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All of the stories in Punishing: Gray Raven, for your reading pleasure. Will contain all the stories that can be found in the archive in-game, together with all affection stories.
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ER12-8 合流

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データ同期中:65%

どんよりとした暗い水面が広がり、その下で人間は静かに眠っていた

???

おっと!

???

大丈夫、ただの石ころだね

罵声とガタガタという激しい揺れに、人間の意識はぼんやりと水面に浮かび上がり、両目を開けた

温かな手がそっと人間の額に触れた

周囲を見回し、すぐに車の後部座席に横たわっていることに気付いた

前方の助手席のすき間からはひと束の赤い髪がのぞいていた――額に触れている手の主だ

人間は廃墟の中で再び「記憶のリセット」をしてしまったが、幸いにも構造体「ドッグ」が最後に言った言葉は、まだ微かに脳内に残っていた

お母さん、あの人、起きたよ

シッ……うるさくしちゃダメよ

人間はようやく後部座席にもうふたりいることに気付いた――後部スペースはそこそこ広かったが、負傷者の傷口を圧迫しないよう、広い空間が確保されている

片隅で母親と身を寄せ合う少女の言葉に、皆の視線が集まった

「ドッグ」も手を引っ込め、助手席からこちらを振り返った

……タフだこと。高熱を出して4時間も眠りっぱなしだったから、もう意識が戻らないかと思ったわ

運がよかったわ。この……皆を助けてくれたの

いつもは毒舌のヴィラも、なぜかこの時ばかりは口ごもり、運転席に向けた指を空中で止めた。いくら考えても、この女性を紹介するのにふさわしい言葉が見つからないようだ

私かい?ただの年寄りさ。年相応でいい、若作りな呼び方はしなくていいよ

ヴィラの膝の犬

ワン!

ああ、そうだね、汪(ワン)婆さんとでも呼んでおくれ

この車は貨物用のトラックで、後ろの荷台にも半分くらい人を乗せてるんだよ。しかし、あんたたち、やるねえ。あんな場所からこれだけの人数を連れ出したなんてさ

汪婆さんは、見たところ70歳を超えていそうだった。目立つ銀白のパーマヘアに、整ったシャープな眉、そして燃えるように赤い唇が印象的だ

シートベルトをして助手席に座らされていた犬は、黄金時代によく見かけたペット犬種で、焦げ茶色のカールの毛並みは、フリースのような質感だ

今はヴィラに助手席を占拠され、彼女の膝の上を堂々と陣取っている

ワンワン!

