「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。天に上げられたイエスは、天に昇るのをあなた方が見たのと同じように、またおいでになるであろう」
白い鳩が茂みの中から飛び立った。甲高い鳴き声が、リーフを悲しみの淵から呼び戻した
鳩は翼を羽ばたかせ、彼方へ飛ぼうとしていたが、真っ赤な波に襲われ、パニシングの海中へと消えてしまった
その瞬間、更なる感情が記憶に包まれて流れ込み、その棘がリーフの体に突き刺さる。またすぐに無数の新しいデータが彼女の意識海に流れ込む。彼女は世界の記憶の器のようだ
終末に苦しみもがく人々の命に、神の慈悲が与えられることはなかった
黒い涙がリーフの頬をつたい、何百万、何千万もの魂の苦しみや悲しみが、リーフの体を通りすぎてゆく
リーフはそれを止めることができない。彼女は杖を振って、更に大量のパニシングを自らの意識海に取り込んだ
ただただ、世界中の悲しみや死に際の記憶を受け入れて、再び復活する。それの繰り返しだった
意識海が荒れ狂うパニシングに飲み尽くされそうになった時、突然、行方がわからなかったあの鳩が、波の中から姿を現した
血に染まった鳩の鳴き声が聞こえたと同時に、ある別のデータがリーフに繋がった
ジープが突然急ブレーキをかけ、私は無意識に前傾した体を支えた。損傷した腕が「ギシ」という音を立て、火花を散らし、側にいる頭や顔じゅう埃だらけの軍医を驚かせた
【規制音】、何があった?
私は大きな声で怒鳴った。折れそうな機械腕のネジを回して、運転席の方へと振り向いた
すまん、すまん、イェレナ。突然、鳥がフロントガラスにぶつかってきて、びっくりして……
フロントガラスの血まみれの鳩の死体は、ワイパーで横に押しやられた。ガラスには血の跡が残ってしまった
創世記の中で、鳩はいい知らせを運ぶ者だったはずだ。死んだ鳩とは、縁起が悪い……
世界の終わりの到来だな。あんたのノアの箱舟はいつ来る?
進み続けて。早く着けば、それだけ早く物資が手に入る
サロスの皮肉を遮った。彼は前回の戦闘で両足を失い、始終怒っていた。だからといって小隊唯一の軍医を傷つけられてはたまらない。数十人いる人間の兵士には彼が頼りなのだ
車は再び揺れながら走り出した。車内には沈黙が戻り、時折、負傷した兵士の呻き声が聞こえてくるだけだった
戦場から一番近いキャンプに着くまで数時間かかった。今回の戦闘を無傷で乗り越えたのはあの不運な軍医と数人の兵士だけ。私は先に車から降り、警備中の兵士に声をかけた
負傷者です!衛生兵、早く来てください!
兵士はキャンプに向かって大きな声で叫んだ
上官はどこに?
そう訊ねた時、顔に傷のある男が現れて頷いた。前線から撤退する際、彼と連絡を取った。ここで小隊を再集結し、上の指示――世界政府の連中――によると、訓練もするらしい
イェレナ教官、下士官のビルです。必要な物資は全て揃えました。現在、前線では衛生兵が不足しております。ここの衛生兵は実戦経験が浅いので、よろしくお願いします
彼の視線が、私の火花が散る腕で止まった
その傷は……
世界政府が事前に特殊医療キットを配布したはずだが?それを使えば、自分で手当できる
彼は訝し気に、こちらを頭からつま先までじろじろと見た。普通の人と違うところを確認しているようだ
私のような機械――「構造体」は専門用語だ――は、まだあまり実践投入されていない。現在の人類の主力は地上防衛軍で、彼がそのような態度を取るのも無理はなかった
わかりました……持ってこさせます
そう言って、彼は去っていった。腕を半分ぶら下げたまま、その場で待つことにした。ただ待っていても退屈なので、この見知らぬキャンプの中を見回す
