暗い部屋の中。バネッサは精巧に作られたコーヒースプーンで粥を混ぜる。彼女の隣のベッドにはグレイレイヴン指揮官が寝ており、依然として意識不明のままだ
…………
どうした?コーヒーカップで粥を食うのは私らしくないかな?
確かにカトラリーにはこだわりがあるが、そうもいかない時はその場にあるものを使うさ
……気づいていると思うが、空中庭園は支援を打ち切ったようだ
え?
ずっと難民と接していたリーフはその点に気づいていなかった
前回の救援失敗から、次の救援時間や戦術の変更について訊ねても、いい加減な返答しかこない
ここ数日は定期連絡すらきていない。私自らが連絡してもテンプレートの回答だ
ルシアにも試させた。だが結果は変わらない
…………
まあ珍しいことではない。当面の間このエリアへの支援をストップしただけだから
前にはよくあったことだと聞く。まあ私も、実際には初めてだが
…………
その反応だと、こうなることはすでにわかっていたという訳か
……これからは私たちだけで全てに対応しないといけません
ああ。この状況で救援を求めるのは非現実的だ。私があちらでも、無意味な消耗は避ける
あと、いいニュースと悪いニュースがある
まず、空中庭園からの支援は切られたが、幸いにも位置情報を得る権限は据え置かれた
そして、位置情報を見るに未確認人型生命体は042号都市へ入っていった
…………
さて、どうする?
ここは危険ですし、人数も多い……襲撃されたら防御するにも撤退するにも、多くの犠牲者が出てしまいます
分散しましょう。今ここにいる164名をいくつかのチームに分ければ、効率よく動けるはずです
いえ、ここ数日で新たに来た難民もいるので……私たちと指揮官を除いて172名と犬1頭です
もう172名も?
分散する案はいざという時に役立ちそうですが、撤退までの時間がかかりますね。今から準備をした方がいいでしょう
それにすぐ思いつくものだけでも問題点が3つありますね。高濃度のパニシングに、人々の食料や体力の問題、集団で襲撃してくる異合生物、です
パニシングに関しては防護服で対策できますが、全員分はありません……チームの面子に応じて、配りましょう
体力面で、全体の移動速度が遅くなる点については、今はどうしようもありません
異合生物は私たちと他の構造体たちで対処しましょう
それで、移動する先はどこですか?
043号と隣接、かつ安全な都市となると046号、044号、045号の3つです
045号都市には行ったことがありますが、そこの保全エリアは044号都市から多くの人を受け入れていて、もう人数的な余裕がありません
046号都市の保全エリアは浄化塔の破損によって人員が全員撤退したため、しばらく空いていましたが……
すでに修理されたとはいえ距離が離れていますし、後から来た者たちは……少し排他的かと
……いえ、「少し」だと、リスクを適切に伝えられていませんね。046号都市には武装したスカベンジャーがいるんです。彼らは暴力によって外部の人から物資を奪っています
044号都市は完全に空きがある状態ですが、浄化塔は未修理です。それに都市周辺に大量の異合生物が徘徊していて、いつ赤潮が流入してもおかしくありません
これという場所がありませんね……
新居に住みやすい場所を探している訳じゃない。家庭菜園に適した地かどうかまで調べようというのか?
バネッサは優雅に粥を飲み込み、馬鹿にしたように笑った
一時的に避難できて、やりすごせたらそれで十分だ
人型生物が043号都市を離れたあとに、ここに戻って破壊された建物を修復すればいい
未踏の地へ、未踏の地へと向かうだけでは、どれだけ世界が広かろうがいずれ移動場所が尽きる
そこの、あの指揮官が起きていたなら、同じようなゲリラ戦術をするだろうさ
[player name]についてよく知っているような口ぶりですね
バネッサはスプーンを置き、リーに冷たく笑ったが何も答えはしなかった
では、難民を3チームに分けて撤退しましょう
動ける人に防護服を着せ、私たちが安全なルートを割り出し、赤潮が発生しそうな場所をなるべく迂回して044号都市へ向かいます
それと、護衛として構造体2名がつきます。移動中はなるべく防護服を脱がないようにして、044号都市が住める状態になり次第ここへ戻ってきましょう
ええ。あと一部の負傷者に物資を渡し、045号都市に行かせましょう。探索中、小型の浄化装置付きの倉庫がありました。悪い環境ですが、簡易の防護措置で対応できそうです
では第3チームは僕たちと指揮官、残った負傷者やバネッサ、ボンビナータが046号都市へ向かいましょう。スカベンジャーといえども構造体には手を出せないはずです
頭の回転が速いな。さすが首席の部下といったところだ
確かに物資不足と人型生物の対策はできているが、懸念点が4つある。わかるかな?
