼は黙ったままのラミアを無表情に眺め、ついと立ち上がって部屋を出た
…………
いつもそう質問される度に、彼女は自分の無知が恨めしかった
早くここを出たい……全部の知識がすうっと頭に入って、どんな難しい問題もぱっと解決できればいいのに
ポイントを検索>>>>>>>>>>>>>>>
ポイントをもっと変えてもいいから!
卵<//マッチ>が再び燃え上がりラミアの背後を照らすと、彼女の前には無数の揺れる影が現れた
レディースアンドジェントルマン!史上最年少の科学者、ラミアちゃんを大きな拍手で迎えましょう!
裏返ったような声の司会者に呼ばれて、小さなラミアが舞台に現れた
ラミアの何がスゴイかって?早速見せてもらいましょう!
ドクターラミアです!
はい
私の今日の全ての会議と新しい予定をまとめたら、明日のスケジュールも整理して
はい
>>>>>>>>>>ラミアは無事に誕生>>>>>>>>>>アトランティスを早めに離れる
ドクターラミア、数学の問題を解いてくれない?
はい
>>>>>>孤児院に送られる
舞台はテレビのスクリーンになった。アイスクリームを食べながら歩いていた通行人が、テレビに映るラミアを見ている
また新しいのが出たんだ。ひとつ予約するか
これって、本当の人間の意識データを元に作られたって聞いたよ。しかもあのクティーラ計画とも関係があるらしい
はぁ?そうなのか?
聞こえなかった?
勉強が嫌でドエラいもんにでも知識を詰め込んでもらいたいなら、将来はカプセルに入れられて、ただのサービスAIになればいい!
ドクターラミアのガチャ抽選がスタートです!ヒューマングレー、モンキーピンク、それにシークレットの人魚バージョンもありますよ!
観客たちからまるでエキストラのような、熱烈な拍手が沸き起った。びっくりした子供が大声で泣き出したが、この番組の主役も同じような気持ちになっていた
本日より、各店頭で販売スタートです!
父さん、あれ見て!
人で賑わう商店街で、少女は展示された商品<//私>の頭をポンポンと叩いた
>>>>>>意識データ人体実験の候補者になる
なんだか猿みたいだな
>>>>>>実験成功、商品化成功
憧れは意識海の不安定さのせいか、記憶のグラスの中に流れ込んだ
アトランティスの廊下に立っているラミアが見えた。無数の研究員とドローンが側を通っていくのを凍りついたように見ていた
誰かの名前を呼び、この気持ちを誰かに聞いてほしいと思っていたが、誰も返事をしてくれなかった
彼女はその場に立ち尽くし、人々と機械が整列して通るのを見続けた
人々はラミアの側を通る時、距離を取っていた。まるで血管の中で細胞が血栓を避けるように、あるいは動物園の檻を眺める客のように
彼女はうなだれて、空のコーヒーカップに刻まれた文字をなぞっていた
未来の私へ:
私
は
みんなみたいに
変わるんだ
絶対に!
無意味な改行とぐにゃぐにゃに歪んだ文字、そこに彼女の願いが込められていた
運に賭けてみる?
まともな孤児院に送られて、酷い実験にも巻き込まれない方に、賭けてみる?
運……
運さえよければアトランティスから出ることができ、何事もなく、本で読んだような学校という場所に行けるかもしれない
キャンパスは暖かな太陽の光に包まれ、彼女は蝉の声を聞きながら、クラスメイトと笑い合う
先生はとても簡単な問題から教え始める。そして自分をせっついたりはしない
……ママがそんなに優しくなくたっていい。学校で幸せで平凡な人生を手に入れられればいい……
彼女は真剣に願って、赤く光る卵<//マッチ>をそっと抱え込んで目を閉じた
いきなり1本のチョークが精確に空を飛び、窓際の2番目の席に座るラミアに命中した
ラミア、何をぼーっとしてるんだ?
クラスメイトたちが笑い声を上げた
ぼ、ぼーっとしてないです……
じゃ、私がさっき話した問題に答えなさい
えっと……
彼女は慌ててテキストを取り上げた。隣の席の子がそっとページ数を教えてくれたものの、問題がどうしても解けなかった
君は勉強に向いていないな。君の母親は自分が学問を積んだから君を進学校に入れたんだろうが……ったく、私に何か恨みでもあるのか?
