意識とは常識が覆される場所だ。そこには記憶、夢、感情があり、それらが幾重にも絡み合って巨大な迷宮となる。時には、その主でさえ迷ってしまうほどに
αの意識もまた然り。現実の建物は雲上に聳え、客をもてなすテーブルは海原に漂い、猛烈な陽光と豪雨が交錯しながら、全ては赤い月の懸かる真夜中に冷ややかに留まっている
ここは墓場ですよ?葉は燐火で、花は骸骨です。眼科の受診をおすすめします
これはαお姉様にとっての「死」なんです。澄んでいて、静かで、長い旅路の果ての駅のようなもの……彼女は「死」をこのように思っているんですね
その話は出てからにしましょう
その話も外に出てからにしましょう。今はもっと大事なことがありますから
あ、見てください!「花畑」の中に墓標が!なんだか意味ありげですね?
文字が読めない……
痕跡から察するに、ふたりの少女の名前のようですね
エリーナが試しに墓碑を叩くと、少し離れた場所に棺が浮かび上がった。止める間もなく駆け出したエリーナを見て、[player name]は教育の難しさと必要性を痛感した
道中に広がる棘を、彼女はランプで払いのける。近付いて初めて、棺の中の姿が見えた――妖精のような寝顔の、ツインテールの少女。薄手の囚人服には「9」と記されていた
両手にはオルゴールを抱えている。エリーナが無意識にそれを取ろうとした瞬間、少女に手首を掴まれた。そして、彼女はそのまま身を起こす
オルゴールだけが軋む音を響かせる。周囲は、棺の少女が織りなす陰鬱な気配に塗り替えられていく
お姉ちゃんが危ないの?
そうでないと、誰も私の眠りを妨げることはできない
その警告とともに、無数の細かな月光の刃が血管へと入り込み、侵入者たちは痛みに膝をつきかけた
……まあいいわ、今回のお遊びはここまで
少女はオルゴールの仕掛けを開いた。宙へと四散するパーツが拡散と再構築を繰り返し、扉へ続く通路へと形を変えていく
これは迷宮の核へ至る近道
チャンスは1度きり。お姉ちゃんを、無事に連れ帰って
侵入者たちは通路へと踏み出した。扉を開ける前、不安を抱えながら視線を交わし、同じ疑問を胸に浮かべる――αは一体何を隠している?扉の先に広がるのは、記憶の宮殿だった
逃げて、お姉ちゃん。早く逃げて
広大な実験場には身を隠す場所など、どこにもない。子供たちが眠っている間でさえ、霧が現れる可能性があった
ゲートの赤いランプが点滅し、警報が鳴り響いたら、考えている暇はない。すぐに逃げ出すのだ
それでも霧は命あるもの全てを追い詰める。呑み込まれた者は倒れ、やがて異形の怪物として立ち上がる
殺し合いに終わりはなく、死は数えきれない。毎日のように新たな子供が実験へと送り込まれる。それが「進化」を成し遂げるために必要な選別だと、そう言い聞かされてきた
この子はかなり素質があるな。すでに「呑噬」の能力を発現している。霧に適合した他の子供たちよりずっと早い
ただ、あのガキに足を引っ張られすぎだ。あの足手まといさえいなければ、もっと進化に集中できるだろうに
どうするつもりだ?単に殺すだけじゃ、もう満足できないのか?
霧の投入量を増やしたい。サンプル9の処分と同時に、サンプル10の進化を加速させる
殺すだなんて大袈裟だな。実験が早く終われば、それだけ犠牲も減る。お前だってわかってるだろ
天然なのか?それともただのバカか?組織が存在する限り、実験は終わらない。異種は1体じゃ足りないんだ。何体も生み出し、血で踏み固めた完璧な――
進化の道を築く、その時まで
そこまで嫌なら辞めればいいだろう
言われなくてもそうしたいさ。辞めたくないわけないだろ?辞めた連中がどうなったか、知らないわけじゃないよな。天国にでも行ったってか?
いや、あいつらはここにいるな。一瞬で研究者から怪物に変わっちまったがな
人を殺すことだけが残された唯一の道。人生はこれ以上なく最悪だ……せめて、この行為だけは無駄にしたくない
エリアB-1034及び周辺エリアに3倍の量の霧を投下。サンプル10、ルシアの特別測定を開始する
姉妹は手を取り合い、逃げ続けた。今日はいつも以上に危険な状況だった
額に角が生えた日からルシアの獣化が始まった。見つけた石片を鋭く研ぎ、何度も角を斬り落とそうとした
しかし角の周囲の肌はどんどん固くなり、石片は砕け、痛みで失神してもそれは叶わなかった
その後、ルシアは「呑噬」を学んだ。石片を怪物の急所へ突き立てる度、力が流れ込み、獣性が膨れ上がり、抑えきれない殺意が溢れ出す――自分は今、怪物を「吸収」している
仲間は怪物へと変わり、怪物は仲間の瞳を宿す。血は全てを粘りつかせ、もはやそれが誰のものかもわからない
だが今回の襲撃は違った。霧が四方八方から押し寄せ、全てを覆い尽くそうとしている。怪我をした足が逃走を遅らせるが、それでも止まれない。止まった先に待っているのは死だ
ルナ、怖がらないで。お姉ちゃんの後ろに隠れて、目を瞑って
100まで数えて……ううん、999まで数えたら目を開けて。そうしたら、もう大丈夫だから
お姉ちゃん、もう逃げられないよ……
ルナの声は冷静だった。まるで自分とは無関係な事実を告げるかのように
怪物が多すぎる……お姉ちゃんでも、もう太刀打ちできない
ルナ!
