黒野地上研究開発基地■■
「ヴァルキリー」実験機体起動日
白衣を着た数名の研究員たちは足早に行き交いながら、毎分毎秒更新されるデータを各部署の責任者たちにリアルタイムで同期していた
状況はよくないのか?もう半日が経っているが……
楽観視はできないけど……でも今回の結果は、この機体のテストが始まって以来の一番いい数値よ。たった半日で、彼女の意識海データの同期率が75%にまで到達してる
大多数の構造体は75%にすら届かないし、半分にも満たない段階で狂化、暴走の兆候を見せ始めるものも少なくないわ
動力システムが大幅に刷新され、逆元装置のあの「角」も、もはや大袈裟なほど……でも刷新されたことが多すぎて、意識海への要求があまりにも高くなってるわ
目を覚ますまで、彼女は耐えられると思うか?
……耐えられる。ハードの各スペックが基準に達していなくても、彼女の意識海の「強靭さ」は信じるに値するわ
今は信じましょう。彼女は黒野の「ドッグ」なんだから
研究員たちの熱い視線の先――テストルームの中では、目を閉じた2体の真紅の機体が、新しい機体への適合を行っていた
「彼女たち」は透明な液体の中に浮かび、ゆっくりと回転している。それぞれの機体から伸びる接続ケーブルは、へその緒のように更に巨大な装置へと繋がっていた
同じ顔をしたふたりが、向かい合って浮かぶ様子は、まるで目には見えない海面がふたりの魂の間に横たわり、互いを映し出しているようだった
……
……BPN……13……
覚醒プログラムを実行……「ドッグ」、目覚める時間だ
……
こちらの声が聞こえますか?
……
ヴィラは「透明な泡」の中で小さく頷き、視覚モジュールを小さく動かして、自分がいる環境を観察し始めた
そこは、厳重に警備された冷え冷えとした独房のような空間だった。外にいる人々は、室内に設置した通信装置を通じて遠隔で彼女と会話をした
世界全体が、現実からどこか解離したような見知らぬ感じがあった
自分が何をしていたか、覚えていますか?
ヴィラが唇を開くと細かな泡が連なって浮かび上がった。発声装置が次第に正常に動き始める
……新機体の……適合をした……
新機体は特殊仕様です。君の以前の補助型とはまったく違う。適応できていますか?
……今のところ……何も感じない
いいでしょう
待って、彼女の意識海はまだ……
いや、可能な限り限界に近い環境下でこそテストすべきだ。今以上にいいタイミングはない
「ドッグ」の状態は良好、ベースラインテストの開始を許可します
窓の外にいる男性研究員は、彼女との対話を続けようとしていた
「ドッグ」、キーワードの捕捉に注意してください
「私は悲惨な死を遂げた連雀の影 犯人は窓ガラスの外にある偽りの青空」
……覚えたわ
テストを開始します
「戦場では、パニシングに侵蝕された仲間を自らの手で<color=#ff4e4eff><b>殺さざるを得ない</b></color>、あなたはそれを認めている」
彼女は小さく瞬きをした
殺害する
「さまざまな戦いを経て、あなたは自身に<color=#ff4e4eff><b>トラウマ</b></color>または深刻な意識海偏移の症状が現れたと考えている」
……トラウマがある
ふと、彼女は眩暈を感じた
「黒野ホールディングスの配下で作戦を行う際、あなたは全てが<color=#ff4e4eff><b>偽り</b></color>であると考えている」
……偽りだ
「あなたの存在自体も<color=#ff4e4eff><b>偽りである</b></color>かもしれない」
……偽り……だ……
彼女は胸の奥が熱くなるのを感じた。まるで何かが、自分の意志とは無関係に燃え始めたようだった
……うっ………
意識海に軽微な偏移を確認!
これは何……?
彼女は必死に頭を持ち上げ、新機体の胸部の「セーフティプラグ」を目にした
彼女は水の抵抗を振り切って手を伸ばし、それを引き抜いてしまいたい衝動に駆られた
この改造に耐えられるのはBPN-13だけなのよ。いくらテストを急ぐからって、彼女にこんな……
「あなたはこの世界と周りの全てに恨みを持っていて、<color=#ff4e4eff><b>窓ガラス</b></color>を打ち破ることにした」
意識海の偏移値が制御可能範囲を超えたわ!テストを中止して!