ヴィラは恐らく我慢しているのだろう

その子は「牧羊犬」って名前さ

私はたまたま通りかかっただけ。その子がいなきゃ、爆撃区域に入ることもなかったし、あんたたちを見つけることもなかった。牧羊犬にお礼言っときな

そっと汪婆さんの手元に目を向けると――

ずっしりとした狙撃ライフルがサイドブレーキの側に斜めに固定されており、汪婆さんがすぐに手に取れる位置にあった

人間の驚いたような視線に気付いた彼女はチラリと後部座席を見やり、ウインクした

この銃とは、長い連れ合いみたいなもんさ。パニシングが爆発した時に、海辺の家まるごと一軒と引き換えに手に入れたんだ。相当な値打ちもんだよ

驚きと喜びが入り交ざるも、それ以上に頭の中にはいまだ霧のような混乱が広がっていた

詳しく事情を訊こうとしたが、先に赤髪の構造体が端末を差し出した

まずは自分のメモを見て。あなたが知りたがってることは全部そこに書いてある――私は見てないし、見ることもできないから、安心しなさい

自分の端末のロックを解除してメモを読み始めると、汪婆さんも自ら状況の説明を始めた

この構造体から聞いたよ。あんた、空中庭園のファウンス士官学校からやってきた学生で、頭もケガしてるんだってね。そりゃこの辺の土地勘もなくて当然だね

私は……パニシングの爆発以降、ずっとこのあたりを守ってる兵士なんだ。この街が都市から廃墟になり、また少しずつ人が戻ってきて再建されていくのをこの目で見てきた

数日前、侵蝕体の攻撃性がこれまで以上に高く、拡大スピードも異常に早いって聞いてね。この近くの保全エリアにも影響が出たってんで……牧羊犬を連れて様子を見に来たのさ

そこであんたたちを拾ったってわけさ――もう生存者はいないと思いかけてたところに、牧羊犬があんたたちを見つけてね。本当に来てよかったよ

明るい話題になり、汪婆さんは軽く口笛を吹いた

早く目覚めるより、タイミングよく目覚める方がいいってもんさ。さあ、何時間も走り続けて、ようやく最寄りの安全な保全エリアにご到着だよ。普段の私の駐屯地さ

ほら、見えるかい?あそこが062号保全エリアだ

汪婆さんが簡単に説明していると、車外で数人の駐屯員が手で停車の合図をしていた。何人かの難民も、生存者を乗せて戻ってきたトラックを見て、思わず立ち止まって見ている

汪婆さんがそっとブレーキを踏み、黄金時代末期の貨物トラックを仮設の避難シェルターエリアの前でぴたりと停めると、車のドアを指差して合図した

皆、おめでとさん。とりあえず、災禍の波からは一旦は逃れられたね。少し休むといいよ

降りとくれ

そう言うと、汪婆さんは人間が腕に抱えた小さな箱をチラリと見た

その箱については、誰かに話を聞いた方がよさそうだね

保全エリアにいる難民は想像以上に多かった。ヴィラは人間の手をしっかりと引きながら、汪婆さんについて避難シェルターエリアに入り、密集した人々の間を通り抜けた

再び記憶が「リセット」された人間は、ここ数日間の自分の記録を読み、大まかな状況を把握していた

汪婆さんにまとめて救出された難民たちは、すでにそれぞれの場所へ散っていった。ヴィラに言わせれば「ようやくお荷物をひとつ手放せた」らしい

だが、人間が重要だと主張するあの箱は、少々厄介だった。汪婆さんは箱のマークを知る人を探し、すぐに保全エリアの「臨時責任者」のもとへ行くよう案内された

もうトラブルは起こさないで頂戴。しっかりついてくるのよ

顔中包帯だらけで人混みを掻き分けながら進んでいると、四方からのどこかよそよそしい視線とざわめく声が混ざり合い、頭の奥の鈍い痛みがなかなか引かなかった

前を歩く構造体はすぐにそれに気付き、人間の手を少し自分へと引き寄せた

皆、家を失ったばかりで追い詰められれば極端な行動に走る。聞くな、見るな、関わるな……どこから来たかも言わないで。さもなくばここに置き去りよ

箱を貸して

ヴィラの要求を拒み、箱の取っ手についた乾いた数滴の血を見つめた。自分の手で持っているのが一番安全に感じられた

それなら、この中に重要な物資が入ってると勘違いする人がいないよう、祈っておくことね

来たよケント、この学生だ

汪婆さんは分厚いカーテンをめくり、冷たい空気を遮りながら、人間を中へと押し込んだ

よかった、まさか本当に持ち帰ってくれるとは!

顔に憂いを浮かべた男性は慌ただしく立ち上がったが、人間がたったひとりでいることに気付き、足を止めた

……我々が派遣した者は?なぜサンプルがひとつしか戻ってこなかったんです?

この子はファウンス士官学校の卒業前の学生だよ。恐らく執行部隊のメンバーも、連れていった研究員たちも、戻ってくることはないだろう

……

こんなはずでは……途中で何があったんです?

この人は[player name]、私は同行の構造体「ドッグ」。今期の学生は059号保全エリアで地上実戦練習を実施してたけど……ご覧の通り、一部の学生たちがはぐれたの

