カム……
ドンッ――
鈍い音が響いた。ふたりの距離があまりにも近すぎて<遠すぎて>、「カトレフ」はとっさに反応できなかった。カムイが目を覚ますとは予想もしていなかったのだ
……イ?
言葉の語尾が一瞬止まったあと、その体もろとも数十mほど吹き飛ばされた。砕けた壁の破片がバラバラと落ち、辺りは埃と煙に沈んだ
…………
崖と高い太陽が消え、カムイの瞳は再び澄み渡った。彼ははっきりと、自分と周りの環境が相互に影響し合っていることを理解していた
悪夢など起きていなかった。彼は今もエゼット旧跡<現在と現実>にいたのだ
黄金の太陽訓練場<異変>
エゼット旧跡
……カ、カムイ。俺、カトレフ、だよ……
「カトレフ」は廃墟の中からよろよろと立ち上がった。その姿は酷く歪んでおり、自らの体ではなく、うまく操作できない機械のような動きだった
彼は首を傾けながら前を見たり、指で頬や顎を何度も触り、何かを確認している様子だった
そうだ、「カトレフ」だ……これは「カトレフ」の顔だ……カムイ、なぜ俺を攻撃した?
俺が誰なのか、見分けられないのか?それとも、お前も相貌失認症にでもなったか?
……もうやめろ、アジャール。もうそんなのじゃ笑えない
カムイは相手の質問に答えることなく、背後にいた指揮官を助け起こした。リンクのせいで、指揮官もカムイ同様、幻に囚われ、ようやく意識を取り戻したところだった
終わりなのか?アハッ……終わりねえ……
「カトレフ」……正確には「カトレフ」の体を乗っ取ったアジャールは、よろよろと何歩か歩いた。もともと歪んでいた口元が痙攣し、次第に凶悪な表情へと変わる
どうした……新しいお友達ができて、昔の家族に飽きたのか?
昔はこのゲームが一番好きだっただろ?エゼットに来たばかりのカトレフは、俺たちをうまく見分けられなくて、ギャグ漫画みたいなことになってた
このふざけたゲームで彼を助けようと提案したのは、お前じゃなかったか?
……カトレフの意識を、どこにやった?
相手の言葉に動揺することもなく、再び顔を上げたカムイの目には、平静さと決意だけが宿っていた
その体はあんたのものじゃない。その混ざり合った意識の中に、カトレフはいなかった……言えよ!あいつに一体何をした!?
まるで一時停止ボタンが押されたように、アジャールはピタッと動きを止めた。しばし沈黙したあと、彼は再び口を開いた
…………お前、いつ気付いた?
あんたがソルエネルギアに見せかけたパニシングを俺を吸収させ、俺の意識海を制圧し、呑み込もうとした時だ
その瞬間、あんただってことを確信した
カムイは淡々と言った。まるでその言葉は自分とも、目の前にいる思い出の大半を占める存在とも、無関係だとでもいうように
……たとえ俺の視界が真っ暗でも、あんたから溢れ出す悪意は、あんたの本質をはっきり示していた
悪意……はぁ?悪意か……
アジャールの周りに立ち昇る空気がカムイの言葉とともに淀み、彼は苛立ちを募らせた。原因は何だ?カムイに疑われたから?それとも彼の側にいるエゼットに属さない人間か?
どうやら空中庭園は、お前にヘドが出るようなことばかり教え込んだようだな……お前が「疑う」ことを覚えただと?しかも疑っているのが昔の家族とはな
なぜこの俺を警戒するんだ!?お前は……
俺だってあんたを警戒なんてしたくなかった、アジャール!
