お客様へお知らせします、地下2階へと続く海底トンネルの修理が完了しました。順序よく整列の上でお入りください
地下2階では食事、エンターテインメントの他、イルカショーを常時御覧になれます
カッパーフィールド海洋博物館で、どうぞ楽しい一日をお過ごしください
ウォーターカーテンが開くにつれ、地下2階への海底トンネルが姿を現した
空気中のパニシング濃度が上昇しています!
ルシアの言葉と同時に、防護服のメーターからも警報が鳴り出した。だが上昇したものの、幸いにもパニシング濃度はまだ安全な範囲内に留まっている
トンネルからは赤潮とはまた違う腐った臭いが漏れていた。皆の視線がトンネルの奥、可愛らしいイラストが描かれた消火器格納箱に向けられる
すでに乾いて塊となった赤黒い物質が、その絵を覆い隠していた。箱の隙間から赤黒い膿のような液体と、腐敗臭が漏れ出ているのだ
「グギィ……グカァア……ナリマガ……」
無秩序で乱雑な、そして冒涜的な囁き声が聞こえる
その瞬間、剣が閃き、格納箱の扉が断ち割られた……
「ボタッ……ボトボト」
中の物体が腕を広げたほどの大きさの「挽肉」となって、地面に「流れ落ち」た
それは形を持たない流動物質のようで、新たに生まれた肉がボロボロの金属によって繋がれ、粘液の中には薄ピンク色の有機物も見えている
「遡源装置」の稼働によってビアンカは無数の人影を見た。だが顔はぼんやりとして見分けられず、なんとか体型で性別を判断できるくらいだった
「ワ……」
有機質の表面から呼吸するように、ボコッと泡が吹き出した。その泡は空気中で破裂し、中の物体を地面に飛び散らせた
その泡が破裂する度に、その「物質」から明らかなすすり泣きが聞こえ、その時だけ肉の表面に歪んだ顔がいくつか浮かび上がる
その顔は例外なく目を細めて笑い、一見とても嬉しそうだが、唇だけがさまざまな形に歪み、苦しそうに呟いていた
「挽肉」が飛び散った物体にうごめきながら近付くと、中にめり込んだ金属が見るからに柔らかそうな表面を引き裂いた。噴き出す血が一本の血の跡を残していく
「ガガッ……ワカ……ラ……」
更に見る者をゾッとさせたのは、その「挽肉」の歪んだ口が失血すればするほど、喜んでいるようにブツブツと何かをつぶやくことだ
成仏させてやりましょう
粛清部隊の隊員が小型生物焼却装置を構えた。油と2800度の高温によって、目の前の冒涜的な生物は一瞬で燃やし尽くされた
有機物が炭化したことで、肉の下に埋まっていた金属が露わになる
これは?
ビアンカは剣杖の先で、まだ燻っている炭の中から1枚の金属片を持ち上げた
その構造体の認識票のような金属の汚れを拭き取ると、名前の刻印が読み取れた
ドラ……プール?
……誰かが呼んでいる?
ドラプールは冷たい地面から頭を上げ、一瞬耳をよぎった呼び声を探した
ここは何の変哲もない休憩室だ。よくある家具以外に、端末が室内にぎっしりと置かれている。中には黄金時代以前の小型集積回路でできたパソコンもあった
硬直した体を実感しながら、ドラプールはなんとか地面から起き上がった
肩、凝ってるなあ。休んでいないからかな?
まあいい、外に出るか
扉を開けた瞬間、ドラプールは足を踏み外し、下へと墜落した……
くそっ!あの昇格者はどうやってあんな遠くからここに来たんだ!
トンネルの中をノーリスが全速力で走っている。彼の体には侵蝕の痕跡に、変色した循環液、黒焦げの傷口が数え切れないほどある
自爆攻撃を仕掛けて、ノーリスの小隊はなんとか昇格者の追撃から逃れた。だがその代償として、彼以外の全員が博物館の廃墟の下に取り残されてしまった
彼が生き延びたのは、運よく相手のロボットアームに捕まらなかったにすぎない
通信装置はダメだ、クソッ、ここから逃げて皆に知らせないと
地下3階の地獄絵図のような光景を思い出すと、図太いノーリスですら思わず胴震いする
クソったれ、先鋒は俺だろうが。技術者が何でしゃばってんだよ!
ノーリスの手には曲がった1枚の認識票が握られている。彼は悲しみと怒りを罵りに換え、広い博物館に暴言を響かせながら走っていた
その時、戦いで更に研ぎ澄まされた感知モジュールが微かな摩擦音を捉えた
「ドドドドド」
ためらいなくノーリスは残り少ない弾丸を曲がり角の影にぶちこみ、すぐさま腰につけていた制式刀を一気に振り下ろした
豆腐を切ったような感触の後、堅い地面に当たった振動が手に伝わる
なんだこりゃぁ!
