Story Reader / 叙事余録 / ER08 追憶のピリオド / Story

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ER08-8 救いとは

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輸送機は安定した飛行を続けていた

機内のほとんどの人が疲れて目を閉じ休んでいたが、メルヴィだけは一瞬も目を逸らすことなく、斜め前に座っている女性を見つめていた

九龍らしい顔立ちに、銀白色のストレートヘア。まだ若そうなその女性は、腕に小さな赤ん坊を抱いていた

メルヴィにも弟妹がいる――パニシングの災難で皆、行方不明だが。だから赤ん坊がこんなに長時間ピクリとも動かないのはおかしい、と彼女は知っていた

眠れ、眠れ……

女性は小舟を優しく揺らすようにおくるみの中の赤ん坊を揺すっている

その手は赤ん坊をポンポンと優しく叩いているが、動作がどこかぎこちない

(赤ん坊の世話は初めてなのかしら……?)

メルヴィは彼女の様子を心配そうに見ていたが、ついには手伝いに行こうと決心した

あの……

……

斜め前の女性は怪しむように頭をかしげてメルヴィをチラリと見たが、何も言わなかった

ちょっと休んだらどう?その間、赤ちゃんを代わりに抱っこしましょうか、私にも弟や妹がいるから慣れてるの

私はメルヴィ。あなた、輸送機に乗る前からずっとつきっきりでしょう……

ありがとう、大丈夫――あっ!

輸送機が突然揺れ、機内の人を揺さぶった。赤ん坊をギュッと抱きしめた女性の体をシートベルトが引き戻す

腕の中のおくるみがめくれ、赤ん坊の顔が露わになった

恐らく家族とともに爆発に巻き込まれたのだろう。体には砂利で擦った痕があり、まだ無傷の皮膚も異様な赤みを帯びている。どうやら高熱が続いているようだ

これは!?

メルヴィの驚きの声を聞いた機内の人々がそちらを見た

銀白の髪の女性は震える両手で慌てて赤ん坊をくるみ直した

傷口は輸送機に乗る前に処置したわ。この子は重い病を患っているの

この子はまだ生きてるわ。資格もない……使えるのはこの子の父親の資格だけ

女性は力なくうなだれた。ひどく疲れているようだ

この子は空中庭園に行かなければならないの……

……この子を救わせて……お願い

……

メルヴィも、輸送機で会ったあの母親とまさかこんなに早く再会するとは思っていなかった

こんにちは、コカ生物研究所から来たメルヴィです

メルヴィはスタッフが確認できるよう、胸の名札を机の前に置いた

差し出された別の青白い手も、名札をそっと置いた

九龍負屓研究所の万緒です

……前に輸送機で会ったわよね。あなたも構造体関連の研究プロジェクトに?

女性は軽く頷いた

また会えて嬉しいわ

あなた、九龍の出ね?九龍に、この分野のプロジェクトが多いとは聞いたことがないんだけど、あなたは具体的にどんな分野の研究を?

人の脳……及び構造体意識海リンクに関するものよ

メルヴィはそれ以上質問しないつもりだった。だが万緒の顔に浮かんだ見覚えのある疲労の色に、あの日の赤ん坊のことを思い出し、訊ねずにはいられなかった

お子さんは?面倒を見てもらえる人は見つかった?

