エゼット資料室入口
過去
アジャールは……やっぱり来ないのか?
カムイの質問に対し、カトレフはただ首を振るしかなかった。彼もどうすることもできなかった
例の口論と率直な話し合いの後、彼らはライフと合意した。3人の体内のエネルギー総量と光冠ゲノムの活性を測定し、その記録をライフが世界政府へ報告する
世界政府の成功率評価をうまくクリアできれば、彼らは再び支援を得ることができる
アジャールは測定には参加したが、それ以外の時は彼らを避け、ずっと部屋に引き籠っていた。評価の結果が届く今日も同じ状態だった
アジャール、様子、見た方が、いいかも
何かあったら、心配
俺も心配してるけど、最近はずっと俺たちのことを避けてて、会おうとしない
――アイツが落ち込んでる原因を、根っこから解決するしかない
行くぞ。一緒に入ろう
扉が開く音を聞いたライフは振り向き、入ってきたふたりの少年を見つめた
どうした、怖気づいたか?あの時は自信満々でこの方法で行こうと言ってたのに。このままずっと、怖いもの知らずのままかと思ったが
ライフは机の上の資料を整理した。それはまさに、今日、彼が少年たちに伝える結果だった
……別にビビッてないさ!そんな臆病者じゃない。なあ、カトレフ?
うん、怖くない
ただ……ちょっと緊張はしてる。だってもしまたダメだったら、俺、すぐには別の方法を思いつけないから
ふん、若造の分際でなに格好をつけてる。いつも真っ先に突っ込んでいくあの勢いはどこへ行ったんだ?
当然、今日もそうだぜ!だってほら、さっきも俺が真っ先に入ってきただろ!
緊張してるにはしてるけど、だからって俺たちは足をすくませたりはしてない。マジでビビって怖くなっても、俺は必死で一番前を走ってやるさ!
よしよし、お前は勇敢な兵士だ。ならお前が真っ先に評価の結果を見てみろ
――えぇぇ!?
ままま待って……カトレフ、押すなって!!ちょ、まだ心の準備がぁぁぁ!
ま、まずは深呼吸だ!ひ、ひ、ふ――
ダメだダメだ、やっぱ緊張する!じゃあさ、俺、目をつぶっておく。カトレフが先に見て、俺に結果を教えてくれ!
後ずさるカムイに向かってカトレフは首を振り、彼を持ち上げてそのまま前へ引きずった
カムイ、勇敢、自分で見れる
わかったわかった、おふざけはここまでだ。カムイとカトレフ、一緒に来て結果を見ろ
準備はいいか、結果は……
エゼット連絡室
過去
準備はいい?アジャール少年。言っておくけど、パニシングに侵蝕したら、もう後戻りはできないわよ
……こいつは絶対に堅固で、他の物質に破壊されることはない。それは確かなんだな?
アジャールは目を伏せ、マリスが彼に渡した瓶の中の物質を見つめた
もちろん。だからこそ、私はその懐にこの身を投じたのよ。それに今の人類の悲惨な状況……本当にそれに対抗できるものを、君は見たことがある?
パニシングに服従すれば、君はその力を使って永遠を手に入れられるのよ
俺は何にも服従するつもりはない。こいつはただ、俺がエゼットの完全さを維持する道具にすぎない。俺をお前みたいなやつと一緒にするな
フフ、何を今さら善人ヅラしてるのよ?自らの手で家族全員の命を奪い、死とパニシングで彼らを呑み込もうとしてるくせに……
言葉に気をつけろ――それは「解放」だ。家の融合だ
辛うじて生き延びても、この残忍な世界はいずれ俺から彼らを奪い取る……だったらそれよりも早く、よりいい場所に行かせた方がいい
俺は彼らを理解してる。これこそ俺たちが追い求めていた究極の理想なんだ。こうすれば、俺たちの家はもう切り離せない
この前、君にそれの力を見せたのは賢明な判断だったわ。でももうこれ以上確認しなくていいの?君って確か、とっても疑り深い性格じゃなかった?
