<size=40>これは、必ず成し遂げねばならぬ任務だ。しかしほんの一瞬、彼女の心に迷いが生じた――</size>
<size=40>これほど時が経過した今、再びエレノアと対峙した時、彼女はどうするべきなのだろう?</size>
すぐ側で銃弾が炸裂した。耳鳴りと眩暈が、シュエットの意識海の安定度を脅かした
くっ……
リーダー、もう撤退しなければ!!
喉が裂けんばかりの叫び声が、彼女を朦朧とした意識の中から引き戻した
隊列を乱さないで!
正面約30mの地点に、機械の亡者と侵蝕構造体が不気味な大軍を形成していた
彼らの全身は非常灯の深紅の光に染まり、血の痕と油汚れの区別すらつかなくなっていた
……!!!
縦列隊形!左の壁沿いに通路を撤退!交戦をやめ、無駄な戦闘は避けてください!
その瞬間、数発の流れ弾が彼女のすぐ傍らをかすめ、金属の壁面のパイプに命中する。直後にパイプから濃密なガスが爆発するように噴き出した
イサリュス!デモン!
応答はなく、周囲では構造体兵士たちが慌ただしく応戦する銃声だけが響いている
彼女は喉元にある送話器の通信ボタンを押した
イサリュス?デモン?状況の報告を!
……広場へ……撤退、防衛線……構築……支援……待て……
極めて高濃度のパニシングは、敵軍の攻勢を激化させ、通信品質にも深刻な影響を及ぼしていた
繰り返す。広場へ撤退し、防衛線を構築。後方支援部隊を待つ。以上で間違いないですか?
間違いない
非常に短い返答が、通信チャンネルのホワイトノイズを押しのけるようにして響いた
了解
待って!あ……あの構造体は何!?
兵士の驚いた声に、僅かに生き残った者たちの視線が引き寄せられる
ダメだ!ガスのせいで視覚識別が完全に妨害されている!サーモグラフィを起動……
その瞬間、白い濃霧の奥から、刃が空を切り裂く不気味な音が響いた
……うぐっ……
彼は、喉から出かかった最後の言葉を絞り出すことすらできなかった。その胸部には深々とした傷が開いている
機械の心臓が激しく痙攣する。循環液がほとばしり、赤と青の細い流れを描いた
ただちに援護射撃!脅威を制圧せよ!
彼女は依然冷静だったが、目の前の光景にハッと思考が止まった。倒れた兵士の胸に、カードの形をしたスローイングダガーが突き刺さっていたからだ
その武器を使える人物はただひとり
……ライフルの弾が尽きました!非殺傷弾に換……
仲間たちがそうだったように、彼女も最期の言葉を言い終える機会すらなかった
紫と黒の長いニードルが、彼女の体を貫く
ぐふっ……な、何……
唯一の生存者の目の前に広がっていたのは、あまりにも恐ろしい光景だった
濃霧はまだ晴れない。最初にシュエットの視覚信号に飛び込んできたのは、循環液にまみれた鋭利な棘状の突起だった
棘の背後には、きちんと巻かれた膜状の構造が広がっていた。そこからは何の脅威も感じられず、ただ、繊細な模様が格調と優雅さを主張しているだけだった
しかし紫と黒の先端は、構造体兵士の腹部の中に消えていた。裂けた装備、破れたバイオニックスキン、飛び散ったパーツは、壊れた人形の詰め物のようだ
それは折り畳まれた日傘だった
ごめんなさい、私……
ほとんど本能的に謝罪を口にした。これは彼女の責任ではないが、瀕死の構造体が痙攣する音を聞いた時、それ以外に何を言えばいいのかわからなかった
日傘が破れた人形の体からずるりと引き抜かれる。人形は床に散乱した詰め物の中に崩れ落ちた
唯一の生存者と日傘の持ち主の間にあった最後の障壁が、ついに崩れ去った
まあ、なんてこと……
本当に本当に……本ッ当に久しぶりね!