……俺はただみんなの無念を晴らし、真実を知りたかっただけだ
カムイは低く叫び、珍しく相手の言葉を遮った
空中庭園で検査を受けた時、ずっと自分の意識海の問題は、過去の実験の後遺症だと思ってた
アシモフは、俺の意識海の「破損」はとても不安定で、不規則ではあっても、基礎的な機能は正常だと気付いた……
だから俺は思った。もしかしてそれは「破損している」のではなく、「欠けている」んじゃ?って
土のない、掘られただけの穴にどれだけ種を落として水を与えたって、新しい芽なんか出てこない
顔を上げたカムイの目の奥に、微かな怒りが滲んだ
それに……俺が警戒してたのは、エゼットに隠された疑惑や、俺たちを傷つけた過去だ!
エゼットからの信号を受信した時、俺はもしこれがあんたたちの中の誰かのものなら、必ず助けなきゃって思った!
けどあんたは……何をした……?
カムイは大きく息を吐いて目を閉じ、再び目を開けた
あんたはカトレフの体を傷つけ、しかも母さんと父さんの遺書まで利用した!!
……あのふたりは絶対にそんなことは言わない。母さんも父さんも、自分の意思を無理やり俺たちに押しつけることはしない
なんと幼稚で、愚かで、甘いんだ。お前は彼らのことをよくわかってるつもりなのか……本性というものを?
アジャールは怒りで思わず体を震わせた。今となってはこんな議論が無意味なのは明らかだ。それでも彼は反論せずにはいられなかった
笑い声の中にも矛盾や争いがある。かつての彼らの間のように、兄弟の間でよくあるように
お前が信じたくないだけで、彼らがそんなことを絶対にしないとは限らないんだ……もし本当に俺たちのことを考えてたなら、なぜ俺らを残して先に逝った!?
彼らはもともと冷酷な人間だったんだよ!
違うッ!
俺ははっきりと覚えてる。母さんと父さんの遺体は冷凍されてた。でも彼らがバーリーコーン計画の実験に参加してた時点では、まだ次の段階には入っていなかった
犠牲になった時、彼らはまだ血の通った人間だった。改造された構造体の機械なんかじゃない
人間がパニシングの影響で侵蝕体になることはない。だからきっと、彼らの遺体に細工をしたヤツがいたんだ!
そんな、まさか……
アジャールの呼吸は、目に見えて荒くなった。彼は否定するように何度も首を振り続けた。そうすれば現実を書き換えられるかのように
……まさか……そんなことはありえない!
一気に収縮したカムイの瞳孔に、飛びかかってくるアジャールの姿が映った
ギィンッ――!
カムイは武器でアジャールの攻撃を受け止めた。しかし相手は攻め方や力を緩めることもなく、ただただ自分の体重を乗せて押し切ろうとした
膠着状態のふたりの間で、怒りと憤りが渦巻き、ぶつかり合う
お前の不完全な意識海で、そんな細かいことを覚えてるもんか!?嘘を言い張るな!!カムイ!
――あんたが俺たちに嘘をついたからって、俺も同じだと思うなよ!?
カムイは唸るように叫び、膝でアジャールを突き飛ばした
俺とカトレフはずっと知ってた……彷徨う太陽作戦の件の時から、あんたが裏でマリスとずっと連絡を取ってたことをな
それでも俺たちはあんたを信じてた。あんたの全ての行動は、エゼットのためだと信じていたんだ。だから、自分から話してくれる日をずっと待ってた
今回だって……
カムイは歯を食いしばり、重い刃を高々と振り上げた。必死に抑えていたのは蓄えた力ではなく、受け入れられない感情だった
今回だって、連絡室でマリスと対峙したあと、あんただけは疑いたくはなかった!
重い一撃を避けようと、アジャールは慌てて起き上がったが、またもや数十mほど吹っ飛ばされた
カムイは剣を支えにして立ち、荒い息を吐いていた。体力を激しく消耗したのは攻撃のせいなのか、それとも万感迫る思いのせいなのか、彼自身もわからなかった
マリスはずっと黄金の太陽とエゼットを狙っていた。彼女なら十分な動機がある
……だが俺はあんたのこともよくわかっている、アジャール。その事実を無視して、犠牲となってしまった家族を裏切るなんて俺にはできない
彼女の「テスト」ってやつに、あんたが関わっていた痕跡を見つけたんだ!どんなに信じたくなくても、俺は受け入れないといけない。最大の容疑者はあんたなんだ!
