カムイ·暉力·その1
>こちらカムイ![player name]、聞こえるか?
豪雨が降り注ぎ、荒野の泥道はすでに輪郭を失っていた。空は鉛を溶かしたような重さを帯び、雲の奥では雷光と雷鳴が蠢き、通信チャンネルを乱そうとするように脈打っている
装甲車のワイパーは狂ったように左右を往復するが、視界を覆う水の幕は一向に晴れない。通信機から耳障りなホワイトノイズがようやく引いた、その直後――カムイの声が届いた
現状を報告する。護送任務中、侵蝕体の大群による襲撃を受け、予定ルートから逸脱した。こちらの車両は2両が大破、軽症者数名
現在は被災民を率いて、座標「342,115」に到達。廃棄された生態園と見られる。周辺環境の安全は確保済み。支援を要請する
その声はあまりにも明瞭で、安定していて、まるで教科書を読み上げているかのように整いすぎていた。通信の向こうにいるはずのカムイの、普段の姿を思い返す
[player name]、おっはよう!久しぶりだな!
指揮官!?すっげー偶然だな!もしかして、俺に会いたかったとか?
通信画面に表示された名前を、もう1度確認する――「カムイ」で間違いない。それでも胸の奥に、得体の知れない違和感が湧き上がった
左肩に軽度の損傷があるが、戦闘に支障はない。機体各部の指標も正常だ。配慮に感謝する。支援ルートの確保を最優先してくれ。そちらが到着するまで持ちこたえる、以上だ
通信が切れ、暗くなった画面を見つめる。先ほどの違和感が、じわりと広がっていった
あのカムイが、いつからあんな社交辞令を覚えたのだろうか
疑念を抱いたままハンドルを切り、アクセルを踏み込む。物資を満載した車両は唸りを上げ、雨の帳を突き破り、端末に表示された蔦と歳月に覆われた半球状の建造物へと向かった
廃棄された生態園――
生態園に到着した頃には、雨脚は異様なほど激しさを増していた。端末には、極端な天候を原因に各駐屯地への物資支援が遅延しているという通知が並び、胸騒ぎが募る
重厚な隔離扉と防護天幕が風雨を遮断する。生態園の内部は荒廃し、天幕には蔦と亀裂が広がっているが、濡れてはおらず暖かい
エネルギー制御センターにまだ微かな光が瞬いているのを見るに、まだ稼働していることがわかる
ジイちゃん、ごめんな。ちょっとだけ我慢してくれ。鎮静効果があるスプレーだから
……よし、これで大丈夫だ。しばらくは激しい運動は禁止な
非常照明システムが黄色の光を放ち、ホールに広がる混乱した光景を照らしていた。被災者たちは身を寄せ合い、湿った空気の中に不安と焦燥が滲んでいる
カムイは、こちらの到着にすぐには気付かなかった。金髪の構造体は人々の中心に立ち、光と熱を放つ太陽のように、周囲に漂う不安と影を払いのけている
空中庭園にも支援を頼んだ。もう少しだけ耐えてくれ。助けも物資も、絶対に届くから
その笑顔は明るく温かく、眼差しには人を安心させる熱が宿っていた。周囲を手際よく落ち着かせるその姿は活力に満ち、いつものカムイと何ひとつ変わらない
胸に引っかかっていた不安が一瞬で薄れ、思わず息をつく。先ほどの通信で感じた距離感や冷たさは、緊急事態ゆえのものだったのかもしれない
足早に近付き、名前を呼ぶ。その声に、子供を宥めていたカムイの動きが一瞬止まった。彼はゆっくりと立ち上がり、こちらへ振り返る
[player name]、雨の中ありがとう。思ったよりも早かったな、助かったよ
勢いよく抱きついてくるだろう――そう思っていた。しかしカムイはただ静かに立ち、敬礼をした。顔には先ほどと同じ笑みが浮かんでいるが、何かが決定的に欠けている
ストライクホークのカムイだ
彼の肩を叩こうと、半ばまで伸ばしていた手が宙で固まる。カムイの瞳は澄み切って明るいが、自分と会った時にのみ宿る、あの特別な輝きだけが消えていた
それは、普通のスタッフに向ける時と何ら変わらない、完璧な「友好的」な表情だった
よく知っているはずなのに、どこか他人のような構造体を改めて見つめる。機体には泥汚れや傷が多く、左肩には戦闘でついたであろう焦げ跡が残っていた
反射的に、左肩の傷を確認しようと手を伸ばす。だが彼は先にこちらの手を取り、座らせた。ふたりの間にはどこか計算されたような、半歩分の距離が空いている
それは、礼節ある社交距離だった。唐突でもなく、不自然でもない。だが確実に、自分との接触を避けている
ただの掠り傷だ。機体には影響ない
それより[player name]、人間用の傷薬はあるか?負傷者も多いし、みんな動揺してる。俺たちで落ち着かせないと
カムイが体を横にずらす。その向こうには、身を寄せ合い、怯えた表情を浮かべる被災者たちがいた
侵蝕体から逃げる途中で怪我した人もいる。それに、雨に打たれて発熱した子供も
その口調には切迫した思いと、被災者への真摯な気遣いが滲んでいた。だが自分の耳には、カムイが無理に普段とは違う振る舞いをしているように届く
応急処置はひと通り済ませたけど、薬も食料も全然足りない。[player name]、追加の物資支援はあるのか?