5年?それとも10年?ふたりともはっきり思い出せなかった。だが正確な年数を遡れば、必ず誤差が生じるだろう。長い年月の中で積み重ねられた閏年の分の日数が
日傘の持ち主は、手にした武器を杖のように壁に立てかけた
離反構造体に告ぐ。ただちに武装を解除し、自分の所属を言いなさい
シュエットもカービン銃の銃口を地面に向けた。だが、もう片方の手は、装填済みの拳銃をしっかりと握り締めていた
離反者?ここは空中庭園よ、何を言ってるの?
彼女は協力するように、完全に無防備な姿勢で、驚いたふりをしてみせた
……あれがあなたの意思なのかはわからないけど、わかっているはずよ。アルカディア·グレート·エスケープの時、空中庭園へ行ったのは私だった
無機質な声には少しの動揺もない。彼女は昔話をしに来たわけではない――彼女が求めているのは、ただひとつの答えだ
あら?そっちの暮らしが、そんなに気に入らなかった?わざわざ私を追いかけて、こんなところまで来るなんて
私の標的はモンツァノよ。彼女が生産した構造体組織団が、昇格ネットワーク活動の温床になっている
私がその一員じゃないと思ったのはなぜ?
あるいは……実は最初から、私が自ら動いていたという可能性は?
それは私の任務とは関係ないわ、離反構造体
エレノア·シンクレアは公式記録上、失踪または死亡として確認されている
脅しているの?それとも、ひとりでモンツァノに挑むつもり?
貧相な手札のままこのゲームに参加するのは、自殺行為よ
実は、ちょうど叔母と決着をつけに行こうと思っていたところなの……あなたとお友達が来るには、少しタイミングが悪かったみたいね
彼女は自分の長くしなやかな指先をうっとりと眺めた。爪先はマニキュアで彩られることなく、剥き出しの殺人武器となっている
アルカディア·グレート·エスケープの時から、エレノアは自分からモンツァノの支配を受け入れていた。なぜなの?
支配?あんな子供騙しの支配を受け入れたって?
目の前に立つ人物の言葉は、彼女にとって侮辱的だったようだ
私が見抜けないとでも思った?あの大型宇宙航空機とやらが、ただホログラムスクリーンを仕込んだエレベーターの籠にすぎないことに。あの時の叔母の顔、覚えてるわ……
ガラスに映る自分の姿の方が、あんなお粗末な映像より、まだリアルだった!そんな嘘でも、贅肉まみれの貴族たちを騙すにはちょうどよかったけど
それに地上任務で使われていた、いわゆる輸送機ってやつも、同じような茶番だったわね
でもね、そうやって侮られている時こそ、千載一遇のチャンスなのよ。わかる?
叔母は自分の秩序と、自分の常識しか信じない。だからその傲慢に寄生し、それを腐らせることこそが、私の最大の切り札なの
リリスは、まるで初心者に辛抱強く戦術の基礎を教え諭すかのように言った。だが口元に描かれる弧の後ろに、悪意が蛇蝎のごとく隠れている
本物の空中庭園に行き、新たに出発する度胸など叔母にはない。ただ、自分の地下王国で時機を待っていた。でも彼女のような人間は、過去のしがらみを簡単に手放せない……
だからこそ叔母はあなたを黒野へ送り込み、両方に足場を築こうとした。でも残念ながら、災厄の影響は彼女の予想以上だったの。あなたとの連絡もすぐに途絶えたでしょう?
そういえば……黒野であの「真相」を探っていたみたいだけど、答えは見つかった?
彼女は満足そうに、奥の手となるサイコロを会話の中に投げ込んだ
……その話に触れないで。そんなことする必要はないわ
必要ない?なぜ?黒野はロスウォットを見捨て、モンツァノの手を借りて彼を排除した
だから、あなたが自分で言ったように、標的はずっとモンツァノだったわけよね
あの郵便物を見たのね。なら、あなたも事実はそうじゃないってわかってるはず
手紙には、諜報拠点が切り捨てられたとあったわ。理論上、私こそがロスウォットを処理すべき人物だったはず
モンツァノの側に潜伏するのは、その指令の次の段階にすぎない。それが、実行犯がモンツァノだったという証明にはならない
そう?なら、シュエットの調査結果を少し聞かせてくれる?