私たちはここから車で4時間ほどの場所で、異常な侵蝕体の襲撃に遭った。そのエリアが爆撃区になる前、この人は同じく部隊からはぐれた級友と出会い、この箱を託された

ヴィラ

他の正規の執行部隊メンバーとは遭遇していない。爆撃区に到達する前にすでに犠牲になったみたい。それから、あなたが言う研究員だけど……もしこの人なら死亡は確認済みよ

ヴィラはひとつの名札をケントに差し出した

彼女の名札。剥ぎ取ってきたの

……

その反応を見るに、間違いなさそうね

ヴィラは名札をケントの手の平に置くと、その場にいる人々に向かって、人間が手にしている小さな箱を示した

今、私が知りたいのは、命懸けで持ち帰ってきたこの「サンプル」が何なのかってこと

それは……

こんなことになってる今、隠し事はやめた方がいいわよ。外の災厄はまだ拡大してる。迷っている時間はないわ

――報告は以上

ヴィラはシャンと立ったままハキハキと言い切り、汪婆さんも、思わずまじまじと彼女を見つめたほどだった

端末に記録した小さな事柄を思い出した。ヴィラはずっと、「模範」と呼んでも過言ではない軍人で、若い頃からずっとこのような生活に適応していたのだ

あなたがこの保全エリアの責任者なんでしょう?事情を知っているわよね、ちゃんと説明して

ケントは報告を聞き終えると、気落ちした様子でうつむいた

……私もこの保全エリアの責任者ではなく、臨時の代理責任者なんです。汪婆さんもご存知でしょう、本来の責任者は昨日、人を連れて出ていったきりで、まだ……

それを聞いた汪婆さんは眉をひそめ、肩に掛けていたライフルを下ろした

どうしてまだ連絡がないんだい?私が連れ戻してこようか

汪婆さん……もう手遅れです。彼が戻ってたなら、私はここに座っていません。皆、あなたに言うタイミングがなく……あなたまで戻ってこなかったらどうしようと心配で

……

汪婆さんの動きがピタリと止まった。銃を握ったまま、「ありふれた」現実を消化しているようだ

今じゃ、目の前には山積みの問題があるだけ……もう打つ手もありません……ああ、どうして私がこんな責任を負わないといけないんだ……?