時間を無駄にするな。こいつに俺が欲しがってる力があることは、もう確認した
だが……お前がした約束を忘れるな。今後、二度とエゼットを狙わないこと、そして世界政府側で、人類文明においてエゼットが「滅亡した」と記録されるよう後処理をすること
このふたつについて、余計な真似をしてかき回す必要はないよな?嘘はいらない、本当のことを言え
――言ったとして、君は信じるの?
それに、以前の君が思い悩んでいた理由は、まだ何かを持っていて、それを失うのが怖かったからよね
でも今の君は……もうこれ以上失うものがないのね。そうなんでしょう?
「絆」とは「憂慮」でもあり、「束縛」でもある。これがなくなれば、君の手足を縛るものはない……徹底的に自由になれる
「パニシング」……実は最初から、お前の本当の目的はこいつだったんだろ
権力だの、地位だの……どれも言い訳にすぎない
アハ……その通りよ。だから言ったでしょう、アジャール少年。私たちは同類だと
私は君と同じく――この人類が支配する醜い世界が、心の底から大っ嫌いなの
それに引き換え、パニシングはあまりにも美しくて強大な造物……この世界は、とっくに主を取り換えるべきだったのよ
ねえ、一緒にやってみない?君の家族たちを引き連れ、私と一緒に……私たちの新たな帝国を作るの
お前の新世界など、まったく興味はない。今後はもう俺たちに関わるな
俺たちの世界は……エゼットさえあれば十分だ
アジャールは端末に表示されたメッセージを見た。彼はエゼットのメンバー全員に、緊急任務命令を待つため、誰も外に出ず、エゼット内で待機しろというメッセージを送っていた
資料室にいるカムイたち3人を除いて。彼らはそこで評価の結果とやらを待っている。もしや、彼を探しに来る途中かもしれない
彼はパニシングが溢れかえる容器を開け、その中身を注射器で吸い上げると、一気に力強く自分の心臓へ突き刺した
――ぐあっ!!
すぐさまアジャールの体に異変が起き、その過程は想像を絶する苦痛をもたらした。真紅の力は無数の蟻のごとく彼の心臓に噛みつき、彼はよろめきながらも起動ボタンを押した
マリスが用意したプログラムは、彼の内部権限によって一瞬でエゼットのシステム中枢に侵入し、数秒で全ての防御と救援要請システムを完全に麻痺させられる
更にマリスが手配した無数の侵蝕体が、すでに周辺に潜伏している。エゼットの扉が開けば、やつらが餓狼のように押し寄せてくるだろう
警告!!警告!!基地半径4km内に、パニシングの異常波動を検出!!
まもなく第2級警戒システムを起動します。エゼット▇▄▆▅▂▃▁メンバー全員は……
メン▅▇▃バー█▃▅全員は……
システム中枢▅▇▃麻痺█▃▆▂▃……自己破壊▇▄█▃▆▂モード▅▇▃▄起動……
起▇▃▆▂▄▅動……第1級▆▇▄▅▃▂▁警戒▆▃▇▄▅▂……
これは始まりだ……エゼットの、「家」の秩序を築くための
――誰であろうと、この家を離れ、裏切ることは許さない!!
エゼットメンバー宿舎
過去
……あなたたちも気付いてたのね?防御システムのパニシング濃度の放送に何か問題が起きたに違いないわ
うん、私とカロルもそれについて話してた
正確に言うと、異常は3日前からよ。あの時、私とカロルは夜の巡回をしていた。ライフたちは最近忙しそうだし、ついでにシステムの動作確認をしようと思って
ほとんどの時間、問題はなかったけど、ただ……途中で1度、エゼットの全システムの動作が停止するの。毎晩1回、いつも大体……5秒くらいそれが続く
……まるで、何かをテストしてるみたいに
今日、上層部に報告するつもりだったけど、ライフとカムイたちは評価の件で忙しいし、アジャールは私たちを宿舎の中に待機させているし、その件は一旦後回しにしたの
それで防御システムは?調べた?
昨日検査した時は正常だった。今も恐らく……
――待って!!おかしい!!防御システムが……全て崩壊している!?