移動中に遭遇した異合生物を対処するために、必ず護衛として構造体をつけなければいけません
動けない負傷者には移動手段が必要ですね……
人間は防護服がないと移動できませんが、人数分はない。現在の状況から判断して、046号都市へ向かうチームに防護服を配るのは難しいかと
そうだ。それと、途中で必ず犠牲者が出る
グレイレイヴンは生という残酷さを見てきただろう。決して全員を助けるなどという幻想を抱くな。チームの秩序を乱すだけだ
どういうことです?
ここにいる負傷者がチームの移動速度についていけると思うのか?ずっと外で救援任務をしていたお前らにはわかるまい。リーフ、説明しろ
……負傷者を含めて、全員で移動するのは困難です。負傷者たちは動きが遅く、かといって今ある移動手段の全てを使っても、皆さんを乗せることはできません
……脱落者に合わせては時間が足りないから、誰かを見捨てろということですか?
その通りだ。だが、それは時間が足りない場合、だ。私も罪のない人々を犠牲にするつもりはない。無駄な救助をする余裕はないと言っている
こんなことでお前たちと争うつもりもないしな
…………
何か不満か?突然[player name]が目を覚まし、誰ひとり犠牲にならず撤退できるような素晴らしい方法へ、導いてくれるとでも思っているのか?
最善の方法はすでに伝えた。不満がないなら今は私の指示に従え
実際にその状況になったとしよう。危険に晒されるのは誰だと思う?ボンビナータを連れた私か?走る元気のある難民か?それともそこの意識不明の指揮官か?
まあ、[player name]が育てた人形どもなら「私が皆を守ります」とかほざいて、命懸けで戦うだろうがな
訊いても無駄なことだった
……それについてはわかりました。次の戦術を練りましょう
046号都市と045号都市へ向かう重傷者を先に行かせるべきだと思います
時間があるなら先行させるべきだろうな。お荷物を置いて元気なやつらがスタスタ行けば、重傷者は一生ここに残されるだけだ
……どうやらここ数年で、お前たちも人間の奥底にある悪意については理解したらしい
いえ、悪意ではありません。皆さん、ただ本能的に生き延びたいというだけです。だから私たちは、事前に入念な計画を練る必要があるんです
フン、好きに言っていればいい
あの2体の人型生物はまだ043号都市へ到着していない。だが……
!北方向130km、大量の異合生物信号を検知しました!
……!?
こちらに向かっています……!8時間後には到達すると思われます!
数は?
100体弱です。私たちだけで対応できるでしょうか?
いえ、もう群れになっているとしたら、100体で済むはずがありません
044号都市で異合生物の奔流を見たことがありますが、必ず探索範囲外にも多くの異合生物が存在していました
検知できた数の10倍、100倍だってありえます。もし難民が集まっているのが見つかってしまったら……私たちだけでの対応は不可能です
バネッサは自嘲的に笑うと、すでに冷たくなった粥をぐいと飲み干した
朝日を拝む前に撤退しなければならなさそうだな
計画通りにまず負傷者の移動を。歩ける人たちは構造体が護送し、ここから撤退させましょう。それから、早めに地上に残る他の精鋭小隊に応援を要請するべきです
一部の負傷者は車に乗せて移動させる。そこの指揮官は1席あれば十分だろう
応援要請は諦めろ。ストライクホークもケルベロスも、我々と似たような状況のはずだ
拠点に医者がいれば生存率は上がるが、負傷者も増える。そうなるとチームの移動が難しいのは必然だ
負傷者がひとりも生き残らずに全員死亡していれば、ここまでの困難さはなかったかもしれないな。皮肉なことだ
そんな、全員死亡なんて……!
つい先刻言ったはずだ。移動途中で必ず犠牲者は出る。まさか異合生物がおとなしく待っていてくれるとでも思うのか?