子供の話になると、万緒は少し悲しげな表情になった

……お気遣いありがとう。あの子はスターオブライフにいるわ。まだ目を覚ましていないの

あの子はまだ小さいから、持ちこたえられるかはわからない

……ごめんなさい

万緒は穏やかに、だが他人行儀に首を振り、そのまま作業エリアへと歩いていった

パニシング爆発以来、人類の地球奪回戦線は次々と敗退していた。生身の体ではパニシングの侵蝕に耐えられず、より強力な兵士を戦場へ送り込むことが急務となった

科学者たちは灯りを掲げ、黄金時代末期に提唱された命題――「構造体」に深く踏み込むことにした

小さな進展は彼らが掲げる灯りのように、暗い洞窟の中で弱々しくも光を放ち、道を指し示した

その方向へ最初の一歩を踏み出したカノン博士は、学生たちを率いて月へ向かい、月面基地で構造体の核心である「逆元装置」に関する研究を始める

かたや意識海に関わる技術も極めて重要な要素であり、最も多くの研究員を惹きつけていた

この1年で、世界各地から研究者たちが最も安全な場所、エデンへと送り込まれた。科学理事会と地上にある各地の研究所は構造体意識海に関する共同研究を進めた

研究は非公開だったが、人類の意識、意識データの変換、構造体意識海、意識の複製……そして意識伝送等の全てを「石刻」として、先駆者たちは洞窟に刻んだのだ

「石刻」はやがて史実となり、初期の構造体技術の研究過程を物語るものとなった

戦場での構造体の損傷率は非常に高い。このデータによれば戦場への正式投入後、普通構造体の平均損傷率は僅か1カ月で43%にも達しています

構造体は人間の兵士よりも強力な戦闘能力を持つとはいえ、損傷率が高すぎればコストの無駄のみならず、パニシングの侵蝕や意識海の偏移で新たな敵になりかねません

遠隔コネクトシステムを試しましたが、意識海を安定させる効果は極めて限定的であり、リンクした一部の者には深刻な意識の損傷が見られました

パニシングに対する逆元装置の抵抗力強化、機体損壊時の構造体意識データの保存、構造体との安全かつ効率的なリンク制御の実現――早急にこれらの技術向上が必要です

議員は片隅に目を向けた。そこには科学理事会の代表が座っている

逆元装置はさておき、構造体の意識海に関して科学理事会がプロジェクトを立ち上げて、どのくらい経ちました?科学理事会は、現段階の研究進捗と成果を公開していただきたい

意識伝送を例に挙げるなら、私の知る限り、現在できるのはせいぜい意識海の分離で、汎用化はまったくできず「伝送」のレベルにはほど遠い。他のプロジェクトはどうなんです?

万緒、私たち「行き詰まってる」わね

――適当な実験体がいないし、手元にあるデータだけでは進展なんて見込めない

万緒はしばし考えた

前に第3チームが「特殊構造体」の意識海状況を観察した時、実は何か手がかりを見つけたらしいわ

「特殊構造体」?

万緒はあるデータを表示させた

あなたは知らないかも……「特殊構造体」とは幼少期に改造された構造体のことよ。前回の交流は私が行ったの。実験の詳細とデータを持ち帰ったから、見てみて

……何ですって?

改造された時、彼らの大半は脳の発育が未成熟だった

第3チームがコネクトシステムで彼らとリンクを試みたの。現時点の結果は、彼らは人工的なデータへの同期の「拒絶反応」が少なく、リンクもより安定していた

彼らの意識海は、新しい意識リンクの方法や意識海の偏移治療等さまざまな研究分野の土壌になるかもしれない……すでにそれに関する仮説を立てている人もいる

現在、彼らは最も優れた実験体よ

メルヴィの表情は次第に険しくなった

ダメよ、万緒、まさかあなた……

万緒はデータ資料を閉じた

考えすぎよ。私はまだ意図的に実験体を製造するほど正気を失ってない

今プロジェクトチームが接触できる「特殊構造体」は、全員空中庭園が地上から召集してきた子供の構造体よ。その多くはまだ精神的に未成熟なの

後から学習で補っても、彼らの多くは意識海の偏移を避けるために一生その体のままでいさせられる。恐らく、将来的にも自己認識を確立するのは難しいでしょう

科学理事会はこんな非人道的な改造を許さないし、関連実験もすでに全て却下されている

これはただのひとつの事実よ。別の方法で実験を進めることを考えないと

待っていられる状況じゃない。このまま実験が進まなければ、奇跡でも起きない限りプロジェクトチームと地上の実験室は解散よ。すでに予算をカットする提案も出てるし

もし本当に解散したら、あなたはどこへ行くつもり?

どこだっていい。意識海の研究さえ続けられるなら

ねえ、どうしてそんなに意識海の実験にこだわるのよ?

バンジのためよ

万緒はためらうことなく答えた

……「バンジ」?あなたの子供?

万緒と知り合ってかなり経つが、万緒が自分から子供について話すのはこれが2度目だった。その子の名前も初めて知った

ある考えがぼんやりと浮かんだ

まさかあなた……実験を利用して……彼を目覚めさせる方法を探しているの?