少女たちの顔に驚愕の表情が浮かんだ。防御システムはエゼットがパニシングの侵入を防ぐ砦だった。もしそれが消えれば、基地内に保存されたソルエネルギアは……
急いで!ライフかカムイ、アジャールもしくはカトレフを探して、すぐ確認させるのよ
彼女たちは一斉に休憩室へ走った、全員がそこで待機していた。彼女たちが息を切らして駆け込んできたのを見て、皆は驚きながら立ち上がった
何があったの?
早く!探すのを手伝って……アジャールは?いつ来て指示をするか、アジャールは言ってた?
うん、ついさっきメッセージを送ってきたよ。すぐに行くから、全員ここでおとなしく待つようにって
「ドンッ、ドンドンッ」
タイミングよくノックの音が響いた。きっとアジャールが来たのだ
ほら!噂をすれば影がさすってやつだ
でも妙だな。今日はどうしたんだろ……彼は扉を開く権限を持ってるのに、なんでわざわざノックしてるんだ?
不思議に思いつつも、ダレンは駆け寄って、アジャールのために扉を開けた。宿舎の外の照明はなぜか全部消えており、何も見えないほど暗かった
ダレンはアジャールが少し離れた場所に立っているのを見た。しかも部屋に入ってこようとしない。彼は暗闇の中に姿を隠し、片手だけを伸ばしてノックしていた
ダレンは気にも留めず彼に近付いた――皆、彼が来るのを待っていたから。しかしダレンの後ろにいたエヴァは、暗闇の中に一瞬光った、異様な真紅の色を見逃さなかった
そして彼女ははっきりと見た。ダレンが掴んだアジャールの手に、すでに尋常ではない異変が起こっていることを
――まさかパニシング!?
ダレン!!危ない!!逃げて!!
どうした――
ぐはっ!?
ダレンがエヴァの方に振り向いた瞬間、彼の心臓は自分が引っ張った手によって貫かれた
その時、彼はようやく今触れたのがもはや人間の手ではないと気付いた。真紅の物質が彼の胸から流れ出る血と混ざり合い、早くも彼の全身を染め上げようとしている
ア……ジャール?
どう……して……
彼は信じられなかった。彼と向き合い、彼から説明を聞きたかった。アジャールは視線をダレンに向けたが、パニシングの影響で、彼が見る世界はすでに歪み、変形し始めていた
ダレン……お前は……
アジャール?なんでこんなに遅かったの?皆、待ってたんだよ
もちろん問題ないよ!これも僕たちが望んでいた方法だから
でも僕は痛いのが一番苦手なんだ……だからやる時は素早く、痛みを感じさせないようにして
アジャール……痛いよ……やめ……
もちろんだ、ダレン。俺はお前のことをよくわかってる。お前たちひとりひとりのことをよくわかってるんだ。お前たちの望みは、俺が全部叶えてやる
――ぐあぁぁ!?
アジャールは手に力を込め、ダレンの心臓を握り潰した。彼は手をダレンの胸から引き抜くと、相手が絶息し、地面に倒れたのをじっと見た
逃げて……
エヴァは後ろへ走りながら、少し離れたところにいる、まだ何が起きたかを知らない仲間たちに向かって叫んだ
――アジャールが完全に狂った!!パニシングに侵蝕されたッ!!
皆、早く逃げて……ッ!!!
メンバー宿舎は大混乱に陥った。皆は統率を失った蟻のように、あちこちに逃げ回った
ダレン……!!!しっかりするのよ!!早く止血しないと!!
彼はもう息をしてない!!カロル、早く私についてきて!安全な場所に隠れるのが先よ!!
カムイとライフは!!彼らはどこにいる!?早く彼らを探しに……!!
――ぐあぁぁ!!
ドリアンの悲鳴が部屋中に響いた。アジャールは彼の両足に大剣を叩きつけ、筋肉や骨もろとも叩き潰し、彼が地を這うことしかできないようにした
アジャール――もう走るのに疲れたよ。なんかいい方法はないかな?知ってるだろ、僕が長距離走が一番苦手だってこと
ずっと座っていられる、いや、ずっと寝転がっていられたらいいのにな。とにかく走らなくていいなら、何でもいいや
アジャール、僕の足に何かしてみてくれない?僕の足――
僕の……足……痛い……
立たないと……に、逃げないと……
これで……お前の願い通りになったよな、ドリアン
そこで安心して休んでろ。今後、お前は永遠に走ることに悩まなくていい
まったく、皆はやっぱり遊び好きだ――アジャールは散らばったメンバーたちを見てそう思っていた。彼らは笑いながら、子供の頃に好きだったかくれんぼをやろうとしている
アジャール!!次は君が鬼だぞ。速く走らないと私たちを捕まえられないよ!!
