もう難民キャンプは遠く見えなくなった。辺りの気温も急速に低下している
荒野と違い、集落なら少人数でも、お互いの温かさで多少の寒さを追い払うことができる
だが今は、寒さが再び襲ってきていた
吐く息は空気中で白い霧となる。ここで凍死するのではないかという不安を抱きながら、白色の偵察兵の後ろ姿を追って、前進し続けていた
バンジはこの辺りの地形を完全に把握しているようで、上手に赤潮を避けながら、最短距離で進んでいる
しかし、人間の体にはこの遠距離の移動はきつかった
なぜサーモスーツを着てこなかったの?
半日しか一緒に過ごしていない人のために、命をかけるのか。変わった人だね
ここで水分補給しよう。この辺りの地形はわかっている。あの子が赤潮に飛び込んでいなければ、追いつける
ふわぁ……喉が渇いていないというのは君の錯覚だよ。君の水分補給の間隔を知ってるけど、そろそろ必要な頃合いだ
時間がないのはわかるけど、倒れたら元も子もない
うん……そうでなくちゃ
岩の近くで少し休憩をとった
意識障害の症状はどう?
医療に関わってたから、それくらいわかるよ
頻度は少なくはない、そして何の予兆もない。僕が知ってるいかなる症状にも当てはまらない
一体どういうことだ?
ふわぁ……話したくないならいい。君から何かを聞き出そうなんて思ってないし
うん……これ以上、詮索はしないよ
君の症状は把握できてるから、何か問題が起きても対処できるから
ふーん……勘が鋭いのは嫌いじゃないよ
隊長のグレイレイヴンに対する評価を、ちょっと理解できてきた
バンジのうつろな目が急に鋭くなり、言葉もはっきりとし始めた
お察しの通り、子どもを探すだけなら、僕ひとりで十分だ
他の作戦ならともかく、今回は人間と一緒に行動するより、構造体単独で行動した方が早い
知りたいからだ
いったい何が赤潮を作り出したのか?そして、なぜパニシングを生物化させたのか?
沈黙を保ちながらも、頭の中に、あの悪夢のような巨大な異合生物の半身が浮かんでくる
あの集噛体と呼ばれる異合生物。それが、グレイレイヴンの作戦を追い詰めたのだ
これは昇格者が作り上げた巨人型の異合生物――集噛体だ。俺たちが前に出くわした軌道上の異合体と似ている。簡易分析では同じく異重合コアの破片を動力としているようだ
しかし、アディレ商業連盟の列車の時とは違って、同じく異重合コアの一部を動力源としながら、集噛体の特徴はあの異合体よりも複雑だ
あれは異合体ではなく、パニシングが地球上の生命体を真似して自己進化を始めた新型パニシング生物、つまり異合生物だ
確かな証拠はないが、体内の異重合コアの破片が、その存在の動力源になっているだけでなく、赤潮を引き起こしたと推測することができる
そうでなければ、両者が現れたタイミングの一致に説明がつかない
昇格者との戦闘にかかわる集噛体の情報は公表したが、その体内に異重合コアの一部が含まれていることは、まだ機密事項だ
[player name]、あの日、地下空間で起きたことは全て秘密にしておいてほしい
言うまでもないが、このことはお前の隊員にもしっかりと伝えておけ
誰もがあの日のことについてはだんまりなんだ
でも、僕たちは偵察隊だ。それくらいはわかるよ
前線から朗報が伝わってきてすぐの頃だったかな
急拡大していた赤潮が、突然、収束していったんだ
そうだったんだ
今の赤潮も、あの時ほどには荒れていない
満潮時以外は、「川」沿いのパニシング濃度も、あの時ほど高くない
つまり、今、赤潮は収束している
あの時、何をしたの?
頭に浮かんだのは、集噛体が眩しい光の中で消滅していく姿だった
嘘はついていないみたいだね
まただんまり?
まぁ、いいけどね。君の回答は僕の判断には関係ないから
空中庭園は情報を隠しているけど、今は、以前のある時の状況ととても似ているんだよ
単純にパニシングから生まれる異合生物という点からすると――これらの本質は宇宙ステーションで遭遇した異重合コアと同じだ
宇宙ステーションから地上に落ちた異重合コアの一部って、列車のアジールに落ちたものだけなのか?
いいよいいよ、答える必要はない。顔を見ればわかるから
でも、収束していた赤潮が再び活性化してしまった。そして、支流まで形成した
通常の法則と理論で赤潮を考えてはいけない――だが、その背景にあるものをまったく考えないわけにもいかない
バンジは西の方を向いた
複雑に交差する川が地平線の果てまで伸びている
あの支流の向こう、その果てに何が見えると思う?
あの時、空中庭園は全てのエネルギーをプリズムに集中して、異重合コアを集中砲撃したが、完全に破壊することはできなかった
なのに、なぜ今回の広範囲攻撃で、完全に消滅させることができると確信しているのか?
砲撃範囲が広ければ広いほど、威力は弱まるものだ
ただ、仮に、仮にだよ――
仮に、赤潮にその源流があったとしたら?
源を失った潮水は完全に消えなくても、氾濫は止まるだろう
そうすれば、適切な対処方法さえ見つければ、いずれ完全に消滅させることができる――それは時間の問題だ
だから、君が必要だったのさ
あのなんとかポイントを起動する権限は、指揮官、君が持っているんだろ?
実は、そっちの隊員のリーも、このことに気づいてたよ
あ、それは隊長に教えられたから。学生の時にまとめたマニュアルだったそうだね
同じファウンス士官学校出身の指揮官なら、熟知しているはず
例外は作戦計画の最高の証明……
……ふっ
確かに隊長は優等生だ。でも、だからこそ、なんでも把握しておきたいんだよ
カムイがいつもつきまとうから、こんな話をしてくれたんだろうね
それに、僕は狙撃手だ
狙撃手の座右の銘は、外に出て敵を殺せ、だよ
そうかもね
君たちが気にしているようなことには、まったく興味はない
あの人たち、あのハンスという総司令官。皆、過去の価値観に囚われている可哀そうな人だね
……
特に理由はないかな
僕は前に、ある男性に助けてもらったけど、何の恩返しもできなかったんだ。今、その恩返しをするチャンスだと思ったから
バンジは突然、遠くを眺めた。時空を超えて故人を見つめるような、遠い目だった
まぁ、黄金時代のはぐれ者だった彼は、栄光に浸っている人よりもはるかに、一緒にいて面白かった
バンジは目を閉じた
再び目を開けた時、その目からは、全ての個人的な感情が消えていた
いいや、この話はやめよう
たいていのことには、解決方法がひとつはあるものだ。常識的じゃない方法だったとしてもね――僕のやり方で今回の危機を解決してみたいんだ
さっさと終わらせて、誰にも邪魔されずにたっぷり寝たいし
君こそ、なぜ行動を起こすんだ?
……そうか
じゃあ、話はここまでにして、まずはあのチビっ子を探そう