テスト……止め……ないで……
「あなたはこの世界と周りの全てに恨みを持っていて、<color=#ff4e4eff><b>窓ガラス</b></color>を打ち破ることにした」
窓……
ぐっ……!
彼女は無数の「へその緒」のような接続ケーブルを引きちぎり、全身に溢れる怒りを必死でこらえながら、「透明な泡」の中心に拳を叩き込んだ
思わず叫んで逃げ出す者もいたが、多くの人々は野心むき出しの興奮を見せた。彼らの瞳に燃える炎はガラスのヒビと……暴走する構造体を照らしていた
窓……ガラス……
……!
ハ……ハハハッ!
見ましたか!テストは……
合格です!
データ同期中:76%
……うっ!
ヴィラは突然、強烈な混乱に襲われ、その場に棒立ちになり、思わず両手で頬を覆った
記憶データが一瞬の内に流出したようだ。彼女は目を閉じ、必死に現実を掴もうとした――汪婆さんに連れられ062号保全エリアを訪れ、「サンプルの護送任務」を終わらせ……
……その後ろくに話もしない内に、ファウンス士官学校の少年少女たちに話を遮られ、それからすぐに侵蝕体の急襲が目の前にまで迫った
ヴィラはそっと手を下ろし、目を開けようとした。視覚モジュールは数秒ぼやけ、ようやく鮮明さを取り戻した
……ふぅ
(さっきはどうして突然、機体適合の時のことを思い出したんだろう……?)
(この機体は、やっぱり制御が困難だわ)
ヴィラは旗槍で侵蝕体を薙ぎ払った。意識海の影響はほとんどないように見える――今のところは
うるさい!わかってるわよ!
ここへの侵蝕体の急襲は予想外で、その場にいた全員が新たな戦場に巻き込まれた
ヴィラはまたしても最前線へ飛び出した。今回も自分ただひとりで戦うのだろうと、彼女は思っていた
しかし、今回は彼女の速度についてくるものが数人いた
「ドッグ」、左側の突破は、あなたとその指揮官殿に任せたわよ!
エンジンがうなりを上げ、汪婆さんが真っ先に車で侵蝕体の群れに突っ込んでいく。車内には、臨時責任者のケントと数名の若い顔ぶれがいた
バネッサは車のサンルーフから身を乗り出し、イヤーマイクでヴィラに呼びかけた。同時に手にしている原始的なメガホンで、混乱状態の難民たちに向かって大声で叫んだ
まだ動ける武装メンバーは、全員武器を持ってケントと一緒に最前線へ!それ以外の人は汪婆さんの指示に従って、慌てず避難して!私と……
勝手に仕切らないで!この侵蝕体の異常さにあなたも気付いてるでしょう。普段から役立たずなやつが前に出たら、肉の盾になるに決まってるじゃない!
役立たず?確かに、この保全エリアの大部分の連中は役立たずだわ
バネッサは眉をしかめ、言葉を繰り返した
珍しく理解できそうなやつだと思ったのに。残念ながら、あなたの考え方が時代遅れよ。今の戦場じゃ役立たず
私と戦術について議論するつもり?
ヴィラは言い返しながら、左側から襲いかかる侵蝕体を斬り払った。この新機体は、パワーと黒野最新鋭の装備を備えたものだ。彼女はそれを完全に使いこなしていた
何様のつもり?私が構造体に戦術について意見を求めると思う?そこまで落ちぶれてないわ
もしあなたが生き延びられたら、少しは見直してあげるわよ
……私が軍事戦術を学んでいた頃は、あなたたちみたいな身のほど知らずのガキは、まだ生まれてもいなかった!
邪魔よ!指示なら他の人にしなさい!私には不要だわ!
ヴィラはまた1体、金切り声をあげる侵蝕体を蹴り飛ばした。彼女の胸元は熱を帯び、ここ数日の高負荷な戦闘が彼女の機体を異様に「昂ぶらせて」いた
ヴィラの動きがあまりに激しく、人間は彼女の勢いに引っ張られ、体を大きく傾けた
チッ、ホントに足手まといね!わざわざロープなんかで繋ぐから――
ヴィラの腕の中に引き寄せられ、体勢を崩しながらもどうにか銃を発砲した。弾丸は隅に伏せていた侵蝕体のコアを精確に撃ち抜いた
誰があなたのことなんて……くっ!
うるさい!
侵蝕体の数はあまりに多く、攻撃をすり抜けた1体がヴィラのバイオニックスキンを切り裂いた
はぁ……あなた、どうして……
……またその目ね……うっ……!