早く早く!!いい隠れ場所を知ってる!あそこならきっとアジャールは見つけられない
本当にあいつら、しょうがないな。じゃあ遊びに付き合ってやるとするか……
5秒だけ数えるから早く隠れるんだぞ?5、4、3、2……
1
さぁ、皆、家に帰ろう
そうだ、これこそが最も完璧な家だ。彼は全員の望みも、何を怖がっているのかも全部覚えていた。彼はその望みを叶え、恐れを取り除いてやれる
全員が正しい場所に戻れば、彼らは満足し、幸せな状態のまま、パニシングの梯子を上ってひとつになれる。それは完璧で完全な一体化であり、二度と離れることはない
――お姉ちゃん!!
もはや生存者はほとんどいなくなった。アジャールは一番遠くへ逃げたキャリーとカロルに追いついた。アジャールにためらいなく殺されたキャリーが、カロルの腕の中に倒れ込む
――お姉ちゃんってば!なんでいつもそんなに忙しいの?いつだって探しても見つからないし。それにいつも自分だけが前を走って、私を後ろに置いていくし
どんな方法でもいいから……ずっとお姉ちゃんと一緒にいられたらいいのにな
バカな子ね。私が前を歩くのは、あなたのために道を確かめてるからよ。こうすればどんな危険なことがあっても、私がまず先に対処できるでしょ
あなたはいつも怖がりだもの。だから何があっても私が先に行く
わかってるよ……キャリー。お前の一番大切なものは、いつだって妹のカロルだ。何をする時でも、お前は危険がないか調べようとして彼女の前に立っていた
そしてカロル、君も同様に、愛する姉を何よりも大切に思っている。安心しろ、お前たちの願いは、俺が叶えてやる
俺が永遠に一緒にさせてやるから
狂ってる……あなたは完全に狂ってる……
死ね!!
カロルは武器を取ってアジャールを攻撃したが、敵うはずもない。アジャールに首を絞められ、カロルは窒息しかけた。しかし彼女は必死に顔を上げ、初めて彼を睨みつけた
グッ、ゴホッ……アジャール、こんな残忍で人の道に外れたことをすれば、きっと報いを受ける……
もうカムイとカトレフにメッセージを送った!あなたなんてすぐにやられるわよ!!
――ぐあぁぁぁ!!
アジャールってば、私たちに構ってばかりじゃだめよ。カムイとカトレフはどこ?ついでにライフも呼んで一緒に遊ぼうよ
私たち、実は知ってるんだ。皆は仲がいいけど、あなたにとってカムイとカトレフは特別なんでしょう
だから、早く行って!私たちのエゼットは誰かひとりでも欠けたらダメなんだから
アジャールはカロルをキャリーの側へ投げ捨てた。姉妹が昔のように「寄り添い」、「抱き合って眠る」姿を見て、彼は満足げな笑顔を浮かべた
心配するな……俺がちゃんと、全員を家に連れて帰るから……
今は……子供の頃のように、愛する姉の腕の中で、子守歌を歌ってもらいながら眠ればいい
!?な、何だこれは、何が起きたんだ!!
騒ぎに気付いて駆けつけた兵士が見たのは悲惨な光景だった。彼らは驚愕しながら倒れた訓練メンバーを見渡し、遠くに立つアジャールを信じられない思いで見た
――アジャール!!おい、皆で遊ぶなら、なんで俺たちを呼ばないんだよ!!ガキっぽいとか言うなって。俺たちだって息抜きが必要なんだ
そうだ……それでいい。ゆっくりしてってくれ。最後には全員がここに揃うから
お前たちはライフが後からエゼットに連れてきたメンバーだけど、とっくにエゼットの一員だもんな
誰ひとり置いていくようなことはしない――
俺たち共通の美しい夢は、今やっと始まったばかりだ
――やはり返事がない。信号が全部切断されている
基地に異様な警告が流れ、そのあとすぐライフたちは防御システムの崩壊に気付いた。ライフ直属の兵士がメンバー宿舎の状況を確認しに行ったが、音信は途絶えた
くそっ……まさか信号塔が侵蝕体の突撃で破壊されたのか?
