「テステス。もう録音は始まってる?」
床に置かれた小型機器から加工された電子音声が流れ、室内に響き渡る
「じゃあ、情報の報酬……これを取引と呼んでいいよね?」
「とにかく、僕はあなたが欲しがるものをあの船から持ってきた」
「グレイレイヴンの目を盗むのは厄介なんだ……幸いなことにこの資料の機密レベルは高くなかった」
「機械に関しては、本質的には空中庭園のシミュレート訓練キャビンと同じだよ」
「プログラムを修正して、記憶データを戦闘記録として入力した。これからは添付ファイルのプログラムを更新すれば、戦闘訓練として直接意識海にアクセスできる」
「データ量が膨大だから、初回接続時にそちらの意識はいったんリセットされる。プログラムのメモリーを確保するためだよ。横になれる場所で接続した方がいいと思う」
「僕の説明で、トラブルを解決できるといいんだけど。幸運を祈ってるよ。また協力できることがあればいつでも言って」
まさか、空中庭園の精鋭の目を盗んで密かにデータを取り出すことができるなんて……
今後は用心深くしないとな
うん?これを押して起動するのか……
<<プログラム起動<< システムロード<< 虹彩認証<<
……認証成功
ユーザーADL-17、こんにちは!プログラムのパッチを検出しました。更新しますか?
…………
「枷」によって消去された記憶は、今そのままこの粗末な機械の中に保存されている。皮肉なものだ
これで、過去の全てを知ることができる。ようやく、ここまで来たんだ……
プログラムを更新
コマンド実行<<プログラムの更新を……開始します
意識海に何度も浮かんでは消える情報の断片……
シミュレート環境:HX-GA-990105-Kowloon <<戦闘記録1……ロード中<<<
ロード成功、一次モデリングを開始します、25%<<65%<<78%
インポート完了。意識海に接続します——
何者であっても、受け入れる
九龍商会の都市の、古めかしい屋敷に囲まれた一画には……
こんな劇場があった
高くそびえ、壮大で、古ぼけて傷んでいる
広い舞台はかつて50名の役者が同時に立ったほどだ。大がかりな舞台装置もなんなくセッティングできた
しかし、今は全て使えない——120席あった客席も修理に修理を重ね、今は70席足らずになり塵が積もっている
かつて3つの合唱班があった大劇団には、今や2、3匹の子猫しか残っていない
——結局のところ、ホログラフィックとバーチャルリアリティの普及により、劇場で役者が演じる演劇を観る人は激減した
足が不自由な座長兼院長は劇場の入り口の崩れ落ちそうなロッキングチェアに座って、もの寂しそうにしていた
ロッキングチェアは于に持ってきてもらった物——この劇場で働くのはもう于くらいしかいない
無口な大男で、生活のほとんどは大工をしているか焼酎を飲んでいるかだ。その大工の腕前は、それしかしていない割には工芸店から声がかかるほどでもなかった
だから彼も俞生と同じく、劇場を離れる理由などなかった
俞生……その役者魂は母親から受け継いだものだ。彼にとっては演劇以外の全ては何の意味もなさない
――この劇団もそろそろ飯が出せなくなるな。何なら、縁起のいい日にたたんでしまうか……
院長は崩れ落ちそうなロッキングチェアに寄りかかり、ジャスミン茶の出涸らしをひと口飲んで、そう思った
――院長はかつての輝かしい記憶に浸りながら、そっと劇場から出ようとする者に向けて手だけを巧みに動かし湯呑の蓋を投げつけた
投げつけられた者が振り向き、空中から落下してくる蓋を尋常ではない速さで受け止めた
おっちゃん、何すんだよ!この湯呑は、俺がわざわざ東城の四番目の兄貴から買った貴重なものなんだ!壊れたらどうすんだよ!
おでましか?どこに行くんだ?
……関係ないだろ
どこに行くんだ?常羽、何度も言っただろう……
常羽という少年は院長の話にうんざりした様子で、外に向かって歩いていった
うるさいな、急用があるんだ!晩飯前には帰るよ!
そう言い終わる前に常羽は庭の壁に向かって走り出し、悪態をつきながら外壁を2、3回蹴ってよじ登り、飛び越えていった
あんなガキが蒲牢衆とえらそうに!
院長の言葉を聞いているのは、側を通る風だけだった
ふぅ……茶を飲み終えたら、また謝罪行脚だな……誰かこの苦労をねぎらってほしいもんだ
院長が再び湯呑を口に持って行こうとした時、目の前に、問題を抱えているとひと目でわかる人物がやってきた
や、八百屋と木材店のモンが来て、しょ、食料の代金と修繕の、も、も、木材のカネは、もう待てんぞって言ってやす
常連さんの……返事は来たか?
いいえ……ご、ご、ご主人がトシなんで、おっきな音はムリってんで、バーチャルなんとかの会社で、な、なんとハワイにして誕生日を祝うって話で
そうか、ご苦労さん。自分の仕事に戻れ
于は何も答えず、黙ったまま劇場に戻った
私の顔を立ててさりげなく借金返済の催促をしてくれているのか……もうこんな生活……やっていけんな……
劇場から少し離れた場所で、常羽は騒がしい人混みに紛れ込んでいた
やかましい音楽が響き渡り、人の往来が激しく、皆が意地悪い表情をしている
常羽がここに来たのは、もちろん理由がある
劇場の状況は悪くなるいっぽうだ、今月はまだ1日も営業してない
おっちゃんは機械警衛隊の管理条例に違反するようなことは評判を落とすって言ってるけど……このままでは食えなくなるから、評判なんかどうでもいい……
「人と機械がお互いに受け入れあえば、社会はもっと平和になる」とかなんとか言ってさ。機械が飯を食わせてくれるのかよ?
常羽は壁に寄りかかって雑踏の人々を眺めた。そして退屈そうにポケットからピカピカに磨かれた1枚のコインを取り出して、空中に向かって投げた
そしてすぐさま飛び上がり、常人には考えられない姿勢でコインをキャッチして見せた
その動きは往来の注目を引き寄せ、集まった人々は大道芸を観るようにして常羽を取り囲んだ
客引きのチャンスかもしれないと思った常羽は、そのまま宙返りをした。そして、観衆が拍手をしている時に、あらかじめ用意していた手書きのチラシを取り出そうと考えた
——ふた晩かけてこっそり作ったチラシを貼る、それが常羽が街に来た目的だった。機械警衛の目を気にして院長ができないってんなら、俺がやるまでだ
九龍商会から警告です。往来での大道芸を禁止しております。観衆は即刻解散しなさい……
ちっ、捕まったら面倒だ……
常羽は取り出そうとしたチラシを鞄に戻し、2階の張り出し屋根によじ登った。そして、身を翻し、雨どいを利用して高い楼閣に登っていく
あの連中、いっつも街を監視しやがって……
あんなんで、人と機械がお互いに受け入れあえば、社会はもっと平和になる……のかよ?
少年は汚れた空気を深く吸って、改めて鞄の中からチラシを取り出した
平和の中で古ぼけて死にかけの劇場なんか、誰が気にしてくれる?
そう言いながら、常羽は目線を遠くの騒がしい方向に向けた
これ、あそこに貼るか
金さえ払えば……このご時世、地位身分なんか関係ない