……
いや、[player name]が駆けつけてくれただけで十分だ。この物資があれば、とりあえずしのげるだろうし
ここはあくまで臨時の駐屯地だから、いずれはみんなを他の保全エリアに護送しないと
そう話している最中、先ほど治療していた被災者の老人が、よろよろと近付いてきた。震える手でカムイの腕を掴み、顔いっぱいに感謝の色を浮かべている
[player name]、この人はリュークのジイちゃん。ここにいる人たちのリーダーだ
ジイちゃん、この人は[player name]。俺が呼んだ、空中庭園からの支援だ
すまないな、カムイくん。それと、[player name]にも感謝する……だが、支援は君だけなのか?
目の前に立つ、たったひとりの「支援者」。それだけでは、被災者たちを安心させるには明らかに心許なかった
[player name]は、俺の通信を受けてすぐに来てくれた。それに、物資が遅れてるのもこの悪天候のせいなんだ。どうか許してほしい
……ずいぶん、しおらしくなったな
老人はカムイの言葉に相槌を打ちながら、ちらりと視線をこちらへ向けた
みんなを守るのが、俺の責任であり任務だ。ほら、あっちで休もう。[player name]と物資を点検をしたら、すぐに食料と薬を配るから
カムイは腰を落として老人を支えながら歩き出した。その声色は穏やかで、振る舞いにも隙がない。親切で、責任感があって、任務に忠実で、頼り甲斐がある
しかし、なぜいつものように道中で遭遇した困難や、それをどう切り抜けてきたのかを身振り手振りで語らないのだろう
なぜこんなにも控えめで、周到で、礼儀正しいのだろう。それ自体はおかしなことではないが、自分の知るカムイらしくない
[player name](指揮官)、ここの防御設備を点検してくれないか?可能性は低いけど、念のため侵蝕体が侵入しないか確認したいんだ
役割を分担し、自分は周囲の環境を再度確認した。生態園の防御システムと警報システムは問題なく稼働している
点検を終え、カムイと合流しようとしたその時――群衆の中でざわめきが膨れ上がった
また移動?……行くもんか!新しい保全エリアなんて、どうせ嘘だろ!
ひとりの少年が、目の前にいるカムイに怒りをぶつけていた
ジェロム!その辺にしておけ!カムイくんは何度も助けてくれただろう!
今年だけで、もう3回だよ?いつも「新しい家がある」とか言うくせに、3カ月も持たないじゃんか!
毎回「ここは安全だ」って言われるけど、結局どこに行っても同じだ!
空中庭園の人に言われて移動させられるか、パニシングや赤潮に追われて逃げ回るのがオチだ!
少年の怒りに満ちた言葉に、カムイは視線を老人へと向けた。少し申し訳なさそうだったが、リュークはその視線を受け止めず、そっと逸らした
逸らされた視線が、自分と交わる。自分が近付いてくるのに気付くと、老人は慌てて少年の口を塞ごうとした
やめなさい。保全エリアに着けば、新しい家が……
嘘だ!どうせすぐに追い出される!保全エリアが家なわけない……もう家なんて、どこにもないんだ!