あんなに多くの仲間が犠牲になったのに、それでもやつらの攻勢を止められないなんて……なぜだ!?
他のメンバーからも返事がない。もしかしてもう……
数体の侵蝕体と交戦中のカムイは、焦りを隠せなかった。ライフがエゼット中枢の応急システムを起動し、敵情スキャンはできたものの、それ以上はどうすることもできない
モニターにはびっしりと密集する赤い点が表示されている。それは大量の侵蝕体がすでにエゼット内部に侵入し、彼らを包囲したことを示していた
ここで戦っても意味がない……退くぞ、早くみんなのところに行かないと。俺たちの救援を待ってるかもしれない!
――カムイ!!カトレフ!!お前らさっさと下がれ!
ライフ、怪我してる。援護する
そう言うとカトレフはライフを後ろの小部屋へ押し込み、押し寄せてくる侵蝕体を防いだ。彼らは救援に向かう途中で新たな侵蝕体の一群に遭遇し、徐々に追い詰められていた
幸い小規模な緊急避難室があり、一旦そこに隠れようとした。しかし目の前の侵蝕体は執拗に攻め続けてくる。誰かが外で防がねばならなかった
カトレフ!!俺も手伝う!
カムイもすぐに飛び出し、カトレフに代わって何度も攻撃を防いだ。ふたりは力を合わせてしばらく戦い、ようやく緊急避難室に逃げ込み、すぐに扉のロックをかけた
とりあえずは安全だ……でもこの現状じゃ、たとえ俺たちが支援に行っても恐らく意味がない。別の手を考えないと
……ライフ、他に援軍の要請を伝える手段はないのか?
通信は無理だ。誰かがエゼットを脱出し、直接援軍を呼びに行くしかない
ただ侵蝕体の数が多すぎる。少数の兵力で突破するのは無理だ。しかも多くの兵力を割くこともできない。さもないと残っている人たちが確実に全滅する
……みんなを脱出ポッドに連れていこう。怪我人や弱っている人を先に脱出させるんだ!
俺たちは残って、少しでも時間を稼ごう。ぐずぐずしてられない、まずはみんなを救うのが先だ、急げ!!
カムイが武器を構えて外へ飛び出そうとした瞬間、カトレフが彼の手を掴んだ
異変が起きてから、カトレフは何も言わずにずっと自分の端末を睨んでいた。ここまで来る間も彼はずっと考え込み、何かを察した様子だった
そして先ほどカムイが敵に突撃し、自分が傷を処置する時間を稼いでくれた時、彼はこの考えを実行しようと決意した
カトレフ……?手に持ってるやつは……待てッ!?
カムイが反応する前に、カトレフは黄金色の液体が入った注射器をカムイの血管に刺し、すぐにプランジャーを押し切って注入した
彼らは急いで出たため、互いが何を持ち出したか確認する余裕はなかった。あの時、カトレフも特に深くは考えず、念のためにとエネルギーの緊急抽出用装置を持ってきていた
幸い、ここで役に立つことになったのだ
何をしたんだ!?エネルギーを俺に渡して、お前はどうするんだ?
力を失って、どうやって侵蝕体と戦うんだ?このあと、どうするつもり――
……カムイ
カトレフが初めてカムイの言葉を遮った。今までの彼なら、カムイの話を最後まで聞いてから返事をした。今回彼がそうしなかったのは、状況がそれほど切迫しているからだ
今の俺たち、敵わない。お前も、わかってる
このまま続けても、意味、ない
俺の、エネルギー渡す。それで、突破できる
カトレフはカムイの手を持ち上げて、彼に見せた。パニシングに侵蝕された傷口が回復し始めている。カムイ自身もパニシングによる影響がだんだんと減っていくのを感じた
エネルギー、お前に。お前は、空中庭園で、手術、受けろ。彼ら、構造体、技術がある。お前は、転化に、成功する
じゃああんたらはどうするんだ!?負傷者たちや、医務室に残された黒点寸前の人たちを全員連れてくのは無理だ!!