若い兵士たちは、見ただけで新兵とわかる。キョロキョロとこちらを見て、教室の中から野次馬している学生のようだった
数名の衛生兵が負傷者たちに、震える手でモルヒネ等を投与している。今、黄金時代の終焉から世紀末に足を踏み入れたばかりで、地球上の人間は彼らが守らなければならない
白い髪の衛生兵が目についた。他の人のようにあたふたと慌てたり、緊張した様子もなく、彼女はベッドの側に跪いて、サロス――両足を失った彼――の手を握っていた
サロスは極度の怒りを露わにし、絶望を限りに叫んでいた。またどこかの神経が痛むのだろう
衛生兵にとってこの手の患者が一番厳しい。できるなら患者を一発を殴って黙らせたいほどだ。戦場では常に時間がないのに、この世の過酷さをこうも周知されては迷惑この上ない
すると、あの衛生兵が傷に触れないように彼の手を取り、小さい声で慰め出した。彼女は、小児科医のように優しい笑顔で、根気よくサロスの癇癪をなだめている
驚いたことに、サロスの怒りは徐々に落ち着いてきて、ついに泣き出した。衛生兵はその隙に鎮静剤を注射した。スムーズだが動作が丁寧すぎる。前線の経験がないのだろう
彼女がサロスを構う間に、私なら5、6人は負傷者の手当ができるのに。負傷者を見る彼女は悲哀に満ち、まるで信徒だ――軍人にああも優しい表情を見たのは初めての経験だった
普通なら、緊張、悲しみ、絶望……そういった感情に慣れて、麻痺してしまうはずなのに
イェ、イェレナ教官……これが下士官から仰せつかった医療キットです
言葉が流暢とはいえない辛気臭い顔の兵士に思考を中断された。医療キットを受け取りながら、今後の訓練にこの兵が来ないよう願わずにはいられない
「神の加護か」辛気臭いあのしけた面の兵も、あの慈悲深い衛生兵も、どちらも担当する小隊の一員だった
気にすまいとしても、彼らには注目せざるを得なかった。ふたりは訓練兵の中で、最下位から1番目と2番目だったからだ
衛生兵は訓練を順調にこなし、それなりに賢く理解も早い。ただ治療が丁寧すぎてすこぶる非効率だ。それに身体能力及び射撃の成績も悪く、しけた面よりはマシというレベルだ
彼女が10周走る間に、小隊の皆は完走し、昼食も食べ終えていた。しけた面は口から泡を吹いて倒れ、彼女は走り続けたが、青白い顔で紫色の唇をし、今にも倒れそうだった
どうみても、兵士になる前はほとんど運動したことのない良家の子女だ。でも、ここではそんなことは関係ない。彼女には、持久力をつけるようにきつく申しつけた
3.2环!
精密射撃訓練中、兵士が大きな声で成績を報告している。あの衛生兵は唇をすぼめて、直立している。この彼女の真剣さが少しでも成績に反映できればいいのにと思った
エイハブ!……ええ……
弾痕を探すのにこんなに時間がかかるということは、おそらく的を外れているのだろう
的外!
辛気臭い顔の兵は洋服の裾をつまんで、穏便に済ませようと思ったのか、あえて馬鹿面を晒している
そんな表情で私を見るな。戦場でお前を殺すのは私ではない。今のうちに、どうやって侵蝕体に慈悲を乞うか、練習しておけ。その方が、まだ間に合うかもしれないな
小隊中にまばらに笑いが起きたので、怒鳴りつけて制止した
自分たちが強いと思っているのか?なら見せてみろ!来い、私に挑戦したい者はいるか?
鋼鉄の腕を相手に、兵士たちは皆気後れしているようだ。全員が頭を下げて、視線を合わせないように自分たちの靴を見ていた
臆病者め、地球を救うのはお前たちなんだぞ!自分たちの責務もわからないのか!それでも軍人か!軍人なら軍人らしくしろ!
隊列に沿って檄を飛ばして歩きながら、ひとりひとりの顔を見た
第18小隊の調整ができ次第、次に前線に行くのはお前たちだ。負傷者を見たことはあるか?え?どうなんだ?
