東の地平線から太陽が顔を出し始め、朝焼けが暗闇を鋭く照らした。だがその朝日は昇るにつれ光を弱めていく
空と地の境が現れ、東方を照らす太陽は暖かく明るい。しかし頭上の空はまだ照らされず、冷たくて深いままだ
これは朝日への逃亡なのだ。羽ばたく白い鳥に導かれ、あの深くて終わりのない暗闇からから明るく暖かい世界へ向かって走る
やがて青く高い空から太陽よりも眩しい光が現れ、地上に落ちる流れ星のように、まっすぐに後ろに落ちてきた
振り向くより先に、後ろからバンジの声が聞こえた
振り向くな
振り返らず進み続けるんだ
あの境界線を越えても振り向くな
あの異合生物も、その中に埋もれていたあの残骸も、全て残したままで
今はそれを考えるな、重い罪悪感に潰されずにすむ
砂漠の砂嵐はやみ、クジラの歌声も消え、赤潮の動きも止まった。赤潮ももう広がりはしない
背後で何が起こったかをわかっているからこそ、足取りはますます重くなった
ぼんやりとした意識が、遠くの丘の上に立つ見慣れた3人の姿を認めた
何か言おうとする前に、駆け寄ってきたルシアに強く抱きしめられた
指揮官……指揮官……!
彼女の震えが伝わってくる
もう二度とこんなことはしないでください。どんな理由があっても、今回のように単独行動するのは……絶対にやめてください
生き残ったことを喜ぶべきなのに、今は心がとても重い
周囲を見回すと、自分を抱きしめているルシア以外のリーフとリーが厳しい表情で立っている
独断で決めてしまったため、彼らの気持ちを考えていなかった
きっと自分の考えを理解してくれるという驕りがあったのは事実だ
だが、この時に悟った――彼らがいる限り、どんなことがあっても、皆を残して死ぬわけにはいかないのだ
指揮官……こんな、こんな勝手な行動をしたこと、しっかり反省してくださいね
リーフの厳しい表情は3秒も持たず、すぐにいつもの柔らかな表情に戻った
もっと、もっと……自分を大切にしてくれないと困ります……
――!
ルシアはようやく離れた
リーフ、指揮官の検査をお願いします
大丈夫ですよ、ルシア
指揮官には怪我はないようですから
リーは何も言わなくても全て理解しているというように、じっとこちらを見た
そして、やれやれというように自身の肩を叩いた
疲れたでしょう?ひとまず休んでください……報告はまた後ほど
今作戦におけるグレイレイヴンの軍規違反に関しては、すでに報告書にまとめています。あとで空中庭園に提出します
結果はどうあれ、我々が作戦指揮局の命令を無視して勝手に行動したことは事実ですから
戻ればおそらく軍法会議にかけられるでしょう
怖くない、ですか……?
怖いもの知らずなのか、蛮勇というべきか……よくわからない人ですね
ああ、こんなことを話している場合じゃありませんでした。とりあえず、ご無事で何よりです
……指揮官がいる場所が私たちのいるべき場所なんです
指揮官がいてくださりさえすれば、私たちは何も恐れません
そうだ、もうひとつ、ここの難民についてですが
リーはちょっと考えを巡らしてから話し始めた
ほとんどの難民はやはり残るそうです
ですが、一部の人は離れることを決めました
人数はそう多くないので、仮に地上の保全エリアの建設が終わっていなくても、臨時施設になんとか収容できる数です
しばらくすれば空中庭園の輸送機で移送できます
正直、この土地は人間が住むには適していません
赤潮は広がらなくなりましたが、そこら中にまだ異合生物が潜んでいます。都市に物資を調達しに行くのすら難しい
ここにいても、長くは持ちません
それでも、彼らはここに残ることを選びました。僕たちができることは、彼らの選択を尊重することだと思います
まあ結果論で言えば、この世界のほとんどの行為は無意味ですからね
報告書の数字にまとまっていることだけが、全てではありませんよ
リーさんの言う通り、たとえ数字に表れなくても、指揮官がしたことに意味がないとは思いません
指揮官の行動が彼らの心や願いを守ったんですから
指揮官が最後の最後まで彼らの運命のために戦ったから、少しだけでもお互いに通じ合えたんです
お互いに通じ合う?
目を閉じると、あの壊れた人形のような残骸が、エリアポイントを受け取った時に見せた安らかな笑顔が浮かんだ
まだ頭の中を整理できず、このことをどうやって3人に話せばいいのかわからなかった
つい、自分と同じく全ての真相を知っている唯一の偵察隊員、バンジを目で探してしまう
損傷の緊急メンテナンスを終えたバンジは静かに草むらの上に寝そべり、太陽を浴びながら気持ちよさそうに寝ている
構造体にもやはり睡眠が必要では?と思い、起こしていいのかどうかを迷う
しばらく考え、彼の眠りを妨げずにそっとしておくことにした
ようやく全てを乗り越えたのだから、束の間の休息くらい許されるべきだ
地上の万物がどんなにあがこうが、時の移り変わりは不変だ
この惑星は相変わらず――平等に残酷であり、平等に慈悲深い
砂漠ではめったに雨が降らないが、雨が降る度に砂ぼこりが洗われて、空は鏡のように澄みきって透明になる
塵が風で舞い上がることもない。この眺めは明鏡止水ともいうべき美しさを感じさせるものだった
軍服に隙なく身を包んだハンスが、静かにキャンプ地の外に立っていた
周囲は明るい静かさに包まれ、透き通っている。立っている場所からも遠く輝く海岸線が見える
後ろから足音が聞こえてきた
ハンスは振り向かなかった
老人はハンスの傍らに来て、しばらく一緒に景色を眺めていた
なぜあの時撤退しなかった?
