Story Reader / 本編シナリオ / 26 クレイドルパレード / Story

All of the stories in Punishing: Gray Raven, for your reading pleasure. Will contain all the stories that can be found in the archive in-game, together with all affection stories.
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26-12 息つげぬ深海

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「卵を失い正気を失いつつあるクティーラ」と違い、卵を手に入れたラミアはまるで「水を得た魚」のようだった

空間が崩壊した瞬間、全てを失った指揮官は下層の溜め池へと落ち、深い井戸の中へと流されていった

巨大な何かが戦っているのか、遠くではまだ震動が続いている

遙か頭上の井戸の入口を目指して必死に登ろうとしたが、体に力が入らず、ずるずると井戸の底へ滑り落ちた

先ほどの戦いで、もう限界を迎えているのだろう

目覚めてからは、ずっと彼が助けてくれていた

彼との別れはあまりにも急で、反応する時間すらなかった

スカラベのことはほとんど知らなかった。ヴァレリア指揮官が他の隊員とともに歩いているのを、偶然見かけたことがあるくらいだ

戦場で犠牲となる死を目にするのは日常茶飯事だが、ほとんどの人が死には慣れないものだ

ポケットを探ると彼にもらった飴がそのままあった

爽やかなミントと低濃度のアルコールのお陰か、ぼんやりした感覚が少しだけましになった

飴の包装紙をグッと握りしめ、ポケットに戻した

だが思考とは裏腹に体の状態は最悪だ。布が傷口に擦れると、皮を剥がされるような痛みが走り、寒さで体がますます動かなくなってくる

体温を確認しようと額に手を当てると、手にべったりと血がついた

マインドビーコンの汚染状況も最悪のままだ。混乱を抑えられず、消極的かつ自暴自棄な思考が次々と湧き上がってくる

しかし相手にがっちりと握られているかのように、一方的にリンクを遮断することすらままならない

自分自身を励まし続け、何度も井戸から這い上がろうとしたが、体力を無駄に失っただけだった

完全に閉じ込められてしまった――だが、たとえ出られたとしてもこんな自分に何ができる?