<i>「ヴィラ、目を覚まして!」</i>
<i>「急いで!マインドリンクを維持して!」</i>
ぐっ――!
テープが巻き戻されるように、混乱した意識データが一気に頭を駆け抜ける――データがどこから来たのか、彼女にはわからない。何もない空間から突如現れたようだった
一体何なの……?どんどん頻繁になってる!
人間の心配そうな声が耳元で響く。けれど、彼女の胸の中に残っているのは焦りだけだった
あなたと……話がしたいの。私がこれを全部片付けて、全て終わったら……
しかし、あの「指揮官ちゃま」と呼んでいた時とは全然違う人間が、突然口を開いた
えっ……?
……だったら、どうしろっていうの?
なぜ私を否定するの?なぜ突然……私が生まれて以来、ずっと長く守ってきた生存の原則を否定するのよ?
何をわけのわからないこと言ってるの……
誰を信じろって?まさか、車で走り回ってる、あのコメディアンたちを?
あんなやつら!皆、役立たずじゃない!
……
持ちこたえられないなら、空気を読んで下がってくれる?目障りだから……
イヤーマイク越しの声には、もう我慢の限界だった――ヴィラはイヤーマイクを引きちぎり、侵蝕体の群れへ投げ込んだ。冷ややかな少女の声は引き裂かれ、噛み砕かれていく
だがまだ、侵蝕体同士が擦れ合う金属の軋む音、背後の難民たちの悲鳴、そしてエンジンの轟音が聴覚モジュールを満たしている
これは私の戦いよ。どうして他人に頼ることを考えなきゃならないの?
侵蝕体はますます数を増していく。彼女の破壊衝動も沸騰していた
胸がまた燃えるように熱くなる
もう、ウンザリ……
あなたに会ってから、私はくだらないおままごとに付き合わされてきた。演じて、偽って……「いい人」役をやらされてきた
あなたたちみたいな「公明正大」な連中から隠れるために、こんな仮面までつけて……
ヴィラは槍先で顔の仮面を払い落し、人間をグイと掴んで引き寄せた。相手の瞳から違和感を見出そうとするように、彼女はガーネットのように赤い瞳で睨みつけた
しかし、彼女は認めざるを得なかった。どう見ても、それは<color=#ff4e4eff><b>紛れもなく同じ人間</b></color>だった
……間に合わない
今、はっきり言っておくわ。私は黒野の構造体よ
――目の前の指揮官ちゃまはどんな反応を?
彼女は確かめたかったが、もう集中できなくなっていた
……この機体が実戦に投入されたのは、今回が初めて……だから、すごく簡単な任務だった。資料と素材をいくつか回収して、近くの基地に届けるだけでよかったのよ
だけど侵蝕体が現れた時、あなたが英雄気取りで飛び出した。そのあなたを助けるために、素材を使ってしまったのよ……腹立たしいったらないわ!
で、その結果がこのザマよ。機体は不安定だし、私はもう……最初のテスト内容すら思い出せない……!
意識海の中に、曇った窓ガラスに映る自分の姿が留まり続けている。そして蜘蛛の巣のようにひび割れたガラスの向こうに見える、いくつもの興奮した見知らぬ顔
しかし、彼女はそれ以上のことを思い出せない
わかってる、これは制御不能になり始めてるってこと
私の意識がまだはっきりしてる内に、このふざけたロープを切って、後ろにいるあのコメディアンたちと合流しなさい
「バカげた善意」と「哀れな因果」で結ばれた私たちの協力関係は……ここで終わり
そう言いながらも彼女は再び人間を、そして、その背後で大混乱する人々の姿を見つめた
……私はもう少しだけ、前線で侵蝕体を足止めすることができる
彼女は手を胸元に当て、指を曲げた。胸部の真ん中から何かを引き抜こうとしている
この機体の「セーフティプラグ」を引き抜くだけで、全てが終わる。意味、わかる?
私が完全に暴走する前に、あなたは逃げて――
!
人間は、ヴィラの全ての言葉をしっかり聞いていた。だが、最後の忠告を聞く前に、彼女の手首をぐっと掴んだ
その言葉と同時に、ヴィラは自分の意識海の中にマインドビーコンが「降下」してきたことを感じた
何を根拠に信じろって言うの???