はは……ははははっ……ゲホッ……ゲホゲホゲホッ……
アジャールは煙の中で横たわっていた。彼は動こうとはせず、代わりに低く笑い始めた
笑い声はだんだん大きくなり、やがて咳き込んだ
……そうだな、カムイ。お前は俺のことをよくわかってる。そりゃそうさ、俺らは家族だからな。これ以上ないくらい親密な家族だ
だから俺はわかっていた。お前なら俺の予想通りに、俺が用意した道を進むだろうと……俺たちのこの家へ通じる道だ
たとえソルエネルギアにパニシングが偽造した成分が混入してると気付いても、彼らが生きてる可能性があるなら、お前は必ずそれを吸収し、歩み続けるだろう
マリスは信用できないとわかっていて、この先に罠があるとわかっていても、お前はきっとここまで来る
お前はいつもそうだったからな……感情を重視し、命知らずで、壁に頭をぶつけて血まみれになっても退かないバカだ!
アジャールはよろめきながら立ち上がった。傷だらけの頭の中の興奮は更に激しさを増した
なんで前へ進み続けなかったんだ!なんで前へ……エゼットへ、俺たちの側に来てくれないんだ
俺たちの意識海がひとつになれば、エゼットの誰もが、別れることはなくなるのに
カムイは目の前のヒステリックなアジャールを見ながら、唇を震わせ、知らず識らず拳を強く握っていた
カロルたちの死を利用し、あんた自身とカトレフの死まで利用して、俺の意識海を揺さぶったのは――そんなことのためだったのか?
彼はひとりひとりの苦悶の表情を思い出した。過剰なパニシングと家族の死を目にして、確かにカムイの意識海は激しく揺さぶられた
もし彼がそのまま沈めば、アジャールが放つパニシングに呑み込まれ、完全な傀儡になっていた
カムイが脱出できたのは、その本能からだ。たとえ虚構の中で絶体絶命になっても、彼はどこまでも初心を貫くことを選んだ。しかし最も重要だったのは……
彼を目覚めさせ、バラバラで不完全だった意識海の欠落部分へと導いたのは、カムイの近くにいた人たちだ
お前の意識海の断裂しやすい隙間にアンカーポイントを埋設する。アクシデントが起きたら、アンカーポイントに触れろ。お前は一時的に正気を取り戻し、自分を救う時間を稼げる
何かを連想させる物でもいいし、我々と一緒に決めた特定のマークでもいい
念のため、意識海の破損部にも設置する。欠落部分を補えれば、このアンカーポイントは汚染を免れる。思いがけない効果をもたらすかもしれない
アンカーポイントの内容に関しては……
「エゼット」が救援信号を受信!!発信源はS区域、座標は「4N 323311 19210」!
だったら僕たちと指切りげんまんして――
僕はみんなの「隊長」なんだ。僕の言うことを聞いて、みんな先に逃げて!僕はカムイ兄ちゃんを助けに行く
兄ちゃんは酷い怪我をしてる、こういう時に一番必要なのは「医者」だろ!早く連れて帰って治療しないと
お前たちこそ動くなよ!どこも「暗闇」で見えない、僕が行く!
僕▇▄▆▃僕たち▇▃▇▄▁
その話で思い出したよ、アジャール
俺を目覚めさせ、意識海の破片を取り戻すのを手伝ってくれたみんなが、今もお前の手の中にいる。そろそろ彼らを解放してやらなくちゃ
……なんだと?
アジャールが勢いよく顔を上げた。声は低くなり、体の動きが歪み始めた
取り戻しただと?そんなバカな……そんな……ありえない……お前にできるはずがない!