彼は焦りを滲ませながら顔を拭い、人間が手にしている箱をじっと見つめた

仕方ない、とにかく今は目の前の急務を片付けましょう……お伝えしておきますが、その箱に入っているのは非常に危険度の高いパニシングのサンプルです

今回の侵蝕体の急襲は、今まで以上に激しく、かつ大量の個体が1カ所に集中して現れました。これは「人為的」であり、状況は我々の想像以上に悪いかもしれません

案の定、兵士たちに同行して最前線へ向かった研究員から知らせがありました。この付近のパニシングに、「進化」のような変異が確認されたと

彼らは変異したパニシングの発生源が地上研究所だと突き止めました。そこに空中庭園から人員が派遣されましたが、どういうわけかパニシングが漏れ出したんです

流出の原因ははっきりしていません。ただ、流出が起こる前に、その研究所から離れた人物がひとりいることだけはわかっています。その人物は現在行方不明です

ヴィラはふと、この「物語」に聞き覚えがあるように感じたが、どこでこの似たような状況を耳にしたのか、思い出せなかった

追わなきゃ

その情報を聞いてすぐに、レイアが出発した

ええ、我々も捜索に構造体を1名派遣しています。何か手がかりが得られればいいのですが……レイアはまだ戻っていませんが、私たちも手をこまねいていたわけではありません

我々の部隊は、パニシングの発生源へ更に踏み込み、サンプル収集を続けました……しかし、行動を開始して2日目、彼らとの連絡が途絶えたんです

そして今日、あなたたちが報告してくれた状況によれば、サンプルはファウンスの学生の手に渡り……更にそれがあなたたちに託されたようですね

状況はこの通りです。何もかもが切迫していて……誰もが命を落とすことすら急いでいる……追悼する時間もないほどに

「臨時責任者」の立場にあるケントは、これまでにない大きなプレッシャーに押し潰されそうになっていた。彼は不安と恐怖を拭い去ろうと、何度も何度も顔を擦った

最後にやっと、彼はここまでたどり着いた数人に目を向けた

……すみません。そして、皆さんの勇気ある行動に感謝します。お陰で唯一の異常サンプルが手に入りました

怪我人もいるようですし、まずは休んでください。サンプルはこちらで預かっておきます。ここには抗炎症薬も少し残っていますから、どうぞお使いください

最後のひと言を聞き終えたヴィラは頷き、大きなお荷物を下ろす準備をした

さて、このわけのわからない寄り道もここで一段落ね……

人間は、箱を受け取ろうとしたケントの手を避けた

ここは難民を受け入れる臨時の安全拠点ですから、研究設備はありません。この後は人員を割いてサンプルを引き継ぎ、空中庭園と連絡が取れる最も近い基地へ送るつもりです

……

その率直な質問を聞いて、ケントは思わず外の避難シェルターにいる人々を見渡した

そこにいるのは、近隣から逃げてきた民間人ばかりで、その多くが高齢者や病人、負傷者だ。消炎鎮痛剤は、彼らの間で貴重品となっている

今の時点で「サンプルを護送する」部隊を再編する余力は、どこにもなかった

汪婆さんは周囲を見回し、静かにため息をついて一歩前に出た

異常な侵蝕体の襲撃範囲は今も拡大し続けてる。サンプルの護送だけじゃなく、遵守してきた安全規定に従えば、この保全エリアの移転準備もそろそろ始めなきゃ

こうしようじゃないか。サンプルは私が預かり、私と牧羊犬で次の基地まで護送する。でも、移転作業はあんたに頼みたい……

下がりなさい

人間は頑なに前へと歩き、手にした箱をしっかりと抱きしめた

その場にいた全員の視線が集中した。中でもヴィラは、明らかに怒りをこらえている様子だった

ファウンス士官学校って、虚勢の張り方まで教えてるの?それは初耳だわ

何をわかったつもりになってるのよ。外の状況も、進めば自殺行為だってこともわかってて、それでもまだ行くっていうの?

もうたくさん。あなたが何と言おうと、絶対に――

事態に対処できる人はいないの?あれっぽっちの薬じゃ全然足りないし、あのバアさんは何度も車で人を運んでくるし……どんなやつを連れてくるのかわかったもんじゃないわ

こんなことすらまともにこなせないなら、決定権をさっさと私に譲りなさいよ……ホント無能なんだから!

誰?

怒鳴り声が、こちらにまで届いた。次の瞬間、少女がしょげ返った少年を引きずりながらカーテンを開けて入ってきた。後ろには汪婆さんに一緒に助けられた母娘がいる

少女は、自分の胸についたファウンスの徽章を指差しながら「命令」した

このふたりに聞いたわよ。これと同じ徽章をつけたバカが事故に遭って、あのバアさんにここに運び込まれたって。そいつを出して!

ファウンスは空中庭園直属の軍事学校なんだよ。生徒が地上で何かやらかしたとしても、本来はまず……

違います、その人が何か問題を起こしたなんて言ってません。事故に遭ったんです、事故!負傷したんですよ!

どいて、私が交渉する!

あれっ、君は……

バネッサとシーモンの動きが人間の前でピタリと止まった。顔中泥だらけの3人の学生は、互いに顔を見合わせた。ファウンスの校章が反射し、それぞれの瞳に映っている

…………

どうしてこいつなのよ!もう、どこまでも!

5分後――

……わかった、全部理解したわ

バネッサはサンプルに関する状況を聞き終えると、しばらく考えたあと、決断を下した

簡単な話よ。今から全員、私の指揮に従ってもらうわ

無能たちのために、もう一度状況を説明してあげる。私たちはこれから4つのことをやらなければならない

ひとつ、難民の避難。ふたつ、レイアって構造体が元凶を捕まえるのを待つ。みっつ、この役立たずの体に使った救命用テスト素材の回収と返却

よっつ、これは最重要事項よ。異常なパニシングのサンプルを、引継ぎ可能な保全エリアか研究所に届けること

最初のふたつは汪婆さんに任せるとして、私たちファウンスの戦力はサンプルの護送に集中すべきよ。最後にこいつのお腹に使った特殊な素材を届ける。それが最適解よ

さっき「バアさん」と呼んだかね、お嬢ちゃん?

……わからなかった人はいる?

わかった!

……承知したよ

シーモンはゴホゴホと数回咳き込んだ。彼の体は傷だらけで、手首にはギプスがはめられており、見るからに調子が悪そうだ

バネッサは傲慢な視線を人間に向けた

役立たずでも理解できたようね

傷だらけの足手まといに、反論する資格なんてないわよ

そっちの人も、わかったわね?二度は言わないから

……

バネッサがシーモンを引きずって入ってきた時、ヴィラはサッとその場を離れ、姿を変えて現れた

汪婆さんはその一部始終を見ていたが、あえて何も言わず、ほんの少し眉を上げただけだった

もっとマシな作戦を出してくるかと思ったら、死亡直行プランとはね

私の指揮官ちゃまが「手柄」を独り占めするのが気に食わない?その作戦に関わって命を落とすかもしれなくても、首を突っ込みたくて仕方ないのね

私に言わせれば――「そんなことする必要ある?」。体裁とか名誉が、あなたは命より大事なの?

……まだ訊いてなかったけど、あなた、どこから湧いて出てきたの?「ドッグ」だっけ?