行かない。俺とライフが、彼らのところ、行く。俺が、守り抜く
それに、アジャールも。彼を見つけて、一緒に、守る。お前が、援軍を、連れてくるまで
でもッ――!?
カムイは更に反論しようとしたが、先ほど注入されたエネルギーが彼の最終転化期を強制的に誘発した。体の強烈な反応のせいで、彼は動けなくなった
体が……ぐあぁぁ――!!
燃える……ようだ……
……ダメだ……意識を……保たないとッッ!!
ライフが近付き、痛みのせいで脱力しているカムイを支えた
カトレフの言う通りだ。俺たち全員がここで消耗戦をしたところで、結局は全滅だ
――せめてひとつだけでも希望を残さないとな。カムイ、お前は生理的年齢と能力において最も優秀で、転化成功の確率が最も高い
俺たちを信じろ。俺たちが必ずエゼットの全員を守る。お前が戻るまで、何としても守り抜く
カトレフ、お前は救援に向かえ。俺はカムイを脱出ポッドに運ぶ
わかった
ライフはカムイを助け起こし、撤退の準備を始めた。ふたりがその場から離れようとした時、カトレフがぐっとカムイの手を掴んだ
ちょっと、待って
彼は近付き、戦闘で汚れたカムイの顔を拭いた
カトレフはずっと覚えていた。彼だけが生き残って孤児院で初めて出会った時、カムイも今と同じように彼の顔についた涙混じりの泥を拭いてくれたことを
ありがとう、カムイ
また、会おう
そう言ってカトレフは手を離し、ライフにここを離れるよう合図した。遠ざかるふたりの姿を、カトレフはしばらく黙ったまま見つめていた
そして彼は身を翻し、前に向かって走り出した
カトレフは一切ためらわず、端末が示すアジャールの位置へと走った。言葉にはしなかったが、彼は事情を薄々察しており、今回で全てを完全に終わらせたいと願っていた
……カトレフなのか?
最後のエゼット兵士を殺したあと、アジャールは背後に誰かが現れた気配に気付いた。振り向いたアジャールの目に映ったのは、無表情で立っているカトレフだった
どうして最初にお前が?カムイとライフはどうしたんだ?いつもなら、あのバカが誰よりも真っ先に走ってくるのに
アジャール
どうして、こんなこと
……ハハハ、見ればわかるだろ?エゼットのために新たな秩序を作ってるのさ
――二度と離れられない家を
お前も俺を責めに来たのか?こいつらと同じく、俺の好意を理解せず、俺を罵り、蔑みに来たのか?
カトレフは首を振り、何事もなかったかのように普段と変わらない様子で、アジャールに近付いた
俺は、訊かない。アジャールは、俺を助けた、家族だ。あんたにやられるなら、俺は、抵抗しない
アジャール。家族が、欲しいなら、俺が、いる。カムイは、見逃せ
ふたりが、俺を、助けた。恩は、返す
俺は、永遠に、アジャールと、一緒。皆を、カムイを、見逃せ。彼らに、自由を
……自由、だと?
アジャールは陰鬱な表情のまま刃を突き出し、情け容赦なくカトレフの心臓を貫いた
カトレフはまったく抵抗しなかった
……痛い。でも、大……丈、夫
ずっと、アジャールと、一緒だ……
カトレフ、自由というものが「家」より大事なはずないだろ?