お前が意識海の破片を取り戻すなんてありえない。お前は一生、俺が与えた影響から逃げられないんだ。完全になることなんて永遠にない!
エゼットの人間が最後に行き着く先は、ここ以外にあっちゃならないんだ!
ようやく出た声がタイミングよくこの論争を止めた。どうやら先ほどの影響から回復できたらしい
任せたぞ、[player name]
それ以上言葉はいらなかった。カムイはこちらに意識海リンクの接続ポートを開放した
貴様……
ふたりのあまりにも自然で落ち着いた様子が、アジャールの神経を逆なでした。カムイとその人は、まるで見えない壁を作ったかのように、彼を完全に外へ締め出していた
かつて戦場でも戦場の外でも、カムイとカトレフの一番近くにいたのはいつも自分だったのに
カムイ……よくも……よくもッ!!
他人<あいつら>が、俺<俺ら>に取って代われるとでも?
エゼットの全員を忘れ去り、俺たちに苦痛を残し、俺たちを過去に置き去りにするというのか――
俺たちを見捨て、お前ひとりがその新たな「家」の中で、新たな幸せに浸るのか!?
彼は絶叫しながら身を屈めると、指揮官へ凄まじい攻撃を仕掛けた
カムイは前に出て応戦し、アジャールの突進を押しとどめ、戦闘エリアがそれ以上広がらないようにしている
「ドンッ!!!」轟音が訓練場の中央から響き渡り、すでに混沌とした空間を更に激しく震わせた
罪だの……処罰だの……
彼はあの偽りの意識海の駆け引きの中で、まだ結論が出ていない話を続けていた
望むなら、きっちりケリをつけてやるよ、アジャール!
俺が気付かないとでも思ってるのか!?その歪んだ意識海が、どんな体の中にあるのかを……
それはとても奇妙な体だった。どこもかしこも不自然で、バランスが悪く、壊れていると同時に、欠落と完全の2種類の特質を併せ持っていた
しかしカムイは見分けることができた。それぞれのパーツが、もともと誰のものだったのかを
幻からの脱出後、彼は自分が変わり果てたエゼット訓練場に立っていることに気付いた。そこには、焼け焦げた骨<死骸>があちこちに散らばっていた
彼らひとりひとりを、カムイははっきりと心の中に刻んでいた
エゼットの人たちを殺したのはあんただッ!!アジャールッッ!!
お前は彼らの残骸をここに閉じ込めた。しかも彼らの一部を寄せ集め、その体を作り上げた!
――よくもそんなことを……!よくもみんなを傷つけたな!!
……カムイ、お前は相変わらずだ。意味のないバカな質問ばかりしてやがる
どうしてこんなことをしたかって?
見ればわかるだろうが……エゼットの慣習に従い、俺は家の融合と統一をやり遂げたんだ!
カムイはギリギリと歯噛みし、咆えながら怒りの一撃をアジャールに叩きつけた。この時の彼は、怒り狂う獅子そのものだった
……家族に刃を向けておいて、「家の統一」だって?
あんた、そんなことを言う自分が、おかしいと思わないのか!?
お前に俺を責める資格はない!!カムイッ!!お前もただの敗者で、臆病者にすぎない!!
どうせあいつらはいずれ死ぬ。決して現れることのない太陽を作ろうと、意味のない犠牲を積み重ね、自分のエネルギーを抽出し、力尽きて死ぬんだよ
だったら、俺がさっさと楽にしてやった方がマシだろうが!!少なくともこれなら、俺たちはずっと一緒にいられるからな!!
この気持ちはお前ならよくわかるだろう!?このぶっ壊れた世界が、俺たちの希望も、俺たちの活路も全部奪い取った
こんな状況の中で、どうして俺がお前みたいなバカと同じように、この世界を愛さなきゃならないんだ!?
むしろこの世界を恨むべきだろうが!!
これこそが……この残酷な世界が、俺たちに残した唯一の解決策なんだ!!