ほとんどの兵士はただ黙って、頭を下げたまま、こちらを直視する勇気を持てないでいる
ある拠点を守るため、私の小隊は23名の兵士を失った。生き残った兵士はどうなる?少しでも動ける体なら、お前たちとともに、再び戦場に行くことになる
腕や両足が吹き飛ばされても、這いつくばって口に榴弾を咥えたんだ!彼らは諦めなかった!そして再び、命を奪われるまで、戦場に戻り続ける。それが軍人の使命だからだ!
兵士たちは居心地悪そうに視線を泳がせている。顔を上げて唇を結び、前方を見ている者もいる。ただあの衛生兵だけが真っすぐ私を見て、何かを言おうとしていた
お前たちは何だ?それでよく自分に恥じないな?ここにどういう事情で来たのであれ、ここにいる以上は責任がある。家、仲間、町、地球を守れ。自らの血で、勝利の旗を掲げよ!
私たちが怯めば誰が立ち上がる?誰が持ちこたえる?私は小隊の犠牲者の全員の名前、顔、嗜好、経歴、全てを覚えている。彼らを誇りに思う。彼らは意義ある死をとげたのだ
私の声は少し震えていた。それを感じ取られてはいけない。この時、あの消耗戦以来、初めて自分の兵士たちについて語ったのだった
お前たちも私が誇れる兵になって欲しい
それ以上語らずに、手を振って彼らを解散させると、振り返らずにその場を去った
夜、部屋で機体のメンテナンスをしている時、あの衛生兵が訪問してきた
イェレナ教官……失礼します……
彼女は顔を真っ赤にして聞き取れないほどの声だった。これから告白されるのかと思ったほどだ
何ごとだ?
私は第6小隊の衛生兵です……教官に、お訊きしたいことがあります……
言え
私は訓練成績があまりよくありません……自分のような者が、戦場でお役に立つのかと心配で、悩んでおります
一見恥ずかしそうな様子だが、表情は真剣そのものだった。彼女の目を見ると、彼女が真剣に悩み、それゆえ焦燥感に駆られているのがわかる
規則に反するかもしれませんが……私的な時間にお邪魔してよろしいでしょうか……本当に知りたいんです。自分にできることはないか、もっとお役に立つことはないのかと
最初は、死の恐怖にどう対処すべきか、あるいはホームシックの話をされると思っていた。だがそれは自分の先入観だったことを反省するとともに、彼女の覚悟に深く感銘を受けた
すぐに姿勢をきちんと正した
訓練通りにやればいい。人の身体能力はそれぞれ異なる。入隊できたとしても、それは最低標準に達しているというだけだ。必ずしも戦闘が得意な者ばかりではない
わかりました……でも、教官……
彼女は目を伏せ、悲しそうな口調で続けた
もうすぐ前線に行かなければいけないことはわかっています。進歩を待っている時間はありません。私の努力が足りなかったんです……
彼女はかなり精神的に葛藤していたようで、決意を感じさせる表情で私を見た。彼女の顔からは「死を少しも恐れない」という気概がうかがえた
教官がお連れになった負傷者の皆さん……あんな悲惨な状況は初めてでした。自分の力が戦争に通用しないと痛感しました。でも何かがしたい……戦闘のためであれば何でもします
私は考えを巡らせた
わかった。今のお前の最大の欠点は実戦経験がないことだ。体力もない、総合的な戦闘能力も低く、瞬発力もない
そ、その通りです……すみません……
訓練を見た。傷の処理をいつもマニュアル通りに行っているな。ガーゼを1枚ずつ丁寧に洗うかのようだ。だが一刻を争う戦場では、まず命さえ救えれば他のことは二の次でいい
あのやり方、正規の訓練を受けているな?どこかで習ったのか?