お姉ちゃん……私のこと、責める?
するわけない
私は絶対にルナを責めたりしない
あの日、扉を開けて「お母さん」を中に入れて、「お父さん」を殺させたのは私なのに
そんなことを考えるのはやめて
あの怪物はお父さんじゃない。あいつは私を捕まえた。ルナが扉を開けて他の怪物を呼び込んでくれなかったら、私はあの時に殺されてた
でも……あの怪物は、私のことを覚えてた。オルゴールをくれて、薬も持ってきてくれて……死ぬ前に、薬を渡してくれた
……ルナは私を選んでくれた。あの日、ルナが私を救ってくれたの
もし、ルナが「お父さん」を殺したというなら、その罪の半分は私のもの。一緒にやったの、私たちふたりで
ルナは私に生きていてほしいと思った。だから、私たちは生き延びることができた。私はルナに生きていてほしい。だから今日も、私たちは生き延びるの
ルナ……泣かないで、怖がらないで
ふたりはずっと一緒。怪物になっても、永遠に一緒。たとえ地獄に堕ちても――ルシアは石片を構え、意味のない振り下ろしを繰り返していた
お姉ちゃん……私、死にたくない。あの怪物たちはお姉ちゃんを殺したあと、私を食べる
怪物に食べられるのは嫌。だから、私を食べて。お姉ちゃんなら、痛くないから
お願い……私の願いを叶えて。今回だけ、罪を背負って。お姉ちゃんに生きていてほしいの……せめて、夜明けまででも
お姉ちゃん、今回だけ……お願い
……同感です。飛ばしましょう
霧が晴れたあと、感覚が麻痺した研究員は生命反応を検知した。彼らが準備を整えて扉を開けた時、ルシアはルナを抱いていた。しかし、ルナには生命反応がない
後ろから見ても、サンプル10には完全な獣の角が生えていることがわかる。ルシアが振り返るまで、それが怪物なのか誰も判断できなかった
血の涙の跡が残る少女の顔にあったのは、虚ろな瞳だった。怪物に「悲しみ」などない。ならば、これは異種だ
ルシアを囲むように、同じく生き残った実験体たちがいた。まるで仔狼の群れが王を護るように。コレドールもその中にいて、怯えて頭を抱えていた
やった……成功だ!異種が生まれた!
獣の角、異色の瞳、呑噬……進化の道だ、黄金の道だ!できた……ついに見つけたぞ!!
彼らは防護服を脱ぎ、自分たちの創造物に触れようと前へ出た。膝をつき、慟哭する者もいる。生き延びた安堵か、それとも殺戮からの解放か……だが数m手前で阻まれた
ルシアの進化は、誰の想像も超えていた。彼女は人間が知る、あの静かな口調で告げた
怪物は全て殺した。あなたたちが放ったもの……霧に変えられたものも、全部
この子たちは私が護る。もう二度と手を出すことは許さない
ルシアはそっとルナを下ろすと、柄のない骨の刃――まだ形を成していない暁光を握る
傷ついた足を引きずり、研究員の前へ歩み寄る。そして、その顎を刀で持ち上げ、ゆっくりとひと言ずつ告げた
1度でも彼らに触れてみなさい
その手が首とともに地面へ落ちるわよ。約束するわ
それと、今日から私の名はα。ルシアはもういない。彼女は妹と、皆とともに昨夜死んだ
αよ、覚えた?ほら、復唱して。震えてないで、はっきり言いなさい。間違えないで、私を怒らせないで、余計な問題を起こさないで
あなたたちは異種が欲しかったんでしょう?よかったわね、もっといいものが手に入ったじゃない
――悪魔よ。目の前に立っているでしょう、妹を喰らって生き延びた化け物が。仲良くしてくれるわよね?あなたたちは大人だもの
[player name]は深く息を吸い、目を閉じた。視界の記憶はそこで静止した。過去の罪が雪のように押し寄せてくる
意識の残り火がまだ消えていません。炎が尽きるまで待たないと、記憶の宮殿の主には会えません。今回は最後の部分まで飛ばしましょう
業火が再び燃え上がる。炎の中で、少女だったαの顔がやがて女爵の顔へと変わっていく
今回は立場が逆転していた。観測する者は実験される側へ、実験される者は上から観測する側へ
αは手にした鍵で鉄門や壁を冷ややかになでた。通路の奥から噴き出した霧は、防護を持たぬ研究者たちを呑み込まんと迫る
彼らは断末魔の悲鳴を上げた。自分たちに何が起こるのか、誰よりも理解しているからだ。全てを主導していた者はその中央で微動だにせず、ただ審判を待っている