あいつの頭がおかしくなろうがどうでもいいけど、私たちは違う。今回の実戦試験に「構造体の配備」がなかったのは知ってるわ。あなたの方からすり寄った?怪しすぎる

でも、彼女は本当に[player name]を助けたんだよね?

私、見たよ。赤い髪のお姉さんがこの人をずっと引っ張って歩いてたの。いい人だよ……あれ?お姉さんの髪……

シッ、子供は黙ってなさい

もしかしたら、構造体配備は[player name]だけの特別措置なんじゃない?成績優秀でずっと上位だから、特別任務や特殊訓練を受けてたっておかしくはないよ……

卒業試験はまだ終わってないわよ。あんな全身傷だらけのやつがもう「首席」決定だなんて思ってないわよね?従兵をつけるにしても、もっとマシなやつにするべきよ

ちょっと――

わかった風な……[player name]の実力は、君も知ってるよね?君たちはいつも成績が肉薄してたけど……君はいつも「あと一歩届かない」じゃないか

……あんたを助けて心底後悔してる。手首を折ったまま侵蝕体に噛まれて死ぬのがお似合いよ

バネッサ……

痴話喧嘩は犬も食わないって言うわよ――

そうですね。時間もありませんし、本題に戻りましょう。[player name]はどう思いますか?「ドッグ」さんについて、あなたの意見を聞かせてください

出自の怪しいやつを庇うなんてどうかしてるわ。「テスト素材」が何なのか、誰も知らないし、私は聞いたこともない。あんた、実験体にされたんじゃない?

仮定で人を攻撃するのはやめなよ……ああ、僕、もう限界だ。[player name]、もしそのサンプルの護送をするなら、僕も同行します

ヴィラは目を閉じ、少年少女の言い争いにウンザリした様子を見せた

無意味な口論はおしまい。もう付き合いきれないわ――

まだ最後の手があるわ。これを使うのよ

上品な顔立ちで、家柄も素行もよさそうな少女は、あろうことか「ジャラッ」と音がする銀色に輝く手錠を取り出し、ヴィラに近付いた

今ある情報だけでは、彼女が敵か味方か判断できない。しっかり拘束しておくのが賢明よ。手伝って、彼女をここに繋ぐから。一緒に行動させるわけにはいかない

バネッサ……!失礼にもほどがあるよ!一体どういうつもりなんだ?

シーモンは目を閉じ、絶望的な声を上げた

……

…………

ヴィラは何かを言う気にもなれず、冷ややかに笑いながら腕の金属関節を動かした。身のほど知らずな若造たちにほとほと呆れ、思わず笑いが洩れた

やってみればいい、できるならね――今までそれができたやつはいない。そんなもので私を拘束できると本気で思ってるの?

もちろん拘束はできないけど、肝心なのはあなたの反応。「お人形」は主の命令に従って当然でしょ?それを拒むなら、逆に問題があるって証明になるじゃない

ヴィラは自分の武器を勢いよく振り回した。それが彼女の最後の答えだ

おやまあ、ガキんちょたちが喧嘩を始める気だよ

1本のロープが、さっとヴィラの腰に巻きついた

ヴィラが振り返ると、人間が真剣な面持ちでロープのもう一端を自分の腰にしっかりと結んでいた

……またこんなもの、どこから出したのよ

人間は彼女を安心させるように、そっとロープを引いた

ふと、ヴィラはこの人物が何かを見抜いたような気がした

あなた、もしかして……

目を上げると、人間と視線がぶつかった

032号保全エリアのほど近くにそびえる廃ビルの屋上で、腰の曲がった影が陽の光を浴びながら、ある方向をじっと見つめていた

彼は短いメロディを口ずさんでいた。たった数節を、何度も繰り返している

{226|153|170}~

~Burn it all……

それ、何の歌?

ん?私にもよくわからない。昔、誰かに教わっただけさ。気に入ったか?

ちょっと上品な感じ。黄金時代の富裕層が歌ってそうなメロディね

……?ハハハハ……そうだな、まったく君の言う通りだ

老人はゆっくりと首を回し、屋上の端から近付いてくる少女を見た

下からよじ登ってきたのか?

上がってくる道は、全部あんたが塞いだんでしょ。だから、こうやって捕まえに来たの……ヘインズ!