バネッサの言い草に不満はあるものの、3名はこの変えられない現状を受け入れるしかなかった
使える車は何台ある?
他の破壊された保全エリアから回収できた車のうち、3台は使用可能です
さっさと指揮官に防護服を着せろ
撤退準備をするために、一同は部屋から出た。しかし、部屋の外に広がっていたのは、予想だにしない光景だった
難民は多くない荷物をすでにまとめ終えていたのだ。彼らは、部屋から出てきたグレイレイヴンに冷たい視線を浴びせてきた
……皆さん、待ってください、どちらへ行こうとしているんですか?
オブリビオンの拠点だ
オブリビオンの拠点はここからかなり離れています。徒歩で行くのは不可能ですよ
だから、普段救援に使っていた車を「拝借」してある
……どうして、いきなりこんなことを?
医者のお嬢さんよ、あんた、ずっと俺らに何も言わないようにしてたろ?こそこそ集まっているのを見たから、外が騒がしいことに乗じて「耳」を澄ませたんだ
耳?
空中庭園からの支援が打ち切られたんだろ?あそこの構造体から聞いたぞ
彼は壁際にいる構造体を指さした
……仲間と相談していただけなんだ……まさか、後ろで盗み聞きされていたとは……
なに、お前らが隠していても、俺はいずれ気づいていたさ
近くの保全エリアは次々と破壊されている。空中庭園からの支援もなく、あの2体のバケモンが041号都市に来ているなら、俺らもここでただくたばる訳にはいかん
ボス、どの車もエンジンは動いた。もう防護服も積んだぜ。行こう
待ってください、勝手に車を使わないでください!自力では移動できない重傷者がいるんです。車がないと彼らを運べません!
何だよ、俺らは徒歩で行けって?
俺らが行ってから、重傷者はここに寝かせておけばいいだろ。場所も広くなるし、のびのび休養できるってもんだ
(彼らはまだ異合生物の奔流と人型生物の移動を知らない……)
車3台で172名も乗せられないでしょう、大量の侵蝕体と異合生物に襲われたらどうするんです?まさか、人海戦術で戦うつもりですか?
人々はしばらく黙り込んだが、やがて再びざわつき始めた
だからこそ、あいつらがまだ来ていない今のうちに行くしかないんだ
スカベンジャーはスカベンジャーのやり方があるんでな。好きにさせてもらう
待ってください!
私たちは隠してなんかいません、より多くの人に生き延びてほしいだけなんです!
リーフは考えを数秒間のうちに巡らせ、たとえ皆を驚かせてしまっても、今ここで秘密を打ち明けるしかないと判断した
これまでもシェルターの難民たちは必死に情報を掴もうとしていた。この危険な状況においては、皆の団結なしには局面を打開できない
その危険さえ知らされずに独自に判断した者たちが、一体どのような結末をたどるのかについては、リーフは考えたくもなかった
お話します。北方で多くの異合生物の信号が検知され、8時間ほどでここに到達します。人型生物も041号都市から042号都市に移動中です。負傷者も、全員撤退するべきです
今車を使われてしまったら、負傷者は徒歩での撤退はできないんです、もしここを守っている時に異合生物がシェルターに入ってきたら?負傷者は全員、死んでしまいます!
リーフの言葉が響いたシェルターはしんと静まり返った
…………
中年のリーダーは周りの人々を見渡している。彼は数秒間考え、リーフを見つめた
お嬢さん、あんたはずっと俺らの世話をしてくれたしな……その話、信じよう
そう話したあと、彼はあえて数秒間待った。周りからの反論がないのを確認してから、話を続けた
俺らを信じて真実を話してくれたんだ。皆を助けてくれた構造体たちと、負傷者に車をゆずろう
すると、すぐさま反対の声が上がった。場は一瞬で騒然とし始め、数人の難民が大声を上げた
怪我人なんかここに残せばいいじゃないか!連れていったところで、どうせ長くないだろ!?
こんなところで死ぬのはまっぴらだ!!
途中で歩けなくなったらどうしてくれるんだ!?
飛び交う抗議に対し、リーダーは口をつぐんだ。やがて数人の難民が人々を押しのけ、彼の前に立ちはだかった
ボス……!
どうした?怪我もないくせに、10日とちょっと飯を食ってないってだけで、歩けなくなったのか?
