センは部隊を引き連れて、管理室の方に向かいました
ビアンカが同行者に「遡源装置」で解析した情報を説明している最中、いきなり通信音が鳴り響き、会話を中断した
深痕、「遡源装置」の稼働状況は?
端末に青白い顔をした女性が映し出される
「遡源装置」は初稼働を終えたばかりの状態です
関連データは任務終了後にアップロードします。ですから、任務中は任意での連絡は控えていただけますか
これについては、事前に打ち合わせしたはずですが。ヴェサリウスさん
ふん
ビアンカの言葉に対し、相手はただ冷たく鼻を鳴らした。そのまま通信を中断しないことで、彼女は自分の意志を表明しているようだった
承知しました、では今すぐに初稼働時のデータをアップロードします
装置の稼働時間は短かったが、それによって得られた観測データは想像より遥かに大容量だ。転送の進捗を現すバーの進みもゆっくりだった
……そこのあなたはグレイレイヴン指揮官?
データ転送の完了を待ちながら、青白い顔の女性が興味深げにこちらを眺めている
前任務で、マインドビーコンが侵蝕体とリンクしたらしいけど……
……道理であいつら、今回はあんなに自信満々だったわけ。しかもあなたを「回収」プランのリストに入れていない、と
確かに前任のグレイレイヴン指揮官よりはずっと頼れそうに見える
深痕との深層リンクはいかが?白夜の修復の……いや、今は闇蝕か……その時の意識海と、何か違う感じはする?
?
ヴェサリウスは構造体をその名前ではなく、機体名で呼ぶのが常らしい
相手は何かに気づいたように、嘲笑をその顔に浮かべた
またそういう話?
「普段の環境、本来の姿の方が、意識海の安定につながる」……
「本来の自分の姿に意識を向ければ、意識海は偏移しない……」
ヴェサリウスは人を皮肉ったような笑顔を見せた
構造体と毎日一緒に過ごしている人は、そんな子供だましみたいな考え方をしないと思っていたけど……
さすがは議会の「お仕着せの英雄」。その派手な「アクセサリー」に、すでに思想まで縛りつけられてる
「構造体はただの道具」という考え方が愚かだというなら、「構造体と人間に違いはない」という考え方も自己欺瞞のひとつなのにね
完璧な構造、制御可能な進化、独立した意識と思考能力……
これはまったく新しい命の形態であり、進化の方向なんだから
だとしても、過去を完全に捨てたり、否定したりする必要はないと思いますが
ずっと沈黙していたルシアが、急に会話に口を挟んできた
かつて人間だった者たちにとっては、「名前」は特別な意味があるのね。でも新生を得たら、その変化を受け入れるべき。機体コードこそが認知を安定させるための核心のはず
まだ人間であろうとしながら、すでに人間を遥かに超越する力を持っている。そのギャップが生む認知のズレは、いくら綺麗ごとを並べても消えやしないと思うけど?
自己認識と現実のズレこそ、意識海を偏移させてしまう一番の要因なのに。自分の変化から目を背けたままで、どうやって自己認識を保つのだろうねえ?
シスターみたいな格好なのは、造反者を天空の楽園に迎え入れたいってことですか!地獄に突き落とすべきやつらなのに!
…………
現在の自分を自分として認識するのが普通なのに、かつて人間だった自分を引きずるなんて健全じゃない
彼女たちはとっくに……
――ヴェサリウスさん
ヴェサリウスの言葉をビアンカが遮った
データが全てアップロードされました。速やかに評価をお願いします。私たちは現在も任務遂行中ですので
フン……了解
端末に投影されたヴェサリウスがやっと口を閉じた。データを確認し始めた彼女は、しばらくするとおやというように眉根を寄せた
稼働時間が予定値より低いのは想定内……あなたは第一適合者じゃなかったし
そして、次のデータまでスクロールしたヴェサリウスの表情が更に険しくなった
こんな短時間でも余計な幻覚を見るとは……でもこれらのデータもまったくの無意味じゃないけど
予想外の面白いデータだった。結局は、幻覚を見る前にあなたの意識海にはすでに偏移症状があったことの証明になったかな
深痕、やはり私の忠告に従いなさい
パニシングを駆除するだけじゃない、「遡源装置」はパニシングの情報を抽出するためのもの
そんな中途半端な姿勢、中途半端な覚悟でパニシング武器を使えば、あなたの認知のズレが増すだけ
……ご忠告は必要とあらば参考にいたします
ああそう……
まあどうせ、これからも似たような幻覚を見るでしょ
この予想外の現象がどんなデータを形作るのか、楽しみ
タイミングをみて深層マインドリンクを行い意識海を安定させるのを忘れないように。これは私の心血を注いだ装置なの。使い捨ては断固許さない
……「遡源装置」の材料、母体の欠片はもうないんだから
通信が中断し、相手の姿がパッと消えた
先ほどお話した黒野の研究主任です。指揮官殿
この深痕機体の主要開発者のひとりでもあります
……これは深痕機体の本来の姿ではありません。本来の姿は……もう少し粛清部隊や魔女といったイメージに近いのですが……
ですが、見慣れた姿の方が意識海の安定に繋がると考えて、私は一時的にこの塗装にしています
これは計画外のことでしたので……
そう話したあと、彼女は何か思い出して困惑したような色を目に浮かべた。しかしすぐにいつも通りの意志の強そうな目つきへと戻った
データ転送にかなり時間がかかってしまいました。指揮官殿、任務を急ぎましょう
慌ただしい準備、一時的な塗装、変更された第一適合者……会話の端々から、ことの全貌がおおまかに把握できた
だがビアンカ本人がこの話題を避けているなら、今はこれ以上訊くべきではないだろう
静かな博物館の館内に、バタバタと乱雑な足音が響いた
地下の奥深くでは「親切なスタッフ」たちが「歓迎の儀式」の準備を進めていた