山のふもとの村落
夜
夜、山のふもとの村落
ふたりと狐1匹は道の中央に立ち、往来の村人たちはその奇妙な服装をちらちらと見ていたが、誰ひとり雲謁を見る者はいなかった。まるで、はなから存在していないかのようだ
狐は顔をこわばらせながら背中を高くし、尻尾を足にくるりと巻きつけている。その表情は厳粛で真剣そのものだった
道を誤ってる?嘘はやめてくださいよ
縁結び神社の山のふもとで、人が住む場所はここだけです。間違えるはずがありません
ですが、ここは私たちが暮らしていた世界ではないんです。雲謁さん、私たちがどこから来たのか、帰るべき場所を見つけてくださいますか?
……
雲謁はじろじろこちらを眺めると、かなりの至近距離でふたりの周りをちょろちょろと歩き回り、鼻をぴくぴくさせて驚愕の表情を浮かべた
なんと清らかな……あなたたち、人間の匂いがしませんね
奇妙な……確かに、ここの住人というわけではなさそう……
狐は首を傾げて思考したのち、ゆっくりと爪を伸ばすとその先に明かりが灯り、光が風に乗ってこちらに飛んできた。思わず、身を捻って躱そうとする
怖がる必要はありませんよ。これは願力――縁結びの姫を信じる人々が残した贈り物なのです
香火はありませんが、この贈り物のお陰で小さな法術くらいなら使えます
どれどれ……あなたたちがもと来た場所は……!
雲謁は立ち止まると目を大きく見開いた。その小さな顔に、複雑な表情が浮かぶ
なんてこと!まさかあなたたち、彼岸から来たのですか!?
よろしくない、よろしくないですね……厄介なことになりました……
狐の表情が固くなり、焦りからかその場でぐるぐると回り始めた
その様子に、セレーナと目線で合図して身を低くすると、できるだけ小さな声でそっと話しかけた
通常、特に問題はないんです。でも……
宮司があなたの香火を奪ったせいで、悪い影響が生じているのですね?
その通りです!もし、宮司が本当に天道と結ばれたら、あなたたちに危害が及びます
狐は立ち上がって、両爪を外側に向かって必死に伸ばしてみせた
その時にはこ――んなに広大な場所が、彼の神国となるはずです。ここの村人はもともと縁結び神社の信者ですから、あまり影響はないでしょうけど
あなたたちは帰れなくなってしまう……一刻も早く、ここから連れ出してあげなくては
そう言うと狐は辺りを見回し、神社の反対側の方を見ると急いで歩き出した
しかし狐が数歩も進まないうちに大きな歌声が響いてきて、その歩みは止まった
慶びの時が訪れ、山と川は相結ばれ、天と地は縁を繋ぐ……
まずい……止めて!
神婚の儀、いざ――
ああ、終わっちゃった!
祝詞が終わると、突如として群衆が騒がしくなった
狐はへなへなと歩みを止めると天を仰ぎ、人間のように地面にどっと倒れ込んだ
あの……大丈夫ですか?
ああ、終わりだ……これでもう逃げられなくなった
まさか、本当に神婚の儀を行うなんて……
狐はぶつぶつと呟いていたが、ついに決心したように再び立ち上がった
何としても、無関係な人を巻き込まないようにしなくては
事ここに至っては……私が神婚を制止することで、あなたたちを離脱させるしかありません
狐の言葉は善意に満ちたものだったが、セレーナはまだどこか矛盾を感じているようだ
雲謁さんはこれまで、宮司の結婚式を阻止するつもりはなかったのですか?
ええ
それは……
狐は一瞬動きを止め、何かを考えるように目を泳がせていたが、すぐに笑顔を作った
笑みを取り戻したあとは表情が穏やかになり、声もトーンダウンした
宮司はずっと、よくしてくれているので
私は縁結びの姫になる前、山中に置かれた小さな神棚に住んでいたんです。香火もないし、狩りも難しいしで、冬はいつもお腹を空かせていました
そんな私に宮司は食べ物を与えてくれ、欲しいものはないかと訊いてくれ、色々と気配りをしてくれました。だからこそ、今の神社と縁結びの姫があるのです
一生懸命説明している狐の目に悲しみの色はなく、微かな喪失感だけが漂っていた
あの立場が欲しいなら、あげてもいい……
でも、あなたたちがここに取り残されてしまうのは……よくありません
それを見ていたセレーナはこちらにぐっと近付くと、こう囁いた
セレーナは頷き、雲謁の方に視線をやった
私たちがお手伝いできることはありませんか?