……

でも、構造体意識海と何の関係があるの?人類医学の専門家に頼むべきでしょう

万緒は立ち上がり後ろの操作台へ向かった

おしゃべりは終わりよ、仕事をしなきゃ

正式な解散の前に、地上の研究所からの実験データを整理しておきましょう。私たちが使えなくても、未来の研究者たちの参考になるわ

万緒とのあの会話から数カ月がすぎた

科学研究は順風満帆ではなかった。むしろ反対に――最後の数カ月間、夢に見た「奇跡的な突破」など起こらず、皆はただ実験の停滞をはっきりと実感しただけだった

「失敗」といっても過言ではない

解散の噂を知って自分から去る者、次の身の振り方を考える者もいる

地上の情勢も極めて厳しい。地上の研究所は自衛手段を持てど、依然パニシングの脅威から逃れらない。空中庭園と連絡を維持できる研究所は次々と減っていった

日に日に少なくなるデータからも、これらの研究所がもはや維持困難な状況であることが見て取れた

ある研究所が現在のデータを一度に全てアップロードした直後、突然そこの全員が犠牲になったという知らせが届いたこともあった

残された人々の間に重苦しい雰囲気が広がっていく

こちら万緒、本日の最終連絡を行います。後ほど、各研究所からのデータを回収します

万緒は残っている数少ない地上の研究所と連絡を取っていた。人手不足のため、各研究所とのやり取りも彼女自身が行わなければならない

通信からは「ザーザー」という雑音だけが響き、遠く地上にいる人々も黙々と最後の仕事を処理していた

不穏な顔つきのメルヴィがやってきて、万緒の肩を軽く叩いた

万緒、北極航路連合の端にある研究所との連絡が途絶えたわ。関連情報をあなたに送るから確認してみて

その座標が侵蝕体の襲撃を受けたという報告はまだないけど、さっき何度か通信を試みたら全部失敗した

軍部がまだ通知してないのかも。先に今月彼らから送信された実験データを全て確認して

彼らの研究所のデータは私が集めて処理したわ。最近はずっとデータも良好で、残っている研究所の中でも一番優秀だったんだけど……

メルヴィがいくつかのデータ報告を表示すると、万緒はすばやく最後のページまで画面をスクロールした。そして、ある数行を読んだ彼女の動きがふと、止まった

……?

万緒は突然眉をひそめ、しばらくデータを見つめたあと、前のページの具体的なデータを確認し始めた

彼らの実験体の意識海、すごく安定している……質がよすぎるわ。新型リンク試験の要求にも達しているレベルよ

そうね、最近では数少ないグッドニュースね

彼らの実験体はどこから?

え?同意書にサインをしてもらった志願者のはずだけど

……

万緒?

万緒は深く考え込んでおり、メルヴィに呼ばれてハッと我に返った

……このデータは保存しましょう、後々役に立つわ

わかった。私は引き続き彼らの安否確認を続ける

その必要はないわ、メルヴィ

空中庭園の内部通信が入った。このチャンネルからいい知らせが来ることはほぼない

地上偵察員からの連絡です。北極航路連合にある研究所が侵蝕体に襲撃されました。研究所内部の実験体は全て侵蝕され、すでに処理されました。研究員も全員……

「すでに処理された」という言葉を聞いたメルヴィはゾクッと震えた

内部資料はまだ手に入る?

緊急移送で、偵察隊が研究所から連れて帰れたのは1名のみです。輸送機がちょうど港に着いたばかりで……えっ?彼が空港を出た?消毒は受けたのですか?

すみません、少しお待ちください。確認してきます……ちょっと!!前から空港の出入りの検査はザルだって言ってるでしょう!?

メルヴィ、通信を終了して。彼らが実験体の詳細資料を送っているか確認してもらえる?

実験体の資料?あるわね、少し待って……実験体がどうかしたの?

もし彼らが解散を免れるために偽造していないのなら、あのデータは特殊構造体にしか表れないはず

……

……何ですって?