女爵は酒瓶を手にして霧に敬意を払い、それから血酒を積み上げられた器材と資料に撒き、火のついたマッチを放り投げた
彼女は振り返ることなく踵を返し、扉を閉ざして鍵をかけた。そして、その鍵を長く待っていたロランに渡した
何か言い残すことはないのかい?組織を葬り去った、深紅殿
朽ちゆくものに賛辞など不要よ。ただの取引にすぎないもの
そうだね、これは女爵として街に仕えた代価だ。細部に至るまで、私たちはすでに取り決めを済ませたからね
今日をもって組織は消滅。もはや新たな異種が生まれることもない
αは陽光の中へと歩み出す。彼女を待つ栄誉と爵位を受け取るために
これは選ばざるを得なかった道。それでも神は私を愛している――αは胸中でそう呟いた。そうでもしなければ何を拠り所とし、この果てなき道を歩めばいいのかわからなかった
意識の残り火が消えると、ふたりは記憶から離れ、無数の扉が並ぶ回廊を進む。人間は時折ドアノブへ触れ、何かを感じ取る。そして、直感に従ってある扉を開けると、
……もうルナには会ったようね
連れ出すって、どこから?過去から?悪夢から?それとも、私自身から?この私を形作った選択から?
[player name]、あなたの助けには感謝してるわ。ただ……来るのが少し遅かったわね
私の結末がいいものか悪いものか……それは私が決めることよ
疲れているから、少し休むわ
……なんですって?
綺麗事はいらないわ
そんなものはいらないと言ったはずよ。それとも、私に同情してるの?
今更、あんな過去で揺らいだりしない
知ったような顔をしないで
人間は手を差し伸べて、座り込んでいたαを引き上げた。ガラスの幕が一瞬にして砕け散る
なぜ、そんな余計なことを?
ハッ、おせっかいね
……感謝するわ
感動的なところ、ちょっと失礼しますよ
ここはもうすぐ崩壊します。おふたりとも、私の手を握ってください。現実世界に戻りますよ
この世に仲間を必要としない人などいない。それに強さは関係ない。誰かを信じ、誰かに信じられているからこそ、人は霧に包まれた長い道でさえ、歩き続ける勇気を持てる
人間が現実世界で目を開けた時、αは朝の光の中で静かに祈っていた。そして棺へ寄り添い、囁く
帰れるかどうかはわからない。けれど、きっとそう遠くない未来でまた会えるわ……ルナ
αは手を伸ばし、蔦に命じて棺を覆わせた――それが、完全に埋もれるまで。そして、ふたりに次の計画を告げた
コレドールを止めに行くわ。彼女は私の命だけでなく、この街の未来すら脅かしている
組織を知る者として断言するけれど、大袈裟に言っているわけじゃないわよ。彼女のやろうとしていることは、それ以上に狂ってる
ここは街と霧域を繋ぐ通路。ルナをここに安置したのは、この場所が破られた時の代償を忘れないため
ここで立ち止まれば、これまでの全てが無駄になる。一緒に来るかどうかは……あなたたちの意思を尊重するわ
エリーナに目を留めた瞬間、αの眼差しに複雑な感情が浮かんだ。次にルナを見やり、一瞬思案するような表情を浮かべる
エリーナは、自分へ向けられた捕食者の視線を感じ取っていた。だがその危うさはすぐに消え去ったため、彼女は気にしないことにした
わかりきっているでしょう、αお姉様。心から喜んでお供します!
だって、街の未来に関わる、輝かしく崇高な大義のためですもの
αは微笑んで手を差し出した。手の平から伸びる糸は遠くへと繋がり、コレドールのいる方角を指し示した――霧域だ
長きにわたり、αはただひとりでここを守り、怪物の侵入を食い止めてきた。しかし今、その本人が自ら霧域へ赴こうとしている
彼女は糸を強く引きちぎった。同時に、コレドールの耳元に繋がっていた糸が断裂し、医師は激痛に顔を歪めた。彼女はずっと物陰から全てを監視していたのだ
[player name]、先に伝えておくわ。次に血が暴走したら、私は完全に怪物と化す
つまり、コレドールに挑むチャンスはこの1度きり
もし途中で私が自分自身を制御できなくなったら……迷わず、全てを終わらせて
これが私の唯一の頼み。そして、心からの望みよ
未来永劫、心に刻む