うん?大丈夫、だいじょうぶ……確かにあなたたち、強そうだけど……!でも!
人間の悩みを解決するのは神の義務だから、神が人間に手助けを頼むなんて……
大丈夫、お任せあれ!あなたたちは村で、安心して吉報を待っててください!
狐は自信に満ちているように見せているが、その話し方や仕草からすると……
セレーナに視線を投げると、彼女はこちらの意図を理解し、体を屈めて優しく狐の頭をなで出した
雲謁さん、ご配慮ありがとうございます。でも、助けてくれただけでなく、今度は危険なことをしようとしているのに……私たちだけが安全な場所で待っていられません
でも……
助力があれば、もしかしたら彼が理由を話すかもしれませんよ
う……
狐はしばらく悩んでいたが、結局こちらの決意には敵わないと見たのか、しどろもどろになって同意した
そうですね……うん、わかった……でも約束ですよ。もし危険なことがあれば、すぐに逃げるように!
雲謁の真剣な様子を見て、セレーナと思わず視線を交わして微笑み合った
お約束いたします
山のふもとの村落
夜
夜、山のふもとの村落
狐の後ろについて、ふたりで街中を歩いていた
セレーナは任務用の小さなノートを取り出し、時折周囲を見渡しながら、たまに隣のこちらにひそひそと話しかけてきた
この村落は確かに、357保全エリアの前身のように見えます。彼らの服装や文化は九龍に由来していて、似ている点もありますが……完全に一致しているわけではありません
寺院や道観といった宗教建築とは異なる様式の神社も、その違いのひとつです
コンダクター、私が以前に経験したことをお話されていますか?赤潮の音を聞いて、過去の光景に踏み入った時の……
確かに表面上は似ているかもしれませんが、本質的には異なります。それについてはすでに確認したのですが、赤潮の痕跡は感じられませんでした
現在の状況からして私たちには……いいえ、ここの環境には、そのモジュールは使えません……
でももし別の方法を試みれば、万が一の事態が起きた時、構造体はともかくとしてもコンダクターは恐らく……
セレーナはこちらへの説明を終えると更に自問自答を続けた。その分析が深まるにつれて表情が次第に真剣味を増し、眉間にも不安の色が重なっていく
手をセレーナの前に伸ばし、パチンと軽く指を鳴らした
きゃっ……?
彼女は小さくビクっとすると、困惑した表情で振り返った
コンダクター?
こっそりセレーナに近付くと、その耳元で小さな声で名前を呼んだ
きゃ!えっ……?
セレーナはさっと耳を押さえてビクっとしたまま振り返った。やや茫然とした目をしている
コ……コンダクター?
あっ……はい……
セレーナはしばらく言葉を失っていたが、やっとこちらの意図を察したのか、笑い出した
ふふっ……
コンダクター、私がガチガチに緊張しているように見えたのですか?
セレーナは両手を後ろで組み、首を傾げて他のところに目を向けた
当然、真剣であるべきでしょう?コンダクターと一緒に任務を遂行しているわけですから
……ええ
冗談のはずが、セレーナはこちらを振り返ると目を合わせてきた。その口は少し結ばれ、微笑みながらも彼女は真剣に答えてくれた
{226|153|170}~
……私がコンダクターを気にかけるのはおかしいですか?
ああ、ここの提灯は本当に明るいのですね。だってコンダクターがこんなにも赤いんですもの……ふふ
わざと大真面目に咳払いをしてから、再び目を合わせてみる。数秒も続かず、お互いに我慢できずに吹き出し、雰囲気がぐっと和んだ
そして揃って視線を別の場所に向ける頃には、警戒や観察といった気持ちは薄れ、まるで実際に旅をしているかのように、村の祝祭的な雰囲気を楽しんでいた
歩くにつれて揺れる手が明滅する灯りの中で意図せずに触れ合い――その後、そっと握りしめ合う
こうしていくつかの小道を曲がるうちに人影が少なくなり、ふたりと1匹の狐は村の端までたどり着いた
小道の先に木造の小屋があり、その小屋にはさまざまな花束が飾られている
ご来店いただき、ありがとうございます。お迎えが遅れまして申し訳ございません……
近付いた途端に木造の小屋の扉が開き、まるで予知していたかのように店主が迎えに出てきた。村の他の人々と違って、店主は扉を開けた瞬間に雲謁に目を向けた
あら、籠の中で夏の種が花開く吉兆があったと思ったら……縁結びの姫様がおいでなのですね?