異合生物の群れ、勝てそうにもないクティーラ、そして……正体を現した昇格者

絶望が心をじわじわと蝕み始めている――それでも、周りを見渡して使えそうな道具を探した

その時、暗い井戸の中で何かぼんやりとした影が見えた。道を導いてくれたあのクラゲだ

そのクラゲは自分を呼ぶようにして、ある場所に留まってふわふわと漂っている

そこには、汚れた鞄が落ちていた

中には食べかけのビスケットに血清が1本、それにナイフや数十発の弾丸、2錠の痛み止め兼解熱剤が入っていた

スカベンジャーがたまたまここで荷物をなくしたかのように見えるが、あまりにもタイミングがよすぎる。まるで……

だがいくら出処が怪しかろうと、今の自分にはこの物資に手をつけない余裕などない

味は普通だ。乾いて飲み込みにくい以外は、いたって普通のビスケットだった

ビスケットと同じく、打った血清にもおかしな点はない

先ほどビスケットを詰め込んだ喉に、錠剤の大きさのせいか激痛が走った

ここに流されてきたのだから、どこかに水があるはずだ。どう考えてもその水は安全ではないだろうが、今はそれで飲み込むしかない……

しかしまた突然、揺れが激しくなり、僅かに井戸の底に溜まっていた水はしみ込んでいってしまった

薬の苦さが口いっぱいに広がり、辛さが倍増する

10分近くかけてようやく飲み込んだ時、また壁が揺れ、井戸全体が右に傾いた

井戸の壁の入水管から海水が流れ込むと同時に、半分入った水のペットボトルと止血用包帯が落下してきて、危うく自分に当たるところだった

ひしゃげたペットボトルの蓋を開け、匂いを確認してから、勇気を出してひと口飲んでみた

どうやら先ほどの物資と同じく、この水にも異常はない――異常なのはこの井戸だ

止血用の包帯で簡単に傷を手当てし、ナイフを使って登ろうとした。道具があるので、今回は順調にいけそうだ

だが半分ほどの高さまで登った時、また井戸が揺れ出した。心配していた通り――

壁から無数の棒状の金属が飛び出し、出口を塞いでしまった

驚いた拍子に手の力が抜け、そのまま井戸の底へ滑り落ちてしまう

最後の注射を打つために、自分を生かす必要があると彼は言っていた

再びナイフを手に登ろうとした時、地面に凹凸があることに気がついた

上空から漏れる光を頼りに調べると、その凹凸は文字だとわかった

中▁▂残ってください。外▂▄▁危ない

汚染されたマインドビーコンのせいで怒りを抑えきれず、理性を失った言葉が口から飛び出す

コントロールを失い、溜まりに溜まった感情が噴き出した

続けざまに暴言を吐く自分が酷く惨めだった

このままだと……マインドビーコンの汚染で、ヴェンジと同じ結末を迎えるかもしれない

ヒステリックに涙を流しながら、地面に刻まれた文字にナイフを突き立てた。そのせいで自らの体も傷ついていく

井戸の震動が更に激しくなった。目に見える全ての壁に文字が浮かび上がる――まるでこの井戸自身が、生きている異合生物のようだ

ごめんなさい▁▆▁▂外は▄▁▂危ない▂▁▄ここに▃▆残ってください▃▁▂▆ここに▅▂▄▂残ってください▂▄▂危ない▁▅外は▁▂ここに▂▄▁残って▁▂外は▁▂▄危ない

井戸の震動が更に激しくなった。目に見える全ての壁に文字が浮かび上がる――まるでこの井戸自身が、生きている異合生物のようだ

ごめんなさい▁▆▁▂外は▄▁▂危ない▂▁▄ここに▃▆残ってください▃▁▂▆ここに▅▂▄▂残ってください▂▄▂危ない▁▅外は▁▂ここに▂▄▁残って▁▂外は▁▂▄危ない

▁▄▂長くは持たない。クティーラも▁▂▄▁

井戸の入口が収縮して狭まっていく

私が▁▂▄▁するまで、ここに残ってください。外は危ない

瀕死状態に陥った人の最後の足掻きを見ているようだ

ごめんなさい▁▆▁▂外は危ない▁▂▅▂▄危ない▁▄▂危ない

壁に浮かび上がった文字は、必死にここに残れと叫んでいる

揺れは静まり、井戸の入口も再び元に戻った。先ほどつぶやいた自分の言葉を信じてくれたらしい

井戸が完全に閉じ、辺りは真っ暗となった

痛み止めが少しずつ効き出すと、今度は疲労感に襲われた

どうせもう逃げ道を断たれている。そのまま座って壁にもたれ、ゆっくり目を閉じた

4月16日

朝4時

4月16日、朝4時

グレイレイヴン小隊が指定エリアをくまなく捜査した結果、廃棄され荒廃した病院をターゲットに定めた

地下の遺体安置所へ潜入した時、リーフが13個目の遺体安置冷凍庫の背後にある隠し扉を見つけた

………………

グレイレイヴンの3人の面前に、絶望的な眺めが広がっていた

指揮……官……

耐えがたい腐臭がする

隠し扉の後ろの部屋には、同じ顔の死体が6体積み重ねられていた

硬直しているもの、すでに腐敗しているもの、傷口から血が流れているもの……

どんな状態であろうと、目の前の6つの死体の表情には、死ぬ直前の悲惨な状況が刻まれていた

…………

ルシアは意識海から湧き上がる痛みを抑え、震えているリーフの手を握りしめた

リーフ、リー

ま……まだ血が乾いていない指揮官の遺体があります。確認を

クローンかもしれないし……昇格者のカモフラージュかもしれない……わ、私たちは……答えがどう出ても……

……ええ、ルシア、わかっています

リーフは言葉に出せないでいるルシアがそれ以上言わないで済むよう、ゆっくりと首を横に振った

いつも物腰の柔らかなリーフが真っ先に冷静さを取り戻し、生きているという確証がないかチェックを始めた

リーはまだその場に立ちつくしたまま、何かを考え込んでいる

リー?

リーは思案に耽っており、呼びかけが聞こえていない

リー!

ルシアに肩をバシンと叩かれて、リーはハッと我に返った。まるで遠いどこかへ時間旅行でもしていたかのようだ

他の部屋を調べましょう。まだ諦めてはいけない!

リーは頷き、無言のまま血に染まった部屋を出た

もちろん彼は「諦め」てはおらず、目の前の光景にショックを受けて呆然自失になっていた訳ではない。ただ今のこの心の痛みを、どこかよく知っていると感じていたのだ

……なぜこの痛みを知っているのだろう?