少年は老人の手を振り払い、泣き声混じりの、張り裂けるような叫びを上げた
周囲で静まり返っていた被災者たちの目が、次第に暗く沈んでいく。それは、長く続く避難生活の中で積もった絶望と疲労の色――小さな声で、誰かが同意した
その子の言う通りだ……保全エリアに着いたって、何日落ち着いて過ごせるか……
空中庭園が善意でやってくれているのはわかるけど、さすがに振り回しすぎよ。前の移動でも、多くの人が……
空気が張り詰め、人々の間に重苦しい沈黙が落ちた
カムイの方を見る。いつもなら、彼はあの手この手で少年を笑わせようとして、胸を叩いて――
「心配すんな!俺に任せとけ!」なんて約束をしたはずだ
どれほど難しくとも、できる限り果たそうとする。少し不器用で、けれどまっすぐな熱意は人の心を動かし、太陽のように皆を温かく照らしてきた
だが今のカムイは少年の前へ歩み出ると、穏やかでありながらどこか抑えた笑みを浮かべ、泣きじゃくる少年を静かに見つめている
みんな、落ち着いてくれ。ここは確かに臨時の場所だけど、今は悪天候で移動できる状況じゃない。保全エリアへの移動は、天候が回復してからになる
さっき言ってた懸念や要望も、全部記録してある。後で保全エリアに提出して、できるだけ応えられるように手配しておく
その答えは理性的で正当であり、厳しいものではない。だがカムイらしくはなかった。ここまで事務的な返答がくるとは想像していなかったのか、ジェロムは一瞬言葉を失った
少年の涙は瞳に溜まったまま落ちずに揺れている。その分、かえって悔しさが募っているように見えた
小さく息をつき、人々の中へ分け入り、ポケットから乾パンをひとつ取り出してジェロムに差し出した
だが少年は、その善意も乾パンも受け取らず、膝を抱えてこちらを警戒するような、冷たい視線を向けてきた
そう言って、何気なくカムイの肩に手を置いた。彼がほんの一瞬だけ震えたのが手の平に伝わったが、すぐにそれは静まった
返事はなかった。ジェロムはしばらく考え込み、ようやく乾パンを受け取ると、むしゃむしゃと食べ始めた。その瞬間、涙が音もなく零れ、汚れた小さな手の甲を濡らした
手を伸ばし、少年の頬を伝う涙をそっと拭い取る。それから立ち上がり、周囲を見渡した
人々の間に再び、ひそひそとした囁きが広がったが、それは次第に収まった。起こりかねなかった混乱が収束したのを見届け、カムイはこちらに感謝の視線を向けてきた
的確な伝え方だったな。助かったよ、[player name]。俺だったら、ここまで早くみんなを落ち着かせられなかった
俺は物資の配布に戻る。あんたもずっと動きっぱなしだろ?少し休んでくれ
そう言って、カムイは自分とリュークに一礼し、せわしげな姿が人々の中に溶け込んでいった
老人と顔を見合わせる。僅かな気まずさを含んだ沈黙の後、老人が口を開いた
[player name]……カムイくんは、あんな感じじゃなかっただろう
ああなってから、ジェロムですら彼のことを怖がっている
老人は少し申し訳なさそうに、一瞬ためらってから、ゆっくりと話し始めた
少し前、カムイくんがワシらを撤退させている時に、侵蝕体の大群に襲われたんだ
カムイくんはワシらだけを先に行かせ、後から追いついてきた時には怪我をしていた。話し方が変わったのは、そこからだ
老人の言葉には、思いがけない出来事で突然変わってしまったカムイを案じる気持ちが滲み出ていた
[player name]……カムイくんは大丈夫なんだろうか……
被災者たちに食料や薬が行き渡り、ようやく束の間の休息が訪れた
みんな落ち着いたみたいだな。俺は安全確認のために、巡回に行ってくるよ
立ち去ろうとするカムイを呼び止めた。冷静で、どこか問いかけるような視線を受け止めながら、言葉を続ける
有無を言わさず、カムイの手首を掴む。一瞬、感電したかのように彼の体がびくりと跳ねたが、すぐに力を抜き、医師の診察を受ける患者のようにおとなしく従った
?
いや、特には
……わかった
意識リンクを行い、直前の戦闘が彼に与えた影響をひとつひとつ確認していく。だが、見つかったのは傷と呼べるかどうかも怪しい掠り傷だけだった
そして、カムイの意識海は不自然なほどに穏やかだった。自分と会った時に生じる、あの高揚の波動が見当たらない
意識海は静まり返り、何も書かれていない紙のように、ただ澄み切っていた
[player name]、何かわかったか?
リンクを切断してすぐにアシモフと通信を繋ぎ、カムイの状況を報告した
ホログラム投影が展開され、アシモフの姿が浮かび上がる。彼は資料に目を落としたまま、何かを記録していた
こんな時間にどうした?……カムイか。新機体に問題でも?