何の意味があるのよ……
ヴィラはこの新技術について知ってはいた。機体にもリンクシステムが搭載されている。だが、慣れない――自分の精神世界が覗かれるのを容認する感覚は、酷く奇妙だった
うっ…………
それでも、マインドビーコンは降りてきた。そのまま意識海へと飛び込み、荒れ狂う波を鎮めようとしている
記憶データが「ぎこちなく」検索されていく。彼女にはわかる――人間はマインドリンクに不慣れだ。人間は不器用に彼女の過去を「めくり」、役立ちそうな記憶を探していた
……あなたを信じていいの?
もう……よく思い出せない……
……■■■死を遂げた■■■■■影……■■■窓ガラス■■偽り■■……
広大な意識海がマインドビーコンを包み込み、人間……あるいは今の人間には、すぐに答えを見つけ出すことはできなかった
ジジッ
人間のイヤーマイクに突然、場違いな強い電流音が響いた
ちょっと……もしもし?……「ドッグ」が通信機を壊したんじゃ……
後方の避難民の多くは無事に撤退できた。前線のガキんちょたちはまだ無事だろうね?
よく頑張った。あと10秒頑張りな……
9、8、7……
説明します!衝撃に備えてください!あなたたちの30m前方で爆発が起きます!
4、3……
……前で派手に光ってる人型は何?
何か変だ!どうしてこっちへ向かって来るんだ!?汪婆さん、話が違うんじゃ――
ワン!ワンワン!ワオーン!
(パニックになって吠える)
通信の向こう汪婆さんは煙草に火をつけ、片腕をゆったりとハンドルに乗せて、長々と煙を吐いた
……まったく、あの子ったら。しょうがないねえ
次の瞬間――
色鮮やかな煙が突然立ち昇り、誰も反応できないまま、爆発が始まった
爆風がヴィラの髪を吹き上げ、髪が乱暴に顔に叩きつけられる
……!
周囲の侵蝕体が吹き飛び、ヴィラはほんの一瞬、息をつく暇を得た
人間はヴィラを抱え込み、なんとか爆風に耐えたが、爆発の衝撃は後方の人々を空中へと跳ね上げていた――
間に合った~!
!!
うぇ……
(無言で煙草をくゆらせる)
ワワン!
(嬉しそうに吠える)
地面に叩きつけられる直前、カラフルな煙の中から鞭がしなやかにスルリと伸びて全員を巻き取ると、なんとか「丁寧に」安全な場所へ下ろした
へへーん!全員助けたよ!
ド派手な色に身を包んだ少女は「空から降臨」したかと思えば、混乱する戦場などお構いなしに、ひとりで手拍子しながら歌い始めた
ドンドンドン!ジャンジャンジャン!ピンチに空から降ってきた!来たぞ我らの構造体!
大活躍の大手柄!私は最強、レイアだ!シュババッ!
シーモンはその場にへたり込み、片方のレンズが吹っ飛んだメガネをそっと直した
彼女が……汪婆さんが言ってた、062号保全エリアに臨時配備された……特別な……構造体……?
レイアはまるで奇襲部隊のように空から舞い降り、侵蝕体の包囲網を突き破った
レイアとヴィラ、ふたりの構造体は再び最前線で奮闘し、ようやく062号保全エリアの避難に最も重要な時間を稼ぐことができた
保全エリアの住民の大半が無事に避難できたことが確認され、ヴィラはレイアの援護を受けながら、人間を連れて前線から後退し、難民の隊列の最後尾に合流した
汪婆さんの小型トラックはレイアの爆発に巻き込まれ、彼女はやむなく前方で大型輸送車を運転していた。まだ動ける者は隊列の後方にまわされ、徒歩で移動した
皆、ヴィラの状態があまりよくないことに気付いていた
人間の説明によれば、ここ数日の度重なる苦境で、彼女の機体に限界を超える負荷がかかり、そのせいで意識海の偏移症状が現れているのだという
さっきまでマスクなんかつけて正体を隠してたのに、今じゃ無防備にもどすっぴんね
……
フン、あんなに前線に突進して何の意味があるの?結局、皆で担いで戻る羽目になったじゃない
「ドッグ」には早急に休息と整備が必要だ。侵蝕体が追いついてくるのも時間の問題だった。現状で最優先されるべき任務は、やはり撤退だ
そして……少々言いにくいが、構造体は普通の人間よりも遥かに重い。ヴィラは同じ構造体であるレイアに託され、人間も彼女を支えながら隣を歩いている
バネッサは鼻をこすって眉をしかめ、レイアをじろじろと見てから皮肉たっぷりに口を開いた
あなた、空中庭園の兵士じゃないんだって?汪婆さんにくっついてるだけ?