3人が腐臭と血痕を乗り越え、埃まみれの間仕切りを壊すと、そこにはきちんと整えられた空間があった

部屋には、空の休眠冷凍キャビンが大量に置かれていた。その中、一番後方のキャビンに、グレイレイヴン指揮官と瓜ふたつの人間が横たわっている

この指揮官は……まだ生きていますっ!ルシア、救援を呼びましょう!

ここに入った時に呼びました。すでに向かっているはずです

――だがこれで本当にいいのだろうか?

目の前にいる心臓が動いている指揮官を見て、3人は黙り込んだ

もし本物の指揮官は今も失踪し続けているのなら?彼らはこの根本的な問題に目をつぶれるのだろうか?

もしこの後、本物の指揮官が見つかって隊に戻ったとして、この似ているだけの存在をどうすればいいのだろう?

長い沈黙が続いたが期せずして3人ともが、今はどうしても答えられないこの質問を、口にすべきではないという結論に至った

指揮官の失踪からまだ16日しか経っていません。薬を使って成長を促したとしても……ここまでの成長が本当に可能なんでしょうか?

可能性はひとつ。これらのクローンたちは、指揮官の失踪前からここにあった、ということです

一体いつから……

待ってください、この端末はハッキングできそうだ

リーは投影キーボードを用意し、持参したメモリーを端末に差し込んだ

長い時間をかけて、ようやくひとつの監視映像を復元できた。その日付はかなり前のものだ

映像の中では惑砂が数名の構造体に指示しながら、ある巨大な機械をここに運びこんでいた

これは?

ヒポクラテス教授の資料で見たことがあります。おそらく、記憶を同期する機械でしょう

記憶を同期する?

ええ、ふたりの脳内の記憶をお互いに同期できるんです。黄金時代には記憶喪失の治療や……違法な研究に使われたとか。脳へのダメージが大きく、今は廃棄されたはずです

動画の中では惑砂が機械をなでながら独り言を言っていた

あとは……あなたたちをウィンターキャッスルからここに移さないと

ここで記憶を返してあげるよ。この機械、まだ使えるといいね……

ごめんね……あなたの正体に気付くのに長い時間がかかった……

動画はそこで止まった

…………

ウィンターキャッスル……彼の言うことが本当なら、これらのクローンは指揮官の失踪前に「作られた」はず

まさか……

人間の骸……彼らはもうここまで追い込まれていた……

私とαがウィンターキャッスルにいた時、接続装置の横に人間の白骨があったのを見ました。まさかあの時から……?

白骨?すでに骨だけだったんですか?

はい、でもあれは自然に白骨化したものではないと思います。遺体変化から経過時間を計るのは無理でしょう

私の推測では……指揮官が失踪する前、「唯一のチャンス」がありました

バンジと一緒にエリアポイントの設置を終わらせ、宇宙兵器で赤潮を蒸発させたあとのタイミングです

……!

覚えていますか?あの時はあれほど厳しい戦況だったのに、私たちは作戦準備室でずっと待機させられていました

……そうだ、指揮官が関係者に事情を訊こうとして、すぐに連行されていた……

「マインドビーコン汚染による記憶の再生状況をモニターする」と言われていましたね

あの時の医療検査で一体何が検査され、指揮官が何をされたのか……誰も知らないんです

ルシアは握りつぶすほどの勢いで刀の柄をグッと握りしめた

ウィンター計画のため?でもウィンター計画はもう調査しつくしたはず!なぜまだ諦めないんですか!!

……きっと彼らにはもう、他の選択肢がないんでしょう……たとえ粛清部隊の手から逃れたとしても、生き延びる術がないから

だから、危ない橋を渡るしかない……

リーフの声も怒りで震えている

惑砂が記憶の同期を必要としたのも、意識海の安定性には自己認知が大きく関与していて、その自己認知には記憶の支えが必要だからでしょう

そのために指揮官本人をさらって、記憶を同期させたと?