……父が医療関係の責任者で、小さい頃から教えてくれていて……
家族のことになると、彼女は少しためらったように言葉が詰まりがちになった
処置のスピードをアップさせなさい。致命傷、死に至らない傷、兵士の行動に大きな影響を与えない傷を区別してしっかり覚えるんだ。これからはそれを重点的に訓練する
マニュアルは捨てろ。戦場で後悔するような判断はしないように
はい
衛生兵は軍隊の命綱だ。侵蝕体は敵を選ばない。お前が攻撃される確率は他の兵士たちと同じ。だから生き残ることは重要だ。でも、お前の戦闘力は低すぎる
はい……では、私は……
逃げろ。勝てないと思ったら全力で逃げる。侵蝕体に触られないように
もちろん、戦場から脱走するという意味ではないぞ
侵蝕体の攻撃パターンとロジックを熟知しろ。侵蝕体は思考しない。プログラムに従って攻撃するだけだから大体は予測できる。注意事項をまとめて、対応策を覚えろ
はい、わかりました
そしてもうひとつ、救えなかったら諦めることだ
……
自分の能力をよく考えて、一番効率のいいプランを選択する。ひとりを諦めれば、10人救えるかもしれない。でも死んでしまったら、誰も救えない
……承知いたしました
衛生兵は頷き、眼に力が宿った。そんな彼女の姿は好ましいものだった。顔を真っ赤にしてモジモジしているよりかなりマシだ
ありがとうございます。イェレナ教官
もう下がれ、ちゃんと見ていてやる
彼女の肩をぽんと叩いて、彼女が立ち去るのを見送った
その後の1カ月は訓練の指導に追われた。兵士たちは一人前になりつつある。厳しい訓練の中で、あの衛生兵のことを構う暇もなかった。彼女も少しずつ皆に食らいついた
1日の訓練を終えた夕方の休憩前に、時々パトロールをすることがある。今は、寮の真ん中で周りの兵士たちを睨みつけていた
誰がやった?
目の前のベッドの上に、スーツケースの中身が盛大にぶちまけられ、服が床にまで散らばっている。そのうち、1枚の華やかな白いドレスが皆の注目を集めていた
誰も口を開かず、その場にいる女性たちは頭を下げて、私の後ろで整列していた
そのドレスを手に取った。さまざまな疑問が湧いてくる
このお嬢さんのベッドにいたずらしたのは誰だと訊いている
誰かがくすりと笑ったので、そちらに一瞥を投げると、その兵士はすぐに口を引き結んだ
頭が痛い。これはひとりの仕業ではない、集団による仲間外れだ。このように軍の雰囲気とそぐわない物が投げ出されているのを見れば、おおよそのことは推測できる
突然、兵士たちの目が泳ぎ始めた。振り向くと、寮の入り口に戻ってきた衛生兵の姿があった
長距離走を終えた彼女の息は少し乱れ、汗が流れている。彼女は軍帽を脱いで額を拭き、またしっかり被り直した。彼女とは目が合ったが、委縮せずに落ち着いて中へと入ってきた
私の予想はまたも裏切られた。彼女は無言ですたすたと乱されたベッドまで歩き、そのドレスを拾い上げた。それを見て、私がなんだか申し訳ない気持ちになった
(名前)、誰の仕業だ?
彼女の名を呼んだのはこれが初めてだった。彼女は頭を振って答えず、ただ黙々と片づけている。このような態度では事態を悪化させるだけだ、それは絶対に阻止しなければ
……誰も答えないのか?調査させたいのか?自分で名乗り出ろ
教官……すみません。自分でやりました。ちょっと探し物をしていたんです
そんなに散らかしてか?まるで熊に襲われたようだ
……
衛生兵はこちらに振り向いて、笑顔を見せ、落ち着いた口調で話した
申し訳ありません教官、もう二度とこのようなことはしません
彼女は側にいる兵士たちをチラリと見た。兵士たちは慌てて視線を逸らした
ここで彼女の意図がわかった。彼女は私の権威に頼りたくないのだ、自分で解決したいのだろう
それを黙認して、兵士たちをまっすぐに見た
私は小細工といった卑劣な行為は許さない。誰であれ、二度とするな
そして、お前、衛生兵、ドレスのようなものは奥にしまっておけ。ここでは舞踏会なんかない。ダンスパートナーがいるとしたら、それは人間の敵のみだ
はい、以後気をつけます。教官
彼女は顔を真っ赤にしていた。本当にこの状況を適切に処理できるのかどうか怪しかったが、「全員さっさと部屋に戻れ」と指示を下して、その場を離れた
しかし、私は立ち去らずに残っていた。寮の前で、ゴミを捨てに出てくる衛生兵を待って、彼女に手を振って呼びつけた
イェレナ教官……どうなさいましたか?