「バンバンバン」
的外、零点です
AIの無機質な声が響く中、ドラプールは無表情で前方の標的を見つめた
狙うべきマンターゲットの中心に弾痕はなく、逆に腕の部分に2、3個の穴が開いている
9.5点!
再びAIの声と、それから大袈裟に悔やむ声が聞こえた
おい、今日は調子が悪いなぁ
相手の名前を思い出せなかったが、ドラプールは反射的に言い返した
言うなよ。そっちだって今まで最高点数が8.7なのに
おいおい、お前が下手くそだからってこっちに当たるなよ
……
またそんな顔するのか。そんなにこだわらなくてもいいだろ?実際の地上では敵が人の形だとは限らないぞ
ほら、腕に当たれば相手は武器を持てない。外れるよりはいい……って……外れてるのもあるなぁ。まぁ、あれだ、あれは足に当たったってことで
うあ、あああああっっ!
目の前の敵のスピードは速いとはいえない。ゆっくりと蠢きながら近付き、時々止まったりもする
だがノーリスはもう反撃できる両手や、逃げられる両足を持っていない……
その怪物が吹き出した粘液は一瞬でノーリスの耐腐食性の四肢を溶かした。含まれている高濃度のパニシングで、彼の侵蝕度はみるみる上がっていく
今の彼は地面に伏せて、相手がゆっくり近付いてくるのを待つしかない
腹減った……
構造体なんだから腹は減らないだろう……それに、このデザインは不気味すぎないか?
どうでもいいさ。どうせタダだ
世界政府芸術協会のやつらは、こういう意味不明のイベントが大好きだからな
ドラプールはロボットの形をしたビスケットを持っている。その両目にはいちごジャムが絞られ、赤く不気味な目になっていた
彼は隣にいるこの口数の多い構造体の名前をまだ思い出せない。でも相手の馴れ馴れしさからして、自分とはかなり仲のいい友人のようだ
ドラプールは心の中が空っぽで、何か大きなものを失くしたような虚しさを感じていた
さっさと食べてみろって
その好意を受け入れれば、心の穴は塞がるだろうか?
……
ドラプールは「ビスケット」をそっと齧った
「メリィ……」
おしゃべりな構造体は……
静かになった
「メリィ……」
「バリッ、ベキッ、ベギィ、メキ……」
味は悪くないね。どう……ノーリス?
心の準備はできていたはずだが、目の前の光景のあまりの凄まじさに、ビアンカは正気を失いそうになっていた
床にいる物体は蠢き、何かを探しているようだ。だが何も得られなかったのか、ゆっくりと格納箱へと戻っていく。その暗闇だけが安全とでもいうように
「ウウゥ……グギ……ウカ……」
ビアンカの視線が届かない肉片から、くぐもった嗚咽が聞こえる
もっと、近くに来てください。顔を、見せてください
引き寄せられるようにビアンカは声のする方へと足を運んだ
そう、そうです。私の他にも、ここにはたくさんの人がいます……
もっと近付けば、彼らの姿も見えますよ……
死者と再会したいのなら、一番の方法は自分も死ぬことでしょう
骨を刺すような寒さが、ビアンカを混沌とした意識から目覚めさせた。いつの間にか辺りは大雪の降る雪原になっている
どうしてこんなところに?
人を救うために
後ろから声が聞こえて、ビアンカは振り向こうとした
……これは……私の記憶……?
雪は、好きですか?
…………
………………
生者に抱く未練のせいで人は判断を誤り、挽回できないほどの犠牲を払ってしまいます
逆に死者に抱く感情は人を軟弱にします。それが恐怖であろうと、思慕だろうと
死に対して平常心を保たなければ、死を恐れない怪物とは渡り合えません
でもそれなら、私たちもいずれ「怪物」になってしまいます
怪物を倒せるのは、怪物だけです
いえ、きっと他の方法があるはずです
……ビアンカ
珍しくセンの声は優しかった。ビアンカはやっと思い出した。ある事件の後、センは他の粛清部隊の隊員のように、彼女を「腰抜け」とは呼ばなくなった
私たちは別れに慣れなければ
将来に何が起きようが、あなたが誰を殺めようが
たとえあなたを殺めることになってもですか?
もちろん。いつか私が侵蝕体になったら、大声で嘲笑ってくだされば
後ろから誰かに真っ白な吹雪の中へと押し出され、ビアンカの視界は雪で遮られた
どうか……
センの最後の言葉も遮られた
ビアンカ、大丈夫ですか?
虚構の寒さが消え、ビアンカの意識は再び現実へと戻った
大丈夫です
彼女は隣にいる人間に視線を移した
指揮官殿、緊急事態です。司令部に報告する必要があります