…………

ごめんなさい……ボクが[player name]の居場所を見失っただけでなく、クティーラも予想より召喚が早まったせいで、暴走してしまった

重傷の指揮官が井戸の底で眠っていた時、惑砂は代行者に状況報告をしていた

…………

フォン·ネガットはそれにすぐには返事をせず、惑砂からまず全ての悪い知らせを聞こうとした

惑砂は解決策がある時は、自分に報告などしてこないと知っていたからだ

あの3人は爆弾でクティーラの近くに保存していた意識のバックアップを全て破壊してしまいました

もうこれ以上、ボクの意識海複製体でクティーラを安定させるのは難しいでしょう

あなたの意識海複製体はそもそも不安定で、クティーラが眠る時の鎮静剤としてしか使えませんでした。彼女が目覚めた今、複製体を使ってもすぐに崩壊するでしょうね

私は時間をかけてでも、もう少し安全な方法を探すべきだと言ったはずですよ

ボクは、もっと早くあなたの計画を進めたいと思って……

惑砂は自責の念にかられ、握り潰しそうなほど自分の腕を強くつかんだ

ボクのせいです……ボクがロキを部屋に残したせいで、彼女は床を壊し、彼らはクティーラを見つけてしまった……

……シュレックの意識海複製体まで壊されてしまいました。このままクティーラが暴走し続ければ、ゆりかごに植えた彼の意識まで汚染され、壊れてしまう

そうなれば、ボクたちはもうここを……彼女のゆりかごを制御できなくなる

彼らがあなたの部屋に入ったのに気付けなかったのも、そのせいでしょう

言ったはずです、彼を使ってゆりかごを制御するならくれぐれも気をつけろと

…………

そしてロキを殺すべきだとも言ったはず。もうあなたの実験は終わったんです。早く彼女を解放するべきですよ

彼女は……ボクたちの仲間なんです。彼女は生かすべきだし、生きてこそ……

あなたは、人間たちが死を求めるのは許すのに、ロキの死は許さない

彼女が生きているのは、彼女本人の望みですか?それともあなたの?

…………

ごめんなさい

この指揮官を、あなたはどう見ています?

ボク……わかりません……

ウィンターキャッスルで思考リンク実験をした時、ボクたちは壁の後ろにいるリンクが誰なのかを知らなかった……

ボクはもうあの時のボクじゃないし、[player name]も、あの時にリンクしていた[player name]じゃなくなっています

じゃあ、あなたは今、どう思っていますか?

…………

何が起きようと、ボクはこの計画を完成させることをあなたに誓います

彼は誓約で質問に答えようとした

どうか……ボクを信じてください

あなたの任務はまだ終わっていない。まだクティーラに、自分を融合させてはいけませんよ

はい……

全てを終わらせて死ぬために、惑砂は自分の代行者に助けを求めていた

しかし彼が死ぬことを当然のように話す代行者を見て、墜落するような失望を感じていた

ラミアがここに潜入し、ハイジを奪いました

ルナの部下ですか、思ったより早く来ましたね

漆黒の影のようなフォン·ネガットはしばらく考え込んだ

αではなく小者だ、私が行く必要はないでしょう。クティーラが生きてさえいれば、ゆりかごはまた作れる

あの指揮官には最後の注射が残っています。早めに見つけることだ

あの卵の中には多くの安定した欠片が沈殿している。孵化するまであと一歩というところですからね。その結果とクティーラの生存だけ保証してくれればいい

……結果だけ?じゃあ……孵化できなかったらハイジはどうなるんです?