ん~……本当は空中庭園で暮らしてみたいけど、まだ片付いてないことがあって。しばらく保留かな
それに汪婆さんはめちゃ優しいの!牧羊犬と一緒に私を拾ってくれた時、この人についていくって決めたの!整備パーツや補給品もあるし、何をしても助けてくれる人も……
……汪婆さん、ずいぶんいい犬を飼ってるのね。骨でも投げておけば、何でも言うことを聞くなんて。そんな犬、そうそういないわよ?
ん?私のこと?
「いい犬」扱いされたレイアは、ポカンとしながら自分の顔を指差した。その動きで、背中のヴィラがずり落ちそうになる
言ったでしょ、君が「ドッグ」をちゃんと支えろって。レイアだけに任せるから
ところで、この「ドッグ」……一体何者?
バネッサはヴィラに指を突きつけ、本質的な問題を口にした
信じるわけないでしょ、ちゃんと説明して
説明くらいしなさいよ
それは無理。これはそっちの責任なんだから、一緒に背負う気はないから。帰ってからどうこうすることじゃない
君は勝手に彼女と最新型マインドビーコンでリンクしたらしいわね。ファウンスでもシミュレーターで練習した程度なのに、彼女を死なせたらどうするつもりだったの?
言葉の続きを飲み込んだ。先ほどヴィラが胸部の装置を引き抜こうとした姿が、今でも瞼に焼きついている
……あなたたち、お互いに何か弱みを握ってるんじゃないかと疑いたくなるわ
ねえ、「ドッグ」、聞こえてないフリをしても無駄よ。構造体の意識海が混乱した時の臨床症状は知ってるの。まだ私の声が聞こえてるはずよ
ヴィラは返事の代わりに薄目を開けた。しかし、視覚モジュールは人間の「脳震とう」レベルでぼやけており、少し見回すだけで眩暈を起こし、再び目を閉じてしまった
また何かご高説でも?
さっきも言ったけど、私は構造体と戦術を語り合うほど落ちぶれてない。でも、もしあなたが運よく生き延びたら、その時は少しだけ見直してあげてもいいわ
今でも自分の理論が正しいと思ってるの?
……
あなたの戦術はあまりにも独りよがり。自分ひとりが踏ん張って、他人は保護対象として後ろに下がってればいいなんて、本気で思ってないでしょうね?
あまりにも愚かで、世代がバレるってものよ。そんな考え、黄金時代にしか育たない――キラキラ輝かしい個人英雄主義なんてものはね
もう時代は違う。私たちはまったく別のことを教わってきたの
複雑な地上戦の環境で、全員を守るなんて不可能よ。一部の「役立たず」を切り捨ててでも、重要な人材を守る。それこそが正しい判断だわ
ああ、忘れるところだった
バネッサは皮肉っぽくヴィラと人間の腰に結ばれたロープを指差した
ひとりは頭が黴臭い英雄思想でいっぱいの、黄金時代の哀れな生き残り。もうひとりは、終末世界で無価値な犠牲と栄誉を引き換えにしようと企む、頭の中がお花畑の赤ん坊
同類も同類よね。ロープで繋がれてるのも納得だわ
……
安心して。空中庭園に帰還後の報告は私がしておくわ。あなたの問題行動――悪趣味な服装に、歪んだ思想、悪質な小競り合い……
反論の言葉を口にしたものの、ヴィラはふと自分のある過去を思い出し、それ以上は続けなかった
――だが、それでもバネッサにとっては十分な嫌味だ
あなたとあの指揮官殿を空中庭園に戻れなくしてやることだってできるんだからね。ふたり揃って地上で野垂れ死ねばいいのよ
口だけは一人前ね。さっきも言ったけど、じゃあやってみなさいよ……
ヴィラとバネッサが一触即発になりかけた時、カラフルな人物が睨み合うふたりの間に割り込んできた
彼女はヴィラを背負ったまま、ふたりの様子をまじまじと観察していた
キツいよね~、こんな気の強い口調の女の人がふたりもいるなんて!
空中庭園の人って皆こんな話し方なの?もしかして、これが流行りだったりする?ハイセンスすぎー!