何か不足でもありましたか?法術でお呼びになればお持ちしましたのに。神婚の儀はもうすぐなのですよ、新婦はお部屋で待っていなくては
お久しぶり、紫藤道士
狐は半身を立ち上げると両爪を抱え込むようにして礼をして、丁寧な挨拶を返したあとに、元の姿勢に戻った
もう私は縁結びの姫じゃないですから。神婚の儀の新婦は、私ではありません
……宮司は勝手に縁結びの証を持ち去り、天道と結婚しようとしているの
それを聞いた店主が目を見開くと、衣服から露出した肌に無意識のうちに藤蔓の花枝が少しだけ出現し、それは風もないのにざわざわと震え出した
なんですって……それは、本当ですか!?ど……どうすれば……
本当のことです。ややこしい事情があるんですが、とにかく今回、紫藤道士にお願いしたいことがあって
神社から神婚の儀に招かれていますか?
もちろん。あなたは……
紫藤道士よ、あなたの招待状と法力をお借りできませんか?なんとかして神社に戻り、結婚式を阻止したいのです
雲謁に紫藤道士と呼ばれた店主の表情に、翳りと輝きが交互に訪れ、どうやら利害を天秤にかけているようだった。しばらくして、彼女は軽くため息をついた
はぁ……
昔、縁結びの姫様にご縁をいただいたご恩があります。どんな理由があってもお断りするべきじゃない、それは理解しているんですが……
お断りするわけではなくて、実は他にも気になることが。縁結びの姫様は、再び人の姿に戻れるのでしょうか?
神力を失った今、神社内ならその姿に戻れるかもしれませんが、外ではどうしても無理なんです
そうなのですか、では……
紫藤に導かれて木造の小屋の中に入ると、華やかな花束の中にぽつんとひとつ架台があった。その上に、気品漂う女性ものの婚礼衣装が掛けられている
実は招待状をいただいた時、私は神社で起こっていた異常をまったく知らなかったのです
最近、山の君と恋に落ちまして……この機会に参列しつつ、祝福を受けたいと考えていました
とはいえ神婚の儀に関わることです。独断はできないので招待を受けてから神社へと書簡で訊ね、許しを得てからようやく準備を始めていました
紫藤は婚礼衣装を架台から下ろすと、雲謁の前に差し出した
縁結びの姫様が私を騙るとしても、婚礼衣装も伴侶もなしに行ってしまえば、宮司がすぐに察してしまいます
それは……
室内は短い沈黙に包まれた。セレーナは少し考え、やがて提案してきた
私とコンダクターが紫藤さんと山の君に扮して、雲謁さんを連れて山へ行くのはどうでしょうか?
あなたは山の君とかなり体格が違います。お客様の方が鋭いし、威厳がありますね。でも、その点はそう問題にはなりません
私と山の君の恋仲はそう広まっていないのです。神社への書簡でも山の君の正体については明かしていません
宮司はもちろん、村に滞在している他の妖怪たちが知っているのも表面上のことだけで、その内情までは知りません
そういうことであれば……
なりません!
意表を突いて、これまで明るく楽しい雰囲気だった雲謁が、突然厳しい口調でそれを否定し出した
……看破されることが心配なのでしたら大丈夫です。私の機体は視覚や嗅覚の特性を少し変えることで、偽装が可能なので
いえ、私が言いたいのはそういうことじゃなくて
妖怪同士は互いに探り合ったりしませんし、たとえ多少違和感があっても深く追及されることはないでしょう。修行の道は長く、変化は常なるものだからです
問題はそこではなく……
雲謁はこれまで見せたことのない真剣な表情を浮かべた
夫婦というのは、軽々しく演じられる役割などではありません!結婚は……とても大切な、とても神聖な契約なのですよ
紫藤道士と山の君が互いに想い合い、婚姻の祝福を受けたいと願うのは当然でしょう。でも、セレーナと[player name]は……
これまで見ていると、あなたたちはとても親密そうですが夫婦の仲には見えません
そう言って狐は身軽にぴょんと跳ねて台上に上ると、こちらと目線を同じ高さにした
その姿には、物語に登場する縁結びを司る神のような風格がある
あなたたちは、一体どういう関係なんです?