手を見せろ
彼女の顔はさっきよりも更に赤くなった
ど、どうして……
恥ずかしそうに、彼女はゆっくりと手を差し出した
彼女の手を取り、軍服の袖をめくると、真っ白な肌に針による赤い傷跡がたくさんついていた。縫合跡まであり、ガーゼで包まれている
……教官……
先ほど、彼女の手の甲の傷が気になったのだが、まさかこれほどとは思わなかった
何をしたんだ?
私……ただ注射の練習がしたくて……
彼女は手をひっこめて、まくり上げた袖を下ろした
今は前よりも上手に針を刺せるようになりました。そして、痛くない刺し方もわかりました……
十分に練習しろとは言ったが、自分の体で練習しろと言った覚えはないぞ?別の方法を考えるとは、なかなか賢いもんだ
ご、ご安心ください。注射したのはブドウ糖です。教官のご意見がとても役立ちました。特化型の強化訓練も前より上達しました。もっと効率よくできれば、もっと……
私も医務官だ。しかし「医師」ではなく、「教師」でもなく、「戦士」と言った方が適切かもしれない。この兵には人を救いたいという信念がある。そこが私たちの大きな違いだ
何か言おうと思ったが、何と言えばいいかわからない。他人に同情するのは好まないが、この瞬間だけは「なぜこんな者を戦場に送るのか」と感傷的な気持ちになった
何も言えず、ただ彼女の肩を叩いた
あまり度を超えるな。前線に行く前に自分の体を壊したら、私の訓練が無駄になる
はい!無駄にはさせません、教官!
あっ、それから……教官、ドレスを軍の施設に持ち込んで申し訳ありません
ドレスは禁止品ではない。軍隊に何を持ち込むのかに制限はない。お前の行動が軍人としてふさわしければ、誰かに批判されることもないだろう
厳粛に彼女に告げると、彼女は少しだけ嬉しそうに笑って、同時に少し寂しそうな表情を浮かべた
ありがとうございます、教官。もう二度といたしません
私はもう軍人です。過去のことを……恋しがってばかりもいられません……
私は今、自分の居場所を見つけました。だから自分の責務をきちんと果たします
彼女が具体的に何のことを指して言っているのかはわからないが、彼女の覚悟ははっきりと見て取れた。私は強く頷いてやった
もうすぐ前線に出発する。今からお前に最初の命令を下す
はい……?
新兵(名前)!
厳しい声で彼女の名を呼んだ。彼女は慌てて背筋を伸ばして敬礼をした。帽子が斜めになっていることには気づいていないようだ
はい……!
必ず生き残れ
次に彼女の名前を呼ぶ時が、自分の部隊にいた戦死兵について他の新兵に話す時であってほしくない。だから、必ず生き残れ、衛生兵よ
その後すぐに、私は軍隊を率いてあの浄化塔の近くの拠点に戻った。拠点はすでに半壊していた。人間の生命を維持する浄化塔を守るため、最後の防衛戦の時が近づいている
これ以上、侵蝕体の進行を許せば、地域全体が陥落し、この塔を見捨てなければならなくなる。それはつまり、人間が再び重要な拠点を失うことを意味する
初めて最悪の事態に直面する兵士にとって、戦場は非常に残酷だ
私は常に、大げさな激励と叱責で、皆の気持ちを引っ張り続けなければならなかった
前線の兵士たちは、無尽蔵に突進してくる侵蝕体に潰されていく。戦いの全貌を見ることさえもできなかった。十数年の命、数カ月の共同生活がこの一瞬で消え去った
最初の戦闘は半日以上続いた。私の継ぎはぎの腕は戦闘の中で再び機能を失った。身を屈めて塹壕の中を駆け抜け、腕が吹き飛ばされ、血まみれになった兵士の元に向かった
持てっ!8時の方向だ!