……機体の損傷は軽微だが、意識海の波動が気になるな
断定はできないが、原因そのものは重要じゃない。各指標を見る限り――
投影の向こうのアシモフとともに、目の前のカムイを観察する。当の本人は注視されていることに不安を見せるでもなく、ただ静かに診断を待っていた
恐らく「感情ロジックの帰因型異常」だな
一種の「感情の乱れ」だ。この波形を見てくれ
アシモフは淡々とした口調のままグラフを表示する。そこに示されていたのは、起伏のない、1本の直線だった
簡単に言えば、感情を認識する機能自体は動いているが「重みづけ」ができなくなっている。彼自身の主観の中で、他者全員の重要度が強制的に均一化されていると考えていい
通常、構造体の意識海における感情曲線は、さまざまな要因で変動する
お前やストライクホークと接している時、カムイの感情曲線は変動していた。カムイにとって、お前たちが特別だからだ。だが今は、全てが平坦になっている
胸の奥が重く沈んでいく。目の前にいるカムイを見るが、返ってきたのは相変わらず礼儀正しく、控えめな微笑みだった
そんなことを、内心で考えてしまう
何を心配しているかはわかるが、過度に不安になることはない。人格、記憶、機体の各機能も損なわれてはいない。お前の知っているカムイのままだ
人助けを厭わず、優先して守る対象も変わっていない。ただし、お前と被災者との間に本質的な差がなくなっている。お前を特別視するための「フィルター」を失っているだけだ
その診断は、棘のように正確に胸に突き刺さった。思わず眉をひそめる
それに気付いたのか、カムイもこちらを気遣うような視線を向けてくる。その眼差しは相変わらず友好的だが、いつものような情熱や奔放さはなかった
一時的なものだ。極限状態への対処、あるいは直前の戦闘による損傷で自己防衛機能が作動した可能性が高い。潜在意識が理性的な判断を妨げ得る強い感情を自動的に遮断している
そっちの天候だと輸送機の離着陸が難しい。それに、この程度の感情の乱れなら安定した環境下で自然に回復することもある。メンテナンスで調整するのと大差はないだろう
これ以上、お前の周囲に配置できる小隊もない。今お前たちがいる生態園の環境が悪くないなら、任務の完遂を優先すべきだ
アシモフは一拍置き、手元の資料を片付ける。そして会話を終始静かに聞いていたカムイを一瞥すると、僅かに声を和らげた
今のカムイには、お前の助けが必要なのかもな
通信が切れ、ホログラム投影が消える。周囲は再び静寂に包まれ、ドーム型の天幕を叩く雨粒の音だけが、鈍く響いていた
カムイがこちらへ歩み寄り、水のボトルを差し出してくる。普段と変わらず、すぐに飲めるようキャップは少しだけ緩められていた
[player name]、体力を維持するには、まず水分補給だ。たくさん話したから喉が渇いただろ
水を受け取り、カムイを見つめる。見慣れた顔のはずなのに、向けられる表情は見慣れない――どこか、距離が遠く感じる
[player name]……?
どんな感じって……
カムイはこちらと視線を合わせ、真剣に考え込む。だが、その思考過程にあるのは理性的な分析と判断だけだった
全て正常だ。ただ、この先もここで数日待機する可能性を考えると……
現在の物資、食料、薬は少し心許ないな。それだけは心配だけど、それ以外に不調なところはない
[player name]こそ、どこか具合が悪いのか?
控えめで、周到で、礼儀正しく、非の打ちどころがない口調。その返答に、思わず口を尖らせてしまった
彼はこちらの小さな寂しさに気付いていたが、向けてきたのは気遣いと戸惑いを帯びた視線だけだった
ザザ、ザザ、キィィン――
突然鳴り響いた機械音が、もやつく気持ちを遮った。生態園で沈黙を保っていた放送システムが、何の前触れもなく不快なハウリングを響かせる
直後に、荒れた電流ノイズがそれを呑み込み、途切れ途切れの「プツッ、プツッ」という音が続く。まるで、長い眠りから目覚めた古い装置が、必死に喉を整えているようだった
突如としてサービスカウンターに光が灯り、長く使われていなかった監視カメラが再起動した。明滅する青い光は、正常な動作とはほど遠い状態であることを示しているようだった
カムイは反射といっていい速さで動き、自分を庇うように前に立つ。動きに迷いはなく、一切のためらいもない。だが、それでも自分にはわかってしまった
いつもなら、まず振り返ってこちらの安否を確認する。そして作戦プランを組み立て、こちらの立ち位置を最も迅速に対応できる安全圏へと導いてくれていた
今回も、これまでと同じように身を挺して庇ってはいる。だが、何を確認するでもなく、ただ最善の行動だけをしていた
家族メンバーのログインを……ザザ……検知……生体情報識別中……おかえりなさい、フェリモント生態園へ……
ほどなくして、丸々としたロボットが姿を現した。見るからに光学センサーが壊れている。こちらを所有者だと誤認したまま、ぎこちない動きでスキャンカメラをカムイへ向けた
……ザザ……新規訪問者がログイン……ようこそ……身分情報をスキャン中……ピピッ……「家族メンバー」登録完了……
カムイは彼自身とスキャンカメラを交互に指差し、「家族メンバー」が自分自身であることを確認した
?
カムイは一瞬きょとんとし、すぐにこちらを振り返った。その眼差しには、かつて彼の表情に浮かんでいたような濃い感情があった