万緒の言葉を聞いて、メルヴィや背後にいた数名の研究員が万緒の方を見た

万緒は立ち上がって簡単に襟元を整えると、外へ出る準備をした

偵察隊が連れ帰ってきた人に会わないと

……ここにいる

薄汚れた身なりの中年男性が部屋に入ってきた。背後には彼の身元を慌てて確認しようとしているスタッフがいた

男性はもともと白衣を着ていたらしいが、空港で脱がされたようだ。今はボロボロの防寒服姿で、手にしっかりと何かを握りしめている

彼が広げて差し出した手の平には保存状態が良好なメモリーがあった。表面には血液なのか循環液なのかわからない、暗く赤い色の痕跡が残っている

私はケイローン、ゼレノグラード研究所最後の生存者だ

……

ケイローンの表情には悲しみと怒りが入り混じっていた。しばし彼を見つめていた万緒は、前置きなく単刀直入に訊ねることにした

あの実験体はどこから?

君たちが許可したんだろう?ことが起きたら、知らんぷりの責任逃れか?

私は……

ケイローンは驚いて言葉が出ないメルヴィをちらっと見やり、冷たく笑った

何だ?その顔は。今頃気付いたとでも言うつもりか。こんなこと、どの段階であろうと引き返せたはずだ

彼はメモリーを掲げた

実験が一向に進展しないまま解散など、彼らは……我々は望んでいない。実験には安定した意識海の素材が必要だ。だから我々は今、最も早い解決策を選んだ

我々は、君たちが先に提出した子供の構造体に関する意識海観察データを基に、10歳以下の子供たちを改造し、人間の意識を構造体の意識海に直接引き込むことを試した……

メルヴィは理解しがたい様子で口を開いた

「10歳以下の子供」?そもそも子供の構造体改造自体が間違いなのに。私たちの実験観察は、あなたたちが故意にそういう実験体を作るためのものじゃないわ!

私たちは本来、助けるための目的として――

君たちの「本来の目的」は、とっくに我々の手の中で刃に変わっていたんだよ

……

このメモリーを科学理事会に提出する。この中には、我々が行った非人道的実験の証拠がある。詳細が確認できない部分については、私も補足説明に協力する

解散させられるのは時間の問題だと思っていたが、私がこの件を突きつけることで、今後は本来の解散とは違った意味合いのことが起こるだろう

遥か遠くの成功よりも、私は目の前の事象に耐えられなかった……私の手で作ったこの地獄にな

彼は、自らに残った最後の良心を整えるかのようにボロボロの衣服を正した

そういうことだ。我々全員の結末は輝かしいものじゃない。もし科学理事会が公表することを選べば、汚名を背負うことになるだろう

第4チーム所属のゼレノグラード研究室はすでに壊滅し、子供たちを改造した主要メンバーも全員が死んだ

私は深くは関与していない助手のひとりにすぎない。君たちのような一般の研究員もまだ何とかなる、だが……

ケイローンは万緒を見たが、万緒は無表情だった

責任は私が負います。でも今は、他に訊きたいことがある

……話してくれ

本来なら、ゼレノグラード研究室付近で大規模な侵蝕体の襲撃なんて起こりえない。知りたいのは、侵蝕体が最初に現れた場所が、あなたたちの研究室内かどうか

……

……あなたが?

ハハ……私を非難したいのか?

自分がどんな実験に加担しているかに気付いた時から、私はすでに罪人だった。原罪がこれ以上増えようと気にはしない

彼は服を整えるのを諦め、到着した軍人に連行されていった

1カ月後、スターオブライフで廊下の突き当たりの病室の前に立っていた万緒は、自分の方へ歩いてくるメルヴィを見た

メルヴィの顔色は悪く、しばらくまともに休んでいないように見える

スターオブライフに転属したいんですって?

ええ、でもそんなに簡単な話じゃないの

他人を救うことで……心の中の罪悪感を埋めようとしているの?もう起きてしまったことよ、現実を受け入れなさい

どうやって受け入れろって?私にもっと知識があって、あのデータの問題をあなたに訊ねていれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに

ケイローンが持ち帰った映像資料を見たわ。あの子供たちは構造体に改造され、リンク実験で命を落とした

ただよりよい実験結果を求めるばかりに、子供たちを無理やり構造体に改造するなんて……私たちの実験は全て、人類の存続を最終目標にしていたのに……

なのに子供たちを犠牲にして、何が人類の存続なの?

メルヴィの問いかけに応えたのは万緒の沈黙だけだった

納得できないのよ

私もあなたも……このプロジェクトに関わった全員が罪を償うべきよ

……

メルヴィは重苦しい空気の中で冷静さを取り戻した

この話はやめましょう……もう口にしたくもないわ。それで?今日私をここに呼び出したのも、ただの近況伺いじゃないでしょ?