ああ、歩けないよ!それに彼女の話を聞いてたか?あと8時間で敵が来る。あんな敵から逃げられるか!?それに敵が来なくたって、外でうろついてるやつもいるんだ!
俺らは人数も多いし、武装もしている。うろついているのなんか少数なんだ、数で圧倒すりゃいい
…………
医者のお嬢さん。でもまあ、こいつの話も一理あるんだ。俺らが車を持っていきたい理由は、疲れて消耗しているやつが多いからだ
だが、緊急事態の今は、あんたらと動けない負傷者を優先するべきだろう。俺らも無理やり車を盗んでいこうって肚じゃない
ただ、途中で誰かが倒れたらチーム全体の移動速度が遅くなる。その時に襲われちまったら、俺らだって死ぬしかないんだ
わかっています。ですからお互い譲り合って、車両を分けませんか?
そうだな……わかったよ
彼は議論する人々を制するように声を張り上げた
いいか、俺らは3台の中から一番小さい車をもらう。それを荷物運びと、疲れたやつの休憩用に使おう。他の2台はもとは救急車だから負傷者を乗せやすいだろうしな
こうすれば俺らの安全もある程度保証されるし、他のやつの生きる道も絶たずに済む
人々は徐々に静かになった。しかし、その結論にさえも不満を抱く者はいた
異合生物があと8時間で来るんだぞ!?徒歩で逃げきれるかよ!
たとえ3台全てもらったとしても全員は乗せられないんだ。自分だけは絶対に車に乗れるとでも思っているのか?
じゃあどうすればいいんだよ!
まずは落ち着け。もう少し考えよう
負傷者と俺らをどこに向かわせるつもりだった?
現在の状況から考えて、動ける人たちは南の044号都市へ向かうのが一番いいです
そこの浄化塔の問題は未解決なので周辺のパニシング濃度は高いですが、皆さんには防護服を配りますから。私たちが決めたルート通りに歩いていただければ問題ありません
043号都市が安全になり次第、またこちらへ戻ってきましょう
044号都市はここから近いし、直通の道路もある。うろつく敵も少ない……確かに、合理的だな
後ろにいる人々に聞こえるように、彼はわざとらしく声を大きくした
だが元気なやつにまで防護服を着せたら、負傷者の分が足りないんじゃないか?
045号都市には小型浄化装置のある倉庫があります。絶対に安全とは言いきれませんが、通常の防護措置がある状態ならしばらく寝泊まりするくらいはできます
リーさんの言う通り、一部の負傷者は045号都市の倉庫に移動させようと思います
他の負傷者は、私たちとともに046号都市の保全エリアへ向かいます。そこにはまだ空きがあったはずなので
046号都市だと?そこにいる連中は全員イカれてるぞ。ある意味、侵蝕体よりもおっかないが……まあ、構造体がいれば何も手出しはできないか
決まりだな
バネッサはボロ人形のようになったボンビナータを連れて部屋から出てきた。その場でずっと一同の会話を聞いていたかのようだ
急ぐぞ
待て、俺の話はまだ終わっていない
俺らは徒歩で撤退するんだからかなりペースが遅い。044号都市はそれほど離れていないとはいえ、8時間後に043号都市から離れられるかどうかまではわからん
お嬢さんは負傷者を助けたいから車を残した。だがお偉いさんよ、あんたはどうだ?
あんた、この構造体たちの臨時の上司だろう?元の上司がどういうやつか知らんが、構造体たちの言動を見れば悪いやつではなさそうだ。でもな……
彼は悪意を強調するように、喉からくぐもった冷たい笑いを響かせた
あんたみたいな人間、俺はさんざん見てきたんだ。人の価値を秤にかけ、考えるのはいつだって自分の利益だけ。一緒にいたのはたった1カ月だが、それくらいはわかる
負傷者とともに出発して、後から道中で負傷者を見捨てるように命令する。すると、自分の安全だけはきちんと確保できるって訳だ
はっ……私はただ生存者が最多になる方法を考えただけだ
この状況でひとりひとり治療してみろ。使う物資も、治療にかかる時間も、それで得たものとつり合うと思うか?こういう時は、必ず何かを犠牲にせざるを得ないんだ
へえ、あんたの部屋にも治療が必要な「お荷物」が、おねんねしてるみたいだけどな
人はそれぞれ美意識が違うものだ。割れた宝石と泥に落ちた稲穂。お前ならどちらを拾う?