あなたみたいな、美意識皆無のとっちらかったやつに、口を挟む許可は与えてないから
また始まった……
顔面蒼白のシーモンはげんなりして目を閉じた。彼は車で運ばれるほど負傷していたが、酷い乗り物酔いのせいで歩かざるを得ず、この「支離滅裂」なファウンス小隊に戻っていた
汪婆さんの後ろでワンワン咆えてれば?私が卒業したらいくらでも会う機会はあるんだから。せいぜい、私の手の中に落ちないことを祈ってなさい
……私に何するつもり?
まずは頭の先からつま先まで改造して、そのダサいセンスを叩き直してあげる
えっ、それだけ?
?
やった~!空中庭園のセレブは、やっぱり器が違うっ!
警告されたレイアは怯えるどころか、むしろ大喜びでバネッサに近付いた
[player name]、ちょっと証人になって――私、自分の用事が片付いたら、空中庭園に行く。その時は、このバネッサ様を頼るから!
…………?
レイアとバネッサが同時に前方に向かって顎をしゃくった――ひとりは両手が塞がり、もうひとりは動くのが面倒なだけという理由で
前の輸送車の中。使えない「臨時責任者」のケントが見張ってる
心配しないで。あの犯人なら、これはちまきか!ってほどぐるぐる巻きにして縛っておいたから
「犯人」?そいつがクロだと決まったの?自白したの?
なんか、ひとりでずっとブツブツ言ってるんだよ。「神の使者」とか「パニシングの正しい使い道」とか……あれは絶対、妄想癖のあるアブナイやつだって
……あなたたちが話してた……パニシング流出前に現場から逃げた「研究員」?
ヴィラも必死に瞼を持ち上げて、前方の大型輸送車を見た。胸の中に、嫌な予感がじわじわと湧き上がる
それはまるで……
流出の原因ははっきりしていません。ただ、流出が起こる前に、その研究所から離れた人物がひとりいることだけはわかっています。その人物は現在行方不明です
その情報を聞いてすぐに、レイアが出発した
ええ、我々も捜索に構造体を1名派遣しています。何か手がかりが得られればいいのですが……レイアはまだ戻っていませんが、私たちも手をこまねいていたわけではありません
まるで――黄金時代最後の日の、猛吹雪が吹き荒れていたあの夜、軍区病院の遥か遠くで、不気味な赤い光が一瞬閃いた時のようだった
何か妙ね
ヴィラはレイアの背でもがいた
えっ、下りるの?本当に大丈夫?
さっきケントが説明した時は、深く考えてなかった……一介の研究員がここまで大規模な危機を起こせるとは思えなかったから。彼の背後で誰かが手を貸してるに違いないわ
でも、それが本当なら……レイアが本当にその犯人を連れてきたんだとしたら……
あの夜、彼女は窓を開けた。数片の雪が彼女の手の甲にふわりと落ち、その冷たさはまるで彼女の警戒心を裏付けるようだった
雪が降っていた
そして今、数片の雪がヴィラのまつ毛にふわりと落ちた――また雪が降っている
もし……本当に彼にこれほどの大事件を起こした疑いがあるのなら、何よりもまず拘束して尋問するべきよ……
ヴィラの視線は、前方で老人や子供たちを乗せて走る輸送車に釘付けになっていた。彼女の指先が背中の武器へと伸びていく
彼女は知っていた。雪解け水は泥となり、冬のこの絶望的な逃避行を更に困難にすることを。今にも崩れそうな隊列に、再び災厄を受け止める余力はもうない
人間は、ほとんど弾の残っていない拳銃を取り出し、前方の様子を確かめに行くことにした
……そいつについてわかってることを全部教えて……!
えっと……ガリガリに痩せたジイさんで……
よくよく考えると、ちょっと不気味だったな。私がそいつを見つけた時、鼻歌を歌ってたし……
警戒しな!緊急事態だ!
3号輸送車の方で銃声が聞こえた。ケントが乗ってるはずだが、応答がない。私は他の車を先に離脱させる。あんたたち、すぐに様子を見に行っとくれ――!
突然、全員の通信システムが一斉にオンになった。ケントの通信チャンネルが自動的に開放されたのだ
不安を煽るような悲鳴と、老人が口ずさむ鼻歌が、後方にいる全員の耳に届いた
ヴィラもその歌をはっきりと聞き取った
{226|153|170}~
{226|153|170}~
何の歌だ?
自分で作った歌よ。気にしないで
すぐそこにまで迫った危機に気付かぬように、レイアが無邪気に任務対象の名を口にした
名前は……
ヘ·イ·ン·ズ……!!