私は空中庭園を離れるつもりよ。地上の研究所で、私のしたい研究を続けてほしいという人がいるの

……だから、あなたにバンジのことを頼みたくて

メルヴィは深いため息をついた

それで私をスターオブライフに呼んだわけね……バンジは中にいるの?

万緒は病室の扉を押し開いた

入って

人工の陽光が廊下の窓から病室へと差し込んだ。部屋に一歩踏み込んだ時、メルヴィは一生忘れることのできない光景を目にした

これは……

小さな子供がベッドに「置かれ」ていた。病気や外傷で失われた皮膚や肉体が必死に再生している。多くの医療機器が体に繋がれ、かろうじて生命活動を維持していた

――それは極めて脆弱な命だった

彼の顔はサイズの合わない呼吸器に覆われていた。頭部には目的が皆目見当もつかないパッチがつけられ、メルヴィにも見覚えのある枕元の装置に繋がっていた

この子は生き延びた。でも、輸送機の中での様子はあなたも見たでしょう……スターオブライフの人たちは、一生目覚めないかもしれないと言ったわ

今はこんなに医療が発達しているのに、それでも無理なの……?

無理よ。現代のどんな技術でもこの子を救えない。あの時、私が全力をかけて掴んだのはただの抜け殻だった

納得できないの

万緒はメルヴィと似たような言葉を口にした

この子を救いたい。ある方法を思いついて、すでにこの子の体で試しているの

万緒はベッドの傍らに設置された装置を指差した

見覚えがあるでしょう?

まさか、このコネクトシステムに似た装置……それに、あの管や頭についているものも、全部あなたが作ったの?

ええ

……本当に意識海研究を利用して打開しよう思っているの?試してるって、一体何を?この子を構造体に改造する気?

いいえ……この子の状態じゃ、とても改造に耐えられないもの

万緒は苦し気な表情でメルヴィを見た

あなたが実現させたいのは、こういう形の「意識伝送」なの……?

……

万緒の沈黙にメルヴィはショックを受けた

どうかしてるわ!この子の状態が悪化するのが怖くないの!?

怖くない

怖さなんてとっくになくなったわ。メルヴィ、私がこの子にしてきたことは全部、一か八かの賭けなのよ

……どんな原理で?効果はあったの?

ごめんなさい、説明できないの。今は全て私の憶測でしかないし、まだ検証が必要だから

意識伝送プロジェクトの他のチームに、私はもう入れない。今回の地上でのチャンス……逃す訳にはいかないの

……

この子が目覚めたら、私の試みは成功したってことになる。だけど、もしこの子が長い眠りから覚めず、私も戻らなかった時……

この子を見捨てないでくれる?

どうして二度と戻ってこないような言い方をするのよ……

多分、本当に戻るつもりはないから。これは命懸けの旅だとでも思ってくれればいいわ……まだ、あなたに話せないこともあるの

……

メルヴィはふと、あの日の輸送機内での会話を思い出した

この子はまだ生きてるわ……

……この子を救わせて……お願い

あの時も今も、万緒は崖っぷちに立たされたようにメルヴィに助けを求めていた

かつてメルヴィは家族思いだった。パニシングが家族の命を奪った時、自分も今の万緒と同様、誰かにあるいは運命に、もう一度チャンスをくれと懇願するだろう

輸送機の中でおくるみに包まれた赤ん坊を受け取った時、涙を流したのは、腕の中に懐かしい温かさを感じたからではなかったか?

……どうすればいいの?