すげぇな、さすが空中庭園の偉いさんだよ。人の命の価値の決め方が、昔のグレート·エスケープの時とそっくりだ
今にも衝突しそうな双方を見てリーフは何かを言おうとしたが、リーによって止められた
そう怒るな、ローセント。これからの「グレート·エスケープ」の主導権は俺らが握っているんだ
外の3台の車には今、俺の部下が乗っている。2台が欲しいなら話を聞け。力づくで奪いたいなら構わんが、俺の銃声が聞こえ次第あいつらはすぐに車を出すぞ。相討ちするか?
で、何が望みだ?
俺らの仲間と負傷者を先行して撤退させろ。あんたと他の構造体たちはひとまずここに留まれ
どうせ車2台じゃ全員は乗せられない。負傷者を乗せた車はもう一往復するしかないが、俺ら徒歩組もそう遠くへは行けていないはずだ
あいつらにもう一往復させる気か?
ああ。俺は医者のお嬢さんと彼女の仲間を信じる。必ず負傷者を送り届けて、ここに帰ってくるだろう
皆が安全に撤退できるまで、あんたと、その意識不明の上司っぽいやつは、ここにいるんだ
構造体たちをお前の護衛につけ、我々も同時に撤退するというのは?
あんたは信用できない。ここから離れたら、いつでも構造体を呼び戻せる。そうなれば、運ばれる前の負傷者と徒歩で遅い俺らは、043号都市で恰好の餌食って訳だ
車を渡したあとに、あいつらに私を迎えにこさせるのは?
俺らがあんたを見張っておく。彼らが負傷者を連れて出発したら、こっちも同時に出発する
……ふん、グレイレイヴンには信念があるが、私にも自分の人形がいるんでな。行こうと思えばいつでもここから出られる
あんたらふたりで?徒歩で偉いさんを連れていこうってのか、危険極まりないと思うが?
いくら宝石でも割れてちゃ価値がないって、見捨てるのか?
…………
……わかった、ここに残ろう。お前たちは先に行け
バネッサ指揮官……
本当にそうなさるんですか?
お前たちがさっさと戻ればいい話だ。でないとお前たちの大切な指揮官は、私とここで犬死にだ
それと、お前……名は?
彼女は隣にいる構造体を手招きした
サンダカです
サンダカ。お前はあいつらの運転を手伝え。道中、戦いの連続で何度も車を止めていては、ろくにスピードが出ないからな
了解しました
……リーフ、行きましょう
この撤退の指揮はリーフに一任します。負傷者の状況を一番わかっていますから
わかりました
では、私たちは重傷者を連れて先に撤退しますので、一部の軽傷者の方はここに残っていてください。担架は場所が必要になりますので、一度に多くの人は運べません
リーフは医療日誌を開き、負傷者の情報について確認した。日誌は更新されてこそいなかったが、最近増えた負傷者とその状況についてはリーフ自身が記憶していた
重傷者8名、サユキさん、ソウタさん、リンゼイさんはひとまずここに残します
サユキさんとソウタさんの意識海維持にはバネッサ指揮官が必要です。リンゼイさんには今、振動を与えるのは無理です。他の構造体と合流して、サスペンションのある車でないと
指揮官が使っていた車両ですか?
はい。今の指揮官の状態ならサスペンション機能はなくても大丈夫ですから
あと、カーリーさんがここから離れることに同意してくれるかどうか……
癌で絶食している老人ですよね?訊きに行ってきます
もし彼が行かないとしても、スペースを必要とする4名だけで車両2台が必要になります。せいぜい連れていけるのはあの女の子でしょうね
……短距離であれば、狭くても大丈夫なんですが……
触れない程度にお互いの距離を縮めて、担架に支えを作るのはどうですか?
ではその支えは僕が作ります。ですがスペースを最小限に抑えたとしても、車1台では担架4名、座れて数名でしょうが
お願いします、リーさん
リーは頷き、すぐ倉庫へ向かった
2台目は……
彼女は日誌をめくり、すぐさま新たなリストを作成した
担架は必要ありませんが、怪我のために体同士を接触できない負傷者の皆さんですね。多少スペースを空ける必要があります
一部の人を座席の下に寝かせたり、足に怪我がない人の足に誰かを乗せたとしても、全員は乗れない……
それに車は改造をしていないから、積載量オーバーですよね?