……
ハンスは目を閉じた
本当の日の出を見るのは久しぶりだ
ハンスは自分がもう10年近くも地上に来ていなかったことに気づいた
大気と重力がある世界を離れ、帰る家のない亡霊のように、地球の低軌道を漂流していたのだ
今の空中庭園の子どもたちは、もう黄金時代のことを忘れかけている
自分がどこから来たのか、自分たちの文化がどうやって生まれたのかを、もはや忘れてしまっている
彼らは星の中でその目を開いたのだ。彼らにとって地球は、月とほとんど変わらないものだ
子どもたちには地球は私たちの故郷だと言った。だが、なぜここが私たちの故郷なのかは教えられなかった
やがてすぐに、全ての物は歴史の塵に変わる
……
選ぶことができたなら、私は離れなかっただろう
しかしその時すでに彼は軍人だった。選択肢などなかったのだ
生き残った者は、亡者の遺志や夢を引き継がなければならない
生きてこそ、明日がある。生きてこそ、復讐ができる。生きてこそ、希望がある
どんなに苦しくて不本意でも、自己の気持ちを抑えて、彼は離れなければならなかった
罪悪感はないのか……
そんなわけなかろう
――罪悪感の重さに押し潰されそうだったのだ
だがその罪悪感こそが逃れられない足枷となり、彼を戦場に縛りつけ、目の前の地獄に立ち向かわせ続けた
死ぬまで戦うこと。彼の方法で戦うこと
どんなに不名誉でどんなに威厳を損なおうとも、彼は戦い続ける。心臓が止まるまで、体が粉々になるまで戦う
自分が決して不屈の老兵ではないことは、彼自身が一番よくわかっていた
彼はただ倒れたくないだけの墓標だった
もし彼が倒れれば、その体に刻まれた黄金時代の栄光と追憶は、永遠に悠久の時を流れる川の藻屑となり果てる
きっちりと軍服を着込んだ男は去った。丘の上に残された老人はひとり寂しく遠くの海を眺めている
この年になって、まだ悲しいと感じるとは…………
物思いにふけっていると、波の音が聞こえてくる気がする
きっと幻聴だろう
海岸線は遠すぎる。波の音が風に乗って聞こえるはずもない
それは自身の深い記憶の中の残響だった
老人はのろのろとその場に座り込んだ
青い空に突如いくつかの黒い点が現れた――おそらく空中庭園が派遣した彼らを迎えるための輸送機だろう
老人は頭を巡らせてキャンプ地を見た。一部の人が自分の住処から出てきている。その多くは幼い子どもたちだ
この前迷子になった男の子が祖母に寄りかかり、こちらに向かって手を振っている
老人は手を振り返してやった
元気に大きくなれよ
それは独り言のようなつぶやきだった
長い人生にはさまざまな別れがある
よく知る人たちが彼の世界からひとり、またひとりと消えていく
愛する者も、嫌いな者も、皆もういなくなった
これもまた、いつも通りの別れにすぎない
故郷に縛られ、彼も彼らもこの地から離れることができず、その人生を終えていく
去る者と残された者は互いに別れを惜しんでいたが、その顔には悲しさはなかった
子どもたちの旅立ちは悲しいことではない
彼女はずっと悪夢を見ていた
体は引き裂かれ、バラバラにされ、そしてまた繋ぎ合わされた
壊れかけの体を支えながら果てしない闇をさまよううちに、自分の本当の姿すら忘れてしまいそうだった
意識が朦朧とし、誰かが「諦めろ」と言った
諦めれば苦しみ続ける必要はない。諦めれば地獄を見続ける必要はない
やり残したことはないだろうか?もう覚えてない、きっと何もないわ……
いや、違う
「ことの不可思議たるを煩わしく思うことなかれ」
「来たるいとまに、私めがあなたの疑問を解き明かしましょう」
「――」
ある名前が頭に浮かんだ。その名前の具体的な発音を思い出せないが、心の底から懐かしさを感じる
一筋の光が永遠とも思えるような闇を貫いた
黒闇がカーテンのように光にしたがって裂けていき、両側へとゆっくり開いていく――
――突然、五感が戻ってきた
ゆっくりと荒地から身を起こし、頭を上げて目を開けた
空は青く高く、太陽が昇っている。それは宇宙の全てを焼き尽くすような火の球ではく、空気を介して全ての大地の生命にその恵みを与えている
それは優しく穏やかで、全ての悲しみを忘れるほどだった
彼女はここで最初の光を見た。風を感じ、大地を踏みしめた
自分が誰なのか、なぜここにいるのか。全てがどうでもよかった
ただ彼女は思っていた。この道のりで見た奇跡を、きっとあなたに話そうと
Video: セレーナカットシーン