……

具体的に万緒があなたに何をしたかはわからない。私は彼女の指示通りに装置を維持していただけ……確かに装置に詳しい私はあなたの世話役に適していたわ

彼女が去って数年後、あなたは目覚めた。それだけよ

じゃあ目覚める前の、僕の記憶は……

そう、最初から最後まで私はあなたを騙したりはしていない。あれは本当に起こったことじゃなく、万緒があなたの中に作り上げた「夢」なの

目覚めたあなたは普通に話し、生活常識も身につけていた……最初は驚いたわ。万緒が本当に意識伝送を成功させたのか、別の方法で記憶を植えつけたのかはわからない

でも、そのことについて考える時間もすぐになくなったわ。その後に起きたことはあなたもよく知っているはずよ

バンジの脳裏に、自分に向けられた銃が浮かんだ

あなたの悪夢……それが侵蝕体のことなのはよくわかってる。だから、万緒がしたことは綺麗事じゃない。彼女はあなたを目覚めさせたけど、同時に危険をももたらした

私は意識伝送プロジェクトに関係していると睨んでるの。何者かがあなたや私の素性を調べ始めている。私が万緒と同じチームにいたと知って目をつけたのね。悪い兆候よ

だから、決めたの

メルヴィは苦笑いをして、まだ事実を受け止めきれていないバンジを見つめた

私は賢い人間じゃない。自分の家族を守れず、科学研究に大した貢献もできず、不注意から無実の子供たちを死なせてしまった……

万緒の考えですら理解できたことがない……私は、自分が正しいと思うことを全力でやるしかなかったの

あの時、考えていたのはあなたを守ることだけ。あなたを普通の子供として空中庭園で生活させてあげたかったから

だから、全てが夢だと嘘をついて、その話をさせまいとした。あなたを巻き込むあらゆる可能性からあなたを遠ざけるために。万緒からも、そして私自身からもね

……

ごめんなさい

小さい頃、あなたは私を頼りにしたでしょう?本来の私は必死に命を救う小児科医じゃない。私がしたことは全部罪滅ぼしよ。子供をひとり救う度に、肩の荷が少し軽くなる

あなたも私の贖罪の対象だった。強引に、あなたをまったく尊重しないやり方で……勝手にあなたを守っていただけ

輝かしい理由なんてないし、立派な人でもないのよ、バンジ

私はただ償いたかった、そして万緒の頼みを成し遂げたかった

メルヴィは深く息を吸った

幸いなことに、もうすぐ全てが終わるわ

……?

私は意識伝送プロジェクトにはもう関わっていないけど、いくつか噂は聞いてる。恐らく、意識伝送はすでに実現しているし、これから大規模に普及するかもしれない

皆があのプロジェクトに執着しなくなれば、あなたに向けられる「初めて特殊伝送を実現したであろう者」という注目も、次第に消えていくはずよ

あなたを怒りに来たんじゃないの

この数年であなたから受け取った57通のメッセージは、全部読んでいた。あなたから自由な選択を奪っていたこともわかってた

前半の言葉を聞き、バンジは涙が込み上げた

もうこれが最後のお願い……最後だけ、私の言うことを聞いてくれないかしら

メルヴィはまだまだ言いたくても言えない言葉がたくさんあるというように、じっとバンジの瞳を見つめた

あなたは大勢の人々にとっての「救い」なの

万緒は自分のしたことは全てあなたを生かすためだったと。だから――スターオブライフで目覚めてから今日までを、万緒があなたに贈った「第2の命」だと思って

私も同じよ、何か偉大なことを成し遂げてほしいなんて思っていない。ただ平穏に普通の人らしい生活を送ってほしいだけ

あなたはもう大人で、真実も受け入れられる……誰かが全てをあなたのために勝ち取ったと理解できるなら、それを無駄にせず、危険なことはしないでほしいの。ね?

……おばさんもシュトロールも、そう言うんだね……

育成センターに申し立て書を提出したって聞いたけど、撤回しなさい。ケイローン教授にお願いして、あなたのために推薦状を準備してもらったわ

…………

他人のことは気にせず、関わらないで。今あなたが進んでいる道は間違っていない。それは、あなたのために尽力した人たちが整えてくれた道なのよ

メルヴィは見慣れた小さな弁当箱をバンジの前に押し出した

バンジは蓋を開け、何年も変わることのない黒い物体を見た

無駄にしないで

調理法は何年も一切変わっていない。彼女は、安全だと思える日まで真実を頑なに隠し続けた。メルヴィは彼が出会った中で一番の頑固者だといえる

しかし、バンジはいつものように無理やり飲み込んで食べようとはせず、弁当箱を押し戻し――拒否した

……いいわ。おいしくないなら無理しなくていいの。バンジ、これが最後だから。これからはどんなことがあっても自分で決めるしかない

メルヴィは少年の反抗を受け入れ、これも成長過程の一部だと寛大に受け止めた

彼女は弁当箱をしまい、別れを告げて去っていった