そうですね
運ぶ必要があるのはあと何名です?
あと47名……いえ、最近来た人も入れたら……62名です。でも2台目の車では17名が限界です。1台目に4名乗せるとすると、今回の輸送では21名しか連れていけません
問題ないでしょう、もう一往復すれば、なんとかなると思います
でも……次の撤退輸送では、今回運べなかった重傷者と、指揮官が入ります
考えるより動きましょう。急げば三往復できるかもしれませんから
わかりました……とにかく、皆さんを呼んできましょう
わかりました
ルシアはそう言うと、シェルターに入っていった。しばらくして、自由には動けない難民たちがゆっくりと姿を現した
あ……リーフさん……
最初のリストに名前があったファンティーヌが出てきた。彼女は微笑みながらリーフに挨拶する
ありがとうございます。でも、私は今回は残ります
彼女は人々を見渡すと、自身のお腹を優しくそっとなでた
車のスペースは限られているし、この子のこと、まだ決められていないので……もう少し一緒にいさせてください
あなたたちが行ってしまったら、ここの病人や怪我人を世話する人が必要でしょう?リーフさんほどではありませんが、少しならお手伝いできます
代わりに、私が連れてきた子を連れていってあげてください。背中の傷が酷いのでスペースが必要かと……大人ひとりとしてカウントしていただけませんか?
……わかりました
そうだ、シュレックさんが何か言いたいことがあると
よっ
彼は笑顔でリーフに挨拶した
スペースはいらないから、僕も一緒に車に乗せてくれないか?車の屋根に乗っけてくれれば。そこなら、負傷者の分を横取りしないだろう?
本気ですか?屋根の上なんて……とても危ないですよ?
大丈夫。しっかり掴まっておくよ
君たちが向かうのは045号都市の倉庫だよね?そこに医者は?それと、君は倉庫に残るの?
私もそれをずっと考えていたんです……
そうだろう?誰か、世話する人を倉庫に残さないと。僕は大した医者じゃないけど、最近ちょっと真剣に勉強してたから
最近……?
ああ。友達のお陰で、医療技術を身につけるのは大事だって気づいたから
僕だけじゃ頼りないなら、オブリビオンから医者を呼べばいいよ
そうすれば僕もまた旅に出られる。オブリビオンに血清を届けられるし、あいつらも断らないと思うよ
……はい……ありがとうございます
ではワタナベに連絡して、彼らの力も借りてみましょう
もし指揮官が起きてくださったら……
指揮官の人脈、ですか?
担架の支えを組み立て終えたリーが、厳しい表情で後ろから現れた
いえ、リーの考えもわかります。ただ……空中庭園から支援を打ち切られて、このままオブリビオンの一員になるのかもしれないなと
ルシアはすっと顔を上げ、暗い空を見上げてさまざまなことを思い巡らせているようだった
……空中庭園がそう決断した理由は理解できます。欲望や悪意ではないことも。これからは自分たちで考えて、動かないと……
それに、こういうことには慣れています
…………
じゃ、僕は負傷者を運ぶのを手伝ってこよう
そこに横たわる重い空気を察したのか、シュレックは明るく手を振ってシェルターへと入っていった
あ……リーフ、カーリーさんは行かない、そうです……
……そうですか。わかりました
数十分後、皆の協力の下全ての人が車への乗車を終えた
人々はお互いに寄り添っているが、それによって傷口が圧迫されるほどのすし詰め状態ではない
準備完了です。行きましょう
道中の異合生物には私が対処します。リーフは負傷者の状態を常に確認していてください。リーとサンダカは運転をお願いします
リーは頷いたが、その目は明らかに曇っていた
エンジンをかけると、重みに耐えきれないボロボロの救急車から軋む音が響く。次の瞬間、メーターの横にあるスピーカーから鋭い警報音が響いた
「救急センターより警告――重量オーバーは事故の原因です。どうか法律順守、安全運転を心がけてください」
……
リーの表情がぐっと深刻なものになった。彼はパネルのカバーを開けると、警報音が鳴るスピーカーの配線を引きちぎった
出発しましょう