灼翎は城門から東城区までの距離が、これほど遠いと思ったことはなかった
一歩踏み出すたびに辛いと思うほどに遠く感じた
侵蝕体の叫び声がイヤホンの通信音を呑み込んだ。自分の隊は数分前から音信不通になり、騒々しい電流音が通信チャンネルから響く。灼翎はイヤホンを外し、握りつぶした
もういらん。目標はわかりきっている
イヤホンを握りつぶし生じた電流が戦術グローブに纏わりつく。彼は一歩前に踏み出した。今後退すれば、再びこの位置に来るまでに、気の遠くなるような犠牲が必要になる
体をかがめ、右手を後ろに引いて力を溜め、目の前の目標を狙い……3、2、1、発射
灼翎は一撃で、目の前の侵蝕体の頭部の半分を深く凹ませた。侵蝕体が両腕を振り上げて攻撃しようとした時、真っ黒な銃床が侵蝕体の半分になった視覚モジュールに広がった
524体、あと10m
後ろから再び聞き慣れた爆発音が伝わってきて、侵蝕体の残骸が灼翎の足元に転がり落ちた。灼翎は、それが蒲牢衆が手榴弾に着火した音だとわかった
今は絶対に立ち止まることはできない。仲間たちの援護を盾に、灼翎は素早く前進した
1体の侵蝕体が灼翎の目の前に倒れてきたので、灼翎は力強く踏みつけた。黄銅の爆弾の外殻が地面に散らばり、侵蝕体の体の上にも落ちてきた
灼翎は武器を構え、素早く弾倉を交換した。前方から湧き出てくる大量の侵蝕体から目を離さず、弾倉の交換を終え、地面に向けて引き金を引き、足元の侵蝕体を絶命させた
525体
九龍のライフルは強い火力を誇る。成人男性でさえ両手で持っていないと反動を抑えることができない
しかし、この時の灼翎は射撃の精度にはこだわらなかった。至近距離なので、射撃の度に目の前の侵蝕体の1、2体、どれかには命中するからだ
武器の大きな反動は灼翎の右腕を麻痺させたが、引き金を引く力さえあれば、このくらいの麻痺は大したことではなかった
灼翎は素早く前に向かって走り、怒鳴りながら、全ての爆薬を侵蝕体に打ち込んだ
557体、4m
最後の弾倉を使い切ると、灼翎は持っていたライフルを捨てた
目の前の人間の攻撃が弱まったのを見て、侵蝕体は四方八方から彼を取り囲んだ
少し前の襲撃で怪我をした右足のことはまったく構わず、灼翎は短刀を抜き出し、敵に立ち向かった
九龍人は、こんな怪物に負けない
人の影がどす黒い侵蝕体の間で移動し、真っ白な外骨格から眩しい光が反射し出している
九龍商会、永遠なれ!
オイルと血が混ざり合って、戦場に飛び散っている。背後で構えていた蒲牢衆が、ありったけの火力で灼翎のために道を開いた。自分たちの身の安全を完全に放棄した行動だった
戦いの間に、灼翎の両足はひどい損傷を負っており、右腕の骨が筋肉組織を突き破り露になっている
ど……きなさ……い!!
灼翎の後ろから、1本の龍槍が空を切り、1体の侵蝕体を数10mほども後退させた
第4軍団は私に続いて突撃、第1軍団を援護せよ!
曲の怒号に伴って、軍団の攻撃は勢いを増し、灼翎の行く手を阻む侵蝕体たちに雪崩れかかった
怒り狂う侵蝕体は地面に倒れ込んだ灼翎から注意をそらし、方向を変え曲が率いる軍団に向かっていく
畜生っ!
曲は龍槍を力強く振り回し、侵蝕体を次々と真っ二つに切り裂いていった。しかし膨大な数の侵蝕体の群を前に、第4軍団が前進するのは困難を極めた
曲様……
灼翎は背後の曲の声を聞いて、残された右腕でぼろぼろになった体を支えながら、防御装置に向かって這い寄った
防御装置にたどり着いた灼翎は、ゆっくりと体を起こし、外骨格から接続ケーブルを取り外して防御装置に接続した
リセット中――
防御装置のシステム音を聞き、灼翎はようやくひと息ついて、防御装置を背もたれにして地面に座り込んだ
やっと……使命を果たした!