クティーラの側に戻った時から、彼女にはとっくに覚悟ができているはずです

…………

あなたが彼女を守って生かしたいのなら、私は反対しませんよ

そんなことができるはずもない。目の前にいる代行者ですら、ラミアが潜入したと聞くや、当然のようにゆりかごを諦めようとしたのだ

クティーラとあの指揮官がもたらす結果のためには、ラミアも利用するのが一番だ――ゆりかごから卵とリンクしてラミアを「誘惑」するしかない

しかし彼は今「操縦桿」を失っていた。クティーラやゆりかごを制御するための、どちらの「操縦桿」をも失っている

私が残した鍵を使って、制御室に行きなさい。そこにあなたの最後の意識海複製が残っている

まさか……

そう、あなたが昇格者になる前に残した複製機体です。それを使ってクティーラを沈静化すればいい

クティーラもゆりかごが暴走した今では、その機体だけじゃ長くは持ちません

だからこそ、できるだけ早くあの指揮官に最後の注射を

卵とクティーラの回収は、リリスに任せればいい

…………

惑砂は何かを言おうと口を開きかけたが、ミスをしてしまった自分は、もう反論できる立場にいないと気付いた

惑砂のその複製体は、自分がまだ罪を犯していなかった頃に戻るためのものだった。しかしたった今の言葉で、その期待は断たれてしまった

自業自得だ――彼は自分を嘲笑いたくなった

それと……惑砂

出会った頃と大きく変わったフォン·ネガットは今、自分の名を呼び、初めて出会った時と同じ言葉をかけてくれた

痛覚を頼りすぎないように

惑砂は常に痛みをもたらす胸の杭をそっとなでながら、異合生物だらけの廊下を通り、フォン·ネガットの鍵を手にひとり制御室へと向かった

途中で彼は髪飾りを外し、もともとローズのものだった「髪」も取り外し、ワンピースを脱ぐと、ため息をつきながら孤児院で着ていた服に着替えた

……ごめんね、ローズ。君みたいな姿をしてみてもやっぱり、ボクは自分のことが好きになれなかった。いまだに痛みを感じることで償おうとしている

せめてボク本来の姿で、最初のボクに会いたいんだ

今まで惑砂は痛みと自己処罰によって意識を保ち続けていた

それこそが惑砂がずっと見つめ続けていた「マインドビーコン」であり、彼はその原点に向かっていた

何度複製されても、全ての惑砂という個体は覚えていた……

――親切心から寄贈された医療椅子「折鶴」が処刑椅子に改造されたその瞬間を

――昇格者になってから彼が乗り越えた困難や、地獄を希望だと思ったこと、ヴェンジの手を握ったことを

――孤児院の「父さん」たちや、あのヴェンジという指揮官がやったことの全てを

――咲く前の花が折鶴に釘付けにされ「蕾」を無理やり開かれたり、花芯をもがれたこと、傷つけられて傷口を縫われた花を標本や鑑賞品にされたのを

彼らはお前のためにやっていると言っていた。こんなに「蕾」を愛しているのだから、悪いことなどするはずがないだろうと

歪んだ「楽園」で育った子供は本物の「愛」を知らない。だから大きくなった彼は、強烈な「痛み」を愛だと思い込んでいた

骨髄にまで響く痛みこそが、心からの愛の告白だと思っている

今、惑砂は自分の血肉を切り分け、兎に与えるような人間へと成長した

……兎のためにやったんだよ。食べ物がないと飢え死にしちゃうだろ……

しかし兎に血肉を与えたところで、兎が何を返してくれるというのか?

彼の実を結ばない愛と同じく、昇格者という道も、決して報われることのないものだった

昇格者として新しい未来を模索しようとしたが、進めば進むほど、鋭い棘と深い霧の中へと迷い込んでいく

悪者は被害者になっても悪者だ。それをよく知る彼の魂はふたつに引き裂かれた

ふたつとはそう、「惑砂」と「父さんたち」だった。被害者でありながら加害者にもなってしまったのだ

もし人々が昇格ネットワークという悪の川を渡らず、歪んだ命の延ばし方を潔しとせず、明日が来ることを楽しみに待つ平和な時代であったのなら、どれほどよかったか

だが「父さんたち」に育てられた惑砂は、「父さんたち」が教えてくれた方法以外のやり方を見つけることができなかった

ならば、今彼がやっていることこそが最適解なのだ。災難<//トロッコ>が来るまで、もう時間はない。行動するなら今しかない

一部の人を守るために、どんなに多くの人を傷つけても構わない。これはもうひとつの「選別」だと惑砂は思っていた

一方で彼はその行為による罪悪感にずっと苛まれていた。その自己嫌悪や罪悪感から逃れようと、彼は嘘を並べ始めた

これはあなたのためにやったこと、こうしないと生きられないから……彼自身ですら信じてしまうほど、嘘を言い続けた

だから積もり積もった鬱憤を晴らすために、惑砂は定期的に死亡してリセットする必要があった。それはただの現実逃避、よくわかってはいたけれど

惑砂の理想的な死とは、折鶴とともに徹底的に踏み潰されながら、自分の罪悪感の1万倍の苦しみに耐えることだった

苦しみ抜くような罰を受けてこそ、彼はやっと自分のことを少しの間だけ許すことができる

そうすれば、ボクは綺麗さっぱり死ねるんだ