今回の任務を希望する者はいますか?
私が。白圭は最近、アディレとの取引で忙しくしていますので
確かに墨鳶が適任でございましょう。他の者を世界政府に派遣すれば、話しているうちに喧嘩になってしまう
もうどれくらい前のことだ……まだ覚えていたとはな?
お前がコスモス重工の人間と三日三晩口論したあれを忘れるものか
口論?私たちはただ都市建設のメリットとデメリットについて議論していただけだ!
ふふふ、白圭、連山のことをからかわぬよう。今度から、重要なことを引き受けてくれないやも知れませんよ
我ら螭吻衆から支給される資金が潤沢である限り、その心配は無用かと
【規制音】、俺たち贔屓衆のことを侮辱しやがって
次の予算は3倍でどうだ
交渉成立だな
まあ白圭、そのような浪費はよろしくありませんよ?
大丈夫です。彼女はまた稼いできますから
曲様がそう仰るなら……では御前失礼を、戻って準備してから出発いたします
待て、これを持っていったほうがいい
衡璣は話しながら墨鳶に青色の光が点滅する小さな機械を投げて寄越した。機械の上のプローブは空中でぐるぐると回転している
これが私の代わりに定期的に補助義体のメンテナンスをする
あ、またこれですか
安心していい、改良済だ。もう外付け人型補助脳に負荷をかけることはない。そして補助義体と接続する神経部分の消耗を軽減した、前みたいなことにはならないだろう
墨鳶は話を聞きながら小さな機械を空中に放つ。そして床に落ちる前に小さな手がその機械を受け止めた。手の持ち主は小さな機械人形だ
わかりました
墨鳶は手を伸ばして人形の髪の毛を優しくなでた。しばらくして人形は機械を抱えて消え、引き続き周りの環境に身を隠した
補助義体改造で病気を克服しましたが、メンテナンスはやはり少々、手間ですね
等価交換だ
さあ、会議はここで終わりにしましょう。墨鳶、くれぐれも気をつけて
――もしもし?もしもし、123?123、聞こえますか?よし、聞こえていますね。通信確立
――世界政府との交渉を完了しました。任務は大変順調です
――彼らには、まだ世間に公表していないことがひとつありました
――零点リアクター実験は失敗したとのことです
――やや嫌な予感がします……
――でも、あまりご懸念なさらぬよう。私の予感はあたらないやもしれません
――もう少し具体的な情報を調べてから九龍に戻ります。もうしばしお待ちを
――曲様……零点エネルギーリアクターは我々が思っていたよりもはるかに危険な状態でした
――その失敗によって未知の物質が発生し、世界政府はそれを「パニシング」と命名したとか
――すなわち、懲罰とでも言いましょうか……
――パニシングは機械を侵蝕して恐ろしい怪物にしてしまうそうです。現時点ではまだ私の機械義体に対して影響するかどうかはわかりません
――でも、ご心配は無用です。すぐに戻ります
――その前に、必ず――
――――
曲の意識が戻り、目を開けてすぐそこにいる8名の責任者を見た
市外全てに防御装置を設置しました
ええ。灼翎、蒲牢衆から50名ほど選んで贔屓衆と交代させ、趙侖に引率させなさい。市外の申九街区は彼の生まれ故郷、よく知っているでしょうから
承知
華胥の演算サポートによる浄化フィルター保護カバーも最終工程に入りました。侵蝕体到着の3時間前には完成できる見込みです
結構、何より安全性の確保に努めるように。民が大気に充満するパニシングで害されることのないよう、最優先で確実に進めてください
仰せの通りに
各地区に分配する物資の準備が完了しました
連山、南城区の支援のために、西城区から20名の贔屓衆を派遣しなさい。南城丁五から丁九までは古い街区です、通路が入り組んでいるので多くの人手がいるでしょう
承知しました
曲は素早くデータタブレットの全通信に目を通し、その場で指示を出す。全ての対応が終わると曲はタブレットを閉じた
曲に侍る責任者たちは九龍商会の中堅どころだ。性格はバラバラだが、互いを噛み合う歯車のように補い合い、それぞれの職責を果たすことで曲とともに民の暮らしを支えていた
曲は会議室の中の全員を見渡し、ひとつだけ空いた席のところで視線を留めた
……墨鳶との通信はまだ回復していないのですか?
はい。彼女がいる地域はパニシング発生以来、完全なる音信不通状態に陥っています
灼翎の回答を聞いた全員に沈黙が訪れた。補助義体への改造を施し防衛力を欠く墨鳶が、外界に長くいるとどうなるかをよく知っているからだ
皆心配するな。墨鳶は前から失踪癖があって、よく消えたり現れたりしていたじゃないか。あの子の無鉄砲さは嘲風衆の責任者になっても変わらないというだけだ
……今は昔と違う
連山の言う通り、今は昔とは違います。前線の戦況報告も各自の端末に転送しました。これは、我々が直視すべき現実です
責任者たちは、タブレットにとどまることなく表示され続ける災害状況を見て、甘い幻想を捨てた
確かに丹毫の言う通り、ここで心配していても問題解決にはなりません。九龍商会の各部門の指導者として、我々は今ここで、九龍の運命を決めます
――続きまして世界政府の今パニシング災厄に関する緊急声明を放送いたします
――「今災厄は人類史における未曾有の大災害です。科学理事会はすでに調査を始め、スターオブライフも再建プランの構築を急いでおります……」
桟道では世界政府のパニシング対応状況がリアルタイムで放送されている
かつて街中のあちこちで見たバイオニックと機械従者は、今は全て回収処理された
人々は戦々恐々として身の回りの全ての機械を破壊し、誰もいない路地に打ち捨てた
侵蝕体襲来を知った民衆たちは、小さく暗い部屋に引きこもって自分の安全を守ったり、家財をまとめて港へ向かい、船で九龍から脱出しようとしている
避難者たちが残した家財と空家はすぐに犯罪の温床となった。暴徒が廃屋に集まって残された物を盗み、次の強盗を計画する
商店のドアや窓もこじ開けられ、自衛する側と略奪する側の接触方法は同じ人間でありながらもはや言葉ではなく、暴力のみだった
九龍衆は力を合わせてなんとか民の営みを守っている。指導者の決断を待つ時間は長く、初めて耐えがたいと思うほどだった。しかし、いくら耐えがたくても彼らには使命がある
九龍商会が誇った繁栄は失われた。路上では、僅かな歩行者が放送を聞き逃さんと集まってきている
すみません、子供を見ませんでしたか?背がこのくらいで、髪の毛が長く、高いところでふたつ括りにしています
突然慌てた様子の男性が桟道の中に駆け込んできて、両手を振りながら通りすぎる人々に訊ねている
見てない見てない。今、皆混乱しているから、他の人のことはかまってられないよ
で、でも……
おい!こっちこっち!
