含英は身を潜めながら、先ほどまで静まり返っていた通りを進んでいた
輸送車部隊の動きやこれまでの事柄が危うい雲行きを示していたが、まさか対立がすでに武力衝突に発展しているとは、彼女も予想していなかった
街に入ってからほんの数時間で、状況は徐々に制御不能に陥りつつあった
工事用の機械体が機械警備員の指揮のもと、廃墟となった建物に侵入し、無差別に人間を捕らえている
働いていた人々は強制的に連行され、恐怖と混乱の中で、何が起こっているのか理解できずにいる
反乱軍が彼らの隠れ家を明かす訳がなく、ヴェロニカもまた人間に物資を集めさせる必要がある。突然天国の橋の工事を止めることはないはず……一体何が起きているのだろう?
……戒厳令ヲ実行中デス。人間ハ抵抗シナイデクダサイ。不要ナ手続キヲ増ヤサナイヨウ、ゴ協力ヲオ願イシマス
拡声器が大音量で命令を伝えていたが、すでに誰もいない通りではこの命令はどことなく滑稽だった
含英が充電ステーションの柱の後ろに隠れていると、屋内の人々の会話が窓を通して耳に届いた
【規制音】、鉄の缶詰どもめ、やっぱりこっちに来やがったか!ボスの方で不手際があって見つかったんだろうか?
潜伏は上手くいったらしい、裏切り者をこっぴどく懲らしめてやったってさ
あの空中庭園から来た指揮官が裏切り者とコソコソ何か取引していたのを、ボスが見つけたと
どうやらツノ頭は本気で頭にきたんだな。手下を使って俺たちや……あいつらを包囲しに来やがった
勝利への最初の銃声だ!どうせ遅かれ早かれ見つかるなら、もうやってやる!
何が起きたのかはすぐに解明されたが、それは含英が改めて情勢を見極めなければならないことを意味していた
おそらく反乱軍は最初からアレクセイを待ち伏せていたのだろう。そのせいで、交渉に向かった指揮官が誤解されたのか、あるいはその間に別の何かが起きたのか……
いずれにせよ、城主という仲介者を通じて事態を穏便に運ぶ努力は失敗に終わった
それは彼女の予想の範囲内だったが、ヴェロニカとの直接対峙を急ぐ必要が生じていた
だが、反乱軍はグレイレイヴン指揮官の安全を保障してくれるだろうか?
彼女の思いは、うらぶれた路地から聞こえる騒ぎによって現実に引き戻された
……休まず撃て!
ダメだ、数が多すぎる!まったく抑えられない!ぎゃあっ、腕が……!
くぐもった叫び声はすぐに機械体の動作音にかき消され、静寂が戻った
しばらくして、工事用機械体に拘束された反乱軍兵士たちが、機械警備員に連行されていった
雪嵐が都市を打ち壊すように、街の中や塀の向こうにいた人間の熱源反応が次第に消えていく。更に多くの機械体が同じような殲滅任務を遂行している
急がなければ
対話を試みようとしても、兵士たちは明らかに狂躁状態に陥っている。アレクセイが選んだ密談の場はすでに駆けつけた機械体に包囲されていた
防衛線を張れ!好きなだけ撃て!
重傷のアレクセイに構う余裕もなく、反乱軍のリーダーは慌ただしく機械体への対抗命令を下した。だが機械体の数は多く、すぐに怪我を負ったアレクセイを救出していった
クソッ……また逃げられた!
空中庭園のふたりを見張ってろ!
そうは命じたものの、次々と機械体が押し寄せる中で、反乱軍たちもこちらに注意を向ける余裕がない
あの機械体たち、どうして……
混乱した状況は徐々に収まりつつあった。機械体の目的は殺戮ではないようだ
彼らが実行しているのはおそらく逮捕命令だ。反乱軍の兵士を制圧すると、工場から次々と彼らを連行していく
この抑制された行動は、先ほどアレクセイが見せた狂気と鮮やかな対照をなした。逮捕命令を下したヴェロニカは、思ったよりも冷静で理性的な状態のようだ
……戒厳令ヲ実行中。抵抗シナイデクダサイ……
宇宙服姿の機械体が、同類とともに工場内へ入ってきた。彼の口調はとても低く、街中でよく聞こえる合成音を必死に真似ているように思えた
それによって状況を察し、ディミトリの言葉に素直に従って立ち上がる。リーフも静かに自分の後に続いた
ケッ!裏切り者と交渉するだと?馴れ合おうとした結果がこのザマだ!
自分が人間だってことを忘れるなよ!お前は人間なんだ!鉄クズどもに人間の言葉が通じるかよ!
気性の荒い中年の兵士は工場から連行される際、振り返りながら叫び続けていた
工場の外へ出たディミトリは、人混みに紛れて角を曲がった
そして、2名の「捕虜」をそっと連れて埋立地の方へと向かった
含英はさまざまな出会いの場面を想像した。掩体壕で、隠れ家で、あるいはグレイタワーを収容している礼拝堂のような聖域で
だがまさか、ヴェロニカは初めからずっとビルの屋上で全てを見ていたとは、思いもよらなかった
……やっと会えましたね、ヴェロニカ
私は教会から来た……
新しい「吊るされた男」……含英
九龍から来た機械体、新機体になってもお前には見覚えがある
教会で混乱が起き、グレイタワーとの通信が途絶えました。できれば、あなたに協力を願いたいのです
もしお前が教会からの客としてここへ来て、この茶番を傍観するつもりなら歓迎するし、観客席も用意する。教会の件については後で話そう
だがもしお前が手を出すというなら、私も容赦はしない
ヴェロニカの瞳に赤い光がちらついた
……なぜ人間たちを捕らえるのですか?