手元の機関銃を彼女の脇に押し込み、近づく侵蝕体に対処するよう命じた。まだ動く手で素早く腰から止血剤を取り出して、彼女に応急処置を施した
彼女は歯を食いしばって銃を撃ったが、その反動で後ろに倒れてしまった。流れ弾が頬をかすめ、顔の人工皮膚が焼けた感じがして、すぐに循環液が流れ出た
最後の手当てを終え、彼女から銃を受け取って、振り向いて顎と肩の間に挟むようにして発砲した。巨大な機械が数歩先で地面に倒れ、塵が舞い上がって顔にかかった
顔を拭くと、遠くで誰かが衛生兵を呼ぶ声が聞こえた
あちらの安全な遮蔽物の後ろに行きなさい
負傷した兵士が地面に落とした銃を拾い上げ、彼女の手に渡した。そして声がした方向に顔を向けた
視覚モジュールのズーム機能ですぐに音源を見つけた。あのしけた面の兵だ。血塗れで廃墟の壁にもたれて座っている。接眼機能で、彼の尾骨が折れていることがわかった
58m……いや、あの遮蔽物にはもう隠れられない。最も近い距離は362m
彼を諦めることにした
手元の機関銃に弾を込める時、横目で白い髪の兵士が塹壕を飛び越えて走っていくのが見えた
【規制音――】……(名前)!
慌てて怒鳴った。彼女を塹壕の後ろに配置して、こちらに撤退してくる兵士や動けなくなった兵士の安全を確保させるつもりだったのだ
戻れ!お前では彼を救えない!
銃弾と煙の中で、私の声は彼女に届かなかった。彼女は平然と弾丸の雨の中を走っていく
戻れッ!!これは命令だ!!!
彼女は振り向いてこちらをひと目見た
その一瞬の隙に彼女はすぐ側いた巨大な侵蝕体の砲弾に吹き飛ばされ、瓦礫の山の上に落ちた。くそっ、今ならまだ間に合う!銃を握りしめ、彼女に近づく侵蝕体を狙った
彼女は起き上がり、ためらうことなく素早く山を這い上がると、力を蓄えていた鹿のように、助けを求めてくる方に向かって飛び出した
……
彼女の後を追う侵蝕体を吹き飛ばした。しかし更に多くの侵蝕体が彼女に目をつけてしまった。これではもう彼女を助けられないだろう
彼女があそこまでたどり着ける訳がない
だがまさか、彼女があんなに速く走れるとは。私が予測したのとまったく同じルートで、落とし穴を避けて疾走する。弾丸も襲撃も忘れたかのように彼女は全力で走っていった
不思議なことに、全ての弾があの儚げな衛生兵を避けているようだ。彼女は懸命に砲撃の中を走った。私がまだ人間だった時、逃走する時でさえ、あそこまで早く走れなかった
ついに彼女はあの兵士のもとにたどり着いた。兵士の絶望の泣き声を調整した聴覚モジュールが捉えた。彼女はあの兵士を比較的安全な場所に移動させ、応急処置をし始めた
彼女の手際に思わず見入ってしまった。一瞬、自分の職務を忘れてしまいそうになる。何度も何度も練習したのだろう。処置の速さは私の半分のスピードにまでなっている
初めて仲間たちと森に入って狩りをして獲物を仕留めた時。初めて勇気を持って自分をいじめる者に仕返しをした時。初めて故郷の雪山に登って、山頂で思う存分叫んだ時――
あの時のような感覚になり、思わず声が出た。こんな風に感情が昂るのは久しぶりだった
それは人間が不可能な挑戦を成し遂げた時に、心の底から湧き上がってくる魂の声だった
彼女は素早く手当てを終えて、兵士の手を握った。そして優しく微笑んで慰めているようだ。この部分は省略すべきだ。後でこの点について注意しないといけないと思った
機関銃を持ち上げ、前方にいる侵蝕体を吹き飛ばした。心臓が激しく高鳴る
塹壕の頂上に登り、反撃すべく鬨の声を上げた
我々は地上防衛軍!我々は無敵だ!!
イエッサー!!!
私は知っている。侵蝕体の数が多くても、それは魂のないただの鉄屑。しかし人間の魂は、唯一無二の孤高の存在だ。人間に不可能はない。宇宙を征服し、地球をも奪還できる
兵士たちは熱血的な雄叫びをあげて、地上防衛軍は前方に向かって総攻撃を開始した