痩せこけた人影がカーテンウォールの後ろに立っている。厚い防弾繊維が彼と窓の外の激しい銃火を隔てていた
彼の足下から数100m下方にある街の通りでは、機械警備員の隊列が捕らえた反乱軍の兵士を連行している
少し向こうの市街地では、銃撃戦がまだ続いていた
彼の目の前には、ヴェロニカから託された機械体のアレイコントローラがあった
「反乱軍を制圧せよ」というなんとも曖昧な命令……それは間違いなく、彼に多くの身勝手な決断の余地を与えていた
我は……死神
我は……そなたたちの征服者
Veni、vidi、vici……
全ての人類は、この戦争で滅びるだろう
彼の帝国は、赤く染まった世界の中から興るだろう
グレイレイヴンの助けを借り、難民たちは使われていない宇宙船の停泊ドックに一時的に身を寄せた
問題ありません。彼らはディミトリをとても信頼しています。確かに、連行された時は少し怒っていましたが、実際に彼を傷つけたりはしていません……
更に自分とリーフがこれは「作戦」だと伝え、難民たちをなだめ続けたため、彼らがユリアを敵視することもなかった
ユリアもこれは自分を守るためなのだと理解していたようで、反論しなかった
人々は一時落ち着いていたが、人数を確認している最中、難民の中で突然騒動が起こった
格納庫の反対側を見ると、皆の目が車椅子の少女に向けられている
ユリアはパンチカードを強く握りしめていた。周囲の騒がしさとまったく対照的に、その表情はとても落ち着いている
な……何だって?ディミトリが……どこへ行ったって?
彼は天国の橋に行ったって、今ユリアが言ったような……
ツノ頭に捕まったらディミトリが殺される!
ディミトリはエネルギーシステムの維持を担当していたから、リアクターの構造には詳しいが……
彼が同胞かどうかなんて、ツノ頭にコントロールされたあの機械体たちは気にしないだろう……
老人の言葉は積もった雪に撒かれた塩のごとく、ようやくの思いで積み重ねた和やかな雰囲気を一瞬で消し去った
ユリアは新たに加わった傍観者、リーフに気付いて視線を向けた
……混乱に乗じて、ディミトリはこれを残して行ってしまった
彼女は平静を装いながら、その穴の開いたカードをリーフに手渡した
びっしりと並んだ細かな穴が文字を形成している。これは明らかに機械体特有のメッセージだ
ユーリャサン:
39ハ航空システムノエンジニアダッタ。天国ノ橋ノエネルギーシステムノ維持ハ、私ノ設計当初カラノ任務ダ
私ハリアクターノ構造ヲ熟知シテイルシ、制御コアノ放射線量ニモ耐エラレル
私ガリアクターヲ停止サセルコトガ、発射ヲ阻止スル唯一ノ希望ダ
アナタノ許可ナク勝手ニ行動シタコトヲ、許シテホシイ
ドノミチ、私ノ記憶ハバックアップデキル。イツノ日カ、セージノ啓示ノ下デ、再ビ覚醒デキルト信ジテル
ソノ時、私ハ必ズ再ビ、ユーリャサンノ優シサヲ識別スルヨ
ソシテ仲間トシテアナタノ傍ニ戻ル
ソノ日マデコノ街ガ存続デキルヨウ、今回ダケ、私ノ勝手ヲ許シテホシイ
含英サンヤ空中庭園ノ客人ガ、アナタヲ守ッテクレルダロウ
短いその内容は、広い格納庫の中に重苦しいほどの沈黙をもたらした
すでに街中が戦場と化している。機械体が厳重に警戒する天国の橋に近付き、リアクターの制御コアに侵入して、手動でシャットダウンを実行するというのは……
あまりに非現実的だ
でも、含英さんがすでに天国の橋の中央制御室へ向かっています
ディマは含英さんを信頼してない訳じゃなくて……彼はただ傍観していられないたちなのよ
リーフは唇を噛んだ。もちろん彼女だってそれを理解している
だからといって、何があっても彼を死なせる訳にはいかない
少女の表情はずっと平静を保っており、心にどんな決意を秘めているのか想像もつかない
彼女はかけがえのない宝物を扱うかのように、そのメッセージを上着のポケットにそっとしまいこんだ
そして、両手で車椅子の車輪をギュッと握り、騒がしい難民たちの輪の中へと入っていた