灼翎は小さくつぶやいたが、言葉を発するごとに喉に強烈な痛みを感じた。彼は防御装置に寄りかかり、曲に向けて最後の一礼をして、静かに両目を閉じた
灼翎!!!
灼翎、蒲牢衆の責任者、本日よりあなたの右腕となります
——
曲様、なぜここにいらしたんですか?新兵たちはまだ十分に戦えるレベルになっていません
厳しかったですか?
新兵から不満を言われてもかまいません。こうすれば彼らの戦場での生存率を少しでも上げることができます
——
真面目すぎましたか?申し訳ございません。私は祝賀会でどんな顔をすればいいのかわかりませんので
常に自分自身に厳しく、職務に忠実な兵士。自分の生涯を九龍に捧げた
曲は悟った。これから先、もうこの世界にはこの優秀なリーダーであり軍人であり友人——灼翎は存在しない
侵蝕体が周囲にはびこり、機械と人の死体を踏み砕き、人類の無駄な抗いを嘲笑った
灼翎の後ろにある防御装置が再起動した。一部の侵蝕体は防御装置に向かい、その鋭い爪が灼翎の体を引き裂く――その時、真上からの龍槍が侵蝕体の腕に力強く突き刺さった
その衝撃は、地面を吹き飛ばし、周りの侵蝕体をも吹き飛ばした。地面の土が降り注ぐなか、曲は龍槍を持ち上げて、巻き起こった煙の中から姿を現し、武器を構えた
侵蝕体は驚いたように攻撃の姿勢を取り、目の前の人間に向けて再び攻撃を始めた。曲は龍槍を振りかざし、槍先を正確に侵蝕体たちの電子脳へと突き刺していく
侵蝕体は振り上げた手を宙に浮かせたまま停止した。侵蝕体が地面に崩れ落ちる前に、曲は龍槍で横払いをして、侵蝕体の群れの中に投げ飛ばした
愚者どもよ。ここはお前たちが来てよい場所ではない
曲は立ち止まることなく、侵蝕体の包囲網に向かって走り寄った
これからお前たちに、人類が戦争の中で受けた苦しみを味わわせよう
曲は嵐のごとく侵蝕体を一掃していった。武器を持つ両手は摩擦によって血が滲み出している。しかし、曲はなおも武器を握り、目の前の侵蝕体を次々と撃退していった
これは人々を守るために前線で戦った、全ての九龍人の怒りです!
曲は龍槍を地面に突き刺し、それをバネに高く飛び上がり、目の前にいる侵蝕体の頭部を上から地面に押さえつけた
曲は地面のライフルを拾い上げて、侵蝕体に向けて猛烈に発射し続けた。その激しい攻撃は、防御装置に近づこうとする侵蝕体を次々に撃破していく
たとえ死に直面しても、自分たちが生きた証拠を残すのです。笑って死を迎えることは、人類のみが有する美しさです
はじめからただのガラクタ同然だったお前たちにとって、死は九龍が与えた最大の哀れみです
曲は手元のライフルを下ろし、防御装置の側まで戻った。背後から連続した爆発音が伝わってくる
東城区の侵蝕体は、曲と第6軍団の挟み撃ちによって全滅した。ひとりの蒲牢衆が曲の側に寄ってきて、曲に九龍商会の旗を手渡した
安らかに眠りなさい……
曲は話しながら、九龍の旗で灼翎の死体を覆った
防御装置の砲弾が飛び交うなか、曲は城壁の下から戦場全体を見渡した
曲様、丹毫はまだ見つかりません
そうですか……
ああ……悲しむ暇などありません。仲間の犠牲のお陰で全ての防御装置を奪い返すことができました
私の命令を伝えてください。各軍団を再編成して、人数が足りない小隊は合併して、完全な陣形を確保してください
了解!
兵士は指令を聞いて、走り去っていった。曲は武器を持ち上げ、再び前線に向かった
仲間よ、あなたたちの犠牲は決して無駄にはしません
全ての意志は、私が確かに受け継ぎます