……私を捕まえる?私はてっきり、君たちが頭を下げに来たのかと思っていたんだがな。残念だよ、君たちはまたしても選択を間違えたな

黄金時代には自己進化を禁忌とし、パニシングが爆発したあとは、それを禍々しい災厄だと恐れてきた

なぜ豚や犬どもは、積極的な変革こそが正しい道だと理解できないんだ?

何ブツブツ言ってんの?

……

目の前の構造体には、自分が語る壮大な偉業は理解できないのだと気付き、ヘインズはしばし黙り込んだ

彼はふと、かつて同じような会話を交わした赤髪の少女のことを、少しだけ懐かしんだ

……いや、いい

いずれにせよ、神の使者が私にパニシングの正しい使い道を示してくれた。君たちの愚かな行動など、私には何の影響も……うぐっ!

レイアはヘインズを蹴り飛ばし、会話を終わらせた

何にせよ、そんなひねくれたこと言うやつにロクなのはいないわ。じゃなきゃ、どうして予知能力者みたいに、研究所から逃げ出してたの?

言いなよ!パニシングのサンプルはどこ?まだあの研究所にあるんじゃないの?

ゲホッ、ゲホゲホッ!もう誰かが持ち去った!

……!彼らが成功したんだ!よかった

レイアは手早くヘインズを棒のように縛り上げると、肩に担ぎ上げた

私の任務もちゃんと果たさなきゃ。今からあんたを連れて帰るけど、道中、静かにしてなさいよ

痛いな、ちょっとは手加減してくれ。逃げたりしない!逃げるつもりなら、とっくに姿をくらましている!

強情ね……じゃあ、ここで何してたのよ?

ここは一番高いから、遠くまで見渡せるんだ

レイアの動きがふと止まった

この混乱を楽しんでたってこと?

当たり前だろう。神に私の努力を見せねばならないし、自分でも私の努力は無駄じゃなかったと確認したかったからな

ハハ……名もなき廃墟を越えてきた英雄が、最後に頂から生涯を振り返るようなものだ

君はどの保全エリアから来た?あの子たちの移動速度を考えれば、まだ無事なのは062号保全エリアくらいのはずだ

ヘインズは自分が築き上げた「危険な王国」にすっかり酔いしれ、地上の愚かな「家畜」たちを嘲笑うように声を張り上げた

……ヤバッ!

062号保全エリア内では、ヴィラがふたりの腰に結ばれたロープを見つめながら、喉に魚の骨が引っかかったような苛立ちを感じていた

……このバカ……

牧羊犬

ワン!ワンワン!

慌ただしいやり取りすら終わらぬ内に、牧羊犬の切迫した鳴き声が皆の注意を引いた

……思ってたより状況はよくないみたいだね

汪婆さんがライフルを担ぎ、外へ出ようとカーテンをめくった途端、難民たちがざわつき始め、彼女とケントの前に殺到した

侵蝕体がもう保全エリアに侵入してきたんだ!こっちに向かってる!

もう!?レイアもまだ戻ってないのに、今の戦力じゃ難民の避難誘導すらできません!

ヴィラは外の混乱を見つめ、深く息を吸い込んだ

……こんな、たったひと言すら最後まで言い終えられないクソみたいな状況、もうウンザリよ

おままごとは終わり、後で全部説明するわ

でも、今は……

そう話す間に、すでに双頭の槍を手にしていたヴィラも、人間の手を引いてカーテンをめくって外に出た

しっかりついてくるのよ!

ヴィラの足が一瞬止まった。ロープで自分と繋がっているその人間が、一瞬で何か変わったことを、彼女は鋭く感じ取っていた

外見はまったく変わっていないのに、急に青臭さが消え、代わりに大人びた成熟さと、彼女が見たくなかった……疲れの色が見えた

……

だが、彼女にあれこれ考えている暇はない

彼女でさえ認めざるを得ない時がある。自分はずっと「たったひと言すら言い終える時間がない」状況に置かれ、運命に追い立てられ続けているのだと

がむしゃらに走り続けなければ、運命に追いつかれる。だからこそ彼女は疲れ果てるほど走り続けてきた

ふと思うことがある。何があっても必ず「いいよ」「わかった」「大丈夫」と言ってくれる人間と、ゆっくり話す時間が欲しい、と

黒野メンバーとして計画を打ち明けるだけじゃなく、もっと別の――自分の未来や、この奔走の終わりがどこにあるのかを話したい。この人間なら答えをくれる気がした

行きましょう