彼女は興味深そうに微笑み、唇の端を軽く舐めた
……もうどうでもいいの
そんな軟弱な覚悟で、モンツァノを排除できると思っているの?答えはわかってるでしょう。さあ、言いなさいよ!
リリスはのしかかるように足を踏み出した
武器を振るうことなく、ただ態度と声だけで、シュエットの最後の善意を削り取っていく
私の標的はモンツァノよ、過去のことは関係ないわ
言いなさい!
彼女は少し苛立った――明白な真実から目を背けることは、相手の最大の弱点に見えた
例えば、真の黒幕。例えば……「エレノア」の本質
……エレノア、やめて
エレノア·シンクレアは死んだ。そう言ったのはあなたよね?
……
あなたが1秒無駄にする度、モンツァノの手先どもはあなたたちの部隊に、更に損害を与えているのよ
シュエットが受け入れる唯一のロジックが任務の遂行だというなら、リリスは最後の一撃もそこに委ねることにした
……私の最後の頼みよ、やめて
彼女はゆっくりと顔のマスクを外した
何をやめろって?言葉が曖昧すぎるわ。これの何が頼みなの?
リリスはもう、これ以上我慢できなかった
彼女は背後から裁ち鋏を引き抜き、シュエットに差し出した
刃の表面には、何かの汚れが酸化した錆が残っている。それでも銀白色の刃が放つ微かな光を覆い隠すことはできなかった
なら、私が代わりに答えてあげる
最初から、全てわかっていたんでしょう?
イブの夜、街角で洋装の少女にぶつかり、郵便物を地面に落としたわよね?
小さなスパイさんは、郵便物に私の指紋しかついていないことに、すぐに気付いたわね?
シュエットは銀色の裁ち鋏を胸の前に当て、ゆっくりと目を閉じた
彼女の体には、もう人間の定義する食道や胃腸は存在しない。それでも、意識海に最初に浮かぶのは、空腹を満たす温かな食べ物だった
そして、1枚のコインと、拘束具を必要としない安眠
しかし同時に、厳しい訓練と軟禁の日々の記憶もはっきりと思い出せる
全てを知っているのに、それでも一緒に行こうと誘うのね
それはなぜなの?自分の運命を本当に掌握できないことへの恐怖?
よくよく考えた結果、軍部や黒野に支配される生活の方が、モンツァノみたいな偏執的で狂った中年女に支配されるより、マシだと判断した?
リリスは笑みを絶やさなかった。口元の弧は消えない塗料のように、彼女の唇に留まり続けている
あなたも、同じ苦しみを味わってきたはずよ……でも、人には目標が必要なの。それを信じることで、苦しみが無駄ではなかったと思える目標が
背後から嘲るような笑い声が響いた
苦しみは常に2種類あるのよ。ひとつは人に力を与えてくれる。もうひとつは無意味で、ただの苦痛でしかないものよ!
私、無意味なものには我慢できないの
更に吊り上がった口元の弧は刃となって、かつての仲間の心を抉るように突き刺さった
空中庭園で任務に就いていたなら、「不死身のロイ」の噂を聞いたことがあるでしょう?
それは私の任務とは無関係よ。軍のプロパガンダなんかに興味はないわ
でも、それが軍部が作り上げた目標でしょう?「信じろ。信じることこそが君たちの力になる!」ってね
リリスは滑らかにラジオの口調を真似てみせた
多くの人は、希望を頼りに生き延びるものよ
じゃあ、シュエットの希望は何?任務をこなすこと?任務、任務、任務……それだけ?
これ以上先のことを考える必要はないわ。パニシングの爆発だって、誰も予測できなかったもの
じゃあ仮に、偉大なる空中庭園が愛しき母星を奪還したら?その次は?