ラミアが何も言えずに黙り込んでいると、クラスメイトたちがまたドッと笑った
暖かな日差し、蝉の声、クラスメイトの笑い声。どれも彼女が期待したものだったが、でも違う
……せっかくのチャンスなんだから、勉強しないと……
彼女はテキストを手にし、必死に覚えようとしたが……また眠ってしまった
下校のチャイムが鳴り、ラミアはやっとほっとして席を立った
授業の時間をスキップして、下校の後の時間だけ過ごせたらいいのに
彼女はうつむいて、卵<//マッチ>に話しかけた
授業のレベルを少し下げて……進学校じゃなくて普通の学校でいいや
卵<//マッチ>を光らせ、ラミアは一気に3万1206個のポイントを変更した
ママが進学校へ入学させることを変えないなら、ママがいないパターンに戻せばいいんだ
黄金時代の人間が時間を操る技術を持っていないなら、未来から手に入れればいい――複雑な演算は全部、卵<//マッチ>に任せればいい
変更したポイントのノードが映し出されているけど――どうやら影響はないみたいだし。気にしなくてもいいか
彼女の願いが実現した。退屈な授業の時間は加速され、下校後の時間だけがゆっくりとすぎていく
ラミアはやっと、彼女が定義した「平凡」や安寧、幸せを手に入れた
時間が早められたせいで彼女は一瞬で大学を卒業し、仕事に就いた。ラミアはカッパーフィールド海洋博物館のガイドになっていた
仕事は授業よりも退屈だ。毎日3人ほど客の相手をするだけの、この退屈極まりない生活を彼女は呪っていた
その呪いに呼応するかのように、読み込む際に遅延が起きていた世界的事件が、時間の加速とともに到来した
水族館にアトランティスで聞いたあの警報が鳴り響く――パニシングが爆発したのだ
客やスタッフたちは逃げ惑い、群衆に押されながらラミアはまた時間を早めようとした。だがどれだけ早めようが、世界が壊れるスピードが速くなっただけ
構造体改造を受けなかった彼女は、逃げている途中で清掃ロボットに襲われて殺された
パニシングさえ起きなければ……
ラミアの願いは更にエスカレートしていく
彼女はもう一度、万能の卵<//パニシング>を掲げたが、虚影はもはや何も映し出さなくなった
卵<//塔>は自分の存在を消すことができない。パニシングが降臨する未来は変えられないのだ
どうしよう……
誰かと話がしたい……そう記憶を探った時、ふとロランのことを思い出した
もしこの機会をロランに譲ったら、彼ならどうするかな?
指をパチンと鳴らすと、目の前にロランの姿が現れた
どんな願いも実現してくれる卵<//マッチ>を貸してくれるって?
全ての願いが叶うって訳じゃないけど……でもあなたの選択を見てみたいの
ふぅん、それなら……
ロランはラミアから卵を受け取ると、少しもためらわず子供の時の願いを実現させた
彼の願い通り、ロランの人生は穏やかに進んだ
偽りも嘘も、ドラマチックなこともない。とてもささやかで平凡な人生だ
彼は優しい母親や仲良しの弟と一緒に、家事をしたり授業を受けたり、幼稚なゲームをしたりと、退屈な日常だけの毎日を繰り返した
ねえ、つまらなくないの?
そんな平凡を心から楽しんでいるロランは返事すら寄越さない
でも、結局パニシングが来るんだ……あなたはどうするの?
彼女はロランが参考になる答えをくれると期待していた。しかし広場にあの警報が鳴り響いた日、ロランも彼女と同じ選択をした
親しい人の死を見送り、そして自分の死を迎えたのだ
これでおしまい
ロランは肩をすくめた
現実世界では彼らは私を見捨てた。だから今さら台本を変えたところで、嘘の本質は変わらないのさ
美しい夢だった、かなり楽しめたよ
じゃあ、卵<//マッチ>をもう一度貸してあげるから、もう1回試してみる?
こんな嘘をもう一度繰り返すのかい?
彼は大笑いすると、卵を使って意外なことをした
彼がしたことはいたってシンプルだった
生後半年のロランが寝るゆりかごを地面に落とし、ロランの首の骨を折っただけ
劇は、開幕前に終わってしまった
fin(終わり)、以上だよ
がらんとした廊下で、またラミアはひとりぼっちになった