皆、私の話を……聞いて
声は小さかったが、ユリアが話し始めると、難民たちはいつもの習慣で静かになった
今の状況は、皆も知っての通りよ
機械体に捕まったのは私のせいよ。本当にごめんなさい
彼女は車椅子の上で難民たちに深々と頭を下げた
ああ、皆わかってる。あれは「計画」だったんだろ?多少嫌な思いはしたが、少なくとも皆無事に戻ってこれた
そうよ、ディミトリがいなかったらここに何人残れていたかわからない。ツノ頭に記憶を消されてディミトリが馬鹿になるのを黙って見てるなんて、私たちにはできないわ
……ありがとう、皆
ユリアは静かに息を吐き、もう一度難民たちに感謝を示した
外の状況は含英さんが言ってた通りよ、皆も聞いていたわね
反乱軍がアレクセイを襲撃したせいで、ヴェロニカはすでに市内全域で人間を捕まえ始めてる……私たちだけじゃなく、市内全ての人間が連行されているわ
機械体は……もう人間と表面的な平和を維持するつもりはないみたい
でも……ここは私たちの街、私たちがこれまで生き延びてきた場所よ
都市の外には赤いパニシングが蔓延している。私たち、ここを離れて、一体どこへ行けるというの?
難民たちは小さくざわめいた
私は別の想いでディマを助けたいと思ってる。それは否定しない
でも、ディマを助けることは、私たち自身を助けることにもならないかしら?
もしここでただ生き延びるだけなら、その後の結末はふたつ
平和の仮面を剥ぎ取った機械体に絞首台へ連行されるか……ヴェロニカが天国の橋を起動し、空中庭園から降ってくる軌道砲で橋もろとも木っ端微塵になるか
皆……そんな死を望む?
ジャキッと銃をリロードする音が響き、その後も続々と音が続いた……
弾を込める音が静寂を破っていく
難民たちはいつの間にか敗北した機械警備員たちから押収された武器を取り戻し、再び武装を始めた
彼らの動きは反乱軍ほど統制されてはいないが、憎しみや鉄の規律で動く殺戮マシンよりも、ずっと活気がある
ハハ、そんな死に方、カッコ悪すぎるよな。リアクターに突入できなくても、あの狂った鉄クズどもをぶっ叩くことくらいはできるさ
ツノ頭の思い通りにことが進んでしまったら、私たちは本当に終わりよ
ずっと埋立地の隅に隠れていた時、寄生虫になったような気分だったわ
ワシらもこれまでにたくさん汚いことをしてきたが、生きるためだと自分に言い聞かせてきた
だが、この局面でまだ亀みたいに首をすくめて逃げ回るなら、地獄に落ちてから今の自分をぶん殴りに這い上がってくるだろうて……
難民たちは次々と装備を整え、リーフは自分の側に立って唇をギュッと引き結んだ
そうですね……
傍観者であっても、彼らの闘志を感じることができる
人間は卑劣で偽善的かもしれないが、それでも共通の「敵」に直面すると、団結し協力することができる
それじゃあ……出発しましょう
皆の準備が整った。ユリアの手にも一丁の拳銃が握られている
更に彼女は大きくて重たいキセノンランプも抱えていた。難民の誰かが手に入れたものだろう
この全てが終わったら、本当にやり直せるかもしれない。私たちの……新しい生活を
彼女は最後の言葉を噛み締めるように言った
埋立地の廃棄された鉄筋のシルエットの向こう、雪を被った昼間のビル群は、夜間になると自動点灯する照明が見えなくなっていた
実弾とビームの軌跡が濃煙に染まった空を切り裂き、大小さまざまな爆煙は、水溜りに飛び散る雨粒のように波紋を広げる。遠くの地平線からもくぐもった破壊音が響いた
この時、この小さな部隊はまだ、反乱軍を監視する機械体が完全に制御を失ったことを知らなかった
機械体が銃口と刃を人間に向け、慌てて迎撃に出た捕虜たちは短時間のうちに甚大な被害を受けた
血と炎の撹拌機が、肉片を絶え間なく無意味な殺戮の炉へと投げ込んでいく
暗闇は果てしなく、終わりは見えない
そして光を携えた少女は、たったひとりで危険に立ち向かう仲間のため、自分自身の聖戦を開始した