ある通行人が、憔悴している男性に向かって叫んだ。男性が神の助けとばかりに近づいていくと、その通行人は突然殴ってきた
なっ、何をする!?
金目のものを出せ!
通行人は男性の体を衣服の上から触って確認している
貧乏くせぇな、たったこれだけの金しかないのか。おい、待て、その手に握っているのは何だ?
さわる……な……
お前、このクソヤロウ、手を放せっ!
通行人が男性の腕を踏みつけると、男性はその痛みにたまらず指を開いた。手の平に、銀の結婚指輪があった
いいものがあるじゃねぇか
他のものは何でもやる。お願いだから、この指輪だけは……これは唯一の形見なんだ……
知ったことか!
通行人は指輪を奪い取り、そして男性の腹を蹴り上げた
やめろ!!
通行人が続けて男性を殴ろうとした時、遠くから2名の兵士がやってきた。彼らの仮面上に浮かぶ蒲牢衆の文字は、九龍の守護者としての身分を示している
このザコが、どけッ!
通行人は蒲牢衆を見ると、すぐに逆方向に向かって走り出した。走りながら桟道のそこら中に物を倒して、追ってくることができないように道を塞いでいる
子供が突き飛ばされ、物音を聞いた数人が集まって来たが、誰ひとりとして逃走を阻止せず、子供を助け起こさない
蒲牢衆のひとりが追いかけようとしたが、暴力的なあの通行人はとっくに見えなくなっていた
南城癸四街区で強盗事件発生、本部からの応援を願います
了解
蒲牢衆は街の様子を報告しおえると、子供のそばに歩みよって抱き起こした
あ、ありがと
大丈夫か?早く家に帰りなさい
少し離れたところにいた蒲牢衆は、憔悴している男性のところへ行った
お子さんの特徴を詳しく教えてください
男性は命縄を掴むかのように、蒲牢衆に駆け寄った。慌てるあまり転倒しそうになった男性を、兵士が支えた
ありがとう、本当に助かります。娘を見つけられなかったら、死んだ妻に申し訳が立たない
男性は涙を流していた。体は栄養不足のために衰弱しており、靴は長い旅のため酷く損耗していた
子供を助け起こした蒲牢衆はスピーカーの下へ行き、外骨格の上から接続装置を取り外して直接スピーカーに繋ぐと、そのまま桟道にいる人々に呼びかけた
今は大変危機的な状況です。住民の皆さんは自宅に戻って、商会からのお知らせをお待ちください。皆さんの安全のため、どうかご協力ください
蒲牢衆の声は大きく、桟道全体に響き渡っている
民衆たちは次々にその場を立ち去り、スピーカーの下に立っている蒲牢衆は、群衆が散り散りになって帰っていくのを見守っていた
そっちの方は解決したか?
とりあえず家に戻るように言った
東城壬五街区の方で小規模の暴動が起きているそうだ
……あの男性は?
子供を探すと約束して、少しは落ちついたようだ。冉遺(ゼンイ)の医療スタッフがもうすぐ着くから、この男性は彼らに任せよう
そうか、よかった……
少し背が低い方の蒲牢衆は仲間の話を聞いて安心し、背中の銃を背負いなおした
新しい命令は来たか?
……まだだ
民衆はもう限界だ……指導者が方向を示してくれないと、侵蝕体が襲ってくる前に九龍は自ら滅びてしまう……
待つしかない。信じよう。曲様は決して我々の期待を裏切ることはない
ふたりの兵士が話している時、頭上のスピーカーから女性の優しい声が聞こえてきた
「九龍商会の民よ。放送を聞いたら、秩序を保って広場に集合してください。九龍衆から重大な発表があります。九龍商会の民よ、放送を聞いたら……」
放送を聞いたふたりの兵士は目を合わせて、すぐに商会の広場に向けて走って行った
くそっ、まさか衡璣のやつがここで隠し球を持っているなんて
——
集合を促す放送が遠くから響いてくる。ヴィリアーは自分の唇を強く噛んだ
まったく、解読もゆっくりできないのか
開発時に安全のため、ひとつコマンドを残したのは賢明だった
ヴィリアーは独りごち、両手を華胥のコントロールパネルの上で素早く動かした。しばし轟音が鳴り、やがて音が止まった。ヴィリアーはチップを取り外し、隠し扉に向かう
すまない。本体はさすがに持っていけない
でも安心しろ。このバックアップをうまく利用するよ