……お前も、やつらのために嘆願する気?
含英、お前は経緯を理解しているはず。人間が機械体を虐殺したとしても、まだ彼らのために許しを請うのか
ヴェロニカの冷徹な視線が突き刺さる。その冷たさは、窓の外の吹雪と比べるべくもない
もし私とともにこの真の新世界を築きたいと言うのなら、歓迎する。どうしても人間のために嘆願するというなら、何も言うことはない
新世界?
この都市は山頂に建つ塔のようなもの。私たちは真の新世界に触れようとしている
犠牲になった機械体の同胞たちはどうなるのですか?
機械体に来世はなく、死も存在しない
ですが、もし人間と機械体が本当に戦争を始めたら、必ずしも機械体が有利になるとは限りません。しかも、外にはパニシングが……
……
お前の立場は変わらないようだ
含英が話し続けるのを待たず、ヴェロニカはビルの屋上から飛び降りた
……ここが、本当に新世界なの?
激しい吹雪に立ち向かいながら、含英はつい先ほどまでヴェロニカが立っていた場所に立った。そこからは都市のほとんどが一望できる
機械体たちは今もヴェロニカの命令を実行しており、遠くではまだ戦っている最中の少数の反乱軍が見える。地面には機械体のパーツや人間の血痕が散乱していた
含英の思念は、旧機体がネヴィルの研究所で起動された、遠いあの日の午後へ戻っていった
教会は、機械体同胞を苦難から救い、助け合いながら、セージ様が導く未来へ一緒に歩むための組織です
今日も、世界各地にいる同胞たちは人間や侵蝕体、あるいはパニシングの脅威に直面しています……この点は、あなたもよくご存知のはず
ええ、人間の盲目的な恨みによって、私は今まで眠りについていたくらいですから
ですが全ての人間が機械体を敵視し、ただの道具だと思っている訳ではありません
人間への想いを持ち、人間と関わったからこそ今の私があり、生き続ける勇気を持てたんです
私は彼女と約束しています。あちこち旅をして「セージ·マキナ」を探し出し、機械体のプログラムをも越える「心」を探そうって
新世界が、こんなふうであっていい訳がないわ
電子記憶データしかなくとも、「生命」そのものは複製不可能な存在だ……人間であろうと、機械であろうとも
問題そのものが答えであり、たとえ魂に重さはなくても、機械体もまた「生命」の存在を感じ取ることができる
本当になくすべきは、盲目的な憎しみや無秩序な争いだ。憎しみがもたらす傷を塞ぐために、更に多くの混乱や死を引き起こすべきではない
こんな新世界に意味なんてない……ヴェロニカ
うずまく吹雪が含英の最後の呟きを吹き散らした
ディミトリは、構造体と人間の指揮官を連れて新しい隠れ家へと戻った。彼は非常に用心深く行動し、隠れ家を別の工場へ移していた――難民たちもそこへ移されている
車椅子の少女は暗闇の片隅にひとり静かに座っており、ディミトリに状況を報告するよう合図した
反乱軍ハ、指揮官ガアレクセイト密カニ協定ヲ結ブツモリダト誤解シ、彼ラヲ襲撃シタ
……どうしてわざわざ彼らを連れ戻しに行ったの?危険だったのに!
車椅子の肘掛けをぐっと握りしめた手の甲に青い血管が浮き上がった。長年ディミトリと過ごしてきた彼女にとって、彼を失うかもしれないという事実は受け入れがたい
……ゴメンナサイ、ユーリャサン、軽率ダッタ
……ディマ
ユリアは力なくため息をついた
私たちがこの争いに深入りする必要はないの
難民のために状況を緩和しようとしたけど、争いは明らかにエスカレートしている。反乱軍でもヴェロニカでも、私たちにはもう彼らを抑えられない
あなたが彼らの戦いに巻き込まれるのは嫌なの。あなただって死んでしまうかもしれないのよ、ディマ。あのSDC-39のように
……
ユリアは敏感に機械体の無言の抗議を感じ取った
……私だってこんなことは言いたくはない。でも、あなたは私の命令に従うと言ったはずよ、ディミトリ
彼女は珍しく、愛称ではなくフルネームでディミトリの名前を呼んだ
命令するわ。空中庭園や反乱軍とヴェロニカの戦いに、これ以上関与しないで
……ゴメン、ユーリャサン
私ハ……ソノ命令ニ従イタクナイ
ディミトリ!
ガッカリサセチャッタネ、ユーリャサン。デモ……天航都市ハ、ユーリャサンガ小サイ時カラ暮ラシテキタ場所ダ
空中庭園ノ関与ハ、天航都市最後ノ希望カモ
ココハ、ユーリャサンニトッテ沢山ノ思イ出ガアル場所。私ニトッテハ、ココガ世界ノ全テナンダ
反乱軍ガ天国ノ橋ヲ破壊スルノモ、機械体ガ人類ヲ支配シ続ケルノモ、見タクナイ
私ハ……私ハ……
彼のコアで何かが鼓動し、モジュールが高速で稼働した。彼には自分の冷却ファンが回転する音さえも聞こえるようだった
私ハ、人類トトモニアノ橋ヲ渡リ、星空ノ向コウヘ行キタイ。天航都市ガ、二度ト戦火ニ染マルコトナク、全テノ人間、全テノ機械体ガ、昔ノヨウニ一緒ニ過ゴセルヨウニシタイ
ゴメンナサイ、ユーリャサン。教エテクレタヨネ、「利己的」トハ何ヨリモ自分ヲ中心ニスルコトダッテ……
コレガ……私ノ「利己的」ナ考エナンダ