でもいいさ。俺はお前をずっと弟のように思っていたから。お前が何も理解せず、カムイを逃し、こんなくだらないことを言ったって、俺は責めない
お前が俺を、この家を、裏切らなかったことに免じて許してやる
家の中で安らかに眠るんだ。俺がカムイを連れて帰れば、やっと家族団らんだ
カトレフは抵抗せず、怖がりもしなかった。彼の顔はもともと大袈裟な表情を作れなかったし、後悔もない。カムイたちに助けられた日から、この命は彼らのものだと決めていた
カトレフは家族であるアジャールを恨むことなどできなかった。ただ、彼はカムイのことだけが気がかりだった
騙して、ごめん、カムイ
逃げろ、ちゃんと生きろ、カムイ。自由に
俺の、俺たちの代わりに、自由を
ライフは気絶したカムイを脱出ポッドに乗せ、発射プログラムを起動した。目的地――空中庭園
カムイならきっと目的地まで耐えられる。そこへ行きさえすれば、彼は本当の黄金の太陽になれると、ライフは信じていた
そのあと、彼はカムイの端末を取り出した。先ほどは確認する余裕がなかったが、今ようやく端末が受信したメッセージを読み、彼は驚きで目を見張った
彼がこれまでに起きた出来事と、これから起きることを完全に理解したまさにその時、アジャールがやってきた
――ふん、やっと俺の番か?アジャール
……カムイはどこだ?
お前はもう彼を見つけられない。だから彼を傷つけようしても無駄だ。何かあるなら、この俺にかかってこい
……ライフ、お前の面子だけは立ててやろうと思ってたのに。両親がいなくなって以来、何といっても、お前が彼らの代わりに年長者の役を全うしたんだからな
だがお前はカムイを見逃した……彼の「裏切り」を助けた。それは決して許されない
彼は最後の家族を「回収」した
いや……違う。最後のひとりではない。まだカムイがいる。しかしアジャールは楽しい家族団らんを少しも待てなかった
彼はエゼット全員の意識を抽出し、自分の体に混ぜ込んだ。エゼットの人々はもはや僅かな力さえ残ってないほどボロボロだったが、彼らの意識は本能的にアジャールを拒否した
そのため、アジャールはカトレフの体を奪った。意識はカトレフの体を拒否することはなく、彼は融合を成し遂げた
今のエゼットにかつての賑やかさはない。だから皆の体を、家のために役立てなければ
アジャールは一部の人々の体を、自分の体に繋ぎ合わせた。残りの人は生前一番幸せだった姿のまま固定し、エゼットのあちこちに立たせた
彼ら全員がここに留まり、二度と離れることはない
カムイが出ていく前に、アジャールはこっそり彼の意識海の一部を切り取って残していた。しかしそれだけでは足りない。カムイ本人の代わりにはならない
アジャールにははっきりとわかっていた。カムイがいつの日か、必ずや戻ってくることを――彼はカムイのことをよくわかっていた
……記憶喪失?自分の体さえ失っただと?
ふふ、そう。ここを離れた時点で、彼はすでに重傷を負い、光冠ゲノムの転化によるダメージも酷かった。更に君の仕業で意識海は不完全……
……彼は生き残っただけでも幸運だったの。ああ、それと、私が彼を空中庭園から連れてこれると思わないでよ。空中庭園で私はもう離反者だから。自分で何とかすることね
……ならばおとなしく待つだけだ。今はまだ最適なタイミングでもない。アジャールが求めているのは五体満足で、自らこの家へ戻りたいと思っているカムイだ
彼はあらゆる手段を用いて、常に空中庭園の様子を覗き見ていた。あのバカが無残に弱り、再び喪失する無力さを経験し、それでも周りの人を助けようとする必死な姿を
やはり過去の記憶がなくても、彼は何も学ばず、昔と同じようにバカだった。だから全てが明らかになった時、彼は必ずここに戻ってくる
アジャールは毎日、画面越しに覗き込んだ。あの高く浮かぶ空中庭園がいつか墜落し、カムイを引き寄せる日が来るのを楽しみにしながら
空中庭園がファウンスの痕跡を探すために、試しにエゼットへ信号を送ってきた時、彼はついに待ち望んだ日が到来したことを知った
これほど長い時間を経て、こんな人でも鬼でもない中途半端な姿になってもなお、君は諦めなかったの?
お前には関係ない。どうせお前の目的とも一致しているんだ、今まで通りに協力し合えばいい
全てを思い出させてやるからな、カムイ
俺たちの誕生、成長、得たもの、失ったもの……過去の全ての、愛され、恨まれ、獲得し、はく奪されたことを再び経験させてやる
これらをもう1度まざまざと体験すれば、きっとお前も俺と同じように、この残酷な世界を恨むだろう