あの裁縫師の遺骨を探して、本物の葬儀をあげるつもりなの?
彼女の言葉には明確な含みがあったが、シュエットはそれを断ち切るように目を開いた
この再会は、決して引き止めるためのものではない。むしろ、墓地に墓石を据えるようなものだ
もしあなたが私を憎むのなら、それはあなた自身を憎んでいるのと同じよ
リリスの声は地の底を這うようだった。舌をチロチロと出しながら、襲いかかろうと機を窺う毒蛇のように
私たちは本来、脳を抉り取られるはずだった人間よ。そんな使い捨ての消耗品に、この世界が少しでも善意を向けると思う?
この世界は私たちを蔑み、見下している。私の親愛なる叔母様のようにね
彼らは軽蔑の中から、富と権力を搾り取る。私が捨てられたボロ雑巾から絞り出した汚水、それがパニシングよ。彼らが軽蔑し、恐れるもの……
でもそれは、私に力を与えてくれるものでもある
あなたは、その雑巾を拾い上げ、綺麗に洗い上げ、高く掲げようとしているの
それが任務であり、目標。いつか生活が元通りになるという幻想の象徴でもある
私と何が違うの?あなたの選択の方が、理にかなっていると?
常識は、弱者が真実を隠すために使う目隠し布にすぎないわ、ただそれだけのものでしかない
進化から逃げた弱者に残されるのは、絶滅への道だけよ
彼女は最後の言葉をゆっくりと吐き出した。それは、シュエットに対する失望ではなく、むしろ最後の善意だった。彼女は自分の動機を示そうとした
私は誰のことも憎んでいないわ。感情は任務中にあるべきものじゃない
私はまだ、果たさなきゃならない任務があるの
理解と受容は、同じ概念ではない。ふたりの道が分かれていることは昔からわかっていた。しかし彼女は、記憶の奥底に絡まる結び目が、どのように形成されたのかを理解した
彼女には、もう悔やむべき価値のあるものなど何もない
ずいぶんと大口を叩くようになったじゃない。その点だけは少し成長したのね
どうやってモンツァノを始末するつもり?選択肢はひとつしかないんでしょう?
手間暇かけて私を探しに来てくれたことだし、お礼にちょっとくらいなら手を貸してあげてもいいわよ
でも……私は「離反構造体」なのよね?粛清部隊隊員のあなたが、私に1発も撃たずに撤退するの?
モンツァノが開発した構造体は、内蔵型遮蔽装置を搭載した使い捨ての消耗品よ
でも、あなたも知ってる通り、私はそんな滑稽な装置に頼る必要はないの……
リリスは更に1歩、ぐいとシュエットに迫った
そして、私は使い捨てなんかじゃない!
さあ、あなたの任務を果たしなさいよ。粛清部隊の隊員さん!
彼女は、シュエットが身動きできないほど壁に押しつけてきた
彼女の期待通りに、密閉された空間で火薬が爆発し、轟音が廊下に響いた。腹部に、快楽ともいえる痛みが広がっていく
ふ……ぐぅっ……ハ……ハ……
リリスは狂喜したように鼻腔から息を噴き出した
高性能の弾丸が体内の混沌を解き放ち、パニシングを抑え込んでいた最後の拘束も粉々に粉砕した
深紅の光が彼女に押し寄せる。篩の網は極楽の洗礼のように、周囲の空気を巻き込みながら、彼女の魂の奥深くへ流れ込んでいった
……これが、私からの最後の贈り物。モンツァノを排除しに行って
シュエットは至近距離で撃った銃口を下げた
その崩壊と堕落は、無数の恐怖と闇を伴っていた。だが今、それは金属の床に転がる熱を帯びた薬莢となった。取るに足りず、二度と思い出されることもない
恐怖であろうと狂気であろうと、もう重要ではない
共通の目標の下、彼女は決意した。最後にもう一度だけ、リリスを信じることを